映画専門家レビュー一覧
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王国(あるいはその家について)
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映画評論家
吉田広明
家族という閉域=王国、そこに生じる歪みを察知してしまった一家の友人によって一つの死が招かれる。その友人と画面には不在の死んだ幼女の二人がその王国の歪みを露頭させる存在だが、映画自体もリハーサルの設定で何度も台詞を反復し、増幅し、解析する装置となる。リハーサルの中で役者たちが変化しているという印象もあまり受けない(始めから完璧)ので、この設定が映画にとって必須だったのか(製作条件だったのかとは思う)若干疑問が残るも、この達成はやはり見事だと思う。
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最悪な子どもたち
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映画監督
清原惟
なんといっても俳優たちの顔だった。この顔の素晴らしさは、揺らぐことがない。彼らは施設や学校で探した演技経験のない子どもたちで、そのキャスティング力にも驚く。映画製作の持つ暴力性がテーマの一つだと思うのだが、撮影における倫理観を問うようなシーンにも、今一つ批評性に欠けるような感じもした。映画に参加することで、子どもたちが得たものがなんだったのか。それは大人たちや社会に認められることだけではなかったはずで、彼ら自身の喜びをもう少し見てみたかった。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
冒頭、オーディション風景に登場するフランスの小都市の荒廃した地域に住む子供たちの貌は初期のダルデンヌ兄弟の作品の子供たちに似ている。しかしドキュメンタリーの手法を駆使し、さらに映画撮影というシチュエーションを介在させることで、幾重にも〈虚〉と〈実〉の境界を混交させるスタイルは両刃の剣ではないか。作り手たちの〈リアル〉を追求する姿勢が却って対象との関係を曖昧にさせているのだ。ここに欠けているのは大島?のテーゼ「カメラは加害者である」という視点だと思う。
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映画批評・編集
渡部幻
素人を起用した劇映画撮影を巡る自己言及的な劇映画。現実生活に問題を抱える子どもに彼ら自身と似た役を演じさせ、プロの役者が映画監督を演じ、劇中で監督は子役らの“リアル”を取り込もうと一線を越える。現実と虚構の境界線を現代の基準に照らして自己批評しているが、後味は優しい。80年代の「子供たちをよろしく」「ピショット」「クリスチーネ・F」が素人の生々しさで驚かせたが、束の間、映画撮影の非日常を生きた子供たちの日常はその後どうなったのだろうと、当時想像したことを思い出した。
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VORTEX ヴォルテックス
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文筆業
奈々村久生
同じ空間を共有しながら別々の時間を生きる夫婦。人生の終わりに向かう日々を、複数の監視カメラ映像をスイッチングしつつモニタリングするようにつないでいく構成は、悲劇と呼ぶにはあまりにも写実的で等身大。そこにあるのは否応なく流れる時間の静かな暴力性だ。しかしすべてが終わったと見えたとき、エンドロールからの始まりを思い出して、時系列を逆にした「アレックス」の「時はすべてを破壊する」という言葉にたどり着き、時間に抵抗するノエの執着を思い知るのである。
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アダルトビデオ監督
二村ヒトシ
とてもつらい映画。頭が曖昧になって、いろんなことが次第にわからなくなっていくのに体は達者なのは本当にさみしい。頭がハッキリしてるのに体の自由が利かなくなっていくのもさみしい。がんこになるのもさみしいし醜い。むこうも中年になった昔からの愛人に、相手にされなくなるのも実にみじめ。過去の偉そうな仕事の実績が老いた自分を救ってくれるわけじゃないのもみじめ。いずれ老いゆく者、つまり現代の我々全員にとって必見の映画だと思ったが、あまりにもつらすぎて星は2つ。
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映画評論家
真魚八重子
ノエは時折ひどく切ない愛の映画を撮る。恋愛で相手を深く愛する者は、裏切られた時の心の痛みが尋常ではない。正気ではいられないくらいに傷を負う。本作はスプリットスクリーンで、夫のアルジェントがいまだに浮気をして、他の女性に依存している様子を写す。かたや妻のルブランは認知症が進行して徘徊や不始末を起こす。だが夫の大事な原稿を流すのは意図的だろう。彼女は憎悪するほどにまだ愛がある。ノエはまた、彼らの息子を麻薬の売人にし、愛の結晶も負け犬な人間に育つ現実的な苦みを描く。
