映画専門家レビュー一覧
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手紙は憶えている
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映画ライター
中西愛子
認知症を患っている90歳の男。戦中アウシュヴィッツにいたユダヤ人の彼は、友人から手紙を受け取り、70年前に家族を殺したナチスの残党に復讐すべく、4人の容疑者の元を順に訪れていく。21世紀によくぞと思う面白い脚本だ(書いたのは、30代の新人)。が、ひとつ間違えると際物になりかねない物語を、普遍的な人間ドラマに仕上げたアトム・エゴヤンの丹念にしてどこかシュールな演出はもっと冴えている。現代の日常風景が違ったものに見えてくるから! 86歳のプラマーもお見事。
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インフェルノ(2016)
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翻訳家
篠儀直子
今回のラングドン教授は事件の謎だけでなく「なぜ自分が事件に巻きこまれているのか」という謎も解かねばならず、理由もわからぬまま複数の組織に追われまくる「北北西に進路を取れ」状態。だから張り切ったというわけでもないだろうけど、このグリーングラスみたいな編集はどうなのかしら。頭脳派007映画みたいな趣もあって(詳述は避けるが、D・クレイグ主演の某作品がずっと思い出された)イルファン・カーン演じる役に、最良のボンド映画悪役のようなユーモラスな魅力あり。
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映画監督
内藤誠
歴史ミステリーと先端科学を巧みに扱うダン・ブラウン原作の力だが、シリーズ新作も面白い。今回はダンテの『地獄篇』にちなんで、フィレンツェにはじまり、ヴェネチア、イスタンブールと、観光名所の撮影が丁寧で、贅沢な仕上がりだ。トム・ハンクス力演のラングドン教授は麻薬を打たれてしまい、その脳内幻覚の映像もシュールでいい。それだけに人類の半分を滅亡させ、人口過剰の問題を解決しようとする、大富豪の天才生化学者、ベン・フォスターの偏執的な人間像が描き足りない。
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ライター
平田裕介
ジェイソン・ボーンよろしく、頭からラングドンが記憶喪失。というわけで、なにやら事件に巻き込まれ、何者かに追われるうえ、波状するフラッシュバックについても自身で解き明かさねばならないプロットが巧い。そこへロン・ハワードの緩急自在な手腕も乗っかってアガる。ただし、そちらに注力しすぎて、ダンテのあれこれをめぐるミステリーみたいなノリは薄味に。しかし、なんだってウイルスを拡散させるのにこんなまわりくどい方法が取るのか理解できぬが、それを言ったら負け。
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金メダル男
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評論家
上野昻志
ルナールの蛇についての評ではないが、「長すぎる!」。実際の尺は、いまの映画の標準に収まっているのだろうが、なんで、こんなに長いのか、と途中で溜息をついた。小学校の運動会で一等賞になり金メダルを貰ったことから、金メダル目指して一筋という男の話を、小ネタの連続で押してくるのだが、その一々が説明的で、少しも弾まない。これを25分ぐらいずつに切って、テレビのコント番組にでもすれば、そこそこ成り立つのだろうが、映画館で見せられてもなあ……疲れるだけだ。
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映画評論家
上島春彦
良い出来。長野県塩尻の地方色を活かす設定も楽しめる。でも長い。挿話を連ねていき、それが布石として後からじわじわ効いてくる、という作りなのは段々分かってくるわけだが、それがどうしたという感じで星を減らした次第。脚本に驚きがないからだ。と言っても細部が(例えばテレビ画面引用とか使用される楽曲)凝っているので飽きさせない。また一人よがりの主人公が一人で表現部を作って文化祭でパフォーマンスを披露する場面は実に良かった。こういう仕掛けがもっとあったらなあ。
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映画評論家
モルモット吉田
原作の一人舞台はTVで見ただけだが内村の芸達者ぶりに圧倒された。なまじ映画を意識せず、後半だけでなく舞台の様に全篇内村が演じても良かったのではないか。現代日本史と重ねて描くだけに、まともに作れば壮大な大作になる。コント的な平板な映像もひとつの手法とは思うものの一本調子。後半のアクションなど躍動する箇所もあるが、舞台よりも遥かに自由を得たはずが、映画の枷で逆に不自由に見えるのは皮肉。奇抜な映像+舞台調の融合で見せた方が相応しかったように思える。
