映画専門家レビュー一覧

  • こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

    • 映画評論家

      北川れい子

      そういえば以前、“同情するなら金をくれ”というドラマの台詞が流行したことがあったが、この映画の難病の主人公は、言いたい放題、好き勝手、わがままを言うことで同情する隙を与えない。実話の映画化だが、難病のプロとでもいったそのキャラに感心してしまう。むろん、わがままといっても日常的な他愛ないことで、手助けをするボランティアの若者たちも、気楽に言い返し。コメディふうの演出と、屈託を見せない寝たきり大泉洋の演技もいい感じ。とはいえ、自立も自由も独りでは。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      この欄のために観る映画は試写状も題名と日時だけを薄目で確認、予告篇に遭遇しても目をつぶるなどのことをして予備知識カットに努めるので観る前まで本作を「パーフェクト・レボリューション」(原作者・モデル熊篠慶彦)の同一原作者、モデルによる実話寄りバージョンと勘違いしてた。だが通じるものもある。二本立て希望。傲慢にも見えかねない鹿野靖明の意志。不意の怪我や病で健常から滑り落ちたら彼のように強くいられるかと自問させられた。恋愛話、全篇の軽快さも良い。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      主人公を取り巻く登場人物、取り分け高畑充希が演じるキャラクターの視点を〈一般的な視点〉と設定することで、彼女の心境の変化と観客の感情曲線を同期させている構成の妙。「思い切って人の助けを求める勇気も必要」と描くことで、単なる難病モノとは異なる視点の均衡を持ち合わせている。また徐々に体調が悪化してゆく微妙な変化を演じた大泉洋のアプローチは、順撮りではなく、通常のレギュラー番組もこなしながら挑んでいたのだと考えると、あまりにも平然としていて感嘆する。

  • ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス

    • ライター

      石村加奈

      ゴージャスなソファで頬杖をつくエレガントな老女。しかし、マルコムと築き上げたパンク・ファッションについてなど「洗いざらい話す必要ないでしょ?」と辛辣だ。話したいことしか話さない、退屈な過去にまつわるインタビューより、グリーンピースとの北極訪問など、環境保全活動に奔走する、彼女のいまの姿を追いかけた方が、アイデアに富んだ、華やかなヴィヴィアン・ウエストウッドの世界観に、相応しい気もする。彼女の一貫した政治的主張は、マルコム以上にパンクだと思うから。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      本作は同欄「マイ・ジェネレーション~」の続篇とも言える。70年代後半は終末思想のもとパンク=NWが台頭。ヴィヴィアンは自分の店の店員と常連客に衣裳を着せてセックス・ピストルズとして売り出す。彼らはストーンズらをOWとこき下ろし、「恐竜はさっさと滅べよ」と毒づく。私事だが筆者はこの当時、ローティーンのNWかぶれ。筆者が音楽を真剣に聴いたのは人生でこの数年間に限られる。ヴィヴィアンの服はもうパンクではないが、彼女自身は依然としてパンクだ。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      彼女がパンク・ファッションの生みの親と聞いて身を乗り出す。ピストルズ、カッコよかった。それからのデザインはあまり魅力を感じない。大向こうを狙った奇矯を売り物にしてるみたいで。でも大メジャーなんだよね。だから自分は門外漢なんだ。けど知らない世界を見るのは面白い。もっとヴィヴィアンその人に語らせたらと思う。他者のコメントを控え、個性そのもののご本人に密着して、徹底的に本音を吐き出させたらと。(元を含む)夫たちや息子たちのどこかイジけた顔つきは彼女の反映?

