映画専門家レビュー一覧
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夢こそは、あなたの生きる未来
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映画評論家
上島春彦
美人コンテストの記録映画ってどうよ、と普通の人間なら思うであろう。でも正直、裏側がこういうことになってるとは知らなんだ。いや私が裏だ表だと勝手に言ってるだけで、彼女達にはこうした勉強会や奉仕団みたいな活動こそが「ミス」の意義なのだ。一見の価値あり。もっとも、これは公式的な活動報告を兼ねており、そういう意味では本音を抑えた建前的な作品。悪い意味でなくPR映画ということか。こうして眺めると皆さん、普通の女の子でいらっしゃる。そりゃそうか、素人だもん。
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映画評論家
吉田伊知郎
事前に何を撮るかを申請し、モデルに話しかけることも禁じられた不自由な撮影だったようだが、アイドルでも事情は変わるまい。実際、インタビューは誰もが装飾された公式発言をするだけで空疎極まりない。ふと見せる仕草や表情、置かれた物に表層から読み取れないものを探るが何もない。わずかに高校生の参加者がレッスン中や舞台上の気張った表情とは違う等身大の表情をインタビューで見せた程度。極上の食材が調理場に並んでも、火も香辛料も使えないと作れるものは限られる。
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輪違屋糸里 京女たちの幕末
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評論家
上野昻志
五社英雄からアクを抜いたような感じ。幕末の新撰組がらみの話としては、芹澤鴨を単純な乱暴者ではなく、屈折を抱えた男として描いたところを買う。ま、これは原作由来のことではあろうが。ただ、それを生かしたのは、芹澤と腐れ縁のような関係を続けるお梅に扮した田畑智子の好演にもよる。土方歳三の陰謀家としての側面を強調したのはいいが、演じた溝端淳平に翳りが乏しい。そして、本当の主役である糸里(藤野涼子)をはじめとする女たちが、決めゼリフを吐くわりに迫力を欠く。
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映画評論家
上島春彦
新選組の知識が最低限あれば中身は理解できる。芹澤鴨が粛清される、と書いても従ってネタバレじゃない。むしろどう殺されるかクライマックスが楽しみになる。原作は知らないがこの脚本は秀逸。芹澤局長の暴挙をいさめる役目を負って当初現れた土方副長の真の企みがじわじわと観客にも読めてくるあたりが怖い。糸里を利用して芹澤に取り入ろうとする土方の思惑に、彼女が屈辱を覚える正座場面の堂々たる視線演出は見事の一語。ヒッチコック「三十九夜」って感じもちょっとあるかな。
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映画評論家
吉田伊知郎
芹沢鴨暗殺事件を女たちの視点から描くことで、MeToo時代に相応しい時代劇になっている。眼差しの強さがこれまでも印象的だった藤野が今回も眼で際立つ女優の映画になっていて安堵。同じ作者でも「壬生義士伝」に比べて条件の厳しさはうかがえるが、「散り椿」「斬、」とオールロケ時代劇がメジャー、インディペンデント共に主流になってくると本作には撮影所の底力を感じさせる。テレビ時代劇も減った今、撮影所を活用したこうした規模の時代劇に可能性が残されているはず。
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葡萄畑に帰ろう
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ライター
石村加奈
空から白い箱がゆっくりと降ってくる冒頭シーンから、ユーモアたっぷり。箱に入っていたのは、宙にも浮けば、お喋りもできる不思議な椅子である。権力の象徴として主人公ギオルギが注文した高級椅子は、大臣職を追われ、家を差し押さえられても、ギオルギから離れない。落ちてもなお、欲に憑かれた男の本心を象徴しているのだろう。「人のものなんか忘れなさい」という故郷の母の言葉でようやく自分の居場所に辿り着いた主人公は、椅子をどうするか? 風刺も利いた豊かな人生讃歌。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ジョージア映画の名作「ピロスマニ」(69)の監督ギオルギ・シェンゲラヤの兄エルダルの新作であり、エルダルは今年85歳。巨匠イオセリアーニよりも1つ年上というジョージア映画界の最長老によるこの新作には、老境ならではの闊達な稚戯があふれる。移民政策の失態によって大臣職を追われた主人公ギオルギ(監督の弟の名前だ)は苦境に陥るが、老監督の手綱と言うべきか、苦境の度が進むにつれ、乾いたユーモアも冴えわたる。最終的に葡萄畑万歳となるのはジョージアらしい。
