映画専門家レビュー一覧

  • 海街奇譚

    • 映画監督

      清原惟

      ノスタルジックかつSF感のある不思議な島に、俳優である主人公の男が訪れる。そこで起こる現実なのか非現実なのかわからない出来事と、彼の過去が交錯していく。細部へのこだわりを感じる映像表現、街に流れている時間に美しさも感じつつ、映画のために切り取られた世界に少し息苦しさと、どこか既視感を覚えてしまう。女性と男性の間にある不和や、街にいる異邦人としての彼の心境が次々重なっていき、夢を見ているような感覚に陥り、気がつくと現実の世界とは切り離されていた。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      失踪した妻を探し求めて、彼女の故郷である辺境の離島を訪れた男の彷徨譚。キザすれすれのネオ・ハードボイルド小説のような趣向、近過去と現在を行きつ戻りつしながら時制はいつしか攪乱されてしまう。極端に人工性が強調された、けばけばしいダンスホールの空間とセット。そこに深海魚のように生息する女たちと水槽で浮遊するクラゲを等価にとらえる強烈なメタフォアへの意志が垣間見える。時折、瞑想に誘う審美的なショットにハッとするが、すべては〈一炊の夢〉のようでもある。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      上海から船で1時間ほどの島の物語。かつて開発で繁栄したらしきこの島の景観は、しかし終末的なまでに閑散としている。袋小路的であり、島民は気だるく無気力。誰もが過去の思い出を彷徨っている。新鋭チャン・チーの監督デビュー作は、60年代の個人的、観念的な芸術映画風情だ。アントニオーニの如く“事件”を蒸発させ、70年代のニコラス・ローグ、80年代のニール・ジョーダンも連想させたが、“意味”を敷き詰めたスタイルのキザが堅苦しい。が、際どく吸引力を維持し続ける意欲作。

  • ゴールデンカムイ

    • ライター、編集

      岡本敦史

      大変な意気込みで作られていることはわかる。アクションシーンは目を見張る出来映えだし、雪景色のロケ撮影がもたらす映像的説得力も大きい。アシリパ役の山田杏奈も最良の配役だし、矢本悠馬のなりきりぶりにも感心。ゆえに、全篇漂う「なりきれてない」上っ面感、山粼賢人のミスキャスト感(不死身に見えない、「キングダム」と区別がつかない等)がどんどん雪だるま式に見過ごせなくなってくる。大事な「オソマ」のくだりで、ユーモラスとギャグを履き違えた演出も残念だった。

    • 映画評論家

      北川れい子

      キャラクターは出揃った。各自、それぞれの野心と目的で、北海道のどこかに隠されているに違いないアイヌの埋蔵金を巡り、三つ巴、いや四つ巴の争奪戦。ではあるが本作、まだホンのプロローグにすぎず、えっここで終わっちゃうの? 主人公である“不死身の杉元”の行動が、いささか成り行きまかせなのは、障害物競走仕立てなので当然だが、キャラの顔見せ篇にしてはいずれの人物も人騒がせなだけに見え、「キングダム」シリーズにおける大沢たかお級の大物が不在なのが物足りない。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      原作未読につき実写化への不安も期待もなかったが、まるで70年代の牧口雄二が撮ったかのような荒唐無稽さとアクションの混在を愉しむ。ヒグマ襲撃から脱獄犯とのくだりを経て終盤のチェイスまで、丹念にアクションを積み重ねていきながら活劇と笑いで見せきることに徹した作りも好感。山粼がベストアクトを見せ、アイヌを演じることの可能性を示した山田も良い。最近は終盤になると次回作へ全フリする大作が多いが、きちんとオチをつけて次へとブリッジをつける本作は良心的。

