映画専門家レビュー一覧
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ブルーハーツが聴こえる
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映画評論家
上島春彦
私はブルーハーツのファンじゃないのだが、素晴らしい出来のオムニバスに感激。逆に彼らのコアなファンには物語が飛躍し過ぎてなじめないかも。メンバーが出るわけじゃないし、歌詞の意図的な曲解もあるからね。井口昇の時間旅行物は彼の中でも最高傑作ではないか。映画好きならではの妄想ファンタジーが炸裂し、舞香ちゃんのシザーハンドがいい。眠れる美女(しかもヌーディ)水原希子篇とか超バブリーな「懐かCM」が愉快な優香篇とか一本ごと細部に企画のこだわりが見て取れる。
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映画評論家
モルモット吉田
平均の星を算出してトータルの数とした。「夏の妹」を思わせるメロディも心地いい井口昇の「ラブレター」は暑苦しい映画への情熱をイケメンに醜男を演じさせて成立させ、唯一映画になってる。笑いが空転する「ハンマー」、亜流の和製SF「人にやさしく」、少年の衝動が設定以上に弾けない「少年の詩」、使用曲とは無縁に映像技巧に走る「ジョウネツノバラ」、問題提起しても描くべき中心の空洞ぶりが際立つ「1001のバイオリン」。オムニバスで160分というのはどうかしてる。
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午後8時の訪問者
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ヒッチコックやベルイマンがそうだったように、人間の罪悪感、懺悔というものが何故これほど映画とマッチするのだろう。クリニックの雇われ院長を務める女医は、他殺死体で見つかった少女を、死のまぎわにおいて助けなかった。映画は、女医の過失を告発し続ける。カサヴェテスの「オープニング・ナイト」に似たマゾヒスティックなシナリオを、ダルデンヌ兄弟が彼らなりのタッチで料理した。クリニックの診療室へは小階段を昇降しなければならない。微細なストレスの集積。
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脚本家
北里宇一郎
この兄弟監督、前作の「サンドラの週末」からストーリー・テラーになった。今回は郊外の小さな診療所、その女医が主人公。ならば、彼女を中心に、住民たちの社会的状況とか移民の問題を、ドキュメンタルに描くことも可能。が、少女の死の謎を設定することで、ミステリー的展開に。現実の問題を在りのまま提示するのではなく、そこにお話の面白さを盛り込む。そうすることで、人物にあたたかい血が流れ、しかも彼らの痛みが自然に伝わって。なんだか作品が豊かになった気がするのだが。
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映画ライター
中西愛子
診療時間を過ぎて鳴ったドアベル。開けなかった女医。翌日見つかった少女の遺体。救えたかもしれない命に起きた真相を、主人公である若き女医が探り始める。医師と刑事と修道女を合わせたような彼女は、罪悪感と正義感に突き動かされ、究明を止めない。事件の核心に迫るサスペンスに加え、その過程における、対人に窺える彼女の心理の変化がもう1つのサスペンスとなっていて面白い。暴力に向き合う物語でもある。シリーズ化も待望したい、ダルデンヌ兄弟の軽やかで懐の深い野心作。
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バーフバリ 伝説誕生
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映像演出、映画評論
荻野洋一
インドのスペクタクル史劇。王の忘れ形見が市井で怪力青年に成長し、父から玉座を奪った伯父一族に対抗する貴種流離譚だ。序盤で主人公に滝登りをさせるという上昇運動の豪快な視覚化がみごとである。女性戦士と恋に落ちるプロセスもマサラ・ムービーならではの歌謡仕立てが薫り高く、主人公が初めて首都に乗りこんで民衆を味方につけていくシーンのカタルシスもすがすがしい。マイナーなテルグ語映画が映画大国インドを一躍制覇した点でも、主人公の名誉回復と重なる。
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脚本家
北里宇一郎
