映画専門家レビュー一覧
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ReLIFE リライフ(2017)
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映画評論家
松崎健夫
人生はやり直せない。だから、やり直すことを描いたタイムトラベル物やパラレルワールドを描いた作品に人は魅せられる。27歳の主人公同様、その頃の僕もまた思い描いていた未来とは異なる人生を歩んでいた。その人生を、本作では階段に例えている。登場人物たちが何かに迷う時、それはいつも階段で起こる。そして“人生の階段”を示すかのように、階段を登るカットを何度も挿入している。それゆえケツメイシの〈さくら〉をカバーした主題歌もまた〈やり直し〉ているのではないか。
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人生タクシー
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映像演出、映画評論
荻野洋一
道路事情に長けていないタクシードライバー。じつはイランの名匠ジャファル・パナヒ監督の世を忍ぶ姿である。このベレー帽をかぶった水戸黄門が運転席に設置したGoProやiPhoneといった小型デバイスは、タクシー乗客の悲喜こもごもを記録する。本来は定点観測であるはずのカメラが、街中を動き回っているという逆説の面白さだ。アメリカ政府が悪の帝国扱いをしてきたイランではあるが、車窓から垣間見える首都テヘランの凛とした美しい佇まいからは、悪の匂いは感じられない。
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脚本家
北里宇一郎
映画を作ることを国家から禁止された監督が、タクシーから一歩も外へ出ない映画を創る。制約された舞台。限られたキャメラ・ワーク。一見、窮屈だ。しかしその筆致はのびのびと自由で。今のイランを反映したような乗客が次から次へと登場。その一人一人のおしゃべりの愉しいこと、魅力的なこと。そこに辛味、苦味、毒気もさらり含ませて。ムキにならず、絶叫せず、この淡々の語り口の巧さ。映画の力を信じ、その威力を発揮して、頑迷な政権に一矢を報いた。見事なレジスタンス作品。
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映画ライター
中西愛子
反体制的な活動を理由に、2010年より20年間の映画監督禁止命令を受けているJ・パナヒ。そんな中、街を走るタクシーという密室を舞台に極秘の映画製作を行う。運転手はパナヒ自身。乗り降りする市井の人々。製作状況のみならず、彼に降りかかるさまざまな制限が、いかに才能へ重石となってのしかかっているかがわかるのは辛いが、パナヒと彼を支える人たちの強い意志はそこにしかと読み取れる。タクシー内の作劇と、イランの街のリアルな喧騒とがふいに重なり軋む瞬間がスリリング。
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わすれな草(2013)
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映像演出、映画評論
荻野洋一
日本の「エンディングノート」同様、映画作家が自分の親の病を記録していけば、一世一代の愛と死のドキュメンタリーができ上がる。ドイツ中部フランクフルト郊外の一軒家に私たち観客もしばし滞在し、アルツハイマー病を発症した母の看護のために帰郷した映画作家のかたわらに身を寄せることになる。固有の死生観、夫婦観が炙り出される。興味深いのは、母がかつては左翼運動の闘士で、若者が歴史の表舞台に立っていた時代をリードしていた点だ。怒れる若者にも老いは訪れる。
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脚本家
北里宇一郎
日本の家族介護ドキュメンタリーのほとんどが、いまそこにいる肉親の記録。このドイツの監督も、認知症の母親をキャメラで追う。違うのは母親の過去を刻んでいること。政治活動やフリーセックスの青春時代を。かつてのみずみずしい姿を知っている監督は、今の母親をなかなか受け止められない。しかし自由を求めた彼女は、認知症となって、すべてのしがらみから解放されたように見える。そう、母親は他者として生まれ変わったのだ。新たな家族関係の葛藤と出発が描かれて。なかなか。
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映画ライター
中西愛子
