映画専門家レビュー一覧
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終わりの鳥
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ライター、翻訳家
野中モモ
「人知を超えた力を持つ鳥がやってくる」といえば思い浮かぶのは『火の鳥』。だけど本篇の鳥はあいつ(AKAクソ鳥)に比べるとだいぶかわいげがある。命を奪いに来た異形の者と特別な関係を結ぶのも昔から人気の型だよね、『うしおととら』とか。母と娘の話になる後半はちょっと萩尾望都とか大島弓子みたいな……。そんなふうに漫画的かつ怖くて魅力的なクリーチャーは英国の伝統を感じさせもして、カルト的に愛されそうな予感。クロアチア出身女性の初監督長篇、次作にも期待。
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SF・文芸評論家
藤田直哉
死神のように訪れる鳥と仲良くなる死期が近い若い娘と、その母親の物語である。鳥は、「死」を擬人化し、ドラマ化するための装置だろう。擬人化によって描かれるのは、死の受容である。自身に訪れる死と対話したり、娘の死を避けようと奮闘したり……。描かれているのは、ターミナル・ケアにおける内面のドラマの寓話である。極めて少人数の内的で繊細なドラマをよくぞ映画化したと評価したい。とはいえ、狭く小さい関係性の話ゆえの停滞も感じざるを得なかった。
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HERE 時を越えて
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映画評論家
川口敦子
アメリカの現代史を駆け抜けた「フォレスト・ガンプ」。今度はアメリカ、歴史との向き合い方を定点観測としてみる試みといえるだろうか。足下に恐竜の時代から降り積もった時の堆積があること、歴史は今ここにあるのだと――そんな大きなことをゼメキスは小難しくいうのではなくVFXを駆使もしながらささやかな家族の物語ごしに語ってみせる。一部屋で移ろう家族の物語の部分でD・リーン「幸福なる種族」を想起させるとの海外評もあり、その先に小津を見る眼もあるようなのが興味深い。
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批評家
佐々木敦
原作のグラフィックノベルは読んでいて、映画化を楽しみにしていた。マンガの「コマ」が映画では「フレーム」である。ゼメキス監督は原作と同じく「居間」にカメラを固定したまま、フレーム・イン・フレームを多用することで映画ならではの表現を生み出している。時間のスケールも原作から大幅に縮小し、ヒューモアとペーソスに満ちた「ある家族の物語」に仕立て直している。めまぐるしく時間が前後するが筋が見えなくなることはない。ラストは(やると思ったけど)すこぶる感動的。
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ノンフィクション作家
谷岡雅樹
時空を超えた定点劇だ。作り込まれたスケールの大きな映像に魅了される。同時に忘れていた苦い過去を想起させてくる。人物や風景が時を超える。今昔比較の重さと喪失。人類史総決算のごとき画の洪水は、儚くも見える。人間さえ調度品のごとく、完成された労作を見る思いだ。かつてアメリカ映画に漠然と見た憧憬も蘇り心奪われる。映画は、窓を見る行為だと改めて知らされる。ある意味で、家は穴の開いたノアの箱舟だ。修繕しているときこそ華だ。もう一つの「関心領域」を見ている気持ちになる。
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うしろから撮るな 俳優織本順吉の人生
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映画評論家
上島春彦
この映像はNHKで少し見ていて気になっていた。織本を「乳房よ永遠なれ」のクズ夫演技で見、感嘆したばかりだったので、ここでの台詞を覚えられなくなっている晩年が痛ましいけれども、役者魂だねえと結局感嘆した。監督は彼の娘。泣きわめくお父さんを撮り続け、しまいにはお母さんが一度だけキレる。ここも凄いが、家族が撮るからユーモアもある。自分のあさましい映像を見せられた織本が「凄いドキュメントだな」と娘の仕事を絶賛して死ぬ様子がさすがとしか言いようがない。
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ライター、編集
川口ミリ