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あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。
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ライター、編集
岡本敦史
落雷一発で現代から終戦間際にタイムスリップした女子高生が、特攻隊員と恋に落ちるというストーリーはいいとして(よくないか)、主人公がやけに物分かりよく戦中生活に順応するので、そのSF設定必要?と思ってしまう。6月なのに猛暑?とか、町のスケール感が全然分からんとか、投げやりな作りが目立ち、アイドルグループみたいな特攻青年たちの食堂コントもこっぱずかしい。戦中日本人のメンタリティ描写も「ゴジラ-1.0」薄さがマシに思えるほどだが、主演の福原遥はマジメに健闘。
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映画評論家
北川れい子
時空を超えた愛ですって? 聞けば本作の原作は、泣かせ本としてベストセラーになったらしいが、ホント、泣かせるのって簡単らしいわ。いや、観ているこちらは、あまりにも雑で無責任、かつ薄っぺらで鈍感な設定のラブストーリーに、泣くどころか、途中で何度も逃げ出したくなったのだが。不満分子の女子高生がなぜか戦争末期にタイムスリップ、そこで出会った特攻隊員と互いに惹かれあいましたとさ。特攻隊員の安易な描き方もさることながら、その甘っちょろい展開には言葉もない。
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映画評論家
吉田伊知郎
女子高生が戦中にタイムスリップして、特攻の母がモデルとおぼしき食堂で働きながら特攻隊員と恋に落ちる。しかし、足を露出した制服でうろついても誰も訝しく思わず、よくスパイ容疑をかけられなかったもの。空襲シーンもご都合主義の恋愛描写に絡み取られ、食料を失った喪失感も描かれず。山田太一の『終りに見た街』のように、現代の若者が戦時教育に染まる恐怖を描くわけでもなく、泣きながら特攻を見送って神格化。言わば「俺は、君のためにこそ死にに行く」のジュブナイル版。
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市子
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ライター、編集
岡本敦史
杉咲花のボソボソ声は、いよいよ芸になりつつある……という感慨はさておき、「嫌われ松子の一生」みたいな話かと思ったら中盤からは宮部みゆき風の本格ミステリ展開になだれ込み、ぐっと面白さを増す。ただ、原作舞台では問題なかったのに映像では計算違いが生じたような場面もちらほら。特に序盤の子ども時代パートはその感が強い。また「見せずに想像させる」演出も場合によっては効果的だが、ある重要な登場人物に関しては、その人格や生活を省くべきではなかったと思う。
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映画評論家
北川れい子
衝撃的な面白さということで言えば、「市子」は、06年度のわが日本映画ベスト1の「嫌われ松子の一生」に勝るとも劣らない。ちなみに松子の姓は川尻で、市子の姓は川辺。どちらもありふれた姓名だが、姓名からして妙に似通っているのも衝撃度を倍増する。基は本作の監督・戸田彬弘が主宰する劇団の舞台劇だそうだ。突然姿を消した市子のそれまでの人生を、時間軸を何度も前後させながら手探りするように描いていくのだが、見えてくるのは、市子の行動だけ。すべてが別格の痛烈な秀作だ。
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映画評論家
吉田伊知郎
不意に人が姿を消し、身近な者が行方を追うと意外な過去や経歴が明らかになる。各時代に関わった人々の視点から不在の主人公を浮かび上がらせるというのは映画が繰り返し描いてきただけに新味は薄い。ロケセットを生かした撮影は際立つものの時代色はどの年代も薄く、コロナ時代を取り入れて空間的な広がりをもたらすような飛躍が欲しかった。市子を追うのは男ばかりで女性は脇にしかおらず、〈俺たちの市子〉が前面に出てしまう。誰が市子をこんな薄幸な目に遭わせるのか。作者だ。
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ウォンカとチョコレート工場のはじまり
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翻訳者、映画批評
篠儀直子
