映画専門家レビュー一覧

  • リトル京太の冒険

    • 映画評論家

      北川れい子

      すでに短篇2作の「京太」シリーズがあるとは知らなかった。ずっと同じ子役が演じているという。その短篇でも防災頭巾をかぶっているらしい。でこの長篇第1作、いくら少年目線の映像だといっても、脚本も演出もたどたどしすぎる。あの日(東北大震災?)以来、頭巾をかぶっているという少年の設定も12歳ともなれば奇妙に思ってしまう。そして再び町に戻ってきたアメリカ人の英語教師へのストーカーまがいの行動。むろん理由はあるのだが。救いは屈託のない母親。次作を期待。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      微笑ましい少年ものかと思いきや、やがて語られるものの重さに凝然とする。適切な例えではないが、子供はマンドリンで人を殺すくらいに、迷いなく狂ったように、シンプルで論理的なものだ。その子供が何もその述べ方に綾をつけず、不安だ、この国から逃れたい、と言う。大人のようにうまく自分を誤魔化して気をそらし、何も不安がないと思い、そう振舞うようには出来なかった少年が。その救いが西欧人。これもたしかに近代以降の日本の新たな神だ。彼が米国人でないこともよい。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      この映画は「ある日を境に誰かが突然いなくなること」を描いている。それゆえ、観客は自ずと事象の数々を震災と結びつける。例えば、主人公・京太の姿が通りの角に消え、誰もいない通りを映し続けることで「いなくなる」ことを印象付けている。また、朽ち果てた山の休憩所の姿は「そこにあったはずものがなくなる」ことをも示している。だからこそ、京太にとって町に帰って来た外国人教員の存在は「いなくなった人間が復活する」という〈奇蹟〉のようなものとして特別なのである。

  • 暗黒女子

    • 映画評論家

      北川れい子

      「愚行録」を連想させる“イヤミス”映画だが、死んだ少女を巡る5人の少女たちのキャラクターのアザとさは、いくらタイトルに“暗黒”とあっても笑っちゃうほどで、次々とタネ明かしされる幼稚で邪悪な脅し合戦は、陰湿なゲームのよう。女子高文学サークルのそれなりの美少女たちも、裕福な読書家の書斎を思わせる部室も、いわばビジュアル的な虚仮威し、正体暴露のための仕掛けっていうのだから空しい。千葉雄大扮するトンデモ教師がマセた高校生にしか見えないのもドッと疲れる。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      清水富美加というまだ上り坂にある女優・タレントが新興宗教に出家するために引退するなかで、こんな厭な仕事をさせられたという例に挙げた映画だと思うが、これは面白くなくもないクラシカルな構成のミステリー。だが宗教に負けたか。ある意味、映画こそ最高の新興宗教で、関わる者を現世の生を超えた存在にもしうるがそこまでの企画はなかなかないか。大筋に関係なく私が苛立ったのは文学をサロン的なものにしてること。登場人物が悲惨なことになるのはその愚行の報いと解した。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      本来であれば映画本篇の評価に対して、作品の周辺にまつわる醜聞の類いは考慮すべきものではない。しかし、現実の女子の〈暗黒〉面がフィクションを凌駕しているため、2017年という同時代に本作を観る上では残念ながら避け難いのである。また本来であれば、惹句〈驚愕のラスト24分〉は驚くべきものだったに違いないが、パブリックイメージとは異なる現実の女子の〈暗黒〉面が脳裏を過り、物語を先読みしてしまうのも痛恨の極み。あらゆる意味で“今観るべき映画”だとも言える。

