映画専門家レビュー一覧

  • グランドフィナーレ

    • 映画監督、映画評論

      筒井武文

      音楽家や映画監督、伝説的なサッカー選手まで、避暑地に集め、芸術家の苦悩を描く時代錯誤な企画。フェリーニとヴィスコンティを7:3でブレンドし、ベルイマンを数滴垂らしたカクテルだが、さらに大量の砂糖とクリームが加えられている。飲めたものではない。どういうショット構成にすれば、思いのままのイメージが表現できるか知り尽くしている監督だけに、忠告は無駄だろうが、シーン内でドラマが展開しきらず、思わせぶりで終わっている。それにしても名優たちの無駄遣い。

    • 映画監督

      内藤誠

      引退した音楽家マイケル・ケインと遺作映画を撮ろうとしている監督ハーヴェイ・カイテルが主演では、シブ過ぎると思っていたら、物語も仕掛けも派手な作品。舞台はトーマス・マンが『魔の山』を執筆したアルプス山麓の高級ホテル。登場人物もマラドーナ本人出演の肥満男をはじめ、カイテルに向かい、「あんたのクソったれ映画なんかなくっても、人生は続くのよ」とハリウッドからわざわざ言いにきて、映画をぶちこわす女優のジェーン・フォンダなど、全篇が目まぐるしい娯楽映画だった。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      物理的に衰えた肉体を丹念に写しとることで徹底的に老いと向き合いながら、そこに新たな美が形成されていく。最もビジュアル的な現象の一つである老いを、年齢を重ねた人物を画面に登場させるだけで語ろうとするのはあまりに無頓着に思えるほど。女性マッサージ師の素手でもみほぐされる老境の音楽家の肌、マラドーナを思わせる巨漢の男の体積と重力たるや。西欧的ステレオタイプな美の価値観を集約したようなミス・ユニバースの若さにあふれた肢体よりもずっと豊かで雄弁だ。

  • 獣は月夜に夢を見る

    • 映画監督、映画評論

      筒井武文

      北欧の低い彩度でのもと、思春期の少女の危うい感じが定着されてはいる。触覚的な感覚描写は悪くなく、自分自身が異物になっていくときの恐怖感も出ている。ただ作り手が何を狙っているかが初めから前面に出過ぎ、ミステリーとしては意外性がなく、ホラーとしては平凡。女性の内的な獣性を描いた象徴的な通過儀礼と捉えるなら、見どころはある。ただ現実と幻覚の境の曖昧さといった両義性に欠け、陰鬱な村の環境描写も図式的で、映画としての自由な解釈を遮ってしまう。

    • 映画監督

      内藤誠

      このところ北欧作品としては西部劇からホラーまで、ジャンル映画の異色作が続々と登場してくる。これもその一つで、ヒロインが吸血鬼とは似つかわしくない少女で、魚解体の仕事を黙々とする。映像がドキュメンタリー・タッチなので、あっけにとられていると、そのリアルさが徐々に効果を生み出し始める。ラース・フォン・トリアーの美術スタッフ出身だけあって画面は鋭角的で、身体性があり、全篇、寂しさが漂う。北欧にも狗神筋というものがあるのだろうか、日本人には分かりやすい。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      福祉国家のイメージが強い北欧のダークサイドや、閉ざされた共同体での差別や排斥を描くことは、目新しい試みではない。呪われた血筋から少女の体に現れる異変を、思春期の女性の肉体に起こる変化のメタファーとして語るにも、19歳という年齢設定は高めに思える。ヒロインを演じたソニアの感情表現に乏しく危うい存在感はミステリーを煽り、北国独特のクリアだが鬱屈とした空気をとらえた海や光の映像美は際立っているが、雰囲気にとどまっているようなところが惜しい。

  • ハロルドが笑う その日まで

    • 映画監督、映画評論

      筒井武文

      これはイケア批判なのか、それともPRなのか。家具をめぐる二つの価値観を等距離で見つめているところに、この作品の面白さがある。イケアが隣に創業したことで閉店に追い込まれた伝統的な家具店主ハロルドのイケア創業者カンプラード誘拐計画の珍妙さ。それでも思いがけず出会った二人のずれっぷりが、映画を予測困難な展開に導く。彼の息子や共犯者となる女性のキャラも面白く、特にカンプラードの狸おやじぶりは見物。ノルウェーとスウェーデンの差異が判れば、さらに面白そう。

