映画専門家レビュー一覧

  • ジャッキー ファーストレディ 最後の使命

    • TVプロデューサー

      山口剛

      脚本を書いたノア・オッペンハイムは、大統領暗殺からの数日間が、ジャッキーをアイコンにしたと言っているが、映画はまさにその数日間を描いている。すべて忠実細緻に再現され、ポートマンも美しく聡明なジャッキーを演じているが、血の通った人間は感じられない。人間でなくあくまでアイコンなのである。ホワイトハウスを去り、ジャーナリストに復帰し、幾つかの浮き名を流した後オナシスと再婚する脱アイコンの時代を知っている我々観客の興味、関心は満足させてくれない。

  • ムーンライト

    • 批評家。音楽レーベルHEADZ主宰

      佐々木敦

      誰もが思うことだろうが、とにかくまずカメラが良い。特にすごい事をやってるわけではないのだが、動きも色も深度も、抑制が効いていながらすこぶる繊細で美しい。高校生になったシャロンの声の野太さが逆に良い。黒人少年同士の性愛を、あんなリアルで詩的な映像で描くなんて。主人公が大人になり、ドラッグディーラーとなって見た目も大きく変貌した後の第三部は、ショットというショット、すべての演技に強い説得力が漲っている。評価の高い音楽はちょっと趣味が良過ぎるかなあ。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      目に見える差別を実物以上に具現したビジュアル的なアプローチという意味では画期的な挑戦である。造形としての黒人の撮り方、皮膚の写し方においてはほとんど発明と言っていい。一方で、マイノリティの多様性が日々複雑化していく昨今では古典ともいえる人種、貧困、同性愛の描き方は、社会の被害者として存在する主人公の受動的なキャラクターとあいまってオーソドックスでもある。だからこそオスカーを獲れたのだろうが、映画というメディアの根強い保守性に改めてうちのめされる。

    • TVプロデューサー

      山口剛

      主人公は抗議する黒人ではないしマッチョでタフな黒人でもない。鋭い感受性を持った少年の成長物語である。原作のタイトルは『月光の下、黒人の少年はブルーに耀く』だが、ゲイの主人公は親友のケヴィンと月光の下で愛を確認する。それを機に物語は一挙に加速し、終章の十数年後の再会に至るまでを息をつかせぬ見事な展開で見せる。黒人でゲイであるという疎外感と0・ヘンリー風の皮肉な結末が静かな感動を呼ぶ。母親、少年時代に慕った売人夫婦、ケヴィン、みな興味深い人間像だ。

  • サクラダリセット 前篇

    • 評論家

      上野昻志

      物語の基本ラインは単純だが、リセットをはじめ、あれこれの超能力が出てくるから、その分、ややっこしくなる。原作を読んでいる人にとっては、先刻ご承知の話だから、手放しで楽しむことができるのだろうが、そうでないとアタマを捻りながら読み取ることになる。もっとも、それが、この先どうなるのか? という興味を引っ張ることになるから、前後篇にわけた作りは、一応、成功しているといえよう。ただ、超能力というのはアクションを欠くため、顔のアップに頼りがちになるのが弱い。

    • 映画評論家

      上島春彦

      ランドル・ギャレットのSF『魔術師が多すぎる』に触発された設定だろう。超能力者が数多く普通に存在している世界が舞台。これは青春ミステリーを前面に押し出し、健闘している。ミステリーと言っても謎解きじゃなく、様々な超能力を駆使して本来なら不可能なミッション(閉じ込められた魔女の救出)に挑む。その力のまとめ役が主人公。トリックが複雑すぎて一見しただけでは理解できないが、辻つまが合っていると思うしかないのだ。恋愛模様が効果的で、私は結構ハマりましたね。

    • 映画評論家

      モルモット吉田

      前後篇映画は続けて試写を観ることが筆者の場合は多いが、前篇のみを観たので後半は後篇に向けての予告的描写に費やされることもあり語りにくい。本気で作れば壮大な話だが、根幹となる世界観というか、ご都合主義な基本設定を冒頭からとうとうとナレーションで説明するだけなので辛い。リセットしても記憶が保持できるとかセーブしたというのも、小説では成立しても、台詞に頼って描かれるだけでは実感がない。室内は雰囲気が出ているが低予算SFの手法を活用すべきだったのでは。