  • はらはらなのか。

    • 映画評論家

      北川れい子

      “世界は少女で回ってる”!? この「はらはらなのか。」を含め、今回はみな“少女”もので、何やらゲップが出そう。という愚痴はさておき、25歳だという酒井監督の本作、女優志願の少女の迷走、妄想を、それが狙いでもあるか舌っ足らずに描き、まったく?みどころがない。一部、アングラふうなタッチもあるが、感覚先行の話と演出がかみ合わず、ヒロイン役・原菜乃華のキャラクターも一人浮き足立っている。このところ若い女子監督の進出が目立つが、趣味のレベルが多い気も。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      とっちらかっているが良い。今号本欄の映画のなかでもっとも商業性の毒が少なく、表現であろうとする作品。ファンタジーでミュージカルでメタ的アイドルものという作り手の野心のメガ盛りが、減点的な見方を放棄させた。女の子がもうひとりの自分を友達にし、対話相手にするが、それがいかにもなカワイイファンタジーというより、妙に暗く、死の匂いがした。プレスリーの双子の兄の伝説の如く。本作はヒロインはもちろん、川瀬陽太、水橋研二らにとっても誇れる最新の様態の記録だ。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      酒井麻衣監督は「いいにおいのする映画」(16)でも虚実を混在させていたが、これは“監督の意図”よりも「MOOSIC LAB」企画が先行していた。本作では原菜乃華が原ナノカを演じているが、虚実をクロスオーバーさせる“監督の意図”に疑いはない。一方で序盤の映像は“監督の意図”によるものというより、チャラン・ポ・ランタンの楽曲に引っ張られた感がある。後半はドラマに徹して虚実の境界線が明確になるが、願わくばもう少し世界を壊しにかかってよかったように思う。

  • レゴ(R)バットマン ザ・ムービー

    • 批評家。音楽レーベルHEADZ主宰

      佐々木敦

      こういうのがあるということすら今回初めて知りました。スピンアウトにも色々あるんだなあと感心しきり。それなりに愉しんで観たけれど、率直に言って、この作品にどんな論評を加えたらいいのか全然わかりません(笑)。実際にはレゴを使ったストップモーションアニメではなくて全篇CGだそうで、そりゃそうだろうなとは思ったが、それって本末転倒なのでは? とも思った。ストーリーは非常にシンプルになっていて、あくまでも主眼は「レゴのバットマン」であることがよくわかる。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      なぜバットマンをレゴに? という素朴な疑問はすぐにどうでもよくなる。過去のバットマンシリーズやアメコミに対するツッコミとパロディにあふれた世界観(さらにそこから新たにドラマを生み出している!)を表現するためには、実写やアニメのリアリズムとは対極にある、ある意味不自由なレゴのフォーマットが最適だったのだ。短い手足に敢えてぎこちなさを残した動き、表情や仕草の作り方が慈愛を誘う。中でもジョーカーのいじらしい可愛らしさといったら身悶えするぐらい。

    • TVプロデューサー

      山口剛

      レゴで組み立てられたバットマンなんて動きも表情も乏しいので果たしてどうかなと言う不審は、たちまち消し飛んだ。バットマンもジョーカーも饒舌でよく喋るが、ウイットの効いた科白が楽しい。バットマンの性格をひとひねりして練り上げた企画脚本の勝利だろう。特筆すべきはスピード感、疾走感だ。かなりマニアックな作品だが、アニメやアメコミに不案内な私も、M・キートンやJ・ニコルソンを思い浮かべながら楽しんだ。家族愛で締めくくるエンディングも説教臭がなくて良い。

  • ハードコア(2016)

    • 翻訳家

      篠儀直子

      POV映像で主人公と同化するというよりも、主人公の視界を無理矢理体験させられるアトラクションみたいで、それだけなら高く評価するようなものではないが、面白いのは、客観ショット抜きで次々突拍子もないことが起こるせいで、映画全体がナンセンス・コメディの快作(怪作?)の様相を帯びてくること。これは別に間違った鑑賞態度ではなく、実際、笑いを意図したシーンが多くて、音楽の使い方も可笑しく、さらには謎のミュージカル・シーンまである! 相棒ジミーの設定が最高。

    • 映画監督

      内藤誠

      「一人称視点」の映画としては既にロバート・モンゴメリーの「湖中の女」、小説としては筒井康隆の『ロートレック荘事件』があるけれども、長篇アクションを主演者の頭にカメラを取り付けて撮影しきった実験精神には、現場人間として敬意を表したい。しかも情け容赦なく、銃をぶっ放す主人公は一言も口をきかない。その結果、ヘイリー・ベネット熱演のファム・ファタールがぱっとせず、物語映画にはカット・バックが必要不可欠だと思い知らされる。カッコいいエンディング音楽にほっとした。

