映画専門家レビュー一覧
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SNS 少女たちの10日間
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映画監督、脚本家
城定秀夫
現代に生き、インターネットの恩恵を享受している者として児童に対する男性の身勝手な性欲がSNS内にはびこっている事実は認知しているし、この映画の中で起きていることも想像の範囲内には収まっているものの、真正面からその生々しい事象を見せつけられると流石に生理的にキツいものがあり、観客にかような感情を喚起させる映画的意義は疑わないが、合成とはいえ少女の裸の写真を送り変態男を釣り上げる等、リアリティーショーとしてのエンタメ性にはわずか引っかかりを覚える。
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カリプソ・ローズ
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
自分の曲に新しい命を吹き込む。自身の過去の楽曲のレコーディング風景から始まる本作は、他人の土地で他人の言葉を使って歌うことに疑問を呈するカリプソの女王の誕生秘話、そして先祖、アフリカ・ベナンまで遡行していく旅の物語である。日常の出来事や政治など、いま起きていることを歌という形で口頭伝承するカリプソ。そのリズムやシンコペーションは個人の感覚を超えた、身体に無意識に備わった先祖が経験してきた哀しさである。類共通の民族の移動と伝承を考えざるを得ない。
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フリーライター
藤木TDC
楽しい音楽ドキュメント。海と夏の日差し、そしてスカやソカやレゲエなど自然に体が揺れるカリブ音楽にのせ語られるカリプソ・ゴッドマザー一代記。パリ、NY、そしてベナンの奴隷港までたどり着く公演とルーツ探しの旅は70歳超とは思えないバイタリティ。ライブシーンもノリノリで映像中の聴衆のように映画館の観客も冷たいビールやカクテルを飲みながら見られれば良いのだが。「スティールパンの惑星」に次いで配給のトリニダード・トバゴ映画。この国の映画はもっと見たい。
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映画評論家
真魚八重子
話題が散漫に登場し、まとまりに欠ける作品だ。性差別や性的虐待などの大きな問題や、アフロカリビアンが根本に抱えた人種差別の物語といった、テーマ性はそれぞれに重要なのに、映画は粘らず次から次へと話が移っていってしまう。大御所女性歌手を取り上げた作品では、「マ・レイニーのブラックボトム」のようなフィクションの方が、テーマの焦点を絞り自由に語れるようだ。本人登場によって気を使い、切り込みができなくなり撮れた素材だけをつないだのではと勘繰りたくなる。
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グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
凄まじく豪華な俳優陣。小難しいものや大げさなアクション、回答が出ない社会派や法廷ものなど、食傷気味になりがちな昨今、一見バカバカしいエンタメのこのような作品があっても良いはずだ。現場は相当楽しかったはずで、そのことが伝わってくる。実は単純で複雑な家族関係。誰もが共感できるような最大公約数的な内容。そして何より映画の内容より、役者はどんなに大物になってもどんな仕事でも全力でこなすべきで、それは若い役者や映画関係者に大きな励ましにもなるだろう。
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フリーライター
藤木TDC
デ・ニーロの好々爺は悪くない。むしろ今後は強面役をやめてずっとこのキャラでいい。その演技にはアウトロー男優が晩年に愛嬌ある役に転じて生ずる微笑ましさと安心感がある。それも一種の映画的快感だ。そして本作にはそれ以上の興味が湧かなかった。ベタなギャグにドリフや志村けんほど破壊力はなく、シーンごと状況を誇張する安っぽいBGMが重なり今どきの地上波テレビドラマ風で不快。まったく私好みじゃないが、低年齢性や無毒感が受けてヒットする可能性はあるんじゃないの。
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映画評論家
真魚八重子
