映画専門家レビュー一覧
-
パピチャ 未来へのランウェイ
-
非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
国家や政治、古い仕来り、慣習は男性原理が産んできたものだとすると、この作品で描かれる感性は完全に女性性に属する。そして「映像に残す」という行為が政治に利用されやすい特性を考えると、それは男性性に属しやすいものと言える。このように本来「映像に残されない」ような若い女子たちの熱く瑞々しい情熱や挫折の一連の映像は、男性社会は無視をするかもしれない。それほどこのような映像作品は古い社会には破壊力を持ち得るということになる。未熟だがその熱が伝わる。
-
フリーライター
藤木TDC
激しい映画でとても良い。冒頭、テクノトロニックの曲が流れた瞬間にエッ!? と引き込まれた。懐かしさではなく、1990年のアルジェリアにディスコがあり、おやじギャルみたいな女性たちが集まっていたとは想像もしなかったからだ。イスラム社会の男性優位に反発し小さな夢をかなえるような生易しい話ではなく、激動する政治体制の下、世俗系女子大生が原理主義武装集団に命がけで抵抗する。意外性を連続させ知られざる歴史を強烈に伝えようとする監督の意欲と構成力に驚く。
-
映画評論家
真魚八重子
夜遊びで?剌とする娘たちと、ヒジャブを強要するイスラム原理主義が共存する世界は実のところ、日本をはじめ世界的に女性を取り囲む問題だ。痴漢に遭わないよう夜道は歩くな、男性を刺激する服を着たら自己責任といわれる先にヒジャブがある。女性監督らしく生き生きとした女たちの遊びの時間と、それゆえに耐えがたいであろう性差別に基づく圧迫が喉元に迫る。女にも内在するミソジニーの恐ろしさや、絵空事ではないから簡単には貫徹できない主張の演出も生々しい。
-
-
超擬態人間
-
フリーライター
須永貴子
ホラー映画の殺人モンスターにとって、特殊な武器や能力はなにより重要。本作の、他人に擬態する能力を持ったモンスター“擬態人間”の脅威に晒される人たちは、みな頭がイカれており、奇しくもバトルロワイヤル的な構図になっていく。そのため、擬態人間による殺戮以外にも、独創的かつ多彩なスプラッター描写がふんだんで、満足度は高い。蜘蛛の糸のように腸を使うシーンは笑いの領域に到達。効果的な音響や劇伴に比べ、録音が残念。たびたび台詞が聞き取れなかった。
-
脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
グロテスクでエネルギッシュなシーンが続き、次第に息が詰まってくる。そういう効果を狙っていたとしたら、成功している。が、シーンの強烈さに心を奪われて、意味が読み取れない。あるいはすべては脳内妄想なんだと無理に納得しようとしてしまう。ホラーものは嫌いではないし、こういった斬新な絵作りにも抵抗はない。だが、作品に入っていけないのだ。蚊帳の外に置かれているようで、妙な疎外感に捉われてしまう。マニアでない限り楽しめないのだろうか。
-
映画評論家
吉田広明
父親に虐待されていた児童に虐待をし続ける実験によって、自己防衛のために擬態を身に着けた擬態人間を生み出す、という話なのかと思うが、一体何に擬態するのか、虫なのか恐れる対象である父なのか。前者ならSFモンスター映画に、後者なら分身の心理ホラーになりそうだが、そのどちらでもなく、ナマハゲみたいなのが出てくる。なぜナマハゲ?擬態なら擬態で、理屈は通してほしい。人物関係もよく分からない。脚本の構成をより緊密にすべきだし、台詞が聞こえない録音も難。
-
-
VIDEOPHOBIA
-
フリーライター
須永貴子
鶴橋などディープ大阪の日常風景や、活気ある祭りのシーンが随所に織り込まれているのは、デジタル性暴力の被害者となる主人公の孤立感やネット社会の無機質さを際立たせるため? 芝居のワークショップの講師の「本当の自分」という発言や、アルバイトで着るウサギのキグルミは、他者の目に映る自分が、実体から乖離していく恐怖へと続く扉? 解説文には主人公が「精神を失調し始める」とあるが、失調のグラデーションを表現できていないため、彼女の決断が唐突に見える。
