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  • 原知佐子

    父・敏正、母・留喜の二男二女の二女。町立高岡第一小学校に在学中、先生から「この子は宝塚に入ったらいい」と言われ、芸能界に憧れる。町立高岡中学を経て54年、県立追手前高校を卒業。宝塚歌劇団と松竹を受験するが落ち、芸能人の多い京都に出ればコネでどこかにもぐり込めるかもと思い同志社大学文学部美学芸術学科に入学する。大学二年の55年、新東宝四期スターレットに応募して合格、大学を中退して新東宝に入社した。翌56年、本名で清水宏監督「何故彼女等はそうなったか」の脇役でデビュー。その後、「天国はどこだ」「女競輪王」56、「リングの王者・栄光の世界」57、「童貞社員とよろめき夫人」「汚れた肉体聖女」58、「戦場のなでしこ」59などに助演。59年4月、新東宝を退社し翌5月に劇団青俳に入団。ついで同年9月東宝に入社、原知佐子と改名して「女子大学生・私は勝負する」59の女子大学生にふんして初主演。翌60年の「黒い画集・あるサラリーマンの証言」で課長(小林桂樹)と関係を持ちながら、好きな男ができると課長をすげなく捨ててしまう事務員を好演し、いらい小悪魔的なキャラクターを持ち味にして「羽織の大将」「がめつい奴」60、「銀座の恋人たち」61などに出演。61年、田中絹代監督「女ばかりの夜」で元・娼婦のために世の中に入れられぬ女にふんして主演、好評を得た。その後「その場所に女ありて」「女性自身」62などに助演し、62年8月に東宝を退社、フリーとなって「乾いた花」63、「かも」65、「華岡青洲の妻」67、「弾痕」69、「儀式」71、「あさき夢みし」74、「祭りの準備」75、「十九歳の地図」79ほかに出演。この間の67年、青俳を退団。テレビはフジ『次郎長三国志』64、TBS『岸辺のアルバム』77、『元気です!』80ほか多数。舞台は『がめつい奴』59、『放浪記』62、『四つの詩劇』75など。64年8月15日、TBSのディレクター(現・映画監督)実相寺昭雄と結婚、一女あり。