映画専門家レビュー一覧

  • 我が心の香港 映画監督アン・ホイ

    • 文筆業

      八幡橙

      「女人、四十。」の主演、ジョセフィーヌ・シャオは、作中こう語る。「映画監督を神だという人も、犬だという人もいる。アン・ホイは、長らく神と犬の間でバランスを取ってきた人だ」と。「アン・ホイ監督が60歳のとき、“女に映画は撮れないとまだ思われてる”って笑いながら言ったの」とのカリーナ・ラムの発言も興味深い。神と犬の間で、女と男の間で、家族や仲間と孤独の間で、闘い続けてきたのだろうアン・ホイの、「香港のために映画を撮り続けたい」という言葉が今こそ強く響く。

  • これは君の闘争だ

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      ブラジルの高校生は元気だ。学生運動に参加する若者の生の声が聞ける。殺伐としたデモの合間にキスする恋人たち。若いっていいなと単純に思う。出てくる女の子たちが、みんな元気で可愛い。大人たちはみんなずるくて汚くて、精彩がない。政治って難しくないんだ。ただ理不尽なことに声をあげるってことなんだ。声をあげることが大切なことだとつくづく思う。結局大人の力に負けていくところ、悔しくて仕方なかった。頑張れと応援したくなる。俺もなんか頑張ろう。

    • 文筆家/女優

      睡蓮みどり

      マイクパフォーマンスのようなナレーションが心地よく、流れるようにあっという間に時間が過ぎていく。必要以上に説明的なナレーションにうんざりさせられることが多いなかで、この魂の叫びのナレーションは素晴らしい。ブラジルの高校生たちが闘い、自由を?み取ろうとした記録映像をより一層意味のあるものに変えていて、それはこれがどこか遠い国の関係のない出来事だとは言わせない力強さを持つ。編集のエンタテインメント性も高く、始終作品に引き込まれていた。

    • 映画批評家、東京都立大助教

      須藤健太郎

      ここには怒りがあり喜びがあり、絶望があり希望があり、高揚があり、熱気がある。だが、大事なことはただひとつ。自分のことは自分で語るということだ。他人に語る筋合いはない。これは私だ、だからこれを語るのは私だ。これは君だ、だからこれを語るのは君だ。集団とは名を持つ個人の集まりだとこの映画はいう。声を吹き込み、映画の中心をなす3人、インタビューに応じた多くの学生、そして闘争のさなかでカメラを回し記録を残したカメラマンたち。最後に名が順に記される。

  • シノノメ色の週末

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      生徒数減少による経営困難で廃校となった良妻賢母が校訓の女子校、雑誌モデル、ギャルブランド、MDプレーヤーとMDディスクなどなど。この10年間に「失われたもの」をただ否定するのではなく、愛着を込めて弔うかのような監督自身による脚本が秀逸。同窓生3人だけの内輪の物語に閉じずに、中井友望演じる現役女子高生、工藤阿須加演じる広告会社の上司ら、実在感のあるキャラクターによる外部からの視点の導入も効いている。ニーチェのくだりは少々すべっていると思ったが。

    • 映画評論家

      北川れい子

      女子高の卒業時に3人でどこかに埋めたか隠したはずのタイムカプセル。その場所を、10年後に再会した3人は、誰も覚えていない。そんなもん? で闇雲に校庭のあちこちを勝手に掘り返し。廃校となり、近々取り壊される女子高。それぞれにいまの自分に自信をなくしている彼女たちは、週末になると無人の校舎に忍びこみ、持参した女子高の制服に着替え、ハシャいだり。20代後半、希望は過去にしかないのか。スケッチふうな場面が多く、大したことは起こらないが、終わりはスッキリ。

    • 映画文筆系フリーライター退役映写技師

      千浦僚

      だいたいここ二十年で数千本の新作日本映画を観ているが、そこでは延々とひたすらに若者たちが人生を模索し、学校生活や働くなかでの悲喜交々と自己実現の困難が表され、人生八十年、百年時代としてはまだ若者の部類にある人物らが手に入れた短い過去に対してやたら回顧的になるという印象がある。別に悪いとは思わないがこの方向性の不滅は何なんだろう。そこには時代論のようなものと個人的な物語の二種があるが、後者が特に劣るわけではないことは本作を観ると感じられる。