    • 映画監督

      内藤誠

      大型チェーン店イケアの進出で、手造り家具店をつぶされ、長年連れ添った愛妻にも先だたれたハロルドがキレまくる出だしは名優ビョルン・スンクェストの独壇場。彼の憎しみのターゲット、イケアの創立者役、ビヨルン・クラナートといい、氷結した湖にまでつかり、北欧のシニアたちは元気がいい。作品中、いくつかの家族の悩み多き事情が出てくるけれども、淡々と笑わせる演出で、観客の想像にまかせているのが巧妙。それにしても、悪口も出てくる物語に撮影を許可したイケアはさすが。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      失業と妻の死というハロルドを襲った不幸の大きさ、彼のやろうとしている復讐の物騒さと、オフビートな語り口や映像のテンションが釣り合っていない。彼の行動自体は行き当たりばったりであっても、悲劇をコメディーにするなら、足し算にしても引き算にしてももっと慎重に計算する必要がある。フィクショナルにしたいのかリアリズムでいきたいのか中途半端なビジョンのまま不用意に他人に銃を向けたり発砲したりするものだから、うかつに笑えないばかりか抵抗すら覚える瞬間も。

  • スポットライト 世紀のスクープ

    • 翻訳家

      篠儀直子

      大スクープでも記者たちははしゃぐ気持ちになれなかったはずで、映画もそれを理解して奇をてらわぬ見せ方。テンポのよさで観る者を惹きつけ、ラストのまとめ方も上手い。M・キートンがブンヤらしさの出たイイ顔。だが「個人ではなく教会の隠蔽システムがわれわれの標的だ」と繰り返されるわりに、システムとそれを支える勢力の手強さと怖さがほとんど描かれないのがひどく奇妙だ。一瞬だけ登場する元神父の言葉と身体が、この穏健な映画にあって唯一の生々しい映画的瞬間を形成する。

    • ライター

      平田裕介

      奇をてらわぬ、実直でオールドスクールな語り口。だからなのか、足でネタを集める記者たちの悪戦苦闘、カトリック教会のアンタッチャブルぶり、癒えることのない被害者の怒りと哀しみがジワリとズシンと伝わってくる。ただし、神父たちを小児性愛に走らせるカトリックの病んだ構造にもう少し踏み込んでもいいし、ジャーナリズム美化映画に終わっているきらいもある。それはともかく、記者たちが机を囲むキー・アートは、年度末の納会で宅配ピザを待っている感じにしか見えず。

    • TVプロデューサー

      山口剛

      アメリカ映画には「新聞記者もの」というジャンルが確立している。社会の木鐸といった悲壮な正義感でなく、彼らの身上がタフなユーモアなのはラニアン、ラードナー、ウィンチェルたちの伝統かもしれない。牧師たちの児童虐待という陰惨な事件がテーマではあるが、記者たちの活躍がサスペンスフルに描かれる。的確な演出もいいが、特筆すべきはキャスティングだ。人気スターを集めるだけでなくアンサンブルが見事。マイケル・キートンとマーク・ラファロの芸域の広さに驚嘆。

  • 女子高

    • 評論家

      上野昻志

      なんか無理してるなぁ。女子校のクラスメイト間のイジメや嫌がらせを背景に、ミステリー仕立てにしているのだが、ミステリーにしては穴が多すぎる。まあ、拳銃で撃たれて流された血が、すぐ後には、まるで無かったかのようにキレイになっているのは、ご愛敬だとしても、小柄なあの子が、自分より背の高い彼女を、どうやって、あんなふうに片付けられたのか、そっちのほうがミステリアス! それに、一番、性格の悪そうな美冬から、純な愛について聞かされても、にわかに頷けない。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      もともと舞台劇だったそうでたしかにそんな感じ。発端であり現在時制である場(同級生が集う廃校の教室とそこでの芝居)にこそ妙な存在感がある(あくまでも、この映画の他の回想場面に比べると、という意味)のは作品としてはそこがベースであるためか。ミステリーの舞台劇というのはいまも普通につくられているものなのか。とりあえず謎に引っ張られて観ちゃう。面白くなくもない。しかし女子高の同級生が集うことのなかに割りと平然と拳銃が出てくることの違和感は消えなかった。