娘である監督が、俳優である父・織本順吉との関係に見出したある種の“暴力性”に、カメラの暴力性でもって対抗したのは理解できるとして、タイトルがややミスリードな気も。脳裏に焼きつくのは織本の俳優人生というより、父娘の強烈な愛憎のバトルだからだ。監督は作品のどこが普遍的かを理解していないか、あえてそこから目を背けているように思う。だからこそこの映画はどこか私的な、“一つ屋根の下”のパースペクティブにとどまっている。それが本作の歪な魅力であり、弱点でもある。
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映画評論家
北川れい子
性別で言うのは何だが、父や母など近親者にカメラを向けたドキュメンタリーはなぜか女性監督が際立つ。いずれも死や認知症に寄り添った作品で「エンディングノート」、2部作の「ぼけますから、よろしくお願いします。」、3部作の「毎日がアルツハイマー」。俳優・織本順吉の最晩年までカメラを向けた本作も、テレビドキュで実績のある娘の作品で、しかもきれいごとなし、容赦なし。そしてカメラ慣れしている父の虚実皮膜的実体。父と娘の意地の張り合い的な異色作。
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少年(2024)
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評論家
上野昻志
「君が代」の大合唱が響く高校の卒業式で、唯一人、椅子に座ったまま歌わなかったために、式後、教師に殴られた少年の物語だが、両親との関係や、街で出会った少女との一筋縄でいかない関係、引きこもりの友人などが、時間の推移と共に変化し、少年を追い詰めていく過程がリアルに語られていくのに惹き込まれた。先輩に誘われて行った愛国団体の会長を、鈴木清順師が演じているのも嬉しかった。居場所をなくした少年と少女のその後を描いた最後まで緊張が途切れることがない。
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リモートワーカー型物書き
キシオカタカシ
自分は1983年早生まれなので、本作の“少年”とまさに同じ世代。我々が“大人”から現代への絶望と未来への希望を双肩に託される“若者”だった時代もあったのだよな……と、当事者として感傷的になってしまった。長尺に90年代末?Y2Kの社会問題全部盛り。符合する部分が多い同時代撮影作「リリィ・シュシュのすべて」「凶気の桜」と比べたら奇を衒わない、悪く言えば2時間ドラマ的な直球表現により、今に連なる宿痾を宿す当時の空気を封じ込めた“タイムカプセル”として機能している。
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
大島?の同名作品と直接関係はないが、似ているところもあるのかも。ほとんどの人が少年少女時代に経験するだろう、世界への普遍的な違和感が、後戻り不可能な負のスパイラルへとつながっていく。長身すぎる主人公が、自分の身体を家屋やフレームに収めるのに難渋して見えること自体が、彼の受難を表現しているかのようだ。メインの撮影は2000年前後。いまよりいい時代だったか悪い時代だったかはともかく、当時の日本社会の独特の閉塞感が、そのままパッケージされたかのように見えるのも興味深い。
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山田くんとLv999の恋をする
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映画評論家
上島春彦
エンドクレジットの後に映画最高の瞬間が訪れるのに、見ないで出ていった愚か者がいた。山下美月ファン必見。私なんかファンでもないのに大感激である。作間龍斗ファンは複雑な心境か。ただ主人公が美女すぎて、そうなるとあざとさが前に出ちゃう感じがする。恋愛未満の感情を扱う作品なんだから作間の同級生茅島みずきにだって山下と同じ資格はあるのに、あんまりハラハラさせてくれないんだなあ。ほっこりできる好企画で推薦できるが、傍役陣は主人公を守り立てるだけの役割なんだね。
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ライター、編集
川口ミリ
人気少女漫画を原作に、トップアイドルを主演に迎え、誰もがときめくラブコメを撮る。その初ミッションを、安川監督は丁寧にやり遂げた。印象的なのは、主人公たちがまだ不確かな想いを不器用に伝え合う文化祭シーン。ダイアローグをふまえての、階段を用いた俳優同士の位置関係が絶妙で、その位置設定が別シーンでも反復され生きてくる。微かに届く吹奏楽部のチューニング音により、恋のはじまりを予感させるセンスにも唸った。色使いにも工夫が見られ、ゲームチックなギミックも楽しい一作。
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映画評論家
北川れい子
