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  • 山崎徳次郎

    教育者の家に生まれる。県立東筑中学のころから映画づくりを目ざし44年9月、日本大学芸術学部映画科を繰り上げ卒業、学徒動員で海軍に入隊。戦後の45年10月、大映東京撮影所助監督部に入社。豊田四郎「雁」、久松静児「警察日記」ほかにつく。54年8月、製作再開の日活へ移り、田坂具隆「陽のあたる坂道」「若い川の流れ」ほか市川崑、古川卓巳らの助監督。59年1月監督昇進、同年5月「JA750号機行方不明」でデビュー。ついで“事件記者”シリーズ八本を連続演出して手腕を認められた。66年1月退社してフリーになるまで劇場用三十作品、テレビ映画三十八作品を演出、小林旭主演の“流れ者”シリーズ全五編、赤木圭一郎の人気を高めた「霧笛が俺を呼んでいる」など第一線で活躍した。67年シンガポールでマレーシア・プロダクション作品「ラジャ・ベション(牙のある王様)」を監督、68年5月真珠舎を設立して代表取締役に就任。69年、水産会社と提携して自ら企画・製作・監督した海洋ドラマ「荒い海」では、とくに実写部分の迫力で注目された。以後、郷里北九州市に住み「土のうた」(51/北斗映画)、「崗の水門」(52/真珠舎)はじめ、自社で「堀川の歴史」(54)、「古代の北九州」(57)、「北九州の近代建築」(61)など文化財記録映画を主に、PR映画、CMを若干製作。劇場用劇映画「流れの外の静かなところ」の企画を温めている。学校法人専門学校の九州デザイナー学院映画科講師。水彩画、油絵を楽しむ。51年1月13日結婚。子供はいない。

今日は映画何の日?

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