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シシリー・タイソン
カリブ海出身の両親の離婚後、家計を助けるため、道路でショッピング・バッグを売ったりした。高校卒業後、赤十字でタイピストとして働き、その後モデルとなる。ハーレムYMCAで初舞台を踏む。アクターズ・スタジオで演技を学び、59年“Jolly's Progress”のジョリー役でニューヨークの舞台に登場。オフも含めたブロードウェイ出演の他、TV、映画でも活躍している黒人女優。ダンス・シアター・オブ・ハーレムの創設に参加している。63-64年にはTVシリーズ「イーストサイド・ウェストサイド」に秘書役でレギュラー出演した。主な映画出演作は「十二人の怒れる男」(57)、「愛すれど心さびしく」(68)、「サウンダー」(72)など。「サウンダー」では主人公の少年の母親を演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされた他、アトランタ・フィルム・フェスティヴァル賞などいくつかの演技賞を受賞している。74年にはTVM「ジーン・ピットマン/ある黒人の生涯」で110歳の老女ジーン・ピットマンに扮しエミー賞の主演女優賞を受賞。81年にジャズ・ミュージシャンのマイルス・デイヴィスと結婚。アトランタ大学、ロイヤル大学、リンカーン大学の名誉博士号を授与されている。94年、“Oldest Living Confederate Widow Tells All”で、エミー賞の助演女優賞を受賞。
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シシング・ユエ
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シシ・デュバルク
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シシー・ケリング
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シシー・スペイセク
本名はMary Elizabeth Spacek。父親は農務省地方事務所に勤務していた。クィットマン高校を卒業後、17歳の時、兄ロビーが白血病で死亡、ニューヨークに出たいという彼女を両親は励まし、従兄の俳優リップ・トーンと彼の妻ジェラルディン・ぺイジを頼ってニューヨークに出たが、父親の死でいったん帰郷。その後再びニューヨークに出て、今度はトーンのアドヴァイスで女優を志し、写真のモデルをしながらアクターズ・スタジオで演技を学ぶ。アンディ・ウォーホール製作の“Trash”(70)に通行人の役で出演。72年、マイケル・リッチー監督の「ブラック・エース」で映画デビュー。独立プロ作品ながら早くも二作目の“Ginger in the Morning”(73)で主役に抜擢され、中年男を翻弄する小娘を演じている。続く「地獄の逃避行」(V、74)でユニークな演技が注目された。74年、ブライアン・デ・パルマ監督の「ファントム・オブ・パラダイス」で美術監督ジャック・フィスクのでセット・デコレーターをつとめ、同年フィスクと結婚。 76年、デ・パルマのヒット作「キャリー」に主演してアカデミー主演女優賞候補になり、年齢不詳のベビー・フェイスと個性的でナイーヴな演技がクロースアップされてスターの仲間入り。その後ロバート・アルトマンの「三人の女」(77)、ジャック・ケルアックとその恋人、友人の青春を描いた“Heart Beat”(79)、82年カンヌ・グランプリ作の「ミッシング」(82)など、地味だが演技力で勝負の良質の作品に主演して、アメリカを代表する演技派女優の地位を得ている。80年の「歌え!ロレッタ愛のために」では得意の歌をいかしてカントリーの女王ロレッタ・リンを演じ、アカデミー主演女優賞を獲得、86年の「ロンリー・ハート」でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。フィスクはその後シシー主演の“Raggedy Man”(81)で監督に転進。82年に娘が生まれている。
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シシー・ヒューストン
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シシー・フィッツジェラルド
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シシー・プリシラ
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シシー・リー
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シジジーズ