    • ライター

      平田裕介

      全篇を一人称視点で貫いたド根性は、たしかに敬服に値する。ハンドガン、ライフル、ガトリングガンとあらゆる銃器をぶっ放し、人体破損も見せ場と心得て画面を死屍累々にしていくのも見事。だが、それを延々と続けられると逆に弛緩状態に陥って、刺激的なものには感じられなくなる。そんななかで逆に際立つのが、何度もヘンリーの前に現れては、そのたびに扮装が違っているS・コプリーの存在。凝った映像やアクションより彼の七変化と怪優ぶりのほうが楽しく感じられてしまった。

  • はじまりへの旅

    • 翻訳家

      篠儀直子

      宣伝ヴィジュアルから想像されるようなポップな演出ではなく、リアリズムと言っていい演出なので、こちらもリアルな問題としてあれこれ考えてしまい、その結果「これは暴君の自己陶酔と虐待以外の何物でもないではないか」という結論に至ってしまうのに、ひたすら肯定的に描かれるから、こりゃ(昔の)ヘルツォーク作品みたいな奇想の人の映画として観るしかないのかと腹をくくった途端、父ヴィゴが急に己を疑いはじめて普通のヒューマンドラマへ向かうのでびっくりした。撮影がいい。

    • 映画監督

      内藤誠

      誰しも子どもに「普通」の教育を施そうと苦労しているので、ヴィゴ・モーテンセンが6人の息子と娘たちを学校にも行かせず、大自然のなかで自由奔放に教育しているのを見ると、羨ましくもあり、その過激さに思わず笑ってしまう。だが、現行の教育制度を否定していながら妙に知的で、チョムスキーからグレン・グールドまでキメこまかく引用。この家族を支配したのは遺骨を公衆便所に流すようにと遺言したモーテンセンの亡き妻で、ヒッピー文化のカルト性が周辺の人々には怖かったのだ。

    • ライター

      平田裕介

      キー・アートを一見すると「ロイヤル・テネンバウムズ」+「リトル・ミス・サンシャイン」なノリかと思うが、そんなことあらず。たしかに変わった一家のロードムービーだが、父親越えを軸とした泣ける家族劇であり、いかなる主義、思想、宗教にも完璧なものはないと突きつける真摯なドラマでもある。それでいて、一家と外世界とのイデオロギーorカルチャー・ギャップをめぐるギャグも用意して笑わせてくれるのも◎。家族総出でカバーするガンズ〈Sweet Child o' Mine〉が美しすぎる。

  • ジャッキー ファーストレディ 最後の使命

    • 批評家。音楽レーベルHEADZ主宰

      佐々木敦

      こういう映画って女優なら一度はやってみたくなるものなのだろうか。ジャクリーン・ケネディの伝記映画というよりも、ナタリー・ポートマンがジャッキーを演じるセミドキュメンタリーみたいな感覚で観た。製作側のスタンスも完全にそうなっていて、とにかく夫ケネディの影の薄いこと! 暗殺以後の彼女の行動に焦点を絞っているので、夫婦間の絆といった側面はほぼ描かれない。その結果、ヒロインの強い意志が何に支えられているのか謎な感じもなくはない。ポートマンは頑張っている。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      ファーストレディとは何かを考える上で絶妙にタイムリーな公開となった。夫である大統領のショッキングな死と闘いつつ葬儀を取り仕切った妻の武勇伝かと思いきや大間違い。ケネディそっちのけの感情論で公務と自己実現を混同した挙げ句自己の正当化に至る過程は、同性としては共感しても反発しても己の業の深さ、あさましさ、醜さを露呈するだけという悪魔のような映画。アロノフスキー製作らしい意地の悪さが全開だが、演出はアロノフスキーほど娯楽性に長けていないので余計にきつい。

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