この監督の「パディントン」シリーズを熱愛する者としては、やや優等生気味な作品に感じて物足りなくも思うけど、楽曲と振り付けのチャーミングさだけに頼らず、撮影と編集でも映画を踊らせるのはやはりさすが。撮影監督はパク・チャヌク組の人、美術監督はクリストファー・ノーラン組の人という、豪華布陣のスタッフワークも見どころ。SNLで物議をかもしたT・シャラメだが、この作品での彼はキャリア史上最高級と言っていい出来栄え。H・グラントのウンパルンパは反則級の可笑しさ。
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編集者/東北芸術工科大学教授
菅付雅信
ロアルド・ダールの児童文学『チャーリーとチョコレート工場』に登場する菓子職人ウィリー・ウォンカ。若き日の彼が自身のチョコレート工場を作るまでを描くファンタジー。主演がティモシー・シャラメ、共演がオリヴィア・コールマン、サリー・ホーキンスとシネフィルにはたまらない顔ぶれなのだが、ティム・バートン監督作ジョニー・デップ主演の「チャーリー?」と比較すると、イメージや演技に「跳び」のない凡庸な出来。小人ウンパルンパを演じたヒュー・グラントの「小人でもヒュー様」な演技に星ひとつ追加。
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俳優、映画監督、プロデューサー
杉野希妃
ティム・バートンのクセも毒気も強い世界観が好きな人間はどうしても比較してしまうが、本作は万人受けを狙う王道なミュージカル映画。天才チョコレート職人ウォンカのピュアな子供心と、ウォンカを陥れる悪意の対決は終始安心して見ていられる分かりやすさで、子供たちにもぜひおすすめしたい。ティモシー・シャラメがジョニー・デップに引きずられることなく実に素直にウォンカを演じていて、イノセントな美しさを放っている。ヒュー・グラント扮するウンパルンパは出色の面白さ。
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メンゲレと私
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映画監督
清原惟
収容所生活を生き延びたダニエル・ハノッホさんの語りと、当時のニュースやプロパガンダ映像だけで構成された、シンプルな映画。終戦直後に食料よりもまず鉛筆と紙を求め、一晩中文字や絵を書いたという話に、彼の人間として生きていくことへの強い信念を感じた。迫害されたユダヤ人たちが船で、希望を背負ってパレスチナへと渡っていく話は、そこから今起きている戦争の出口のなさについて思い巡らすことになり、胸が痛い。メンゲレの話が中心ではなく、邦題に少しズレを感じた。
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編集者、映画批評家
高崎俊夫
「SHOAHショア」以後、ナチスによるユダヤ人強制収容とホロコーストの全貌を伝えるのは当事者によるインタビューだけであることが立証されたかにみえる。だが、その唯一真正なる語りはいかに継承され得るのか。91歳のダニエルには最後の生き証人としての決然たる覚悟が窺えるが、彼を寵愛したメンゲレ医師が1400組の双子を縫合する手術を施したという証言には言葉を失う。アドルノの箴言を俟つまでもなくアウシュヴィッツとは未来永劫に亘って失語症を強いるおぞましさの表象なのだ。
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映画批評・編集
渡部幻
ホロコーストを生き延びた者たちには当時の子どもたちもいる。だからぼく自身が幼い頃は、今は大人であろうかつての子どもたちの記憶に想像を巡らした。だが、そうしたチャイルドサバイバーの研究が加速したのは21世紀だという。「メンゲレと私」はそんなリトアニア人少年の一人たる「私」に取材したドキュメンタリー映画。解放時まだ13歳だった少年は地獄をどのように受け止め、分析し、生き抜いたか? 今は老人の「私」は語る—「カニバリズムを目撃した人間は、何を抱えていると思う?」。
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怪物の木こり
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ライター、編集
岡本敦史
亀梨和也の怜悧な人でなしぶり、睫毛の先まで神経が行き届いているかのような一挙手一投足にただ見惚れるばかり。美しく後手に回るプロファイラー役・菜々緒もキャリア最高の輝きを放っている。三池崇史監督の堂々たる職人的演出も快調だ。とはいえPG-12なのでR指定級の過激さは抑えられ、ストーリーも全国区向きだが、それでも日本のメジャー映画としては最上級の画作りが拝める快作。背広のくたびれ刑事たちが居並ぶ三池ノワール・ショットには久々にワクワクした。
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