20歳の女子大生が、ネトゲで出会った男子高校生にお熱を上げましたとさ。ラブコメ好きの若い世代向けに作られた作品だが、にしても主人公の幼稚さ、能天気さにはほとほとマイッタ。言動やナリフリはまんまギャルで、彼女の部屋はカワユイのてんこ盛り、そのくせ酒にはだらしない。演じている山下美月も、高校生役の作間龍斗もすでにしっかり大人顔だけに尻がムズムズ。「よだかの片想い」の安川監督の演出も過剰にハシャギ過ぎ。でも原作ファンにはいいのかも。
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ベイビーガール
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映画評論家
鬼塚大輔
「ナインハーフ」、はたまた「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」かと思っていると「危険な情事」に……、と特定ジャンルに収まらないまま物語が進んでいくのがむしろ魅力の作品。善か悪か、被害者か加害者か、と単純化できないヒロインをキッドマンが熱演。かつてのセックスシンボル、アントニオ・バンデラスをこの役で使うというのも、「昼下りの情事」でモーリス・シュヴァリエにうらぶれた探偵を演じさせたワイルダーのイジワルさを想起させて面白い。
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ライター、翻訳家
野中モモ
よくある話の男女逆転? なんてことないエロティック・スリラー? しかしこの「なんてことなさ」こそ女たちが獲得しようと苦労してきたものなのだろう。「サブスタンス」のデミ・ムーアもそうだったけど、洋画が好きな自分はある意味ずっと「ニコール・キッドマン物語」を見てきたんだな……と思い知らされて感慨深いものがある。だって「誘う女」も「ある貴婦人の肖像」も「アイズ ワイド シャット」も伏線になるわけだから。音楽がどこかふざけてる感じなのも「あえて」の深刻の回避とみました。
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SF・文芸評論家
藤田直哉
女性CEOがインターンに誘惑され、秘められていたSM的欲望を解放していく。よくある官能映画・ポルノの導入だが、組織内で女性が「権力」を持っているが、プレイや関係においては従属であるという厄介な問題を真正面から描いた点に好感。立場や家庭があるから「ダメ」と思いながら、誘惑に惹かれていく分裂した女性の演技をニコール・キッドマンが実に見事に演じている。SM的な欲望をどうしても抱いてしまうことをどう受容するかという物語の側面には感動させられた。
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ミッキー17
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映画評論家/番組等の構成・演出
荻野洋一
MCU的マルチバースで惰眠を貪るアメリカ映画を全否定する映画である。ポン・ジュノは今回、「パラサイト」と「グエムル」を合体させ、何度も殺されては蘇生させられる最下層の男の悲哀と反撥の火種を通じて、映画人たちが胡座をかくマルチバース的全能感を告発し、さらにはファシストを打倒するため、いま一度、黒人女性のリーダー像を擁立する。第二次トランプ政権の誕生を予知した上で、「スターシップ・トゥルーパーズ」的ニヒリズムと戯れていればよい時代の終焉を宣言したのだ。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
中盤までふざけまくってて面白かったが、肝心の「何が揃えば〈私〉になるのか」ってハードな哲学がどっかにいき、16回死んでも残ってた罪悪感を分身がぬぐうセラピー的よくある話になったのが惜しい。シリーズ化できぬものを金かけて作る心意気は買えるが、つい「インターステラー」と比べちゃうな。あっちのほうが男のロマン臭かったのにSFギミックの使いかたが上手で、謎に感動させられたよね。それにしても今後ハリウッドはトランプをいつまで風刺できるのか。がんばり続けてほしいのだが。
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著述家、プロデューサー
湯山玲子
再生医療の極致である「生き返り」が可能になった世界で、そういう存在が重宝されるのは、人体実験だろうなぁ、という悪い予想そのままの主人公が、運命を案外淡々と受け入れるやるせなさ加減には、さすがこの監督ならではの、弱者のリアル描写とブラックユーモアが光る。しかし、後半になるとそのテイストが失速。主人公の敵となる宇宙船の支配者夫婦の描き方が、カリカチュアされすぎだし、先住者であるデカい芋虫系生物の在り方も紋切り型で凡庸な勧善懲悪劇になってしまった。
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