  • PとJK

    • 映画評論家

      北川れい子

      まさに少女マンガ的な設定で、キャラクターも大人が観るには小っ恥ずかしいが、それでもとにかく退屈しなかったのは、職人・廣木監督の演出手腕のおかげである。土屋太鳳のハシャいだ演技と、いつも目線がまっ直ぐな亀梨和也のカップルもいい。ドラマに親を介入させているのも説得力があり、演出のあちこちに笑いを忍ばせているのも達者。もっと言えば、学園コメディ、ホームコメディ、職場コメディ的な要素もあるし。ヒロインの親友役の玉城ティナが「暗黒女子」と違っていい感じ。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      Pはポリスでこれは警官と女子高生の恋愛もの、と知ったとき、それってあまりダークなところにまでいっていない水商売嬢が頼りにし惚れがちなのは警察関係だというようなあれかと思ったが、このJKは庇護を求めてはいなかった。ふたりとも実は似たもの同士の真面目善人で、ならばもっと障壁があってもよかった。どうも逆タイプの不良のほうの磁力が目立つ。とはいえ、見せる。隙のない王道のキラキラ恋愛映画。今回ももちろん亀梨を殴りたがる父親ムラジュンにアイデンティファイ。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      “警察官と女子高生の新婚生活”というフィクションの微妙な均衡を保つため、この映画では、例えば“通話中の相手の声は観客に聞こえない”というリアリティと、“フラッシュモブのように踊り出す人々”というバーチャルを混在させている。また“苦労して登ったけれど、元の所に戻る”という冒頭シーンで、物語全体の流れを象徴させていることも窺える。「雷桜」(10)で大橋好規を起用していたように、廣木隆一監督は音楽センスに秀でているが、本作にもそのセンスを指摘できる。

  • サラエヴォの銃声

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      連続公開の「汚れたミルク」では世界普遍の問題に敷衍したタノヴィッチ映画がこの新作では再び自画像へと原点返りする。ユーゴ内戦の象徴的な建造物であるサラエヴォのホテルでの有象無象を通じ、現代世界における終止符の打てない報復のスパイラルを打ち出しつつ、黄昏の憂愁もただよわせる。グランドホテル形式という点でE・グールディングやゴダールへの、サラエヴォの火薬という点で「マイエルリンクからサラエヴォへ」のM・オフュルスへのリスペクトが見え隠れする。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      今もなお続くボスニア・ヘルツェゴビナの混乱状況をグランドホテル形式で描いて。経済は行き詰まり、労働者の身分も不安定。女性は生きづらく、ヤクははびこり、地下ヤクザが暗躍する。百年前の暗殺事件は賛否両論、この前の紛争の正否もあやふやなまま。このカオス状態を、目まぐるしいカット・バックの疾走感で、ゴロンと投げ出して。最後の銃弾一発の虚しさ、そして巨大な階段を昇り続けているような男の姿。もうもう監督の苦悩、そのため息が聞こえて。ちと直球すぎの感も。

    • 映画ライター

      中西愛子

      タノヴィッチが「ノー・マンズ・ランド」を発表したのが、01年。15年後に撮った本作は、彼が世界の矛盾や紛争、そこに発する人間の愛憎を最先端で問いかけている映画作家だと再認識させられる。原作戯曲は、ホテルの一室でサラエヴォ事件についての演説を練習する男のモノローグ。映画はホテルを舞台にした群像劇に脚色し、広がりのあるドラマに仕上げている。社会的立場と個としての内面のズレ。その小さな隙間を入り口に、壮大な問題提起をしていく話術が人間臭くかつ知的だ。