英米のファンタジー映画が食傷気味なんで、このインド産戦国絵巻は楽しめた。なんか、かつての無邪気な東映チャンバラみたいで。「黄金孔雀城」とかさ。中身も貴種流離譚だし。お馴染みの唄と踊りの趣向もピタリ、いいところにハマって心躍る。それよか、これでもかの大戦闘シーンの痛快さ。馬とともに数万の敵軍に向かって突撃、一撃、数十人の兵士を吹っ飛ばす。いやはや、張り扇の音がパンパン弾けるような威勢のよさ。ドラマ部分が重くならないのもいい。たまにはこういうのも。
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映画ライター
中西愛子
製作国インドと、アメリカでも大ヒットを記録。伝説の戦士バーフバリの3代にわたる運命をスペクタクルに描いた超大作。拾われた赤ん坊が成長し、美しい女戦士と恋をして、やがて自分の血筋の因縁深い過去を知ることになる怒濤の展開が、ドラマとミュージカルとVFXを駆使したアクションてんこ盛りで描かれていく。その重量級の濃さは間違いなく見応えはあるが、かなりお腹いっぱい。と思っていたら、なんと、これは“第一章”とのこと。体力のある時に、次作も観たいと思う。
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T2 トレインスポッティング
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翻訳家
篠儀直子
主人公のナレーションがぶつ切りの断片を力づくでつないでいるかのようだった前作とは違い、映像やアクションの積み重ねが語りのうねりを作り出し、正統派の群像コメディとして成立。4人の生活は相変わらずダメダメだとしても、20年の歳月は確実に各キャラクターの人間性に厚みを与えていて、その結果、失われた時間、与えられなかった選択肢といった主題が、説得力をもって胸に迫る。俳優自身も20年の歳月を背負っているわけで、演者の身体性が、これほど力を持つ企画もあまりない。
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映画監督
内藤誠
登場人物のキャラクターは何度も説明されているけれど、前作を見ているかどうかで面白さが違ってくる映画。二十年の歳月で、こんな風貌になってしまうのかと思った。社会はそれなりに変わってきているのに、おなじみの男たちは相変わらずダメ人間のままだ。前作を見た年配者はわが身を顧みつつ、ため息が出る。せめての救いは、ダニー・ボイルが作り出すポップな映像と懐かしいサウンド。エディンバラを舞台に往時のスタッフとキャストをよく集結させたものだと、その点には脱帽した。
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ライター
平田裕介
とりあえず健康志向へ転向、いつしか勃起不全、相変わらずケチな仕事をやめられず……。各キャラの“その後”が彼らと同じ世代のこちらにも思い当たるものが多く、E・マクレガー以外の老けぶりもかなりのものなのが、沁みるし、刺さってはくる。“人生の天井”が見えてきた者たちの悲哀を描くだけの物語に終始するかと思ったら、意外な人物が希望と未来を見出す展開に結局のところ励まされる。腐れ縁の友人と傷を舐め合うような作品で、前作のファンではないと楽しめないノリではある。
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ゴースト・イン・ザ・シェル
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翻訳家
篠儀直子
あれをそのままハリウッド映画にするのは無理だろうと思っていたら、やっぱり随分わかりやすい(ありきたりな?)話に作り変えられていた。とはいえ押井守監督映画版のイメージやモチーフを踏襲した箇所も多く、「アヴァロン・アパート」や犬のガブリエルの登場にはニヤニヤ。でも、押井版であれほど素晴らしかった、香港市街を駆けめぐるアクションシーンが、こちらだとスカスカでしょぼく見えてしまうのはなぜだろう。ビートたけしに、北野映画を思わせる見せ場があるのがうれしい。
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映画監督
内藤誠
まず「攻殻機動隊」への敬意に驚いた。フリッツ・ラングの「メトロポリス」の未来都市と比較し、映像技術の進化を確認。脳と身体の関係がテーマだから仕方がないが、ナイスボディのスカーレット・ジョハンソンの身体がロボットというのは、わが秋本鉄次を慨嘆させるのではと気になった。しかし、彼女の精神的な母親がジュリエット・ビノシュ、記憶回復で分かる現実の母親が桃井かおりというのは泣かせる配役で、ビートたけしの使い方も巧い。音楽も含め、引用と仕掛けが楽しい作品。
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ライター
平田裕介