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バースデーカード
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映画評論家
北川れい子
試写のときに貰った絵本仕立てのプレス用資料に、母が書き遺した数年分の絵入りのバースデーカードが載っていて、いまあらためてそれを読み返し、娘の成長を見守ることができない母親の思いを実感しているのだが、映画では1年ごとのカードの文面があまり印象に残らない気も。というか、現実のエピソードが文面を追いすぎている。ともあれ、母娘映画として素直な作品だと思うが、息子はもっと幼いのにそっちはほったらかしで、気になる。テレビのクイズ番組のエピソードが邪魔。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
またコレも?(「湯を沸かすほど~」評参照)と一瞬思う設定ではあるが、十年続く死後のメッセージ、死別した母との不思議なコミュニケーションというのは面白く、そういうオリジナルさを立ち上げた作り手は偉い。洋画「ある天文学者の恋文」にも通じる、多くの星々の光が実はその星の死滅後に地球に届いていることとのアナロジー。良い話だけでなく亡き母の手紙を桎梏と感じる娘の苛立ちもちゃんとある。編み物する宮﨑あおいの指先は雄弁かつ説得力あり。観られて欲しい映画。
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映画評論家
松崎健夫
我が人生を変えたと言って過言ではない『WOWOW映画王選手権』での優勝は、近親にハリウッドの映画プロデューサーがいるという講師にかつて英会話を習っていた父から「ハイジの実写映画にチャーリー・シーンが出るらしい」と又聞きした話を瞬時に思い出したことで勝敗が決まった。本作でも主人公は亡き母との思い出をクイズの解答に活かしてゆくが、映像の中では常に風が吹いている。それが「いないはずなのに何かがそこにいる」感じを導き、母不在の意味をも悟らせるのである。
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闇金ウシジマくん ザ・ファイナル
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映画評論家
北川れい子
実のところ、“ウシジマくん”の過去や曰く因縁など、知りたくなかった。これまで通り、彼の非情な闇金ビジネスと、客に対する彼なりのケジメだけで終りにしてほしかった。高利を承知で闇金に駆け込んでくる客たちのそれぞれの事情に世相が窺えたのも大きな理由だし、その事情に合わせたウシジマの対応も充分面白かったし。が今回はウシジマの中学時代の出来事を起因にあれやこれやの恨みやしがらみが描かれ、いまいち痛快感が薄い。ま、過去にこだわる男たちはカワイイと思うが。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
劇場版の完結篇らしいが、さほどファイナル感は濃厚ではない。ただ、主人公ウシジマの敵にあたるものは間違いなく最も手強かった。その“敵”とは、彼の性悪説的世界観に真っ向から対立する性善説が幼馴染みの姿を借りて顕れることと、それに彼が心惹かれてしまうこと。自身の規範が揺らぐウシジマは魅力的だった。また、主要登場人物の少年時代の描写とそこに宿る聖性に胸を打つものがあった。現在より純化された彼らの躍動にこそ冷徹な金の力を超えるものがあった。
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映画評論家
松崎健夫
これを最終作にする必要はない。原作漫画には多くのエピソードが残っているし、いつの時代も人は金に翻弄されるがゆえ題材には事欠かない。例えば『ミナミの帝王』シリーズのように、ウシジマを脇に添えた構成にすれば、時代に合わせた続篇の製作はいくらでもできる。ジャンル映画やシリーズ映画の製作が難くなった昨今、このシリーズは残された砦のひとつのようでもある。それゆえ、ウシジマの出自にはあまり関心を持てず、むしろ描かないことで魅力が増したのではないかとも思う。
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奇跡のピアノ
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映像演出、映画評論
荻野洋一