    • 文筆業

      八幡橙

      「サニー 永遠の仲間たち」の“暗黒版”的な趣き。舞台劇の映画化だけに、廃校に6人が集い、事件が起こり、過去へと遡る密室サスペンス風開幕から、謎の転校生の腹黒さが見え隠れする中盤までは興味を惹きつけられた。ただ、終局に向かうにつれ主要人物たちのキャラクターにブレが生じて、肝心のオチ含め、もろもろムリがある感が否めず。女子ばかりの群像劇ゆえ、より微細に各人を描き分け、全員に疑うべき動機を持たせ最後まで撹乱し続けてほしかった。高田里穂と泉はるがいい。

  • 無音の叫び声

      • 評論家

        上野昻志

        まず、冒頭で読まれる稲の詩に惹かれる。作者は、山形県上山市牧野で農業を営む木村迪夫さん。それは、田の代掻きをし、苗を植え、その生育に心身を砕いてきた農民なればこそ見、かつ詠み得た詩であろう。だが、稲を見つめる迪夫さんの視線は、身近な対象から、遙か遠くにまで及んでいる。三十二歳で戦死した父の時代から、彼自身が生きてきた戦後の現在まで。本作は、そのような農民詩人の歩みを捉えているのだが、ドキュメンタリーとしては、いささか踏み込みが弱い。

      • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

        千浦僚

        「1000年刻みの日時計」の根本にこのような農民詩人の存在があったことを知らなかった。本作の主人公である農民詩人木村迪夫氏の作品はそれ自体がドキュメンタリーだ。世の下層に置かれることへの抗議、農業を営むゆえに知り得た自然の様相についての報告が木村氏の詩だろう。同人誌『雑木林』のバックナンバーや、農民画家草刈一夫氏の絵画の、映ったときに画面を圧する迫力に感銘を受ける。自分に文章を書く機会があることを有意義に成せていないことも恥じた。

      • 文筆業

        八幡橙

        山形の農民詩人、木村迪夫が朴訥と、それでいて痛烈にことばに込め続けてきた思い。叔父と父を戦争で亡くし、農業の傍ら東京に出稼ぎし、ごみの収集をも生業にしながら生き抜いてきた彼が、率直に語る戦争への憤りや社会に投げかける疑問をそのまま、まっすぐに映し出してゆく。タイトル「無音の叫び声」に繋がる、叔父の遺骨を探しに行ったウェーキ島で目にした光景、その燃え尽きて行く累々たる骸(むくろ)の壮絶さが、ラストの牧野村を詠んだ詩とともにしっとりと重く脳裏に残った。

    • モヒカン故郷に帰る

      • 評論家

        上野昻志

        松田龍平の魅力満杯、という以上に彼の物語を牽引する力に脱帽する。何か意見を求められると、考える振りをしながら、まともなことは何も言わないくせに、無言の力がある。ただ、それで引っ張られる映画も、終わりの方は、グズグズと失速する。それは、お話に較べて映画が長すぎるからだ。途中、柄本明が、点滴の器財を引きずりながら、病院の屋上から、離れた学校の屋上に集まった吹奏楽部の生徒たちに指揮をするという、空間配置がとても素敵なシーンがあって、楽しいのだが。

      • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

        千浦僚

        過去作「キツツキと雨」を思い出す。あの映画でパラレルな関係性として描かれていた父と子の関係の話が全面展開しているのが本作。父の衰亡を?みしめる子の風情が良い。「カルメン故郷へ帰る」と「モヒカン故郷へ帰る」は二本立てで上映されるべき。そうすれば、例えば、日本が上向きに成長していた時代には都市に行って突飛な風俗に染まって故郷に帰ることに活気があったが、今の時代では都会で人は疲弊していてむしろ高齢化以外は潜在力ある地方に戻って何かを得る、とか感じそう。

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