-
脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
彼女はパクと名乗ったり、青山と称したり、エロチャットのバイトをし、演技のワークショップに参加する。クラブで知り合った男と愛し合うが、その交合が何者かによって撮影されて、ネットで拡散される。自分は何者なのか。それを探しあぐねて、彼女は夜一人で静かにタバコを吸う。その空虚な表情が寂しい。思わず彼女を抱きしめたくなる。こんな女性がいま増えているようだ。自分を探しあぐねた挙げ句、自ら命を絶つ。彼女は死なず、別の女として生きるが幸せには見えない。
-
映画評論家
吉田広明
全篇モノクロで撮られた大阪は、上澄みを掬い取られて劇の舞台として存在感を増しているし、狭苦しいクロースアップと突き放すようなロングしかない画角は不安定感を醸し出してホラーにはふさわしい。美学的には正解を出せているのだが、説話的にどうなのかという問題はあり、隠し撮りが知らぬ間に増殖する怖さなら舞台は無機的な東京の方が良かったろうし、有機的な大阪なら人格が変わりたい願望とその実現の恐怖という実存を巡る説話を強く出すべきでは。美学と説話の齟齬。
-
-
旅愁(2019)
-
映画評論家
小野寺系
立教大学にて万田邦敏監督の薫陶を受けたというのがうなずける作風の、20代の中国人監督作品。男女3人の複雑な関係を描くシナリオは、ヌーヴェル・ヴァーグ的かつイ・チャンドン監督「バーニング」を想起させる文学性を持っているし、現在の東京の風俗と中国人旅行者の実態が織り込まれる趣向も面白い。おそらくはスタッフの弱さや資金面から、多くのシーンで映像の質に不満が残るのは否めないが、監督の現代的な感覚があちこちで光っていて、次作以降も観たいと思わせてくれる。
-
映画評論家
きさらぎ尚
空気感。正直に白状すると、この言葉は自分の語彙のなさを誤魔化しているような後ろめたさを感じるのでなるべく使わないようにしていた。が、この作品では、真剣になってしまう男と真剣になれない女、二人の間でどっちつかずの男の、異国で暮らす三人の漂うような空気感がリアリティを生み出している。なんといっても三人の描写の素晴らしさが決め手。彼らの間に揺れ動く感情、その痛みともどかしさの静かな捉え方は、観る者をすっと引き込む。呉沁遥監督、順調なデビューです。
-
映画監督、脚本家
城定秀夫
東京で民泊経営兼コーディネーターを営む中国人の主人公の佇まいには名状しがたい魅力があり、ルーズな画とぬるい雰囲気はホン・サンスなんかに近いのかな、などとのんびり観ていたのだが、突如思いもよらぬ方向に急ハンドルを切る展開に乗り物酔いのような状態にさせられたうえ、ボーイズラブというジャンルに目配せしながら行きつく、三角関係を文字通りの形のまま落とし込んだ夜の海辺のラブシーンにも困惑させられる、ハマると癖になりそうな何とも不思議な味わいの映画だった。
-
-
きみの瞳(め)が問いかけている
-
映画評論家
北川れい子
今どき、ここまでベタな偶然と運命で進行するメロドラマが作られたことに、逆にカンシンする。若く美しい盲目の娘と、心に傷を持つ前科持ちのイケメン青年。偶然出会った2人は、実は不幸な因縁で結ばれていたというのだが、あれやこれやの小道具を使ってのエピソードにしろ、青年の過去の話にしろ、どの場面もくすぐったいほどベタで、観ている当方はただアレヨ、アレヨ。終盤のすれ違いなど、少女漫画だって敬遠しそう。バカ真面目に演じている主役2人に秘かに同情したりして……。
-
編集者、ライター
佐野亨
