映画専門家レビュー一覧
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パリのどこかで、あなたと
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
序盤はメンタルヘルスや新自由主義社会における労働の問題に切り込むかのように思わせるものの、良くも悪くもいかにもセドリック・クラピッシュ的な生温いメロドラマに着地。60代を目前にして初めて組んだ若手の撮影監督や編集者と、現代の独身都市生活者の男女を描くという心意気は買えるものの、例えばマッチングアプリの虚しさみたいなものを今さら得意気に語られても。世界は既にアジズ・アンサリ『マスター・オブ・ゼロ』のような傑作を通過している。
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ライター
石村加奈
ブルゴーニュも悪くはなかったが、クラピッシュがパリへ戻ってきたよろこびは格別だ。チーズ派(!)の男性レミー、白猫、エスニック料理店のクセのある店主(娘とのさりげないやりとりもキュート)、そしてロマンチックな結末。時代は変われど、クラピッシュらしい、多様性に富んだ、やさしい世界に嬉しくなる。クリスタル・マレーなど、若いシンガーを起用する音楽センスも素晴らしい。プレス資料の「“すべてを手放す”ことをしなければ、ダンスは踊れない」という監督の言葉が深い。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
隣り合うアパートに住む30歳になる男女それぞれの日常が同時進行で綴られる。仕事のストレスと過去のトラウマに向き合い、SNSを使って先に進もうと奮闘するが、うまくいかない――そんな世界のどの街にもある風景。二人はいつ出会うのか? とやきもきする一見ベタなすれ違いボーイミーツガール映画だが、都市で暮らす独り者の内面を繊細に描き、孤独とともに生きることのリアルを映し出している。クラピッシュ監督らしい「その後」を想像させるために組み立てた構造も見事。
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恋するけだもの
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フリーライター
須永貴子
愛(≒肉体の接触)してくれない男を次々と殺す、女装の男。中年男性に見えるが、ジェンダーや生態は謎のまま。映画史にちょっと見当たらないユニークな連続殺人鬼を創出した時点で、本作は勝ちである。人も車も通らない見晴らしのいい四ツ辻で、“ヤバい人”を煮詰めたような女装男が、自転車男子を理不尽に殺める初登場シーンに、「ノーカントリー」のシガーを想起。「食べて、祈って、恋をして」ならぬ、彼が「恋して、殺して、旅をする」、シリアルキラー版寅さんシリーズを切望。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
こういう映画はわりと好きだ。低予算ながら破壊的なエネルギーを秘めた、硬直した映画界に仕掛けられた自爆テロのような……。が、これはそうはなっていなかった。クズが次々に出てくる。クズで凶暴だから、始末におえない。それはいい。クズは映画の重要なアイテムなのだ。が、このクズぶりをもう見飽きてしまった。不快感が先に走って、けだものにさっさと始末してもらいたいと思った。個々のキャラクターをもっと深彫りすれば、あるいは破壊力を得られたかもしれないと思った。
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映画評論家
吉田広明
女装のばけものと二重人格者の二人が、殺しが仕事兼趣味の三人のヤンキーをやっつける話。意味を問うても仕方のない話かもしれないが、なぜ女装なのか、ただ宇野祥平に女装させてそのヴィジュアルで奇を衒っているだけに見える。けだものでもばけものでも、「恋する」と言いつつそこに真情があるように見えないのも難。B級ホラーとして作られているのは分かるが、変身までもったいぶるので、見せどころであるはずのアクション、残虐描写が少なくなり、90分が長く感じる。
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サイレント・トーキョー
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フリーライター
須永貴子