  • ボクたちはみんな大人になれなかった

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      まずは、長篇初監督作とは思えない洗練された作品のルックや編集の巧さに感心させられた。一方で、原作の脚色としてこの方向性は正解だったのだろうか? 痛切な悲恋ストーリーとして普遍性の高いコールガール(SUMIREが好演)とのエピソードは表面をなぞっただけで、大根仁作品にも通じる、自己批判や客観性を欠いた気恥ずかしい90年代サブカル懐古主義的な原作の側面が強調されている。そこにまだ商品価値があると思ったのなら、時流を見誤っていると言わざるを得ない。

    • 映画評論家

      北川れい子

      時系列を小刻みに過去へと戻しつつ、その都度、現在に立ち返るという進行はいささか煩わしい。けれども46歳独身の主人公の個人史のなかに、観ているこちらのノスタルジーと気恥ずかしさを誘う確かなリアリティーがあって、まるで時代の揺りかごに乗っているよう。“汚れっちまった悲しみに?今日も小雪の降りかかる”とは、30歳で亡くなった中原中也の詩だが、未熟なまま歳だけとってしまったのは決して〈ボクたち〉だけではない。自嘲でも甘えでもないやるせなさ。俳優陣がみないい。

    • 映画文筆系フリーライター退役映写技師

      千浦僚

      私は原作者燃え殻氏より二歳年下、森山未来演じる佐藤の一歳年上、本作中の時代風俗と気分が記憶にあり体感としてわかる。自分の若き日々、90年代が、完全に時代考証のうえで再現される時代劇と化したことに思わず笑う。だからこそこの映画にかこつけて自分語りはするまい。作中の時代がリアルタイムでなかった人たちが眺めるためのグラフィティだと思った。「糸」「花束みたいな恋をした」路線に加わる佳作だがサブカル的自意識の苦しみと、回顧の叙情は先行二作を超える。

  • アンテベラム

    • 映画評論家

      上島春彦

      民族にはそれぞれ固有の悪夢がある。アフリカ系アメリカ人には奴隷制がそう。突飛な趣向で闇の世界への現代人の「恐れというより欲動」を暴いた「アス」の製作チーム、今回の冒険はアンテベラムの時空間構築。この闇は深いぞ。タイトルの意味は知らずに見るのがお勧め。トリックは書けないが原理は単純。しかしその効果は絶大だ。仕掛けがバレていく、その過程が面白い。ポイントは主人公じゃなくて、もう一方の一人二役。私はかなり後まで気づかなかった。かえってそれが面白い。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      二転三転する捻りのある展開は確かに映画として娯楽性が高い。南北戦争時代のプランテーションのパートは過去に幾度となく観てきた黒人奴隷制度における凄惨さの再演だが、学者で作家でもあるエリートの主人公が生きる現代パートとの対比が効いている。しかし終盤の白人と黒人のあまりに単純明快な敵対関係は戯画化され過ぎており、かつさらにこの時代にそれを女たちに実演させてしまうのだからそこに関しては地獄絵図でしかない。直近の「キャンディマン」の方がよほど聡明だろう。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      ジャネール・モネイにカメラを向けて録画ボタンを押すだけでもそれなりに面白い映画が撮れてしまうはずだ。それなのにこの映画はべらぼうにつまらない。それは本作の制作者がひとりよがりな正義と偏った思想を振りかざすことに夢中で物語ることを放棄しているからかもしれないし、あるいはエンタメという名のもと、軽蔑すべき方法で悲劇的な史実をあつかい、冒?しているからかもしれない。いずれにせよ本作が後半で見せる「解決」は更なる世界の分断以外の何をもたらすのだろう?