  • サン・セバスチャンへ、ようこそ

    • 文筆業

      奈々村久生

      あるとき以降、自分の自由意志でアレンの映画を観ることは選択しておらず、疑惑が晴れない限りはこれからもない予定である。是非はともかく、法的に裁かれようと裁かれまいと、作り手自身にまつわる情報は作品の見方にバイアスをかける。特に自画像的な登場人物や自伝的要素を多く盛り込んできたアレンの作風の場合はなおさらで、老年の主人公が漂わせる諦念を笑うこともできず、どんな作品でも人が作っている以上、「芸術に罪はない」を実践することの難しさを実感する経験となった。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      古い名作映画のカットを再現して喜んでるウディ・アレンにつきあわされる映画。映画と女が好きで嫉妬深いじいさんの話。ただし主人公はウディ・アレン当人ほか現実の老いた映画好きたちよりはナルシシズムがまだ薄い。くそじじいが監督した「映画の話をしてる映画」はだいたい面白くない。という感想を女が書けば面白い気がするが、これを書いてる僕は女好きな59歳のナルシストな男で、同族嫌悪というのはしてみてもあまり面白くない。というのがラストカットの主人公の問いへの僕の答え。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      #MeToo運動以前から、アレンが少女時代の養女の裸を撮影し、のちに結婚したという、倫理観が問われる問題は知っていた。しかし#MeToo以降に改めて向き合うと、こうした出来事を無視して、映画評を書くことは気が咎める。もはや大人の女性である養女スン・イーの、意思を重んじることも考え得るが。映画自体は近年のアレンの軽妙に人が入り乱れ、ひとまず愛が収まるべき所に落ち着く大人のドラマ。#MeToo以前のロリータ臭は払拭されている分、今の女優に興味はなさそう。

  • 緑の夜

    • 文筆業

      奈々村久生

      これが実質的な復帰作となるファン・ビンビンが、きっちりくたびれた女で帰ってきているところにぐっとくる。さらに『梨泰院クラス』のトランスジェンダー役が好フックとして機能しているイ・ジュヨンとのコラボは、世代や国籍を超えた二人が刹那的に接近するワンナイトの熱さと儚さがエモーショナル。港の荷物検査シーンで、女性が女性の体のラインに沿って金属探知機を滑らせる、出会ったばかりの二人が無言で交わる艶かしい距離感。女性監督がシスターフッドで描くその関係性が美しい。

    • アダルトビデオ監督

      二村ヒトシ

      中韓ベテラン若手の二大女優W主演で、男の暴力支配に反逆するぎこちないシスターフッドを女性監督が撮る。男が撮った「テルマ&ルイーズ」、性別適合前のMtF監督が撮った「バウンド」(どっちも男である僕には面白かった。えっ、どっちももう30年くらい前なの?)と比べて痛快さはまったくなく、乾いていて重い。いま撮ったら、そりゃそうなる。そこがいい。虐待を受けてる側が陥る依存も描かれてる。母なるものを失ったままの女の物語でもあるのだろう。それでも女と女は出遭って、別れる。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      ジン・シャを演じるファン・ビンビンの変わらぬ美しさに陶然としながらも、行き当たりばったりの物語に困惑する。彼女は保安検査場での仕事中に、緑色の髪をしたエキセントリックな少女と出会う。職業柄、本能的に危ういものを感じつつ、その少女に惹かれて一寸先は闇の世界に踏み込んでいく。しかし緑色の少女にもっと飛躍する世界観があれば良かったが、ただ単につまらぬ運び屋で無駄な時間だった。何よりラストが許せない。可愛いチワワを巻き添えにする意味が理解できない。

  • 僕らの世界が交わるまで

    • 映画監督

      清原惟

      「まったく価値観の違う大切な人たちと仲良くやっていくにはどうしたらよいのか、そのような考察をしたかった」と監督が語っていた。まさに今の世の中の問題の多くがそこに帰結するような気がするが、この映画は、それでも対話をやめない、というような積極的な関わりでなくとも、相手を拒絶したり否定しなければ共有できる瞬間がいつか訪れるかも、というような希望を描いている。多くは語らない脚本だけれども、芝居の素晴らしさで多くがわかる。みんな悪い人でもいい人でもないのもいい。

