映画専門家レビュー一覧
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ドリーム・ホース
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映画監督
宮崎大祐
実話に基づいているためか、世界のやさしさに甘んじ、物語はつつがなく進んでいく。しかし演出は非常に丁寧で、フレームの中いっぱいに広がるウェールズの景色はただただ美しい。そこでは人と馬を中心にさまざまな動物がたしかに息づいていて、もはや今の世界に必要なのはこれだけなのではないかという気すらする。あとは「うまい」トニ・コレットとオーウェン・ティールの芝居に身を任せて、マニックスを歌うのが大好きで陽気な町人たちが愛情を交わすのを見ているだけでいい。
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カンフースタントマン 龍虎武師
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米文学・文化研究
冨塚亮平
意外な起源から熱狂の70?80年代を経て現在にまで至る香港カンフー映画の歴史が、レジェンド俳優やベテランスタントマンたちの証言と、彼らが肉体を限界まで酷使した名場面の膨大なアーカイブとともに振り返られる様は圧巻。なかでも、黄金期にどこまで派手で危ないことができるかを競い合うかのようにエスカレートしていった命懸けのアクションを、ゲラゲラ笑いながら関係者たちが振り返る中盤は白眉。CGに頼らない迫力を追求した彼らの狂気すれすれの覚悟と矜持に痺れる一本だ。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
香港アクション界のレジェントたちのインタビューや抜粋映像によって、当時の香港映画のアクションを振り返る。美しく、また笑えるような肉体の躍動と日常的な空間をアクション映画の空間にするアイデアなどは見ていて、とても楽しい。そうして楽しく全篇見ていられればいいのだが、多くの人物が当時の危険なスタントを武勇伝のように自慢げに語る姿に戸惑いや違和感も覚えてしまう。しかし、そう思って純粋に楽しめない感覚になってしまうことが、現代的なような気もしてくる。
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文筆業
八幡橙
ダンダンダンダン、と四つの長方形が「G」を築くゴールデンハーベストの開幕に心躍らせた身には、たまらない一本。ブルース・リーに始まる映画史を変えたスターの足跡と、その裏で人知れず血と汗と涙にくれた、スタントマンたちの日々の熱闘。80年代、チーム同士の熾烈な競争が、命知らずの挑戦を加速させてゆく過程には、ただ息を呑むばかり。今では考えられぬ野蛮で狂った所業だが、「ノー」と言わず時代を走り抜いた彼らの今の姿、笑顔、重ねた年輪に、心からの敬意と感謝を捧げたい。
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非常宣言
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米文学・文化研究
冨塚亮平
スマホをフル活用しつつ意外性のある転調が続く終盤はなかなか楽しめたものの、複数ジャンルにまたがる要素を詰めこみすぎた結果、かなりの長尺となってしまっている点はいただけない。後半への伏線を考慮しても刈り込める部分はあったはずだ。また、エンタメとして成立していれば良いという考えもあろうが、登場人物たちの防疫に関する認識の粗雑さは、コロナ以降のバイオテロ映画としては致命的ではないか。「トップガン」の敵役のような自衛隊描写は色々な意味で興味深かったが。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
航空パニックものは大好きだが、140分超えはさすがに長すぎる。フライト中の機内でウイルスを撒き散らし、乗客を感染させるという展開は、コロナ禍以降の世の在り方を容易に想起させるだろう。ただウイルスは目に見えないので、せっかくの特殊な空間を生かしきれていないように感じる。案の定、空間や運動ではなく、感情のパニックを捉える方へと映画の軸はシフトしていく。感染を拡大させないため、感染者たちが見せた自己犠牲の精神を誇り高く描く様には頭を抱えてしまった。
