映画専門家レビュー一覧

  • 水平線(2023)

    • フランス文学者

      谷昌親

      散骨業を営む真吾という男の物語で、彼は福島の海辺の町に住む元漁師であり、身近な存在を津波で海にさらわれている。これだけでも充分に複雑な境遇だが、その真吾のそれなりに穏やかな日々を乱すような事件が起きるのだ。なかなか重厚なテーマを、これが初メガホンの小林且弥監督が力強く演出し、俳優陣もそれに応えている。それぞれのシーンは観客の胸に迫るものがあるはずだ。しかし、個々のシーンが突出しすぎるのか、シーンとシーンが有機的に結びついていかないのが惜しまれる。

    • 映画評論家

      吉田広明

      なぜ主人公が散骨業を営んでいるのか、通り魔殺人犯の遺骨を巡ってのジャーナリスト、娘らとの確執からその理由が明らかになってゆく。何より、ごく普通のおっさんが倫理的問題にいかに処するか、その決意を淡々と描写を積み重ねて説得的に描いており、おっさんがカッコよく見えてくる。散骨に至る理由は、残された者(殺人犯遺族のみならず自分たち父娘含め)の未来のためではあるが、誰であれ鎮魂はされるべきではという観点まで突き詰めれば宗教的次元まで行けたのだがとは思う。

  • 52ヘルツのクジラたち

    • 文筆家

      和泉萌香

      原作は未読。義父と母親からの虐待を受けていた女性が主人公だが、彼女を世界の中心に次から次へと人物が登場。最低最悪の素顔に皮をかぶったボンボンのキャラクターはさておき、児童虐待の被害者である少年と出会ってからも、それをしちゃダメだろうという彼女の行動が気になりひとりよがりにも思えてしまう。彼女に手をさしのべる彼に対しての物語の仕打ちも酷すぎるもので(女友だちも優しすぎない?)きれいな海が広がるなか、感動的に集束していくさまを見てもまったく納得できず。

    • フランス文学者

      谷昌親

      虐待の被害者で、しかもヤングケアラーだったというヒロインをはじめとして、社会に自分らしい居場所を見つけられない人物が何人も出てくる。だからこそ感動的な物語でもあるのだし、ヒロインの貴湖を演じた杉咲花にとって代表作にもなるだろう。すでに大ベテランと言ってもいい成島出監督の演出も手堅い。だが、これでもかこれでもかと続いていく、重たく、それだけに人の心を打たずにはおかないエピソードの積み重ねが、逆に作品を薄っぺらなものにしていると感じさせるのが皮肉だ。

    • 映画評論家

      吉田広明

      児童虐待にヤングケアラー、ネグレクトにトランスジェンダーと、どれ一つとってもまともに扱えば血の出る家族や性を巡る問題を次から次と渡り歩いて、その一つとして掘り下げることなく、大映テレビドラマ顔負けのエゲツなく不自然極まる展開で見る者の感情を引きずり回すことにばかり腐心している。これで感動作の積もりだから恐れ入る。マイノリティ問題を飯の種にするなとは言わない。しかしこれは共感の皮を被った搾取であり、真摯にそれに取り組む人へのほとんど侮辱である。

  • コットンテール

    • 文筆業

      奈々村久生

      「ぐるりのこと。」の夫婦コンビふたたび。イギリス出身の監督が日本的な家族関係や精神性を再現する試みかと思いきや、物語や登場人物像そのものが監督自身を形成した実体験に深く基づいており、自分の世界観を追求することで必然的に日本的な描写も強化される。その意味で日本映画といっても遜色ない完成度には達している。同時に、リリー・フランキーが体現するある種の日本的な男性像は、当然のごとく女性を美化しすぎているが、それを破壊する木村多江の変貌が見事だった。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      奇妙な味わいの映画。その奇妙さが監督の持ち味か、英語で書かれたセリフを日本語に訳して日本人の俳優が演じるからなのか、日本人が演じる日本の家族を東京と英国の田舎でのロケで英国人が演出してるからなのかはわからないが、いやな奇妙さではない。万国共通〈愛する相手が本当に欲しいものを言葉にしてるのに、そのままの意味で聴きとることができない男が勝手に感じてる孤独〉の問題。しかしこの問題はなんで万国共通なんだろうな。と万国の男性が自分をかえりみて頭をかかえる。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      この映画は“家族再生を描いた”と銘打たれているが、逆に家族間のぎくしゃくとした不仲が明瞭になる作品という印象だ。リリー・フランキーが妻を深く愛していることの表現として、彼の頑固で融通の利かない性格が前面に出される。妻の遺灰をイギリスへ撒きにいく旅も、用意周到な息子にたてついて、フランキーは路線図も読めぬ土地で猪突猛進していく。それが愛ゆえというのは独りよがりで、結局誰にとっても徒労となる。筆者の父も同類だったので、生前の振り回された疲労を思い出してしまった。