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脚本家
北里宇一郎
ソ連からの独立運動があり、その後の混乱があり、内戦があってと、ジョージアの国情は不条理なことばかり。イオセリアーニがそうだったように、この老練監督も屈折した笑いで、ころころ変わる政治状況を諷刺する。政治家出身ゆえか実感もこもっていて。大臣の椅子を象徴的に使ったあたりは、ひと昔前のおとぼけ喜劇を見ているよう。政権争いなんてツマラんものに拘ってないで、田舎でゆったり暮らしましょうというラストまで、お爺さんの昔語り風で。こちらものんびりと眺めていた。
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マイ・サンシャイン
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批評家、映像作家
金子遊
1992年はアメリカに住んでいた時期なので良く覚えている。CNNをつけるとロドニー・キング事件とロス暴動のニュースで持ち切りだった。本作は当時のニュース映像をふんだんに使いながら、あの時代にLAのサウスセントラルで、身寄りのない子どもたちを預かって育てる、ひとりのアフリカ系の女性ミリーを描く。親子二代でイラク戦争を仕かけたブッシュ家のような好戦的な権力者がいる一方で、ミリーのような新しい家族のかたちを模索する民衆がいることがアメリカの救いなのだ。
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映画評論家
きさらぎ尚
原題が「KINGS」のこの映画、テーマからして92年のLA暴動のきっかけとなったロドニー・キングを意識し、人種や貧困の問題が深刻化する現代はさらに多くのキングがいることを意味していると受け止めた。けれど少女から女性になる季節を瑞々しく描いた監督デビュー作「裸足の季節」とは勝手が違ったようだ。子どもたちはともかく、主人公ミリーと隣人オビーについては脚本での掘り下げが浅かったか。意欲的なテーマなのにH・ベリーとD・クレイグを活かしきれず、起用が勿体無い。
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映画系文筆業
奈々村久生
現ボンドのダニエル・クレイグ&元・ボンドガールのハリー・ベリーの共演に、007つながりを思ってどうしても顔が緩む。近所の口うるさいおじさんに擬態していても、彼の正体はジェームズ・ボンドなんだ……! という中二病的な妄想にひたり、ちょっとしたアクションにもその片鱗を目ざとく見出そうとしてしまうのは、クレイグが現役ボンドである今しか味わえない楽しみ方だ。ボンドの呪縛をまとって普通の映画に出演するクレイグというコンテンツが、個人的には嫌いじゃない。
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春待つ僕ら
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評論家
上野昻志
女子高生と、彼女を取りまく男子たちの他愛のない話がだらだらと続く。イヤ、これは、だらだら続くから、その他愛のなさが、際立ってしまうのかもしれない。だとすれば、これを20分余り短縮すれば、四人組の男子たちが真剣に取り組んでいるというバスケの試合場面も、ヒロインの美月(土屋太鳳)が一所懸命に書いて当選した作文コンクールの発表シーンも、それなりにメリハリ良く映ったかもしれない。この際だから、話を詰め込んでも90分で収めた往年の映画を見直してほしい。
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映画評論家
上島春彦
主人公の女の子は多分アスペルガー症候群だと考えられる。まず注意力の欠如(大事な時にコケる)。KY(突然大声を出す)。被害妄想(自分がクラスでつまはじきにされていると勝手に思っている)。特殊能力の開花(作文コンクール堂々入賞)。そして何より思い込みの極端さ(何と親友の性別をずっと間違えている)。アスペルガーは病気じゃないが、周囲との軋轢を引き起こしやすいのは確かだ。このお嬢さんの場合、イケメン軍団の温かさのおかげで悲劇が回避され、それはとても良かった。
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映画評論家
吉田伊知郎