認知症になった妻を長年ひとりで介護してきた夫。息子ダーヴェッドは実家に帰り、父に代わって母の世話をしながら彼女の最期の時間を映像に記録する。この両親は、若い頃、政治活動もしていた左派の知識人で、互いの浮気を許し合う個人主義的な考えを徹底していた。息子である監督は、母の認知症が、母と父、母と子どもたちの愛情の通わせ方に変化をもたらし、家族としてより親密になっていく様子をとらえる。ドイツ映画。夫婦像も含め、こうした介護ドキュメンタリーは珍しいと思う。
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ターシャ・テューダー 静かな水の物語
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映像演出、映画評論
荻野洋一
絵本作家の晩年を彩るニューイングランド地方での古風な田園生活。家庭菜園、伝統的な生活様式。「スローライフの母」の異名を持つ主人公の口から発せられる珠玉の人生訓。開拓時代の気風を残した彼女の不屈の生きざまには感服させられる。しかし、異端を容認しない頑迷さが漂い、邸宅を訪れる子や孫やその配偶者は例外なく彼女を敬い、あまつさえ19世紀のような衣裳に身を包んでいる。普段はナイキとか着ているくせに、セレブのお婆ちゃん宅への訪問用コスチュームがあるのか。
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脚本家
北里宇一郎
光があれば闇がある。闇があるから光は輝く。だけどここには陰がない。お日さまだらけのお庭にお花。犬に猫に、ニワトリあひる。手作りジャムもおいしそう。スローライフの農場暮らし。だけど旦那はどこ行った。百姓仕事イヤになり、さらばさらばと出ていった。地上の楽園夢のよう。ターシャそこまで踏ん張って、築いた成り立ち見たかった。彼女の生誕百年の、お祝い映画のめでたさよ。微笑みあふるる宴の輪。入れず私は影の中。そういやこちとら園芸よりは、演芸好みのバチ当たり。
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映画ライター
中西愛子
絵本作家ターシャ・テューダーは、緑と花に囲まれたライフスタイルを実践したスローライフの母としても知られる。が、このドキュメンタリーを観ると、彼女がとんでもない名家の出であり、その血筋とその中におけるある種の異質性が生んだ人間味溢れる天才だとわかる。だから、癒し系ゆるさというよりは、強く気高い本物の凄さを感じ、ピンと背筋が伸びる気持ちになるのだ。美しい風景。優雅さと慎ましさ。人生を生きる上での数々の名言。極上という何かに彼女の姿から触れられる。
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グレートウォール(2016)
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
監督の名前以外予備知識ゼロで試写に行ってしまい、勝手にチャン・イーモウが「万里の長城」のドキュメンタリーを撮ったのだと思い込んでたら、全然違ってました(笑)。舞台は古代中国だが、これは明らかに『進撃の巨人』だよね(パクリという意味ではない)。基本的なアイデアは似ていても、そこはハリウッドと中国の合作、とにかくスケールがケタ違い、映るもの全ての圧倒的な巨大さと物量作戦に茫然とさせられる(CGですが)。若き女将軍役のジン・ティエンがキレイ過ぎ!
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映画系文筆業
奈々村久生
実在の世界遺産である万里の長城をモチーフにした歴史ファンタジーの構想にワクワクしたものの、ファンタジー面での飛躍が思ったより小さく、モンスターの造形にはもうちょっと凝って欲しかった。「ブラインド・マッサージ」のホアン・シュアンはセリフのない中でも妙な存在感を示しているが、ルハンはやはり演技よりキャラクター頼みの部分が大きく、ヒロインのジン・ティエンはほとんどアニメといっていいヴィジュアルで、いっそアニメでも……という心の声も頭をもたげた。
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TVプロデューサー
山口剛
「ジュラシック・パーク」の恐竜のような怪獣が何千何万匹も襲ってくるという壮大なスペクタクル映画だ。長城を舞台に古式兵器を使っての闘いは文句なしに面白い。スピルバーグをしのぐ大作にもかかわらず、米国メディアの批評が大変悪いのは不思議。マット・デイモン主演の米中合作ながら、チャン・イーモウの世界、アメリカン・ファーストになっていないヒガミと思うのは穿ち過ぎか? 脚本の瑕疵や史実云々などどうでもいい、白髪三千丈のファンタジーを楽しめばいい。CG、特撮も見事。
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春夏秋冬物語
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映画評論家
北川れい子
