映画専門家レビュー一覧
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激怒(2021)
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
近年日常的に考えていたことがそのまま画になっていて、しっくり馴染んで全篇を観る。何も通らない横断歩道赤信号で律儀に待つ奴が増えたと思いません? そして、にもかかわらず、というか、だからこそ、なのか、善悪や倫理的な判断さえも自発性や当人の魂を欠く気持ち悪い同調圧力となって、結果、世の中が荒んでいる。あんまり舐めてるとその相手に殴られるよ。その暴力の緊張感なく増長する者の醜悪を憎む本作に同意する。脇でない、全体像の川瀬陽太氏の圧倒的な良さ! 必見!
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NOPE ノープ
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映画評論家
上島春彦
映画は「馬と黒人」から始まったという主人公一家の宣言が実にいい。マイブリッジを起源としているわけだ。時空を超える雑多な挿話の積み重ねからじわじわと滲みだしてくるのは、かつて名子役だったアジア系青年の心に潜む「絶対的な他者に食べられたい」という不条理な欲望であり、それを主人公は理解していない。観客は理解する。手回しのアイマックス・カメラというガジェットも心憎く、映画小僧の琴線に触れるものがある。高額予算のおかげでM・ナイト・シャマラン映画みたい。
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映画執筆家
児玉美月
「her/世界でひとつの彼女」や「インターステラー」などで撮影監督を務めたホイテ・ヴァン・ホイテマのスペクタクルな映像美が、本作の壮大さを支えている。外に出ていくことによる恐怖、あるいはなにか巨大な力に吸い込まれてしまいそうになる漠然とした恐怖は、パンデミックに見舞われた「いま」を生きるわたしたちの心象に合致するものだろう。人種差別問題などもやはり引き継がれているが、ジョーダン・ピールの過去作である「ゲット・アウト」などと比較すると完成度は劣る。
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映画監督
宮崎大祐
一度それを見てしまったら最後、その後の人生の毎分毎秒がその瞬間をとらえるためだけに存在しているかのごとく日々が過ぎていく。さっきよりも光の具合が良いから次はもっと上手くとらえられるかもしれない。でもリテイクして予定調和になるとあいつさっと雲の中に隠れちゃうんだよな。犯している暴力にも気づかず、さまざまな人生と感情を飲み込みながらも刻一刻とそれは肥大していく。われわれはそんな存在を毎度理不尽に思いながらも今日もそれをとらえようと目をこらしている。
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スワンソング
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米文学・文化研究
冨塚亮平
かつての差別と今の寛容。世間からの認識が進むなかで、ゲイ文化が成熟と同時に失ったものにも目を凝らしつつ、個人的な愛惜の念をたっぷり込めた音楽とともに、故郷とそのゲイコミュニティの過去と現在を描いた本作は、独身ゲイの老いと孤独の問題を正面から扱っている点でも極めて今日的な一本だ。そしてとにかく、最高にチャーミングでありながら、同時に時折表情からえも言われぬ悲哀を感じさせるウド・キアーが、キャリアハイを更新したのではないかというほどに素晴らしい。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
いくらでも大きく華々しい話に出来そうなところ、あくまで一つの町で完結する程度の、この規模の小ささがとても好ましい。誰もが知っているわけではないけれど、誰も知らないわけではないという絶妙な距離感が、主人公を街の古株のようにも、異邦人のようにも映し出し、独特な親密さを映画にもたらしている。歴史として語られるほど、社会や町を変えたわけではない。しかし確かに私の人生はあなたによって変わったのだと、そんな小さな無数の声が本作を形作っているかのよう。
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文筆業
八幡橙