主人公の盲目少女は、技術を序列化するコンクールへの出場よりも、極上の音感を用いた創造の才に長けているようだ。若き男性教師との初対面の日、彼の先導に乗り、彼女が即興によってその想像力を鍵盤に叩きつける瞬間の、無二と言える感動は、ドキュメンタリーでしか描き得ない。先生と少女の二台のピアノが四手によって豊饒なる対話を実現させている。「忘れられた皇軍」の大島?は“目玉のない眼から涙だけはこぼれる”と述べたが、目玉のない彼女には、驚くべき耳と手がある。
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脚本家
北里宇一郎
眼の不自由な少女が天才的にピアノを弾く。やがて有名になり一流のミュージシャンとして成功――なんてドキュメンタリーじゃないのがいい。からだのハンディキャップを、音楽で乗り越えさせようとする周囲の大人たちの思惑があたたかくて。ギリギリ涙で濡らさない、この淡々の演出。母親だと思っていた女性が実は、という事情を、波紋が広がるように徐々に観客に打ち明けて行く構成も巧く。さらりとしたナレーションも効いている。ラスト、少女の独り歩きの画面だったらなあ、とも。
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映画ライター
中西愛子
生まれつき目が不自由な少女イェウン。3歳で誰に教わるでもなくピアノを弾き始め、5歳の時にテレビに出演して称賛される。そんな彼女と家族のその後を追ったドキュメンタリー。詳しい資料がないのだが、恐らく、数年間というかなりの歳月をかけて撮影しているだろう。ピアノを中心に添えた、イェウンの心と身体の成長が克明にとらえられている。そして、彼女を見守り続ける母もその過程で変化しているように見える。勇敢な格闘の記録。愛を糧に懸命に生きる少女の姿に圧倒された。
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ハート・オブ・ドッグ 犬が教えてくれた人生の練習
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映像演出、映画評論
荻野洋一
私の高校時代、L・アンダーソンがデビューした。1stアルバム『ビッグ・サイエンス』はロックから逸脱したNY派らしい前衛エレクトロとポエトリーリーディングの融合で、高校生の私は第2のニコが出現したと思った。この直感がのちに奇妙な感慨を呼ぶのは二〇〇八年、彼女がルー・リードと結婚したというニュースを見た時だ。私が彼女の音楽を聴いたのは高校時代だけだが、今こうして彼女と30数年ぶりに再会した。愛犬と夫ルーを悼むあまりにも美しく悲しげなシネエッセーにおいて。
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脚本家
北里宇一郎
こういう映画は、家族と友人と熱烈なファンを集めて見せればいいと思った。そう、閉ざされたプライベート・シネマなのだ。だけど、惹きつけられる。それは“死”と懸命に格闘しているから。“死”をどう受け止めようか模索している心の動き。それを、犬や母、自身の事故の体験を通して探り続ける。その混沌とした軌跡がコラージュ的映像で刻まれていく。そして最後にL・リードの歌声が。その時これが、ローリーの夫に対する深い哀しみと愛に満ち溢れた追悼の映画だと分かって。黙祷。
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映画ライター
中西愛子
NYアートシーンで活躍し続ける音楽家ローリー・アンダーソン。愛犬と戯れる、そんな何気ない日常風景から、縦横無尽に広がる発想を映像にしたためたシネマ・エッセイ。前半の9・11を契機に起こったNYの変化を見つめる思索の旅は、後半“死”というテーマが濃密に立ち込めるにつれ、アンダーソンの内的世界の物語に移行していく。撮影中、夫のルー・リードを闘病の末、亡くしたこともあるだろう。繊細に紡がれる映像と言葉と音楽のミクスチュア。感覚を研ぎ澄まして味わいたい。
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プリースト 悪魔を葬る者
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
いきなりイタリア語から始まって、かなり驚かされる。エクソシスト=悪魔祓いというのは韓国映画としては珍しい題材なのかもしれないが、善悪の極端な対立であるとか広い意味での「憑依」というのは、お得意のテーマなのではないだろうか? 話の展開も従来の「エクソシストもの」に則っており、言ってしまえばそれだけなのだが、後半ひたすら延々と続く悪魔祓いシーンの異様な迫力と、主演3人の熱演に見入っていると、ラストにド派手な見せ場が待ち受けている。カルト化必至!
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