うーん、困った。ヒップホップ・ユニット、ヒルクライムのライブ映像と、彼らのヒット曲〈春夏秋冬〉をモチーフにした恋愛ドラマがセットになっているのだが、1作品で2つのお楽しみという狙いはともかく、物語のあまりの軟弱さにライブまで八つ当たりしたくなる。いや、MCのTOCは絵になる美形だし、楽曲もワルくないのだが。物語で特にアキレるのはヒロインの愚鈍さで、何かあると言いワケばかり。そんな彼女に忠犬ハチ公のように尽くす男子も困ったもんだ。これが今風ってか。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
多くの人が関わり、労力もかけ、期待するひとやひょっとしたら観たうえで素晴しいと思うひともいるかもしれないものをこの少ない文字で否定したくないので控えめに言うが、こんな駄目な映画をつくってはいけない。ドラマ部分の手抜きをしすぎたバカバカしさがもう凄まじい。クレジットに名前を並べている、現場スタッフ以外の役割の人間は何かもうちょっと考えるべきだろう。巧いとか下手とか出来の良し悪しじゃなく、単に金が抜かれているようにみえる。要確認という意味で必見。
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映画評論家
松崎健夫
ヒルクライムの楽曲が題材という縛りの中、いかに映画的要素を盛り込むのか?が本作の肝。ライブ場面では、例えば1曲をほぼノーカットでライブDVDのような撮影・カット割(というか正にそのものなのだろう)で見せ、物語とのシンクロらしきものは山崎紘菜の姿を挿入するに留まる。企画が企画なだけに、ファンの欲求を満たしつつ、音楽を聴かせるという意味では成功しているが、映画というよりも台詞のある長尺なPVという趣。劇映画のエンドロールとは異なるクレジット順は一興。
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ねこあつめの家
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評論家
上野昻志
人気アプリの実写映画化が「日本初!」と謳っているが、そりゃそうだろう、普通は、そんなことしないからな。よっぽど、ネタに困っているのか? 猫は好きだし、最近はセラピーキャットもいて、認知症の人などに役立っているというから、こういう映画があってもいい。スランプに陥った小説家が、外猫たちによって癒やされるという話だが、なんで小説家なんだろう。ぶらぶらしていても大丈夫に見えるからか。ただ、猫たちがあまりに馴れ馴れしいのと、木村多江の色っぽさが気になる。
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映画評論家
上島春彦
主人公が作家である以上、その方面のことがきちんと描かれなくては星を上げられない。連載小説ってこんな風に書かれる気がしない。嘘でもいいが面白い嘘じゃなきゃ。ただし作家が打ち合わせ中ずっと寝てるというのが、あり得ないけどおかしい。猫の飼い方のマニュアルとして機能していないのも良くない。あの猫たちは正確には野良猫ではあり得ない。餌をもらってるんだから。最近はこういうのを地域ネコと言っている。だったらトイレもちゃんと設置したい。目の付け所はいいんだが。
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映画評論家
モルモット吉田
庭に猫を集めるスマホアプリを映画にする発想が理解を超えているので実際に使ってみたが、これはハマる。もっとも映画は常識的な作りになっていたが。猫を映すだけでは能がないと、田舎の風景をはじめ撮影がしっかりしているので飽きることはなく、主人公の担当編集者の忽那も良いが、何度も田舎の仕事場にやって来て原稿用紙に印字したものを読むという古式ゆかしい編集者スタイルはどうなのか。データで持ち帰る描写もあるので彼女がここに来る別の動機を強調すべきだったのでは。
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ブルーハーツが聴こえる
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評論家
上野昻志
ブルーハーツの歌をテーマに、6人の監督が撮った短篇を束にした映画。出来に若干凸凹はあるものの、短篇ゆえにアラが気にならない。となると、皆さん、これからは短篇中心に作られては、如何でしょう! それじゃ商売にならない、と言われては仕方がないが、短くて済むのを無駄に長くしている映画が多すぎるからね。そんなのに対して、清水崇の「少年の詩」は、細部に何気ない工夫があって感心したし、李相日の「1001のバイオリン」は、彼の福島への想いが素直に胸に響いた。
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