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文筆業
八幡橙
ほぼ終始、観る者も乱気流に飲み込まれ、全身揺さぶられっぱなしの141分。機内で起こるバイオテロ。その得体の知れぬ怖さと、無条件に巻き込まれてゆく人々の無力感が、国を越えてリアルにわが身へと響く。さらに、情報ばかりが溢れ、異なる価値観が対立し合い分断を生むことの混沌と不毛までが意図的に描き出される。その点に、コロナ禍に公開される意義を強く感じた。陸のガンホと空のビョンホン、各人の死闘も遥か想像を超え、最後まで着地点が見えず。鑑賞後は、ヘロヘロに。
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チョコレートな人々
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
全体の構成が行き当たりばったりで、テレビのドキュメンタリー番組の長尺版を見ているような感覚になってしまった。作品の成り立ちとしてはそれでいいのかもしれないし、地方局制作のドキュメンタリーが全国で見られる機会としての「劇場版」ということなのだろうが。また、作品の中心である夏目浩次氏への客観的な視点が乏しく、カメラもナレーションもその肩越しからしか描かれないので、氏が掲げる理想や大義に強いシンパシーを抱いていることが前提になってしまっている。
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映画評論家
北川れい子
以前、友人から久遠チョコレートを手土産にもらったことがある。いまいち、よそ行き感のあるスイーツ。そのとき久遠チョコの背景を聞いてはいたが、このドキュメンタリーで改めてチョコの底力を感じた。久遠チョコを立ち上げた夏目さんの思いと覚悟。ここで働くさまざまな人たち。障害があっても可能な仕事、いやその人に向いた仕事を用意すること。ときにはわざわざ設備の変更まで。ただビジネスとのバランスも重要なはずなのに、そのあたりの取材情報がないのがちと気になる。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
課されてしまったバリアでその人の人生が狭められることを良しとしない久遠チョコレート夏目社長のまっとうさと道義は間違いなくこのチョコを美味しくしている。私は本作を観て他のものよりこのチョコを食べたいと思う。夏目氏は自らの方向性が通用すると証明するためチョコギフト市場の1%、40億を売り上げたいというリアリストでもある。これは宮本信子(ナレーション)、本多俊之(音楽)が思い出させる伊丹十三映画の主人公の行動、金銭や市場原理に正義を刺す闘いに似る。
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近江商人、走る!
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
三野龍一監督、前作「鬼が笑う」の短評では題材の現代性とキャラクターの古典性の齟齬について触れたが、まさかキャラクターを現代に寄せてくるのではなく題材を古典に寄せてくるとは。メジャー配給のスターキャスト作品ではなくても、こういう企画が成り立つことにも驚き。しかも、セットや衣裳にも安っぽいところがない。とはいえ、茶屋娘をグループアイドル的に描いたくだりを筆頭に、どのような観客層(少なくとも自分は入ってない)に向けた作品なのかは最後まで謎だった。
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映画評論家
北川れい子
差別や偏見の現場を描いた「鬼が笑う」の監督が、時代劇を撮るということでかなり期待したのだが、ゴメン、これはイタダケない。エンタメに特化した時代劇という狙いはいいとしても、脚本も演出もあまりにも雑で、まったく本気で観ていられない。冒頭、山あいの畑で親子が収穫した大根を荷車に積んでいるのだが、この大根がスーパーで売っているのと同じ葉が切られた真っ白な大根で、えっ、泥付きじゃないんだ! 大津奉行の変態ぶりもえげつない限りで、何なのこの映画!