単なる「終活」や「郷愁」や「老境の悲哀」の映画ではない。死を前に過去を思うとき、誰しも一足飛びにそこに立ち返るわけではなく、その間も流れ続けた刹那刹那を必死に生きてきたのだから。ウド・キアー演じる主人公は、過ぎた細やかな時の砂を一粒一粒掬い、撫で、慈しむ。彼が求めたヘアクリームのように古臭いと一蹴され葬り去られるものでも、意味のないものはない。過去の一瞬は今に息づき、その先へと確かに繋がってゆく。淡い光の内に力強くそう伝える、忘れ難き名作。
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シャーク 覚醒
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
アクションが楽しかった。仕掛けがいっぱいあって飽きない。ストーリーはシンプル。いじめられっ子の主人公が、悔しいという気持ちをバネにして頑張る。特訓シーンのコミカルなやり取り、男同士の友情とかもあって、よくある話だけど楽しく見られる。男の子があっさり強くなっていくのが不満だった。もっとメチャクチャになれと思ってしまった。その先がもっと面白いはずなのに。最初の殺人事件とヤクザが実は繋がっていて、ふたりが協力して巨悪に挑むっていう続篇希望。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
ある事件をきかっけに少年院に入ることになったいじめられっ子の少年が、総合格闘技の元チャンピオン・ドヒョンに鍛えられ心身ともに強くなって、やがて元いじめっ子と対決するという少年漫画のような構図と物語展開。と思ったら、原作が漫画でその実写化とのこと。基本的に、ひたすら鍛えて喧嘩しての繰り返しでやや単調気味。主人公の少年の怒りに満ちたときの表情が印象に残る。泳ぎ続けないと死んでしまう魚といえば、シャークではなくマグロだと思っていた。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
刑務所といっても学校のまんまじゃないか、教室もあるし、まあ、共学じゃなくなってるけど、などと思いながら見ていると、途中で「ドヒョンが成人刑務所に移る」という話になって、思わずのけぞる。え、ここは少年院だったのか。たしかにウソルは高校生だったし、そういう設定を忘れていたのはこちらが悪いが、少年院に入っている少年たちがさすがにみんなおっさんすぎやしないか。十代を演じる俳優たちの実年齢がいくつかとか、そういう話とは別に。他にもつっこみどころ多し。
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シーフォーミー
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映画評論家
上島春彦
本作は人間狩り物の変種。代表作に「猟奇島」がある。監禁盲者物でもある。ここでは「狩る」方が盲者というのが効く。彼女は光の方向は感知できる。サポート・アプリを使って目標を探るわけだが、物語設定が疑問。せめて主人公の特技を活かしたかった。彼女に倫理観が欠如しているのもヘン。プロットをひねったつもりだったのだろうが逆効果。悪銭だからちょろまかしても全く構わない、などと主人公が考えたら映画にならない。警察官に対する脚本の非情な態度で嫌な気分もつのる。
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映画執筆家
児玉美月
まず真っ先に彷彿としたのが「THE GUILTY/ギルティ」だが、本作も負けず劣らずの秀作。序盤で提示された主人公の元スキー選手としての経歴、窃盗癖、人の助けを借りない頑固さ、ワインなどいくつもの要素が、後の展開にそれぞれ巧妙に絡んでくる。ただ、主人公が目の見えない設定でありながら、彼女の聞いている音にはそこまで興味がないようにも思えた。スリラーに見えてその実、これは「信頼できるガイド」を得て新たな人生を踏み出すための一人の少女の物語でもある。
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映画監督
宮崎大祐
本作は盲目の元軍人が自宅に押し入った強盗と相対する映画「ドント・ブリーズ」の陰画のような作品だ。ただし本作のヒロインは「ドント・ブリーズ」のおっさんや座頭市のような超人ではなく、トラウマを抱えた元アスリートの盲女であり、行動は常にビデオアプリや通話相手からの指示に規定されることになる。その迂回がうまくサスペンスに昇華されていない点は気になったが、触覚に訴える演出の数々は一寸先も見えない暗がりの中を生きる我々の時代感覚と共鳴してるように思えた。
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Zola ゾラ
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映画評論家
上島春彦