    • 編集者、映画批評家

      高崎俊夫

      DV被害者のシェルターを運営する活動家で対抗文化世代の残滓を引きずる母親とSNSのインフルエンサーとして肥大した幼稚な自己愛を持て余す息子という構図が面白い。当初、対極的に見えた歪な母子関係が夫々〈他者〉の出現によって意外な相似性が浮かび上がるカリカチュア抜きの語り口は上質な短篇小説を読むようである。かつてのアルトマン映画のヒロインを思わせる裡に無意識の権力性と静かに沸騰する狂気を抱えたジュリアン・ムーアの佇まいはまさに圧巻というほかない。

    • 映画批評・編集

      渡部幻

      DVシェルターで働く社会貢献意識の高い母親はよく出来た他人の息子に、人の成功をフォロワー数と投げ銭の金額ではかる息子は政治意識の高い同級の女子に引かれている。親子関係の不満を他者で埋めようと不毛な努力をするふたり。監督・原作・脚本のジェシー・アイゼンバーグ。彼は、理屈で動く現代人の混乱を理知で相対化できる役者でもあるが、この監督デビュー作ではそれが上っ面で終わっている。人への洞察、風刺の質が表層的で、本物にするための誠実さが希薄と思えた。

  • 傷物語‐こよみヴァンプ‐

    • ライター、編集

      岡本敦史

      これほど「本来熱狂するべき映画ファンに観られていない傑作アニメ」はないと思っていたので、再びチャンスが訪れたのは本当に喜ばしい。元の三部作を一本の長篇に再構築した鋭利な編集、よりムードを増し輪郭が明確になった音楽・音響設計など、このバージョンだけの魅力も大きい。何より尾石達也という鬼才の仕事をいまこそ認識してもらいたい。クライマックス、国立競技場を舞台に繰り広げられる吸血鬼同士の壮絶なバイオレンスの応酬は、映画史に残る一大流血残酷絵巻。眼福!

    • 映画評論家

      北川れい子

      すでに公開されたアニメシリーズを1作にまとめた作品だそうで、知る人ぞ知るアニメらしいが、こちらは初見、不穏な空気が充満するオープニングからしてただごとではない。ダークで殺風景なのに奇妙な重量感のある空間と、禍々しくも人間的な吸血鬼たちの葛藤とアイデンティティー。とはいえキャラの立場を飲み込むまでにかなり時間を要したのだが、絵の動きよりも、ラジオドラマのように台詞を軸にした進行は、声優たちの力演で説得力があり、口元のアップの多用も効果的。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      原作も未読なら、三部作で公開された元の映画も未見では、とても良い観客とは言えないが、一見さんお断り映画かと恐々として観ると、これが出色の吸血鬼映画で堪能する。地下鉄、廃墟ビルなどの都市空間を巧みに生かし、繰り返される四肢切断と鮮血を下品になることなく見せる。カットの短さに文字の挿入の多さも含めて、かなりのガチャガチャ編集だが、市川崑の編集に通じるスマートな繋ぎが際立ち、ギャグも邪魔にならない。予備知識なしでも魅了されるだけに、ファン以外もぜひ。

  • ある閉ざされた雪の山荘で

    • 文筆家

      和泉萌香

      オーディションの場所という理由で、登場人物たちが<自主的に>そこにとどまることを決める密室もの。登場人物が全員役者に加え、山荘での設定もフィクション、かつこれはそもそも映画という、嘘で固められた世界の表面に、奥に触れることに我々は挑むはずだが、疑いにしばられることへの緊迫さに欠けるし、最後の最後までいびつさが物足りない。原作者自身が「突拍子もない」という設定もそうだが、彼らの動機も幼稚な印象が拭えないし、少々無理がある気も。

    • フランス文学者

      谷昌親

      作中に本が出てくるアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせる設定であり、大雪で山小屋に閉じ込められた8人を描いたタランティーノの映画「ヘイトフル・エイト」(15)を思い起こさせもする。ところが、今回の映画では「雪の山荘」と言っても雪は空想のものにすぎず、それは集められた7人がすべて役者だからであり、彼らが役者であるからこそ、独特な視点で描かれる山荘の空間のなかで、物語が二転三転する。原作にはない冒頭とラストがいいアクセントになっている。

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