ギャグが80年代のコメディ映画のような幼稚さ、古さ。ロバート・デ・ニーロは時々こういった映画に出るが、質も問わないワーカホリックなのかと思う。たわいない理由で孫と家庭内戦争を始める祖父という、大人が子どもをあやす前提にしてもベタなドタバタすぎて冷めてしまう。デ・ニーロが妻を亡くしたばかりという設定も効果をあげていない。「ディア・ハンター」のデ・ニーロとクリストファー・ウォーケンの記憶を汚さないでほしいと思うし、ウォーケンの怪演のさせ方も安易。
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ブックセラーズ
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
本が消失すれば歴史が消え人間が消える。多民族が住んで「文化の十字路」と呼ばれていたボスニア紛争時に、国会よりどこより最初に攻撃されたのが、国立図書館だった。オスマン時代の500年もの歴史が灰燼に帰した。ブックマーケットやオークション形態のネットによる変化や、メモやノート、エフェメラなど思考の過程など、およそ書籍やその執筆の思考過程における考察などが縦横無尽に展開していく。ボルヘス『砂の本』のように永遠に循環し増幅する世界。本とは身体論だ。
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フリーライター
藤木TDC
希少古書は絵画や工芸品と違って外観だけでは骨董価値が分かりにくく、価値の丁寧な解説が必要になるが、その点を視覚化する演出を怠っており、なぜその本が数千万ドルもするのか理解が難しい。また古書籍商の世界の面白さは客の偏愛趣味と一体で成立するのに客側の描写も手薄だ。私が出版界にいて知人に収集家がいるための先入観かもしれないが、同じ業界なら日本の状況のほうが複雑かつ屈折し、広がりと多様性がある気がする。いずれにせよ大画面で見るほどでもなくテレビ向け。
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映画評論家
真魚八重子
古書の売買や個人書店といえば癖が強そうなわりに、いまいち薄味で深部に辿り着かない物足りなさがある。インタビュイーの活動履歴や由来を語らないのは、ネットフリックスのドキュメントでもよく見かける手法なのだが、流行なのだろうか。作り手に欲がなく、経済的背景などの下世話な話題では立ち止まらないお上品さ。希覯本の話で思うのは、結局のところ古書店は中継地点でしかなく、とり憑かれたコレクターとは一線を画すことだ。全体にほどほどクールでありつつ凝ってはいない。
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スプリー
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
『ストレンジャー・シングス』のスティーブが当たり役となったジョー・キーリーが、Uber的サービス(タイトルの「スプリー」はその会社名)のドライバーとして迷惑系YouTuber的行動(劇中のモチーフはインスタライブだが)を重ねていく、極めて今っぽい作品。ストーリーは早々と非現実的な方向に転がっていくが、ソーシャルメディア社会の自己承認欲求モンスターの生態自体が非現実的なほど滑稽であるという批評にはなっている。それを映画で観たいかどうかは別の話だが。
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ライター
石村加奈
SNSの恐怖と不条理を描いた、新感覚ジェットコースター・スリラー。画面に表示される、理不尽なフォロワー数の増減が、生々しい。車に取りつけられた夥しい数のカメラのチープな映像もリアルだ。人生の一発逆転をかけて、暴走する若き主人公カートの不穏さがジョー・キーリーの持つ魅力と相まって、目が離せない。カートに立ち向かうコメディアン、ジェシー・アダムスを演じたサシーア・ザメイタとのバランスも絶妙だ。ユージーン・コトリャレンコ監督の練られた脚本力に興奮。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
SNSでバズりたいカートが実行するライドシェアを使った殺人生配信。それをスマホの画面やGoPro映像だけで構成、「ありふれた事件」「サーチ」などPOVサスペンスを思い出す。ネタ系動画制作者は、仕込みと現実のギリギリを狙うセンスが問われると思うのだが、それがない者はマジを捨て身でやるしかない。SNSが生んだその「いいね」至上主義の滑稽さが全篇を貫く。カートが作る楽曲のショボさやガラガラのDJイベントなど既視感を煽る細部の演出が上手くて、痛い。
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きみが死んだあとで
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映画評論家
北川れい子