「罪の声」の直後に観ると、画面構成や映像の余韻になにかを語らせようとしている点が好印象。一方で物語については、元の韓国映画もそうだが、どこまでも愚直で類型的なため、画面に傾注しすぎるとかえって細部の空疎さが目立ってしまう。むしろ大元ネタの「街の灯」がその点でいかに巧いかを再確認させられる結果に。恋人を背負う場面は神代辰巳の「青春の蹉跌」、顔に触れる場面は河瀨直美の「光」を思い出しもしたが、いずれも画面の美しさ以上のものが迫ってこない。
-
詩人、映画監督
福間健二
前半、かなり引き込まれた。つらい経験をもつ二人が出会い、心を通じさせていく。いまの日本だからこうなるというものにできれば、どんなによかったか。チャップリンの名作をヒントにした韓国映画のリメイク。キリスト教的な善悪の枠組みを土台にした、これでもかという大メロドラマになり、地面が見えなくなった。三木監督たち、人にも社会にもなにかを「問いかける」気はなさそうだ。天使性ありの吉高由里子に、静と動の振幅に地力を感じさせる横浜流星。すてがたい魅力はある。
-
-
瞽女 GOZE
-
映画評論家
北川れい子
水上勉原作の「はなれ瞽女おりん」で“瞽女”と出会ったこちらとしては、実在した瞽女さんをモデルにしたという本作、彼女の一代記に終わっているのがものたりない。前半は、盲目の幼い娘が自立できるようにと心を鬼にして瞽女修行に出す母親の心情が、後半は親方と巡業の旅に出る若い主人公のエピソードになるが、格別に時代や因習が絡んでいるわけでもない。野や雪山を往く瞽女たちの姿を絵葉書化した映像も逆に安っぽい。子役・川北のんの『おしん』もどきと成人後の吉本実憂は健闘賞。
-
編集者、ライター
佐野亨
小林ハルの幼少時代を演じた川北のん、成長してからの吉本実憂、いずれもみごと。表情にも所作にも嘘がなく、この時代を生きた女性のたたずまいをいまに伝える。ほかにも中島ひろ子、宮下順子、草村礼子、左時枝、渡辺美佐子、さらには語り部の奈良岡朋子まで、女性陣の自然な存在感と口跡に感嘆した。豊かな黒の使い分けで時代の色を再現した撮影、峠越えのシーンはじめロケーションも圧巻だが、その画にここぞとばかり「感動的」な音楽をかぶせるのはいただけない。
-
詩人、映画監督
福間健二
最後の最後に小林ハルさん、九〇歳のときの歌声が流れる。天まで響くとは、これを言うのだと思う。地を這うようにして修練を積み重ねた末に身につけたその芸と人柄のよさ。彼女がどう育ち、どう努力してそういう人となったのか。瀧澤監督を本作へと突き動かしたものはよくわかる。瞽女になる。その大変さとそれだけでは片付けられない側面。ハルさんの歌がそうであるような、突き抜けた表現に至らないとはいえ、幼い時期の川北のん、青春期以降の吉本実憂、ともに共感を呼ぶ演技だ。
-
-
空に住む
-
フリーライター
須永貴子
喪失感を抱えた主人公が、惑いと迷いを経て自分を立て直す、いわゆる再生もの。本作の主人公は、両親を事故で亡くし、叔父夫婦の計らいで高級タワーマンションで新生活をスタートさせる、文芸編集者。高層階の窓からの風景と、職場の古民家とのコントラストが、彼女の心の揺れをヴィジュアルで表現している。同じマンションに暮らすスター俳優とのメロドラマ仕立てのロマンスや、赤ワインだけを飲み室内でも靴を履いているタワマン族の描写から滲む監督の意思にニヤリとしてしまう。
-
脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
高層マンションの39楷に住むというのは、この映画を観ている限り、住み心地がいいとは思えない。出版社勤めの直実が住むこの部屋を時々訪れる人気俳優は、「あなたの夢は?」と直実に聞かれて言う、「地に足をつけること」。誰も地に足をつけていないように見える。おしゃれで知的で空虚な会話。悩みや苦しみ、悲しみにもかけられたベール。観ているうちに鬱々とした気持ちになる。誰かが死ぬんではないかと思っていたら、死んだのは飼い猫だった。この映画をどう楽しんだらいいんだろう。
-