原作は投稿ツイートでそのリアルタイム感覚がポイント。全世界で評判を取ったとか。そこは私じゃ了解不能だが。ポールダンスのエキスパート女性が知り合ったばかりの同業者に誘われ、仕事の旅に出る。私は下品なのは超得意だが、下品プラスアルファが欲しい。日本語字幕でも閉口するお下劣度だから英語が分かればもっと閉口するのだろう。分からなくて良かった。文字メディアを映像化するのは理に適った行為なので文句はないが、ツイートの応酬合戦の皮肉さは出ていない感じだな。
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映画執筆家
児玉美月
16㎜フィルムで撮影された画のざらつきが、ソーシャルメディアの投稿を基にした映画の現代性とミスマッチを起こして味わい深さを演出する。黒人女性のゾラの怪訝な睥睨を映すショット(とヴォイス・オーバー)が映画を終始貫き、彼女が白人女性/社会への批評性を担う。そうでなければこの作品自体が成り立たないといってもよい。だからこそ白人女性であるステファニがこの物語を語り出そうとしたとき、それはまったくのデタラメで彼女が語り部にはなり得ないことを強調している。
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映画監督
宮崎大祐
特定の規則に基づくわけでなくたえまなく切り替わる視点や一貫性を欠くカッティング、そして世界のあちこちからあふれ出る音が「いま」のわたしたちが世界を認知している距離と限りなく近いように思われ、その再現性に感激していた。「2022年に生きる人類」の究極の主観映画というか。そんな中、車内でヒロインたちがミーゴスの〈ハンナ・モンタナ〉を歌い踊るシーンはなぜだか「悪魔のいけにえ」を想起させ、それでも追いすがってくる歴史も乗せて我らの未来への旅はつづく。
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彼女のいない部屋
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
主人公の彼女の動きがヘンテコだ。突然男の人に抱きついて泣いたり、魚屋の氷の上に顔を埋めたり。よく分からん。パラレルワールドなのか? 子どもを置いて出て行ったはずなのに、別のシーンでは一緒にいたりする。見ていくうちに、だんだんと胸を締めつけるような悲しみが襲いかかってくる。全てのピースが後からハマっていく感じ。見終わって、すぐさまもう一度見たくなった。彼女のいない世界のあったかもしれない幸せ。その描写がリアルであればあるだけ、悲しみは大きい。
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文筆家/女優
唾蓮みどり
ひとつの受け入れがたい現実と、そのために生まれる新たな現実。どこからが現実なのかがわからなくなる物語構成を、まるで謎解きをしていくように進んでいく。前作「バルバラ」(17)に続き、幻想とリアルの入り混じった手法をふんだんに満喫することのできる本作は、非常にマチュー・アマルリックらしい作品。新作をいつも楽しみにしている監督の一人でもある。一度その世界に足を踏み入れたら、何度でも繰り返し見たくなるにちがいない。日本語版のタイトルも秀逸。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
マチュー・アマルリックの映画はいつも「創作」をめぐる。だが、「ウィンブルドン・スタジアム」(01)でロベルト・バズレンに関心を示していたように、そこでは書かないことこそが書くことであり、創作ならぬ創作が問題である。前作「バルバラ」(17)が伝記映画制作を題材に「解体」の様相を示したとすれば、今作が焦点を当てるのはむしろ「再構成」である。私たちにはときに創作が必要だ。しかし、それがなぜ必要なのかをこんなに悲痛に示しえた映画があったろうか。
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サハラのカフェのマリカ
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
猫がちゃんとマリカの問いかけに答えているのに、びっくりした。食べ物とか飲み物とか一体どこから調達してくるのか不思議になるほどなーんもない所。すごい砂嵐。店内は砂だらけ。彼女はずっと客が来るのを待っている。いろんな人が店を訪れては去っていく。常連の男と急に刑務所のこっちと向こうの設定で芝居を始めたのには、笑ってしまった。行方不明の兄を探していると言う客に、娘が死んだ話をするマリカ。嘘だか本当だか分からないその話に、何か感じるものがあった。
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