  • FEAST -狂宴-

    • 映画監督

      清原惟

      交通事故で夫を亡くした女性が、事故を起こした相手の家族が経営するレストランで働く物語。交通事故で轢いてしまっただけならともかく、その場で助けずひき逃げをしてしまう男たちが、数年の服役(しかも父が肩代わり)によって許されることをハッピーエンドとして描くのは、文化の違いによる倫理観の違いはあるにしても、さすがに理解が難しいものだった。罪の意識が描かれるが、それも教会で懺悔して終わりというお気楽さで、夫をひき逃げした人の店で働く心情も全然わからない。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      メキシコ時代のブニュエルのメロドラマに似た感触がある。交通事故を起こした大富豪の加害者と貧しい被害者という非対称的な構図、さらに父親は息子の身代わりで刑務所に入り、被害者一家は加害者の大邸宅で使用人として働き、事なきを得る。罪過ではなく赦しという絵に描いた善意が瀰漫する日常の水面下で残忍な復讐劇が勃発するという予見(期待?)は裏切られる。クリシェと化してしまった因果律的なドラマツルギーへの異議申し立て、確信犯的な結末というべきか。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      交通事故で男が死に、その妻と加害側の妻の交流が始まる。「フィリピンの鬼才」のことはよく知らないのだが、無意識にカンヌ監督賞作を含む4本を見ていた。政治、セックス、暴力に絡む内容が多いが、ここでは封印されている。代わりにご馳走の映像がくどいくらい挿入されており、家族たちはセックスのごとく恍惚として食べる。キリスト教の強調があり、霊性を帯びたカメラが人の営みを覗いていく。主演のココ・マーティンも初めて知ったが、フィリピンでは「究極のスター」なのだという。不思議な映画だ。

  • リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング

    • 映画監督

      清原惟

      恥ずかしながら、リトル・リチャードのことを何も知らなかった。自分が聴いてきた音楽たちの礎を築いた人物と知って、本当に驚いた。知らなかったことを知れるというのは、事実を基にした映画のいいところだと思う。文化の盗用、クィア、人種差別など、重要な議論につながる問題提起があって、今この題材の映画を作ることの必然性を感じる。ただし、映画としての構成、映像のあり方には少し違和感もあり、宇宙的なイメージをCGで表現するところなどは、なんだか余計に感じてしまった。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      ジョン・ウォーターズ曰く「リトル・リチャードは私のアイデンティティの一部だ。私の口髭は彼の真似、オマージュなんだ」には笑った。F・タシュリンの「女はそれを我慢できない」で主題曲を歌う彼にウォーターズや無名時代のビートルズが熱狂したのもむべなるかな。豊饒な映像フッテージを駆使して1950年代初頭、すでにクィアであることを宣言し、差別の壁を破壊し、異形でありつつロックンロールの正統なる創始者としての栄光と悲惨を丁寧に跡付けた出色のドキュメンタリーである。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      ジョージア州の公会堂で若きリトル・リチャードがシスター・ロゼッタ・サープの前で歌い、褒められ、舞い上がった彼は早く故郷を出たくなった—「輝く準備はできてたんだ」。ロックンロールの創造者にして設計者は、後続の白人のように讃えられることなく、自分はプレゼンター役。革命的でパワフル、陽気で孤独、そして黒人でクィアの彼が涙を流す。涙は涙でも喜びの涙。これくらいアーカイヴが残されていると、ほとんど“劇映画的”にドラマティックな“ドキュメンタリー”をつくれてしまう。

