映画専門家レビュー一覧

  • 彼女は夢で踊る

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      広島にあるストリップ劇場「広島?一劇場」が、閉館していく話だが、実際の劇場は二度も閉館宣言しながら再開し、「閉館詐欺」などと言われつつ今も執念で営業している。全国の劇場を回っているストリッパーたちが、ラストステージで踊るために「?一」に帰ってくる。我が家でもないのに、「帰る」と表現したくなる何かがある。壁に残された踊り子たちのキスマークが泣かせる。ノスタルジーを奏でる映画は時々嫌な押しつけがましさを感じさせるのだが、それもなく、とても後味がいい。

    • 映画評論家

      吉田広明

      女性たちが美しく撮られているのはいいのだが、ヒロインが美しい幻影に過ぎず生身でないことに顕著であるように、その美しさも結局男のロマン的な勝手な思い込み故ではないか、と思える。例えば閉館を機に見に来た女性たち、彼女たちから見ても魅力的に見えるとしたらそれは何故か、また踊り子たちにとってもストリップが何だったのか、という女性側の視点も必要だったのでは。ストリップも確かに芝居、それはそれで、男女それぞれの思い思惑がどう交錯するかで劇を構成すべき。

  • ファンファーレが鳴り響く

    • 映画評論家

      北川れい子

      おやおや、腹いせで青春殺人道中記ですか。森田作品は短篇も“ゆうばり”でグランプリ他を受賞したという前作も未見なので、闘病中の自分の欲と想念を描いたという本作のみのカンソーだが、いじめられっ子が血に魅せられた少女に引きずられての殺しの道行き、ファンファーレどころか雑音さえ響かない。殺しのシーンの演出ばかりに力を入れているのもただ味けなく稚拙。監督は「俺たちに明日はない」「冷たい熱帯魚」に思い入れがあるようだが、場面はあってもドラマは皆無。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      笠松将と祷キララ、いい顔をしている。そのたたずまいを生かせば、「馬鹿な大人」に対する二人の逃避行にニューシネマ的なリリカルさが宿りそうだが、なにやら紋切り型の破壊衝動とダイアローグの貧しさがむしろ役者の個性を殺いでいる。残酷描写もただ気前よくやってますというだけで生理的な嫌悪感に欠け、それではこの物語を語る意味がないのでは。たとえば90年代における松村克弥の「オールナイトロング」、あのヒリヒリとした時代の切迫感のその先を見せてほしい。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      学校にはイジメ集団と勇気のない教師、家には思慮なく叱る父とやさしいだけの母。働かない叔父がいて味方してくれるが、頼りにはならない。そんな環境で追いつめられる吃音の高校生を笠松将が演じる。だれにともなく「死ね!」と彼が叫ぶのを聞きのがさず、悪夢的な殺戮の連続へと彼を引き込む同級生の女子に祷キララ。ボニーとクライドになりそこなう二人。森田監督、暴走とその後も描いて何を確かめたのだろう。画も演技も上滑り。「バカな大人」に立ちむかうにはナイフが小さい。

  • アイヌモシリ

    • フリーライター

      須永貴子

      アイヌの人々が現在向き合っているものを(おそらく丹念な取材で)拾い集め、アイヌの少年の成長物語として再構築。森や湖で、思春期とアイデンティティーというダブルのゆらぎに惑う少年を捉えた映像美に目をみはるものがある。民謡や舞踊、民芸品や祭事などを、物語の装飾ではなく必要なものとして扱っており、アイヌの文化や人々だけでなく、映画への敬意が滲む。檻に入れられた子熊の側から少年にカメラを向けたショットの意図的な違和感を、終盤で回収する手腕も巧み。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      アイヌの古来からの習俗や儀式がしっかり描かれていて、とても興味をそそられた。「イヨマンテ」と言えば、古関裕而が作曲した〈イヨマンテの夜〉を思い浮かべてしまうが、熊を殺してその魂を神へ送り出すアイヌの大切なこの儀式が、野蛮だといって一時禁止されたことを初めて知った。少年は亡父の友人が飼う子熊を飼育するように言われるが、それがやがてイヨマンテでの生贄になると思って、逃がそうとする。そこに葛藤・劇があるが、あまりしっくり来てはなかった。