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
いわゆる古典名作時代劇でも結局は現代の眼で見てわかるように面白みがあるようにデフォルメはしているのだから、本作のような大嘘、遊びはどんどんやればよいと思う。アイドル人気投票をヲタ芸で応援するんかい! とは思わない。いや思うけどかまわない。物語や主題や史観がちゃんとあれば。農民町人の武士階級への怒りや抗いはよかったがそれがまたさらに上層の正しい侍によって決着するのはひっかかる。裏切り者を再び信じることが最大の勝機・商機という展開は良い。
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離ればなれになっても
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映画評論家
上島春彦
名曲〈リアリティ〉がディスコでかかり、監督は「ラ・ブーム」世代か、と嬉しくなる。もっとも、アンチ「ラ・ブーム」かも。主人公女性の生臭さはハンパじゃないし。ソフィーちゃんとは違うね。20年製作らしいが、物語フィナーレは22年設定のようだ。コロナ禍のひとまずの収束を祈願しての処理かな。誰もマスクしてないもん。その時代の風俗や事件に詳しかったらさらに楽しめたのだろうが。人生は肯定されるべきものだとしても転向を丸ごと良しとするのはどうなんだろうか。正直疑問。
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映画執筆家
児玉美月
前回星取りで取り上げた「泣いたり笑ったり」と同じく、この映画もまた、どこまでも陽気で明るいイタリア映画だが、物語が進んでいくにつれ登場人物たちのあまりの利己的な言動や行動に気疲れしてしまうのも否めない。ヒロインはガブリエレ・ムッチーノの過去作「パパが遺した物語」のヒロイン像とおそらく同型。40年間に社会で起きた事件の報道映像が要所要所で映し出され、彼ら彼女たちが繰り広げる恋愛模様が政治的な事柄と絡み合うかのような手つきの恋愛映画なのが良かった。
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映画監督
宮崎大祐
幼なじみ四人の人生とイタリアの現代史を照らし合わせる。三人の男性が唯一のマドンナを取り合うという前時代的でマッチョな成長譚の設定はあえてではなく制作者の美意識的なレベルにおいて選択されたように思われ、個々の関係性の背後にある複雑な人生が丹念に描写されるわけでもないので、しばしそれぞれの感情の高ぶりに置いていかれる。また、ほとんどのカットが語りを推進するためのものなので、映画とは撮影された演劇にすぎないのか、いやはや、そんなわけがないと懊悩した。
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柳川
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米文学・文化研究
冨塚亮平
土地の性質から引き出したものを融通無碍に取り入れるような演出と撮影には、実に奇妙ながら独特の味わいがある。ダンスする二人の背後で輝く自動販売機、語りと結びつくトンネルや橋、いくつもの印象的なベンチ、ハッとさせられる競艇選手養成所など、日本の空間をこのように切り取れるのかと驚かされる場面多数。土地や場所の名が複数の言語を跨いで多彩な意味や身振りへと転化する様は、劇中で時に翻訳を経ず共存する多言語や、思わぬ方向へ転がり続ける会話と共鳴するかのよう。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
柳川という名は、福岡県の地名でもあり、北京語ではリウチュアンと読み、それは昔愛した女性の名前でもある。日本のとある地名と愛した女性の名前というまったく違うものが、たまたま結び付いてしまう不思議。しかしこの福岡の地が、なぜ柳川という名を持つのかという必然があるのと同じように、その女性にもその女性でしかない固有の人生が当然ある。この世界が偶然と必然の不思議なバランスで出来上がっているとするならば、本作はそんな世界の秘密を丁寧に描き出そうとしている。
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文筆業
八幡橙
チャン・リュル監督“福岡三部作”の〆とされる一本。個人的な感触としては、共にゲストハウスの主人に扮したチョン・ジニョンと今作の池松壮亮の纏う空気、日本人形と少女が醸す神秘性、曖昧なまま綴られる人間関係など、「群山」に通じる匂いを強く感じた。日・中・韓の境をたゆたう監督独自の視点がより強調された本作。詩や文学への造詣、土地土地の、そして時々の空気を取り込む刹那のゆらぎ、唐突に始まるダンスや歌――川に浮かぶ小舟のごとくただ、身を委ねるのが正解。
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餓鬼が笑う
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
撮影や編集が洗練されているのと、片岡礼子、田中泯、萩原聖人らベテランキャストの重厚感のおかげで作品自体に確かな吸引力は生まれているのだが、結局のところ何を言いたかった話なのだろう? 宗教的な仄めかしや政治的な仄めかしがそこかしこにあるのだが、はぐらかしとしてしか機能していないせいでどうにも居心地が悪い。それらをただのイメージとして独りよがりで弄んでいるのだとしたら幼稚だし、そうじゃないとしたらはぐらかさなくてはいけない理由を邪推してしまう。
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