映画専門家レビュー一覧

  • ボーはおそれている

    • 映画評論家

      真魚八重子

      非常に難物だが、基本の型は「ヘレディタリー/継承」と同じで、家族が下の代に災難をもたらす物語である。アスターは本作をブラックジョークと言い、確かにそうではあるものの、母親が息子を心身ともに破壊する話を笑うのは難しい。世界は暴力に溢れ荒涼としており、劇団の映画内演劇にしか落ち着ける場所はない。確かに我々も内心、この世界を生きづらいと思っていても、アスターの家族観の極端さは死に至るので、さすがに戸惑いを覚える。ただ家族が災厄というのは、恐ろしいが真実ではある。

  • 身代わり忠臣蔵

    • ライター、編集

      岡本敦史

      ムロツヨシの芝居を楽しみたい人には満足度の高い内容だろう。最大の見どころは柄本明との共演シーン。かつて劇団東京乾電池の研究生時代に柄本の厳しい指導を受けたというムロが、今度は主演俳優として対峙する場面には愉しい緊張と興奮が走る。映画自体は「忠臣蔵」の大胆な脚色に見えて、武士道は特に否定しない保守系コメディ。仇討後の赤穂浪士たちの末路も含めて本来ひどい話だと思うので、もっと主人公の生臭坊主の視点から「美談」を派手にひっくり返してほしかった。

    • 映画評論家

      北川れい子

      忠臣蔵も世につれ、作者につれ。今回は敵役・吉良上野介の実弟である生臭坊主が、金に釣られて床に伏した吉良の影武者になってのドタバタ忠臣蔵で、影武者役のムロツヨシも、大石内蔵助の永山瑛太も、重厚、風格とは一切無縁のカジュアル演技。二人が以前、出会っているというのが、いざ討ち入りのネックに。とはいえ幕府の非情さや家臣の動きなどは最低限描いていて、忠臣蔵に馴染みのない若い世代の入門書にもなるかも。四十七士の数もしっかり抜かりなく、オチも悪くない。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      近年に限らず、90年代に市川崑と深作欣二が競作した頃から忠臣蔵映画は外伝傾向が強くなっていったが、本作は最も跳ねた内容かつ、笑える。忠臣蔵に「影武者」を混在させるアイデアが良く、偽物の吉良が大石と討ち入りを共謀したりするが、史実との駆け引きもうまい。ムロツヨシが往年の日本の喜劇人的存在感を増し、出てくるだけで面白くなる。終盤は北野武の「首」を観た後では物足りなくなり、吉良と大石の衆道まで描けたのではないかと思えてくる。東映京都の美術が際立つ。

  • 風よ あらしよ 劇場版

    • 文筆家

      和泉萌香

      男女格差、セックス、愛、家庭、自由恋愛の果て、論じ描いた社会生活の姿、そして国家の犬に殺されるまで、伊藤野枝の短くもすさまじい人生はテーマひとつ、ある期間ひとつを切り取り描いてもむせ返りそうな濃密な映画になると思うが、「風よ、あらしよ」の言葉には追いつかない、単調な人物紹介ドラマの枠にとどまってしまっている。神近市子の刺傷事件も、ホラーめいた演出なのが残念だ。だが、彼女の叫びと言葉に一片でも触れる機会、多くの人に見てもらいたいと思う。

    • フランス文学者

      谷昌親

      伊藤野枝の人生がいかに苛烈なものであったかは伝わってくるし、胸を打たれもする。それは、物語が持つ力の証でもあるだろう。しかし、映画として見た場合、俳優たちの熱演にもかかわらず、どうしてもダイジェスト版のように感じられてしまう。テレビで3回にわたって放映したドラマの劇場版になるわけだが、劇場用に再編集するのであれば、もっと思い切った編集の仕方もあったのではないか。そうすれば、この作品に欠けている、映画そのもののダイナミズムが出てきたかもしれない。