ガロ、少年マガジン、朝日ジャーナルを、みんな回し読みしていた、と語るのは詩人の佐々木幹郎。このドキュメンタリーのタイトルにある“きみ”こと山﨑博昭と高校が同じで同学年。18歳で死んだ山??博昭も回し読み仲間だった。当時を語る10数人の人々の膨大な言葉と証言、そして無数の写真が使われている中で、このガロ発言が妙に印象的なのは、自分にとっても身近な雑誌だったからだ。そうそう、観る前に翔べ、ということばも。“あの時代”への貴重な追悼録である。
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編集者、ライター
佐野亨
「10歳くらい年上の『団塊の世代』の大きな影を踏むように成長した」と語る代島監督。同じ1958年生まれで、昨年急逝した評論家の坪内祐三は、大文字の歴史のなかに埋もれがちな「ざわめき」を書き残すことにひたすら執着したが、代島もまた、歴史の転換点に命を落とした一人の少年、彼と交わったひとびとのことばから時代の「ざわめき」をすくい上げようとしている。ところでいま、同時代という歴史のざわめきをわたしたちの社会はどれだけ感知できているだろうか。
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詩人、映画監督
福間健二
山﨑博昭の死。評者は、半世紀以上、その衝撃へと何度も呼び返されてきた。佐々木幹郎の「死者の鞭」は大事な詩だ。代島監督の動機も納得したい。証言者の現在、知ってよかった部分もある。しかし、二〇〇分を使ってこれだけかと思った。まず、山﨑博昭を、家族、高校時代の交友グループ、中核派周辺の人間関係のなかに囲い込む感じで、その死が放った波紋の全域へと視野を広げていない。その後の出来事についても、同時進行する状況の動きの一端であることへの押さえが足りない。
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ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
サーロー節子を追ったドキュメンタリーであると同時に、監督自身の自己言及的な旅でもある。ドキュメンタリー作品とは監督がテーマを自分事として引き寄せ昇華し、セルフポートレイトにあらねばならない。本作はその構造が秀逸。節子は大いに語る。それは「ヒロシマ・モナムール」や「ショアー」が行き着く「表象不可能性」とは正反対の着地点だ。同情を求めたり、自分の悲劇を語りたいのではなく、人々に行動してもらいたい、と。それは着地点ではなく、通過点であり、触媒の役目だ。
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フリーライター
藤木TDC
エンドロールに日本財団系列の米日財団(笹川良一創設)のロゴがあり、助成を受けているようだ。製作者のひとりでサーロー節子の協力者として出演する竹内道の亡き祖父・竹内釼(元近衛師団軍医・広島赤十字病院初代院長)が昭和天皇に謁見する絵画をわざわざ探し出す場面はその影響かと勘ぐらせる。サーローの活動歴やファミリーヒストリーとしてはソツないが、現在日本政府がとる立場や核兵器保有国の政治理念は本作からは知りえない。昨年8月6日、いちどWOWOWで放送済み。
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映画評論家
真魚八重子
生まれ持った資質なのか、若い頃から恐れることなく世界を駆け回る生き方に、ひたすら尊敬の念を覚える。「おしえて!ドクター・ルース」もそうだったが、少女期に悲惨な戦争体験をし、そのあと異国で老いも関係なく大活躍する女性のバイタリティは、畏怖に近い凄みを感じる。被爆の語り部としての節子は、柔らかい言葉に臨場感と、若い女性が経験した生々しい視点があって言葉が記憶に残る。映画としては作風に衒いがないので、映画館より高校の視聴覚教室が向いている気もする。
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約束の宇宙(そら)
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
ハリウッドのビッグバジェット作品で散々描かれてきた宇宙飛行士と残された家族の物語。そこで今さらフランスの監督がどんなオルタナティブを提示することができるのかと訝って臨んだが、これが見事な出来。メインテーマとして「女性の労働環境」という普遍的な問題が描かれているのだが、綺麗事だけではないヨーロッパ的個人主義に関する優れた省察にもなっている。90年代フレンチ・エレクトロを参照した、近年の坂本龍一らしからぬケレン味に溢れた若々しい劇伴も秀逸。
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