    • 映画評論家

      吉田広明

      イヨマンテは観光客を排して、アイヌのアイデンティティを再確認するため自分たちのためだけに行われ、閉ざされている。固有性を維持するためには閉ざすという選択は、開かれることを礼賛するグローバリズムへの批判ともなりうる。観光地化に疑問を持ちつつ、イヨマンテにも小熊可愛さから踏み切れない主人公の少年という視点を設け、その成長物語とすることで緩和されているが、本来一層激しい社会葛藤劇(例えばクジラ・イルカ漁の是非を思えばそれが想像できる)もありえた。

  • 靴ひも

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      市井の人々の社会問題を正面から真摯に描いたケン・ローチ的な視線。どうにもならない人間の運命を映画的なロマンスやミラクル描写を極力避け、現実的な容赦ない展開をさせた。一見無神論的で運命論的な世界観ではある。嘆願する信仰の対象としての神の存在はなく、結果的に神の存在を匂わせ、人間の尊厳を描いてみせた。現在どこの先進国でも見られる核家族化や孤独の光景は、誰も語りたがらない題材である。しかしこの映画の存在理由は、まさにそこにあるのかもしれない。

    • フリーライター

      藤木TDC

      障がい者が不慮の事情で新生活に臨み、疎んでいた共棲相手と打ちとけ互いに成長してゆく物語の人権啓発や情操教育面の意義はもちろん解るが、新作映画にはステレオタイプの刷新という課題も求められる。その面で本作の主人公は適度に下品な大人の感性をもつキャラに造形され新鮮で共感しやすく、イスラエル映画的な黒い笑いの配合も好ましいセンスだ。とはいえ中盤以降、優しい人々に囲まれ感動の結末に突き進む一本調子は定型から脱却しておらず、俳優の演技が良いだけに歯がゆい。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      実話を基にした中に異様な展開をみせる作品がある。それは事実だからしょうがないという確固たる柱があるから受容できるが、本作は恐らく創作の部分がありきたりで甘いので、主となる物語の論理性のなさがただの破綻や落ち着きの悪さに見える。障害者の日常描写のリアリズムと、彼らの私生活の充実にまつわる夢想が交じり合いつつ、現実と理想が互いを殺し合ってノイズにしてしまう作劇や演出が気になる。ロマンスの始まりがとって付けたようでもうひとつ考慮がほしい。

  • みをつくし料理帖

    • 映画評論家

      北川れい子

      友人から回ってきた原作を何冊か読み、NHKのドラマシリーズも観ているこちらとしては、キャスティング(昔の名前で出ています的な俳優さんがゾロゾロ)も、妙に間延びした春樹監督の演出も、かなり鮮度不足で、劇中の料理にばかり気がいったり。そういえば角川映画が旋風を巻き起こしはじめていた頃、私は公務員をしていたが、同僚曰く、“角川博”が映画を作ってんのね……。テナことを思い出したのも、ゆるい演出を持て余したからで、美術セットがチマチマしているのも残念。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      おどかしの達人である角川春樹が、「最後の監督作」と銘打って拵えた映画は、衒いの一切ない人情劇。およそ映画とはこれくらいでよい、という肩の力の抜き方、変哲はないが着実な画作り。いずれもつつましさを是とする物語に合っている。淡々としたなかにあって、激情への流れを違和感なく見せる松本穂香と古きよき棒読み演技をあえて再現した窪塚洋介、巧い。一つ二つエピソードを刈り込み、もう30分短くしても……と思ったが、それもまた「最後」の思い入れゆえと許容したい。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      角川春樹らしい派手さは、味つけを濃くしすぎない程度にいちおうあるが、本当においしい料理を出しているだろうか。娯楽映画で時代劇ならやってもらいたい「悪との対決」には、ほとんど興味がなさそうだ。そして明るい照明の江戸時代、人はもう慣れっこになったのだろう。石坂浩二と藤井隆、マンガ的で笑わせるが、「影」を作ってはくれない。女性が中心、ということくらいしか現在性が感じられない。思いあう二人。なんとかそれになった松本穂香と奈緒にお疲れさまと言いたい。