    • 映画評論家

      吉田広明

      大杉栄は十代の頃に著作も読み、その思想は現在においても自分の根底を支えているが、伊藤野枝は吉田喜重の映画を通じてその重要性は知りながら親しい存在とは言えず、ゆえに彼女がその無垢、純真なセンチメンタリズムによって却って大杉のうちに潜む無意識な男性性を撃ち、彼を鼓舞したその重要性は不覚にしてほぼ初めて知った。とは言えそれ以上の映画的感興があったかと言えば疑問で、元がNHKのドラマだと言われればなるほどそうだなと言うしかなかったことは確かだ。

  • 夜明けのすべて

    • 文筆家

      和泉萌香

      PMSの言葉を知ってどこかほっとした人、薬で改善した人もいれば一向に良くならない人もいて。それでも向き合っていかなければならないと思い悩む女性はたくさんいるし、私もそのひとり。自分の症状により現職を辞めざるを得なかったある2人が勤めることになった同じ職場。彼らが紡ぎ出すシンプルで小さな答えは、これから最も尊ぶべきことの一つだろう。その答えの実践者である、脇を固める人々の温かさもわざとらしさがなく、都会の灯りと手作りの星空に重なる。

    • フランス文学者

      谷昌親

      PMS(月経症候群)に苦しむ女とパニック障害を抱えるようになった男の物語、などと書くと、障害者への偏見をなくすように促す作品だとか、社会のなかに居場所のない男女の恋愛模様を想像してしまうかもしれない。しかし、2人は職場の同僚にすぎず、むしろ違う方向を見ている。それでも互いの障害を理解し、助け合うようになる過程が、淡々と静かに描かれる映画なのである。原作はあるが、映画で付け加えられた要素によって、「夜」がより印象的なものになっている点も魅力的だ。

    • 映画評論家

      吉田広明

      弱者同士の連帯という主題の作品が多くなってきているのは、それだけ社会が疲弊しているということなのか、我々の視点が細密化して、これまで見ようとされなかった差異が可視化されてきたということなのか、ともあれ本作もその流れの中にあって、しかしこの種の主題にありがちな殊更な劇化の道を取ることなく、静かに日常を生き延びてゆく同志たちの姿をほのかなユーモアを交えながら淡々と捉えており、映画の姿が上品である。過去から届く光と声が現在を息づかせる辺りにも感動する。

  • 瞳をとじて(2023)

    • 映画監督

      清原惟

      31年ぶりのビクトル・エリセの新作は、映画をとりまく状況の変化と、映画というメディアについて描く映画だった。はじめは、どこに向かっていくのか全くわからない、長い旅に出ているような感覚だったのが、最後で急に腑に落ち、深く感動した。「ミツバチのささやき」の小さなアナ・トレントが、大人の女性になっている。それでも、すぐに彼女だとわかった。人物たちの顔がすべてを物語っている。この映画をフィルムではなくデジタルで撮影したことに、監督がもつ未来への希望を感じた。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      かつてビクトル・エリセは「ミツバチのささやき」のドキュメントの中で6歳のアナ・トレントが怪奇映画を見ながら思わず声を上げたときの表情、まなざしをとらえ「私が映画を発見した最高の瞬間だった」と語った。「瞳をとじて」に半世紀ぶりにアナに出演を乞うたのは、エリセがそんな奇蹟にも似たエピファニーの瞬間を再び見出したかったからにほかなるまい。50代後半のアナは目尻の小皺さえ美しい。父と再会した際「ソイ・アナ(私はアナよ)」と呟くアナ・トレントを観ていて私は崩壊した。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      エリセの老境を偲ばせる私的な瞑想。映画表現は常に時間と場所に帰属するが、今ここにある我々の現在もまた個々の記憶=過去の集合体にほかならないからこそ、人はスクリーンの幻に現実の似姿を見出すことができるのだろう。その意味でこの映画が比喩するのは人生の旅、それも終点にほど近い者が見た夢としての映画であり、一種ミステリ的な興味とともに上映時間は過ぎていく。その様は美しく悲しい。しかし“My Rifle, My Pony and Me”の歌詞がこんなに沁みるとは思わなかった。

  • Firebird ファイアバード

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      主演俳優に合わせて(?)全員英語を話しているという謎事態だがそれはさておき、宣伝ヴィジュアルを見ると軍隊内での禁断の愛の物語みたいだけど、実はプロットの中間点で主人公は除隊するのであり、映画がよくなるのはむしろここから。画面に変化がつくほか、どこまでリアルかはわからないけどモスクワの演劇学校の場面など興味深い。残念ながら展開は既視感だらけで掘り下げが欲しいが、ラストはそれなり胸を打つ。二人の外見の組合せが「君の名前で僕を呼んで」っぽいのは意図的?