  • ARGYLLE/アーガイル

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      007やヒッチコックをちりばめつつ、大枠が「ザ・ロストシティ」そっくりだなあと楽しく観ていたら、中盤で凄いひねりが。そこまでが楽しすぎたせいで、騙された気分で脱落する人も出そうだけれど、これを許容できれば後半も楽しい。赤毛とブロンドの2部構成自体、もしかしたら「めまい」の引用なのかも。主演二人が完全に対等な男女を演じて魅力的。これまでのマシュー・ヴォーン作品同様、人を選びそうな悪乗り気味のアクションが愉快。フィギュアスケートファンとネコ好きは観ると吉。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      スパイ小説の人気女性作家が謎の組織に狙われるという設定で、彼女の小説世界と現実が交錯する。「キングスマン」でもスパイ映画をひねっていたマシュー・ヴォーンは、今回さらにひねったメタ・スパイ映画に仕上げている。主演もスパイ大作に絶対抜擢されそうにないサム・ロックウェルとブライス・ダラス・ハワードというひねりよう。「キングスマン」で披露したVFX遊戯はさらに過剰になり、だんだん真面目に見ていることが馬鹿馬鹿しくなる。これで製作費200億と聞くとやれやれとしか言えない。

    • 俳優、映画監督、プロデューサー

      杉野希妃

      謎が謎のままである前半は楽しめるものの、主人公の過去が明かされてからは、その設定が中途半端なのでヤキモキする。主演のブライスは前半の鈍臭さからの変貌ぶりが見ものだが、終盤に向かって加速するアクションに身体が追いついていない印象。突然スケートが始まったりと、奇を衒ったド派手なアクションシーンも随所に盛り込まれたギャグもあざとすぎて不発で終わっている。ギミックが無駄に多すぎるし、莫大な製作費の割に全体的にチープな作り。デュア・リパをもっと見たかった。

  • マリア 怒りの娘

    • 翻訳者、映画批評

      篠儀直子

      貧困の惨状、そのなかでの(ときに争いながらの)母娘の絆、少女の怒りと成長をリアルに描きながら、現実と地続きの幻想へと唐突に横滑りしては戻ってくる魅惑的な作品世界。監督が映像の力をとことん信じて撮っていること、および、主演の少女が役柄を深く理解しているさまにまず感嘆させられる。しかもこの少女自身もまた役柄と同様、映画の進行と歩を合わせてめきめきと成長しているようなのだ。ニカラグアの自然の景観も、人間たちの運命への無関心を表現しているかのようで圧倒的。

    • 編集者/東北芸術工科大学教授

      菅付雅信

      中米ニカラグアのゴミ集積場を舞台に、そこに生きる母と娘の物語。二人はその環境から抜け出そうとするが、娘マリアの犯した過ちがより困難な状況を巻き起こす。ニカラグア出身の女性監督による長篇作で、貧困、環境問題、女性の権利、人権など、現在のポリティカル・イシュー満載の作品。ゆえに海外映画祭で高い評価を得ているのだろうが、劇映画としては退屈の極み。内容のポリティカル・コレクトネスを映画作品の出来よりも重視する今の批評の風潮に「怒りの娘」ならぬ「怒りの観客」の気持ちになる。

    • 俳優、映画監督、プロデューサー

      杉野希妃

      冒頭、カラスが飛び交い、子供たちがたむろする広大なゴミ捨て場の引きのショットからして力強い。母親を探し求めるマリアの旅をドキュメンタリーの如くカメラは追い、芝居もカメラワークもリアリズムに徹している。母親との再会で突如マジックリアリズム的世界観が立ち現れるところでは、ラテンアメリカの監督らしい表現だなと胸が高なった。画力に頼りすぎな感はあるものの、少女の怒り、悲しみ、諦念がニカラグアへの監督の想いと重なるようで、強かな意志を感じる貴重な映像詩。

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