解説
空襲で孤児となり、疎開先で結核に冒された少女が隔離され、息をひきとるまでを描く。中尾町子の戦争体験手記を小森名津が脚本化。監督は「翼は心につけて」の堀川弘通、撮影は林淳一郎がそれぞれ担当。
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この作品のレビュー
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鳩
母と弟を殺した憎きB29「B29早く来ないかな」ムッちゃんにとって敵を憎む気持ちよりはるかに肺病による隔離、孤独が一番の苦しみであった悲しさ。
唯一の肉親かよねえちゃんの死、直接の描写は避けムッちゃんのもとへ訪れなくなった状況で表現。ろうそくは燃え尽き食料もなく何か落ちていないか寝床周辺に手を彷徨わせる。結ってもらっていた長い髪は乱れ顔は土まみれ。なんと残酷なことか
そしていよいよ終戦、昭和20年8月15日のテロップ、玉音放送の音声をバックに朦朧とした意識のままうわ言を呟きつつ寝床から這うムッちゃんの姿。戦争が終わった。だからといってすぐ状況が変わるわけでもない。ムッちゃんは終戦を知らぬまま静かに息を引き取った。言いようのない無力感に打ちのめされる。
「ムッちゃんの詩」のストーリー
昭和20年横浜。小学校6年の山下睦子は父の出征後、食堂で働いて一家を支えている母にかわり、小さい弟・勝の面倒を見ている。母は父の戦死の知らせを信じようとせず、一家は疎開しないで父の帰りを待っていた。近所の子供は、皆学童疎開に行ってしまい、睦子の友達は、母を焼夷弾で亡くし弟と父親の帰りを待っている同い年の正一だけである。5月29日、横浜大空襲で母と弟を亡くした睦子は、大分の伯父夫婦を頼って出発した。だが、大分に着くと伯父夫婦はすでに亡く、唯一人の従姉・香代に面倒をみてもらうことになる。香代は料亭の住み込み女中をしており、睦子を置いてもらうかわりには座敷に出て客の相手をしなければならなかった。彼女には海軍下士官の島崎という恋人がいた。ある日、睦子が血を吐いた。肺結核だった。香代は睦子を近くの防空壕に隔離する決心をした。一日中防空壕に横たわっている睦子にとって空襲が唯一の楽しみだった。そんな中、彼女は京都から疎開してきた町子という少女と知り合い「ムッちゃん」「マコちゃん」と呼び合う仲良しになる。ある日、睦子は近所のトマト畑で、トマトを盗みにきた朝鮮人、金ビョンホと出会う。金は強制労働のため日本に連れてこられたのを逃亡してきたのだ。密かに二人の交流が始まるが、彼はやがてトマト泥捧で捕えられてしまう。7月16日大分大空襲の夜、香代が死んだ。面倒を見てくれる人がいなくなり、睦子の容態は急速に悪化した。終戦になり、町子は睦子を訪ねるが、睦子はお手玉を託し、息をひきとった。終戦で釈放された金は、睦子の死を知り遺体を乗せた大八車に泣きすがるのだった。
「ムッちゃんの詩」のスタッフ・キャスト
スタッフ |
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キャスト | 役名 |
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「ムッちゃんの詩」のスペック
基本情報 | |
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ジャンル | 戦争 |
製作国 | 日本 |
製作年 | 1985 |
公開年月日 | 1985年7月21日 |
上映時間 | 100分 |
製作会社 | 関西共同映画社 |
レイティング | 一般映画 |
アスペクト比 | スタンダード(1:1.37) |
カラー/サイズ | カラー/スタンダード |
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