  • ストロングマン

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      経済破綻が報じられたはずのギリシャで、ブルジョワ野郎どもが悠々とクルーズに興じている。世界中に喧嘩を売っているこの設定だけでも、リンクレイター「スラッカー」に出演したというギリシャ人女性監督に快哉を送りたいが、事はそれで終わらない。映画は終始エーゲ海に浮かぶ高級ボート内という限定空間だけが被写体であるにもかかわらず、カメラが優秀なのか、充実したカットの目白押しである。男同士のイヤらしい見栄の張り合い劇を、なにもここまでちゃんとやらなくても……。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      ヒマと金のある六人のオッサンたちが、海上のクルーズ船中で誰が最高かを競い合う。観ているとバカバカしい。だけど米国の、からだは大人だが頭はガキのまんまの連中が騒ぎまくるコメディーみたいな騒々しさがない。この男たちを見つめる監督(女性!)の筆遣いが冷静なのだ。どこか彼らを観察している趣きで。やがて、現実とは違うゲームの規則、そこにしがみつき、己を賭ける男というもの、その本質が滲みでて。M・フェレーリの「最後の晩餐」の精神とどこか通じる“男”映画の佳作。

    • 映画ライター

      中西愛子

      6人のオヤジたちが船上に集まり、数日間のクルージングへ。それぞれの日常言動を評価し、一番点数の高い“最高の男”を決めるゲームを開始する。ギリシャの女性監督の作品だが、彼女の感性、日本のいわゆる腐女子の感性に近くないか? 登場するのはムサ~イ中年たちなのに、みなどこか美しい。キラキラしてる。キャスティングでは、“自分に潜む女性的な部分を恐れない男性”を求めたそう。まさに男臭いヴィジュアルから零れる繊細さが堪らない。セコさもご愛嬌。笑えるし。許せます。

  • グッバイエレジー

    • 評論家

      上野昻志

      三村順一監督が、『花と龍』を撮りたいというのは、よくわかる。本作の道臣は、『花と龍』の玉井金五郎の血脈を受け継いでいるように見えるからだ。この映画は、そこに到るまでの道筋を描いた私小説ならぬ私映画という趣がある。といって、いわゆる私映画的な独善はない。むしろ、ここで何か異変が起こると感じる所では、その通り人が死んだりするからで、それは往年の娯楽映画を思わせる。ただ、エンディングがややしつこい。ソニー・ロリンズでもあるまいに。といっても、通じないか。

    • 映画評論家

      上島春彦

      悪くないのだが星が伸びないのは、監督を思わせる主人公と彼の帰郷とが何か、あまりに現実そのまんまな感じになっちゃったこと。ご当地映画というジャンルは好きなのだがむしろ観光名所映画に傾いている。景色も良く、気骨ある方々も多く登場し、それらを知る地元民はダイレクトに楽しめるものの、部外者には辛い面がある。もう一人の主人公である、監督の旧友の死のいきさつも今一つ弱い。これなら暴力に訴えた方がお互い良かったのでは。彼の非暴力の理由はちゃんとあるのだが。

    • 映画評論家

      モルモット吉田

      故郷で不慮の死を遂げた親友の軌跡を追う映画監督という私小説風の作りに大杉漣の振る舞いも相応しく、風景も様々なロケに重用されるだけのことはあるので眺めていて飽きない。台詞ではフィルムを称賛しつつ、本作も劇中で上映される映画もデジタル上映なので興が冷めるのは兎も角、地方発映画なのでロケ地や地元の顔出しが優先されたと思しい停滞する場面が出てくる。その分、若き日の吉田栄作が鉄砲玉になるきっかけや、後年夜回りで若者に刺されても逃してやる心情が手薄に。

  • 世界でいちばん美しい村

    • 評論家

      上野昻志

      二〇一五年に発生したネパール大地震の震源地といわれるラプラック村の震災後の人々の暮らしや、チベット古来のボン教の死者送りや祭を撮ったドキュメンタリーだが、まずは、アシュバドルという少年やその妹のプナム、彼らの家族、看護師のヤムクマリという人たちの顔や日々の行動が、生き生きと捉えられている。わけてもプナムの笑顔が素晴らしい。と同時に、空撮で捉えたこの村の遠景やヒマラヤの山並みが、彼らが生きる大地を、もう一つの視点から捉え返すようで印象深い。

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