原作がそうだからと土屋に高1の役を演らせてしまうところに脚色不在を実感させるが、彼女のから元気な芝居に辟易してきた身としては影のある今回の役はしっくりくる。男連中の芝居が低温すぎるので土屋一人で映画を背負い、抑制しつつ躍動をもたらす。スクールカースト最上位のバスケ部イケメン男子のLINEグループに入れてもらうことで土屋が成り上がる下剋上ドラマとしては面白いはずだが、本音の世界は隠匿されている。コートと観覧席の視線の交錯によるドラマが欲しかった。
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マチルダ 禁断の恋
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ライター
石村加奈
戴冠式からマチルダとの恋の回想、再び戴冠式へ紡がれる物語では、ステージ上で衣裳が少しはだけただけで(とは言え十分エロいが)、ニコライ二世の心を奪ったマチルダだったが、やがて渾身の叫び声すら届かなくなった二人の距離感が圧倒的に描かれる。戴冠式後の、ホディンカの原での事故対応、皇后とのキスへの一連のシーンでは、ニコライ二世の、皇帝としての力量(父アレクサンドル三世の列車の脱線事故時との痛烈なる対比!)より、善良さにさりげなくフィーチャーしていて好感。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ロシアはすっかり普通の国になったのだと思う。帝政末期の宮廷をひるむことなく優雅な美術セットと共に披露する本作にとって、帝国主義を打倒したソ連映画の記憶はなかったも同然だ。最後の皇帝ニコライ2世とバレリーナの悲恋というM・オフュルス的主題ながら、革命の前兆、時代の端境という視点が乏しいのが惜しい。パラジャーノフ「スラム砦の伝説」、ゲルマン「神々のたそがれ」を手がけたユーリー・クリメンコの撮影をただただ全力で堪能すべき作品なのかもしれない。
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脚本家
北里宇一郎
おお、ロシア皇帝と踊子の許されざる恋! なんとクラシカルな。しかもそこに母后、婚約者も絡み、日本の大奥ものの趣きも。撮影・セット・衣裳とどっしりした重みと深みがあって雰囲気もいい。よくないのは演出で、彼女と彼が運命的な出会いをする劇場の場面など、二人の視点が交錯するカットつなぎがチグハグで戸惑う。どうもこの腰が落ち着かない展開は、米メガヒット映画の悪影響では。にしても今ごろニコライ2世に同情的な映画が露国でなぜ作られたんだろ? それが一番の興味。
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暁に祈れ
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批評家、映像作家
金子遊
タイでムエタイの試合を観たことがある。生ビールを飲みながら10歳前後の子どもの殴り合いを観戦し、大人たちは賭博に興じる。ムエタイは貧困層の少年が成功を?めるチャンスの場だが、本作はタイで麻薬中毒に堕ちたイギリス人が這い上がる実話である。とにかく先進国の常識ではありえない、リンチあり、レイプあり、賄賂あり、タトゥーありの刑務所の描写がすさまじ過ぎる。タイに入国するすべての外国人にこの映画の鑑賞を義務づければ、大抵の犯罪行為は撲滅できるだろう。
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映画評論家
きさらぎ尚
ムエタイに知識も関心もないので競技のことは皆目分からないが、それ以前に全篇を通して画面が暗いうえに、ほぼ全員が半裸で主人公以外はまるでコスチュームみたいにタトゥーなので人物の見分けが困難。よって感情移入ができない。加えて凄まじいバイオレンスの連続で精神的負荷が増し、結局ヘトヘトに。原作者でもある主人公の自伝だそうで、監督のJ=S・ソヴェールは「実話であること、その真実味に惹かれた」と資料にあるが、この実在の人物の何を描きたかったのだろうか。
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映画系文筆業
奈々村久生
イギリス人ボクサーがタイの刑務所で受ける逆差別ともいうべき強烈な洗礼。「きみへの距離、1万キロ」で線の細そうなオペレーターを演じていたジョー・コールがムキムキになって暴れ回るが、本物の前科者たちを起用したという囚人衆の中では可愛く見えるほど。言葉の通じない主人公が、体ひとつで成り上がるドラマだけあって、敢えて言語による疎通を排した演出は圧巻。実際にムエタイの試合会場で流れるという、民族音楽風の旋律にのせた終盤のファイトシーンは部族の祭りのようだ。
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