映画専門家レビュー一覧
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パッドマン 5億人の女性を救った男
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翻訳家
篠儀直子
前半のあまりの前途多難ぶりに、ほんとにこの上映時間で事態が解決するのかと心配になるが、主人公と協力者と映画の馬力が、やがてすべてを蹴散らしていく。因習に閉じこめられていた人々が生き生きと外へ飛び出していく経緯が鮮やかに描かれ、観ているうちに俄然元気が出る。北インドの色彩豊かな風俗も美しく、覚えて帰りたい台詞が満載。それぞれ魅力的なふたりのヒロインとの関係も素敵。オープニングとエンディングのクレジット部分も無駄にしない作りになっているのでご注目を。
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映画監督
内藤誠
インドの女性が買えなかった生理用ナプキンを低価格で製造する器械を発明した男の実話をボリウッドのスター、アクシャイ・クマールが歌と踊りを交えて演じ、国連に招かれて通訳抜きで聴衆に語りかける演説がとりわけおかしい。庶民的な妻、ラーディカー・アープテーと都会のインテリ女性、ソーナム・カプールの対比的な配役もいい。生理期間の女性を隔離するというインドの後進的地域の存在にも驚いたが、地方の人間関係をていねいに描くことで、パッドマンが浮き彫りになった。
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ライター
平田裕介
インドの過酷な生理事情に?然とするが、日本の男も社会も無知で無関心で無理解なのは一緒。こうした作品がインドで放たれて当たることに感嘆&尊敬する。どこまでも優しくて純粋な主人公が魅力で、国連の演説場面ではつたない英語ゆえに彼の女性たちへの想いがシンプルかつ力強く伝わって本気でジンとくる。ただ、その精神が形成された背景が描かれないので、少し不気味なものも感じたりする。最後に登場する本人の御尊顔が、デリケートな製品とはかけ離れた感じなのにも?然。
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旅するダンボール
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評論家
上野昻志
このドキュメンタリーの主人公である髭の濃い島津冬樹氏の行動に感嘆した。彼が段ボールの魅力に憑かれて世界中を探して歩く、といっても、趣味が昂じれば、それもありかぐらいにしか思わなかったし、段ボールから財布を作り出すと聞いても、とくに驚きはなかった。だが、彼が、徳島のジャガイモを入れたダンボールに惹かれてから取った行動には、目を見張った。そして、日本国内と同じ軽やかな身のこなしでアメリカや中国でワークショップをやる姿は、見ているだけで楽しくなる。
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映画評論家
上島春彦
この映画を見るとスーパーの片隅にどさっと置かれている段ボールをつい物色したくなる。そういう効能はある。段ボールアーティスト島津冬樹の生き方を通してリサイクルの上を行くアップサイクルの理念を啓蒙しようというコンセプト。ゴミじゃなくそれを宝物に生まれ変わらせるのがこの言葉の意味だそうだ。でも使わなかった部分は結局捨てるのではないだろうか。どうなんだろう。理念は分かるが内実は不明という政党の公約みたいな映画だが、島津のキャラが可笑しいので評価できる。
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映画評論家
吉田伊知郎
元電通アートディレクターの段ボールアーティストを通じた電通イメージ回復映画に見えてしまうのは穿ち過ぎとしても、それほど彼が愛すべき変人ぶりを発揮してくれる。この異物への愛は、奇抜さを狙ったわけでも過剰包装へのメッセージでもなく、好きを貫き通したものなので嫌味がない。デザインに惚れ込んだ段ボールの出生を追う旅でも山下清の如く気に入った相手にしか段ボール財布を贈らないところも良く、押しつけがましくならない。キネ旬ロゴ入りの段ボールありませんかね?