  • スパイの妻 劇場版

    • フリーライター

      須永貴子

      一九四〇年に生きる人物を、映画好きというキャラ設定を生かしてか、蒼井優は当時の映画女優の芝居へのアプローチを用いて演じる。現代の言語感覚では不自然な言い回しの台詞を、やや高音で小気味よい早口で放ち続けることで、あの時代の人物としてスクリーンに存在する。とりわけ「おみごとー!」と叫んで失神する芝居は、構図とも相まって間違いなくこの映画のピークとなった。蒼井の新たな代表作は、ミステリーとしても反戦映画としても格調高い娯楽作に仕上がっている。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      「クロサワ」と聞いて、「明」ではなく「清」のことだと思った学生がいるのに驚いたのは十数年ほど前のこと。今ではそれが当たり前になりつつある。あの独特の黒沢ワールドも捨てがたいが、「黒沢色」を排しているようなここ最近の作品もいい。オーソドックスという言葉がよく似合う。これが脱黒沢ワールドの到達点などと言ったら、ご本人に叱られるかもしれない。最後まで一つも違和感もなく観られた。俳優陣がとてもいい。これも黒沢さんの演出あってのことだと思う。

    • 映画評論家

      吉田広明

      「スパイ」である夫は自分を裏表のない人間と言うが、掛け値なしにその通りで、それは妻も同様だ。夫婦共に真っ正直な人間=透明な存在であるからこそ生じるサスペンスという逆転。これまで不透明な存在を核に劇を紡いできた黒沢監督としては全く新しいアプローチで、これは脚本に新世代を起用したことによるものか。これは画面においても言え、リアルの不透明な翳りの薄い、作り物の匂いのする絵面になっている。作り物であることを引き受けた上で映画に何が可能か、その実験。

  • 博士と狂人

    • 映画評論家

      小野寺系

      辞書づくりの深淵をのぞきこむことができるのが、本作の最も興味深いところ。英単語には複数の源流があることは知っていたが、まさかこれほど複雑だとは。そして、以降の英語辞典づくりの基礎となる辞典の完成までにかけた歳月と信念は、完成までに15年をかけるという「舟を編む」が霞んでしまうくらいに凄まじいものだったと知る。ショーン・ペン演じる実在の殺人犯の葛藤については、罪状が重すぎて共感を阻害する部分があるものの、安易に良い人に描かなかったのは誠実だ。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      辞典編纂というアカデミックな題材とは、およそかけ離れた殺人事件、それも人違いによるものというエピソードで始まったこの映画、想像していたドラマを遙かに超える壮絶さでスリリングに展開する。編纂現場の博士側の言葉への向き合い方はもちろんだが、刑事犯精神病院に拘禁されている狂人側の話がとりわけスリリングに描けている。彼を中心に、その病状の悪化、博士との信頼から友情に発展する関係、夫を殺されて未亡人となった女性との愛憎。このうえなく濃い展開にただ圧倒される。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      別スレッドで進行してゆく顔半分ヒゲもじゃでメル・ギブソンに見えない言語博士と顔半分ヒゲもじゃでショーン・ペンに見えない殺人犯の物語は中盤まで交わっていかないのだが、コレどっちも博士で狂人じゃん、と気づく頃にはもうすっかり作品世界に魅せられており、構成的にはやや詰め込みすぎの感があり、狂人(医者の方)が遺族女性と魅かれあってゆく展開に唐突さを感じるも、人間の心とは案外そんなものかもしれないし、辞書編纂の苦難も見ごたえ充分で、素晴らしく面白かった。

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