  • ふたつの昨日と僕の未来

    • 映画評論家

      北川れい子

      この映画を製作した愛知・新居浜市は実に太っ腹!! 冒頭にかつてこの地で栄えた別子銅山の写真が使われているので、それ絡みのハナシかと思いきや、ダメダメ公務員のサンプルのような若い主人公を登場させ、パラレルワールドまで用意して、なだめすかし……。いわゆるご当地映画とは異なるエンタメ系を狙ったのだろうが、主人公が甘ちゃんすぎて、どの時空間でアタフタしようがこちらに何も届かず。で、五輪のマラソン金メダルは、夢なの、現実なの?ご当地映画の進化型もつらいのよ。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      クライマックスを経て顔を汚した主人公とヒロインがとてもチャーミングだった。ところで、おじいさん役が草薙良一さんで、画面で観た瞬間わあ、と声を出してしまった。偏った見方だがこの映画でいちばん私にとってスター。数え切れないほどそのお姿を観てきたわけですが、やはり「天使のはらわた 赤い教室」のヤクザはキレてた。あれはブニュエル「昼顔」に出てくるピエール・クレマンティに匹敵する。お元気そうでなにより。本作では穏やかなおじいさん。今後も出続けてほしい。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      〈時間〉を描いた作品、特に〈タイムパラドックス〉や〈タイムトラベル〉の類いを題材とした作品には優れたものが多いとされる。それは〈時間〉というものが、老若男女、あるいは貧富を問わず平等であるという普遍的な“何か”を観客に訴求させるからである。本作もまた〈時間〉を題材にしているが、全篇を通じて役者に対してあまりにも戯画的なメイクを施した理由は我が理解に及ばず。ストーリー構成やアイディアの面白さを以てしても看過できず、作品への評価を下げざるを得ない。

  • いつか家族に

    • ライター

      石村加奈

      もっとシリアスな作品かと思いきや、意外とコミカルな展開に戸惑いつつ(特にハワイアン風音楽が流れる中、一家団欒で肉まんを頬張るラストシーンにはのけぞった)、ハ・ジョンウ演じる主人公の不器用さというよりは、幼稚さに苛々しながら観ていた。それでも子供の命を助けようと自分の血を売る親の、普遍的な愛情を目の当たりにすると、涙腺が緩んでしまうのはなぜか? と自問自答すれば、それは間違いなく近親憎悪である。時代は違えど、愚かな小市民のしょぼい愛に泣かされた。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      父と母、幼い子どもたちのファミリーメロドラマだが、真の主人公は街だ。朝鮮戦争後の貧しい韓国中部の地方都市が生々しくその相貌を甦らせる。道路はガタガタ、バラックの家々はろくに戸締まりもしていない。なかんずく印象深いのは、父親役のハ・ジョンウが家計のピンチになると血を売りに行く「平和医院」で、医院にはいつも血売りの行列ができている。大島?「太陽の墓場」(60)をつい思い出す。ガラス瓶に血液が貯まっていくジョロジョロという音が切ない。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      自分の息子が誰の種かをめぐって、町中が大騒ぎ。なんていう前半部は陽気なイタリア喜劇の如し。まま子いじめの件りは、ちと陰湿。父親が重病の息子を助けようと、売血を重ねる――という辺りから、これでもかの涙と感動の洪水となって。その種の趣向が苦手なこちらは、もう勘弁してと手を合わせるばかり。なんだか昔々日本で大流行の母物映画を思い出す。とはいえ、主演も兼ねたハ・ジョンウの演出が意外としっかりしており、いやだいやだと思いつつ、けっこう最後まで引っ張られた。