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青の帰り道
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映画評論家
北川れい子
群馬県が舞台の青春群像劇といえば、「高崎グラフィティ」が記憶に新しいが、本作の舞台は前橋で、高崎よりちょっと東京から離れている。その分、田園風景が広がっていて、高校の同級生男女7人が自転車で疾走するシーンなど、青春の定番だが気持ちいい。7人のキャラの違いやアンサンブル演技、演出も活き活き。が7人がそれぞれ自分の道を目指すようになってからのドラマがいささか短兵急で、故郷も仲間もどんどん遠くなり……。「ここは退屈迎えに来て」ふうなゆるさがあれば、と思う。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
観ながら薄々予測できたラストだが、ラスト数カットの決定的な通過と不可逆の感覚は素晴らしかった。ひとときの甘さと見栄えだけの、歯や身体に悪いだけの菓子のようなキラキラ青春恋愛映画を日頃食わせつけられている。それらの映画はいつもあわてたように幕を引いて終わる。かぼちゃの馬車のように自らの持続不可能さを知っているから。本作はそこに意識的で、さらに射程を伸ばし青春が終わるところまでをやった。キラキラと青さのその先へ。良い。あと鳩山由紀夫氏に見せたい。
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映画評論家
松崎健夫
1990年代に生まれた若者たちの“夢破れた”物語だからか、自身の夢に向かって歩んでゆく姿よりも、むしろ若くして結婚した男女の慎ましい生活の方を魅力的に描いている。映画のオープニングとラストシーンで同じロケーションを用いることによって生まれた対比。それは「たとえ同じ〈道〉を歩いたとしても、それぞれの人生は異なる」と示唆している。それぞれの時代にそれぞれの若者がいてそれぞれの悩みがある。だからそれは「時代のせいなどではない」と本作は言わんばかりだ。
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来る
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映画評論家
北川れい子
神や悪魔の存在などに一切触れずに、超常現象を連打する演出につい嬉しくなり、その勢いで日本ホラー小説大賞の原作を読んでさらにビックリ。えーっ、この人物、この設定、このエピソードを、映画ではここまで大胆に遊んじゃっているんだ。葬儀や結婚式シーンの不穏な悪意や雰囲気など、原作にない場面のいじわるな演出も妙にゾクゾクする。そして各俳優たちのイメチェン的怪演。岡田准一の乱れた演技も新鮮だ。終盤のスペクタクルなお祓いシーンといい、中島監督はやることがでかい。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
なにかが足りないという場合、大抵そこには哲学がない。本作が原作や企画から映画になっていく過程で、真っ当かつその道理が理解できることばかりがおこなわれていたことは疑いない。原作題名から魔物の名“ぼぎわん”をとりました、人物を加えた削った、あるあるなディティールを盛りました。しかしそこでこれが堂々たる日本版「エクソシスト」にもなりうる、「インシディアス」「IT」「へレディタリー」と並びうる可能性もあったことを考えたか。この映画、私には来なかった。
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映画評論家
松崎健夫
“あれ”は、弱くて脆いものを狙ってやって来るという。それは現代社会における人間同士のコミュニケーションの欠落や、ネット社会におけるセキュリティの脆弱性に対するメタファーのようにも見える。“あれ”の存在を何となく感じさせるため、望遠レンズを多用して常に画面の前を人やモノなどによって少しだけ遮らせていることが窺える。また過度な情報量を詰め込んだ中島哲也節ともいえる画面構成や、瞬きひとつしない松たか子によるやりたい放題にも見える演技アプローチが秀逸。
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おとなの恋は、まわり道
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批評家、映像作家
金子遊
プロの映画俳優が燃えるタイプの作品なのだろう。でなければ、キアヌ・リーヴスとウィノナ・ライダーという主演のふたりの組み合わせも、ふたりの会話だけで進行するという実験的な作劇も実現しなかったにちがいない。空港や小さな飛行機の客席、カリフォルニアの田舎にあるワイナリーや披露宴の席など、舞台は移り変わるが、ふたりのシニックで毒舌なコントのやり取りが見どころ。仕組まれたカップリングと知りつつ、目前の恋愛に溺れるしかない中年男女の姿は悲しくもおかしい。