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      冷戦時代ソ連占領下エストニアの空軍基地を舞台に、2人の青年の秘められた愛を実話に基づいて描いた物語。エストニア出身MV監督で知られるペーテル・レバネが監督しただけに映像は美しく、二人の主演男優は日本のBL(ボーイズ・ラブ)漫画のキャラのように美しい。しかし、それらの環境と美形キャストに酔っているような仕上がりで、シナリオに唸ることも新たな美意識や世界観の提案があるわけでもない。ジェンダー題材の映画はその題材力に寄りかかり過ぎている悪しき実例。

    • 俳優、映画監督、プロデューサー

      杉野希妃

      美青年二人の視線の交わりと繊細な戯れに陶然とし続ける100分だった。何度か出てくる性的なシーンでの、炎を連想させるオレンジと青の使い分けが印象的。海でのキスシーン後、二台の戦闘機が高速で飛行するショットは二人の関係と行く末を暗示するようで心がざわついた。男二人に翻弄されるルイーザの思い違いから絶望までを丁寧に描いているのも良い。本作のヒットで、エストニアでは同性婚が承認されることになったという。ストレートで誠実な映画がもたらす力に勇気づけられる。

  • カラーパープル(2023)

    • 文筆業

      奈々村久生

      シスターフッドと女性たちの連帯。1985年版のリメイクだが驚くほど昨今の時流に乗っている。この40年間は一体何だったのか。ヒロインの義理の娘ソフィアが男性陣に強烈な皮肉を浴びせるシーンで、鑑賞時に男性の笑い声が聞こえたが、出所後である彼女がどんな思いで自分を取り戻そうとしているかを考えたらとても笑えなかった。その痛みがわかることをよかったと思える日がいつか来ればいい。ミュージシャンのH.E.R.がこんな顔だったっけ?と思うほどのあどけなさで新鮮。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      太った黒人女性たちの、その太りかたの美しさ。舞台版では寄りで見れない肌の美しさ、そして力強い歌声とリズム。僕にはミュージカルを味わう感性がないのだが、すばらしかった。スピルバーグ×ウーピーのストレートプレイ版は悲惨で暗かった。おなじ重い物語を、軽くではなく明るく伝えられるのが歌だ。黒人女性に生まれてしまった人生は過酷だという話が、すべての女は支配してくる男(暴力に限らず、経済、愛情搾取など)に対してもっと素直に怒っていいんだぜという話に再生した。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      個人的にミュージカルは得手ではなく、サブスクから映画の歌曲を敢えて落とすことはない。そのため本作も歌が秀逸なのはわかるが、その間、物語の停滞を感じる人間なので、同類の方はしんどいと思う。また強烈なDVとモラハラが描かれ、黒人と信仰の結びつきの強さも前面に出される。妻をずっと侮辱し暴力を振るった男性を、妻が贖罪を認めてあっという間に赦すのは釈然としない。現代的なのはシスターフッドが重視され、肉体的な関係も仄めかされることで、全体に女同士のシーンは魅力的だ。

  • ヒプノシス レコードジャケットの美学

    • 俳優

      小川あん

      “なんとなくいいな”と思って、レコードのジャケ買いをする。その衝動のワケは、ヒプノシスの究極のクリエイティビティから始まったのだと思う。音楽とアートが密かに響き合い、ジャケットをキャンバスにして時代の空気やアーティストの真髄を入れ込む。デザイナーたちの言葉からにじむ「音楽を見せる」意識。数々の名盤は秘密めいたメッセージをはらんでいる。古びたカメラや現場での試行錯誤はどこか温かく、いまのデジタル時代とは違う不完全さの魅力に触れた気がする。

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