押井版に取り憑かれている自分も悪いのだが、肉感的すぎるスカジョの肢体から溢れる“生と性”が、ヒロインが醸さねばならぬ義体感をことごとく打ち消している。また、彼女を草薙素子として配役したことの釈明みたいな物語にも萎えてくる。こうなってくると、バトーの顔は犬のパグ、悪趣味なホログラム広告が乱立する未来都市は新宿にあるロボットレストランのショーにしか見えなくなってきて萎えが止まらず。作品の世界観を無視し、“ひとりアウトレイジ”しているビートたけしは◎。
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夜は短し歩けよ乙女
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評論家
上野昻志
結構お金はかかっているのだろうが、そのわりに、ひどく手薄な印象なのは、せっかく原作が京都を舞台にしたというのに、京都らしさがまったくないからだ。先斗町だの祇園だのとセリフで語られるだけで、その街の様子が皆無というのは、どういうわけか。ファンタジーだから「この世界の片隅に」の呉の街のような精密な絵は不要だが、物語を支える場として、京都の街並みは不可欠だろう。キャラの造形は凝っても、雨が降っても街の匂いがないから、話の他愛のなさだけが浮き立つ。
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映画評論家
上島春彦
やっぱり土地柄のせいなのか、或いは映画的環境における充実度のせいか、東大より京大に行きたくなるね。京大の方がエンターテインメント系の作家が多いせいかな。これは盛り場デビューの京大(多分)女子が一晩すったもんだの大騒ぎ、というお気楽な物語だが、それが数カ月数年の出来事のようにも思えるように構成されていて秀逸。彼女に恋する男もその間うろうろして話をかき回す。ありがちな物語だが時空間のスケールをデフォルメさせてアニメーション化、奇妙な感触はそれ故だ。
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映画評論家
モルモット吉田
湯浅作品としては「マインド・ゲーム」ほど神がかった傑作ではないにしても「四畳半神話大系」の世界観を大幅にアップグレードさせ、変幻自在に時間も空間も季節までも伸縮させた演出を大いに堪能。先斗町に現れる三階建電車、夜の古本市などの魅力的な空間造形、ディテールの充実ぶりも素晴らしい。オムニバスを一晩の出来事に凝縮させた構成は監督の力量を踏まえたものだろうが秀逸。ヒロインの黒髪の乙女にはぞっこん。ああいう風貌のウワバミ文化系女子ってどこにでもいるのね。
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LION ライオン 25年目のただいま
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
もう何度も書いてるように、私は「実話」という前提=担保のおかげで「ものすごく劇的な話」が成立するという逆説にはどうしても違和感があるのだが、でもまあこれは確かに「奇跡の実話」としか言いようがないよね。特に後半、映像がMV風に流れる感じがあってそこは感心しない。シーンの跳び方が感覚的過ぎるというか。主演デヴ・パテルは好演してるしルーニー・マーラは相変わらず可憐だが、見るべきはやはりニコール・キッドマンと少年サルーを演じたサニー・パワールだろう。
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映画系文筆業
奈々村久生
冒頭のシークエンスが圧巻。幼いサルーが眠っている間に列車で遠くまで運ばれ、言葉もわからず、知っている人もいない町を一人彷徨う長いシークエンスにはほとんどセリフらしいセリフがなく、背景音は鳴っているものの芝居の演出としては限りなくサイレントに近い。不安と恐怖、いたいけさと同時に発露する勇敢さを体の動きと表情だけで見せきった子役の力もすごいし、それをさせた監督もすごい。忘れた頃に明かされるタイトルの意味、その出し方がかっこよく、最後まで目が離せない。
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TVプロデューサー
山口剛
5歳の主人公がインドで兄にはぐれ路上生活の末に孤児院に行くまでの前半の描写が素晴らしい。不安に怯える少年の澄んだ瞳、雑踏を彷徨う遠景を追う映像は胸に迫る。後半は一転し20年後、富裕な豪州の一家の養子になった彼のアイデンティティ探求、実母との劇的な再会であるが、実話に基づいているということが、信じがたいこの話に強いリアリティを与える。実子を持たず貧しい国の不幸な子を養子にするというN・キッドマンのリゴリスティックな信念も説得力を持ってくる。
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