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映画評論家
きさらぎ尚
大勢が集まる結婚式というシチュエイションで、主役の二人だけにしかセリフがない。アイディアは意欲的。この種のドラマの決め手は会話の面白さと俳優の実力だが、邦題が示すとおりの結末が見えていて、K・リーブスにもW・ライダーにも荷が勝ちすぎていたようで、展開はつじつま合わせのまわり道。残念ながらアイディア倒れに。89年にNY初演で、その後幾人もの俳優によって引き継がれている朗読劇『ラヴレターズ』のような形式で、違う配役のバージョンで見たい気もする。
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映画系文筆業
奈々村久生
キアヌとウィノナによる熟練の悪ふざけを堪能。共に紆余曲折ありつつ、五十代と四十代になった今も独身の二人。共演経験も豊富で、同時代の映画シーンを共有した戦友だからこそ為せる、酸いも甘いも知り尽くした先にある大人の応酬が贅沢。二重アゴも厭わない顔芸?き出しで文句を言いまくるウィノナ、武井壮ばりにピューマを威嚇するキアヌ、ロマンチックの欠片もないラブシーン……自分を捨てきれないがゆえにザンネン扱いされがちな妙齢男女の恋愛の生態考察としても価値がある。
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新宿パンチ
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映画評論家
北川れい子
綾野剛主演で2作続いた「新宿スワン」の出涸らしの、更に出涸らし。主人公を地方出身、パンチ頭の童貞純情青年に仕立てているが、騒々しいだけのただのチンピラ。スカウトマンになってからのエピソードもうんざりするほどチープで、途中で逃げ出したくなった。演出を言えば、主人公が先輩スカウトマンと延々と殴り合うシーンに往年の西部劇を連想したり、郊外を自転車で走るシーンの長回しにチラッとカンシンしたが、ハナシに身が入らなかったから目立っただけのことで、ハーッ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
なにせ間違った撮り方だと思わせるところがワンカットもないのだから、これは世が世なら燦然と輝いたであろう一級のB級的手腕だ。これは一級のA級より難しくかっこいい。「新宿スワン」や園子温と真逆のベクトル。間違ってない撮り方が守りじゃないところにたしかさがある。カット尻の長さ、引きの画がエモい。そこが攻めてる。ただこの監督がキャリアとして今後どうしたらいいのかわからないところが世の不幸。構造的にしっかりした脚本(永森裕二)も素晴らしい。今年ベスト10位。
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映画評論家
松崎健夫
城定秀夫監督は「新宿区歌舞伎町保育園」(09)でも新宿を舞台に保育園を起業するホストの姿を描いていたが、本作ではホストの“あがり”の仕組みを知るというハウツー的な側面も持っている。残念ながら同様の題材を扱った先陣「新宿スワン」(15)に規模では負けるが、ロケを多用した街の描写は互角か、それ以上の印象。例えば「純平、考え直せ」(18)などと同じように、平成最後の“新宿歌舞伎町”の姿を記録していることは、経年化することで更なる意味を持つのではないか。
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共犯者たち
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ライター
石村加奈
マイケル・ムーア張りの剛腕というよりは、一見飄々とした佇まいは池上彰に似たチェ・スンホ監督。冒頭から突撃取材を試みるも、体よく追い払われるが、どっこい「みんなうまくやってるね、まあいいか」とへこたれない。約9年間にもおよぶ、韓国テレビ局への政治介入の実態を告発した本作の肝は、この粘り強さだろう。終盤、李明博元大統領を直撃した時のスンホ砲は痛烈だ。MBC解雇後も、市民の応援を受けて本作を製作、大ヒットを受け、MBC社長に復帰、という後日談も痛快。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
李明博と朴槿恵、両政権9年間の言論弾圧に抵抗する作者兼主人公たる元MBCプロデューサーを見ているうちに、出口なき墓穴に堕ちていく日本の現状との対比から暗澹たる思いに駆られると同時に、ある奇妙な歓びの感情にも満たされた。なぜかというと、人はここまで闘えるのかという素朴な驚きを再発見するからだ。弾圧に勝利した主人公は昨年12月に約2000日ぶりに職場復帰し、MBCの新社長に選任されたそうだが、そこではまったく別の闘いが待っていることだろう。
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