豪華キャストに、渋谷駅前の爆破シーン、“トーキョー”を代表するロケーションなど、企画書に羅列されたセールスポイントの映像化で終わってしまった。現代日本を舞台に、反戦のメッセージを込めた、エンタメ大作を作ろうという心意気が伝わるだけに残念。特に人物描写は、肩書きや役割、目的を背負わされているだけで、映像や台詞にない部分の背景や想いが抜け落ちているため、スリルもラストのカタルシスもない。尺を伸ばしてでも、キャラクターの肉付けをすべきだった。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
始まってすぐ真犯人がわかってしまう。だからいくらレッドへリングを施しても無駄である。それにしても渋谷で大爆発が起きたのに、その報道シーンで死者・負傷者数すら出さないのは、どういう忖度なのか。よもや、真犯人が「本当はいい人だ」というイメージを損なう危惧があって、出さないのではあるまいか。もしそうなら、それこそ身震いがするほどのホラーだ。日本映画が死んでいく。テロリストになった経緯は説得力ゼロ。心優しき空気読みの日本人には、こういう映画は無理なのだ。
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映画評論家
吉田広明
戦争できる国にするという首相に対し、これは戦争だと国民を人質にテロを仕掛けるわけだが、その動機が結局公表されないのでは、犯人の思想を首相や国民に問う切実さが欠け、ただの大量殺人になってしまう。そもそもPKOで地雷除去の記憶が動機では戦争一般の悲惨であり、日本人にとっての戦争を問うことにはならないのでは。犯人の仕掛けが次々、とアイデアの積み上げで進めていくべきところ、渋谷でのテロ描写にカロリーが使われ、ヤマが一つだけでは関心も持続しない。
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ノッティングヒルの洋菓子店
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映画評論家
小野寺系
ロンドンの高級住宅街でお店屋さんを開く。しかも手作りのお菓子を売るという、鬼が金棒を振るってるような素敵な設定で、ショッピングやお茶の合間に気軽に観るのにちょうど良い雰囲気を放っている。年代の違う女性たちの奮闘や、多様な人種が登場するなど、現代的な要素も見受けられる。とはいえ、ここまで展開に工夫がない脚本も珍しいのではないか。主人公たちは当初こそ窮地に立たされるが、ひたすら順風満帆に進んでいく物語は、メルヘンとしても苦味がなく物足りない。
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映画評論家
きさらぎ尚
確かに、難題を解決しながら洋菓子店を開店する話ではある。だが、スイーツを作るだけの話ではなく、原題「Love Sarah」が示すとおり、亡き人サラの存在によってストーリーを動かすという発想が面白い。サラの娘、母親、共同経営者、シェフがそれらであり、サラと母親の関係修復がストーリーの軸をなす。キャストの程よいアンサンブルが心地良いし、なかでも母親役のセリア・イムリーの気風が豊かな物語性に貢献大。邦題を超えて、美味しいヒューマン・コメディだ。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
大切な人に先立たれ者たちの悲しみや愛の再生を潰れた洋菓子店の立て直しに重ねたドラマを柱に、様々な人種が集まる現在のロンドンの情勢を絡める筋運びは流麗でストレスなく観ることができるし、キャスト、スタッフがみな丁寧な仕事をしている減点要素の少ない洒脱な映画に仕上がっているとは思うのだが、この品の良さがもの足りなさになっているとも思え、ところどころに置かれている大小の障害が次々と収まるべきところに綺麗に収まってゆく終盤の展開には少し鼻白んでしまった。
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100日間のシンプルライフ
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映画評論家
小野寺系
文字通り裸一貫からスタートして、本当に必要な100個の物を手に入れていくという設定は面白いが、TVショーの企画というわけでもないのに、主人公たちがそんな大がかりで複雑なルールの勝負をする必要性がなさすぎるのでは……。フィンランドのドキュメンタリーを基にしているが、IT界の超大物に見込まれたり、買い物依存の女性と知り合ったりなど、極端な展開がさらに二重、三重に積み上げられていくことで、内容がほとんど夢物語のようになってしまっているのがつらかった。
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映画評論家
きさらぎ尚