  • バスキア、10代最後のとき

    • ライター

      石村加奈

      「試練が厳しいほど、幸福はつかみやすい」という重々しくも空々しい大統領の言葉からはじまり、バスキアのガールフレンドの「(バスキアの)パワーを愛すべきよ」という的を得たキュートなコメントで締める。サラ・ドライヴァー監督の卓越したセンスが、隅々にまで行き渡っている。変化に富んだ、時代の風雲児の生涯と同様、グラフィティから音楽、文学へと貪欲に表現スタイルを変えてゆく鮮烈な姿を、当時彼とおなじニューヨークに居た人々の証言で光を当てる。まさに人生というアートだ。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      有名になる前の十代バスキアを、彼をよく知るアーティストやキュレーターたちが語る。大半が関係者インタビューの数珠繋ぎなので、単調ではある。ただ監督は「豚が飛ぶとき」以来24年ぶりの新作となる、NYインディーズの女性監督サラ・ドライヴァーだけに、その思い入れもひとしおだろうと思う。彼女自身、パートナーのジャームッシュやリー・キニョーネス、バスキアらが形成したNYストリートシーンの一員だったわけだから。懐古主義と呼ばれてもいいという覚悟の一作。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      80年前後のニューヨーク・アートの状況が具体的に分かって。パンクとかグラフィック・アートとか、こちらはレコードで聴き、雑誌で見ていただけだった。それが具体的に画面で紹介され、証言されて、ああそうだったんだと腑に落ちるところも。ただ、全体がカタログ的なのは物足りない。若きバスキアの描写もそうで、彼を知る者の発言は重ねられても、その生き方とか本質はよく分からない。いっそ、バスキア生涯のドキュメントに徹したらと。なんか監督個人の思い出のアルバム的映画。

  • 家へ帰ろう

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      映画自体は良質なロードムービーであるが、ここで注意喚起をしておきたい。どうして世界中で第二次世界大戦中のホロコーストを題材にした映画が、今もこれだけ多くつくり続けられているのか。それは記憶されるべき題材ではあるが、ならば、なぜナチスによるロマの虐殺、あるいはチェチェン人やアルメニア人の強制移住や虐殺をテーマにした作品はほとんどないのか。誰が映画製作に出資し、誰がそれらの映画を評価するシステムの中心にいるかによって偏向が存在することは明白だろう。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      ここ数年、様々なナチスものが公開されているが、この映画は異色な一本。出会った女性たちを味方につけて(巻き込み)目的を遂げる一徹さが全篇に満ちたロードムービー。その行状を老人の我がままと片付けることなかれ。頑固さが生む周囲との温度差と、その可笑しさは物語のご馳走であり、併せてユダヤ人問題の風化に警鐘を鳴らす役目も。皮肉とユーモアの匙加減が絶妙で、ミゲル・A・ソラ、アンヘラ・モリーナの共演は味わい深い。クライマックスの描き方に感動のツボを押される。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      物語はいかにもさりげなく幕を開ける。頑固老人のロードムービーの珍道中というふうに。実際それは間違っていない。老人がホロコーストの経験者であり、旅の目的がかつての恩人に会いに行くことである以外は。演じるミゲル・アンヘル・ソラのややシニカルで不屈な眼差しが、行き当たりばったりとも言える旅の指針を貫く。監督の「彼は役者としてちょっと気難しい部分もある」という発言も納得のリアリティ。その積み重ねが、始まりと同様さりげないクライマックスの重みにつながるのだ。

  • シシリアン・ゴースト・ストーリー

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      解説や批評を読んで、腑に落ちる映画がある。本作を見終わって、何か釈然としない心地が残ったままで解説を読み、これが実際にあった誘拐事件をモデルにした物語なのだと理解した。事件や事故で愛しい人を亡くしたとき、残された者は、彼や彼女が内的には幸福な最後を迎えたのだと信じたくなる。それが唯一の癒しの方法だ。同様に、理不尽で救いようのない現実に対して映画にできることは、本作のように、すでに起きてしまったできごとを想像力によって覆すことくらいではないか。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      実際の酷い誘拐事件を幻想的な映像で綴り、少年と少女のラブストーリーに昇華させたセンスは○。カギは二人の純な心。忽然と姿が消えた少年を救いたい少女の必死の思いが、心象風景として幻想的な映像になる。そして奔走する彼女の存在は、死の淵で生きたいと切に願う少年のリアルな希望。結果、事件は現実を超えた視線を宿すファンタジーになったが、他方、少年の家族を含めた周囲の人の「知らない振り」は、マフィアがはびこる地の現実に即した防衛手段だろう。不気味で恐ろしい。

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