  • リスペクト(2021)

    • 映画評論家

      上島春彦

      先日鑑賞したアレサのドキュメンタリーとリンクするクライマックスに驚く。そこでも妙に抑圧された雰囲気の彼女。そういうわけか、と初めて納得。彼女を抑圧する親父フォレスト・ウィテカーも好演だ。それにしてもアレサが「望まれない妊娠」の当事者だったとは知らなかった。彼女に取りつく「魔」もそこに起因する問題かも。名門コロムビアに録音した〈ネイチャー・ボーイ〉で芽が出ず、新興アトランティックの〈ナチュラル・ウーマン〉で大成功とはまさに出来過ぎの実話である。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      起床=目覚めから始まる開巻の凡庸さに一抹の不安をおぼえたが、アレサ・フランクリンを演じるジェニファー・ハドソンの歌唱力と存在感は、文句なしに素晴らしい。しかし直近で公開されたブラック・ミュージックのドキュメンタリー映画「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」の熱気が記憶にまだ新しく色濃いために、劇中で挟み込まれる当時の映像やエンドロールでの本人の熱唱と比較してしまうと、映画自体の持つ強度がいささか弱く感じられもする。

    • 映画監督

      宮崎大祐

      あの神秘的な体験をどう言語化したら良いだろう。たしかなのは本作鑑賞後、試写室のある青山通りから地下鉄に乗り、電車が多摩川を渡るまでの間、筆者の頬をあついものが流れ続けていたということだ。一度は神を殺しておきながらもまた神と生きざるを得なくなった弱くて自分勝手な生物が、アレサ・フランクリンという預言者を通して己の存在を受け取り直し祝福する姿は、名だたる宗教芸術にも引けを取らぬ、人類が育んだ文化の極点であり、何という恵みだと呟かずにはいられない。

  • 花椒の味

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      全体的に画面がテレビドラマ的に見えたことや、不在の父のイメージがあまりにも頻繁に出現するせいでここぞという場面での感情の盛り上がりがやや削がれてしまった点は気になったが、容姿性格ともにわかりやすく描き分けられた主人公たち三姉妹は、それぞれにキャラが立っておりいずれも魅力的。2019年に香港、台湾、中国がほのかに重ねられた三姉妹の育む友情をユーモラスに撮るという試みは、その後の香港情勢とは異なるあり得たかもしれない未来を想像させる点でも貴重。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      不仲だった父親の死後、異母姉妹に出会ったり、父の火鍋屋を引き継いでみたりと、様々な交流を通して自分の知らなかった父の側面と愛を知る娘たちの物語。ただ、いささか安易な表現が多く、例えば、悩んだり失敗したりするたびに死んだはずの父の幻影が出現するのはかなり疑問。また、いつまでも世話を焼いてくれる孫に対して、あえてひどいことを口にし嫌われることで孫に自分の人生を生きさせる粋な祖母の場面は、あまりにも通俗的で俗情的な語り口になっていると思う。

    • 文筆業

      八幡橙

      それぞれに欠けていた亡き父との時間や思い出を、初めて顔を合わせる中で補ってゆく異母姉妹たち。記憶の断片を持ち寄って、つぎはぎながら幻の父を完成させてゆく。姉妹三人のキャラクターが生きていて、長女役のサミー・チェンの表情に何度もぐっと来た。「赦し」が一つのテーマであり、生きているうちに思っていることをしっかり伝える大切さを説く一方、たとえ亡くしてしまっても、そこから通じ合う思いもあると、観る者にそっと語りかける。ひたひたと、沁み入るような映画だ。

  • ほんとうのピノッキオ

    • 映画監督/脚本家

      いまおかしんじ

      人形の生々しさにギョッとする。特殊造形の力が大きいと思うが、ピノッキオが本当に生きているようだった。巨大な魚のお腹の中にいくところ、子どもの頃行ってみたいという憧れがあったのを思い出した。ピノッキオが妖精とか色んな人たちと出会って、助けられて成長していくって話だと思うのだが、成長が見えないっていうか、そもそも彼は何がしたいのか。人形でいることの不幸と人間になることの喜びが見えなかった。でも、もう一度ピノッキオを読み直してみようと思った。

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