フィンランドのドキュメンタリーからいただいたアイディアはよかったが、この劇映画ではいくつかのエピソードがゆるく絡まってしまった。主人公二人の友情、スマホのアプリの話、ラブストーリー、祖父母や親世代の話。各々で一本の映画になりそうな題材が並行する様相で進行して、主題がぼやけた感が。モノは喜びを満たすのか、それともゴミになるのかを問いかけ、自分たちで考える時がきていると訴えているのは理解するも、その主題がはっきり見えない。整理整頓が欲しい悲喜劇だ。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
「すべての持ち物を奪われたところから一日一つずつモノを取り戻してゆく生活に耐えられるか?」という賭けの内容は面白く、彼らが何をいかなる理由で選択してゆくかという興味で観はじめたのだが、二人ともズルばっかりするし、そもそものルールに厳密性が与えられていないため早々に主軸がガタつき散らかった映画になっており、このシンプルからは程遠い無駄の多い作りは何かの皮肉かと疑ってしまうも、喜劇演出の質は高く、テーマのど真ん中から少し外れた着地も妙にあとをひく。
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燃ゆる女の肖像
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
絵画にまつわるあれこれを題材にした映画は数あれど、伝記や実話ベースではなく、監督のオリジナル脚本でここまでの高みに到った作品は記憶にない。精巧なストリーテリング、単純に「絵画的」と呼ぶにはあまりにも独創的な画作り、徹底したディテールのこだわり、ジェンダー問題に関するシャープかつ本質的な切り口。共感度やテイストの合う合わないを超えて、今年観た映画で最も驚愕した。作品に関わったクリエイターすべての今後のキャリアが躍進するであろう一作。
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ライター
石村加奈
細密画のように緻密に、すべてが設計された映画だ。印象的なマントで、世間の荒波から身を守っていたエロイーズが、マリアンヌと恋に落ち、一糸まとわぬ姿を晒す。そのひとつひとつが絵のように美しい。規律やしきたり、観念にも支配されない、自分自身や新しい感情、そして深い愛情を知ってからのゆるぎない自信は、彼女をさらに輝かせる。しかし結末から逆算すれば、ソフィも交え、3人の娘たちが島で過ごした数日間ののどかさが切ない。見るとは認識すること。過酷な時代を思い知った。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
肖像画を描く者と描かれる者の間に生まれる独特の関係性。その肖像に「本質」は映し出されているのか。この二人の愛がいつ始まったのか、はっきりとは描かれない。すべては目に見えるものではない。本作の監督シアマと描かれる者を演じたエネル、この二人の個人的な関係、記憶が反映されているようにも感じた。劇伴がない作品だが、劇中ある曲が演奏されるシーンが2回あり、その巧みさ、美しさに感動。ラストシークエンスにその“目に見えないもの”が映し出されていて、震えた。
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ミセス・ノイズィ
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フリーライター
須永貴子
ご近所トラブルは他人事ではないので、お隣の騒音おばさんに悩まされる主人公に感情移入して鑑賞していると、タイトルから始まっていた仕掛けにまんまと引っかかった。中盤でお隣さん視点の描写に切り替わると、主人公の視野の狭さや他者に対する想像力の欠如が明らかになっていく。小説家の主人公は、編集者から「人物も展開も表面的で深みがない」と弱点を指摘される。その言葉は、先入観に囚われて(登場)人物をジャッジする、筆者のような観客を巧みに批判する。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
映画のもとになったのは、十数年前に、早朝から布団を叩き、ラジカセから大音量の音楽を流して、近所の住民に精神的苦痛を与えたとして逮捕された奈良の主婦だろう。その主婦はワイドショーなどでこぞって取り上げられ、ギャグのネタにもされた。面白い映画にしたものだ。善良な一人の主婦が滑稽なモンスターにされていく。本当の悪は不特定多数の無責任な我々である。初め笑っていた顔がやがてひきつってくる。荒っぽいが、人を引きつけるには充分だ。
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