映画専門家レビュー一覧
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ケイコ 目を澄ませて
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「日本映画界は本当にボクシングが好きだな」という「またか」感以外、文句のつけようがない。平坦な日常とリング上の非日常の対比ではなく、平坦であることのかけがえのなさの担保としてのリング。肉体の「痛み」はただ肉体の「痛み」でしかなく、そこでの勝敗もあらかじめ物語のカタルシスとは無縁の場所にある。16㎜フィルムで記録されたコロナ禍の東京イーストサイドの静かな風景が、この映画の登場人物たちと同様、我々もなんとか同じ時代を生き抜いてきたのだと告げる。
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映画評論家
北川れい子
いつも硬い表情で練習するケイコが、さりげなくイヤリングと真っ赤なマニキュアをしていることに、三宅監督らしい自由さを感じ、さらにこの作品を抱きしめたくなった。ケイコはホテルの清掃係をしながら、ジムで、夜の土手で自主トレーニングに励むのだが、けれどもいまケイコが闘っている相手は自分自身で、いつまで続ける、いつまで続けられる? 情感のある16㎜フィルムが彼女の迷いを吸い込んでいくようなのも見事で、演じる岸井ゆきの、最高だ。ジムの会長・三浦友和も渋い!
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
このフィルムの一発一発が重く硬いパンチのような映像と音響によって名付けえぬ感動が引き起こされるのをたしかに感じた。冒頭ジムの更衣室で着替える岸井ゆきのの下着姿の背中が獣めいた筋肉の量感をたたえている時点で引き込まれる。そして全篇に満ちる音。主人公が立て、彼女本人が聴いていない音。この映画の観客はその断絶に耳を澄まし、同時に、人も事物も世界もそれぞれ孤絶していると気づく。勝利すらないだろう。本作はだからこそ闘うことが生の要件なのだと説く。
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そばかす
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脚本家、映画監督
井上淳一
恋愛感情もない性欲もない主人公。しかし親や周りはやれ結婚と普通を押しつける。王子に選ばれて満足なのかと作り直すシンデレラ話。トム・クルーズのベストは「宇宙戦争」で、他のトムの走りは何かに向かっているけど、これだけはただ逃げ続けているからと言う。小ネタと言えば小ネタだが、その使い方が上手い。「あのこは貴族」に届かなかったのは、普通を最初から拒んでいるからか。しかし、ありのまま存在するという、より難しいテーマに挑んでいるから仕方ないか。名古屋弁がヘン。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
恋愛感情を抱くことができない人を題材にしているが、偏見を排し、濁りのないリアリズムで撮っている。三浦透子が演じる30歳前後のひとりの女性が自分らしく、ナチュラルに生きていくこと、それを描くことに集中している。彼女のジェンダーなどどうでもよくなるし、どんな性自認の人にも訴える力がある。多くの人が無意識にもつ同調圧力を的確にとらえ、上辺だけをつくろう社会を撃つ。友人たちの心変わりにドラマとしての唐突さもあるが、主人公の心情は鮮やかに出ている。
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映画評論家
服部香穂里
不本意なお見合いで出逢った似た者同士が、いかなる関係性を育むのか目を引くも、早々に男性が恋心を抱き脱落し、いささか拍子抜け。事情を背負う者は地元に戻るというステレオタイプな設定の中、いかにもワケありの同級生やゲイの友人ら興味深い面々を配し、多様性を謳うスタンスを覗かせはするが、それぞれは掘り下げられぬままに通り過ぎる。せめて、主人公が自らを投影した『新説・シンデレラ』の概要ぐらいは見せてくれなければ、本作を撮る意味すら半減するのではないか。
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戦場記者
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脚本家、映画監督
井上淳一
伝え続けなければと戦場記者は言う。結局何も変えられないけれどとも。それだけの自覚があるなら、それを逆転させる力のある映画が見たかった。パレスチナ、ウクライナ、アフガン。しかし映画でしか見れない映像はついぞ現れない。テレビならNHKスペシャルに遠く及ばず。戦場記者による戦場案内。しかも最前線ではない。TBSの社員だから仕方ないのか。本当に危ないところはフリーが行ってるしな。大仰な音楽。そんなもので映画にはならない。映画だって戦場だ。舐めるな。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
TBSの中東支局長、須賀川拓記者がガザ、ウクライナなどの紛争地を取材する姿を追う。対立する両者に取材を重ねて紛争地の現実に迫り、SNSも駆使して発信する記者の姿勢に共感するし、優れた仕事に敬意を表したい。ただこれを映画作品として評価するのは難しい。さまざまな現場から須賀川氏の活躍と誠実さは伝わるが、個々の紛争の深層に迫るのは別の機会を待つしかない。記者を志す日本の若者には薦めるが、世界の観客の鑑賞には堪えうるだろうか。そういう意味でテレビ的な企画。
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映画評論家
服部香穂里
“戦場記者”と銘打つも、アフガニスタンにおける、通常の報道でも見落とされがちな薬物依存者が埋めつくす溜まり場の惨状が、ガザやウクライナの紛争の生々しい傷跡をも凌駕する衝撃を放ち、生きることこそ闘いなのかと言葉を失う。時には取材対象の私生活にも立ち入る自身の仕事に対し、直接的には誰も救えぬ無力感や“偽善”なる疑念に襲われつつ、自問自答を続ける須賀川氏のジャーナリスト然としていない親しみやすい実直さに、世界情勢の混迷を、一層身近に痛感させられる。
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終末の探偵
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脚本家、映画監督
井上淳一
開始3分でダメだと思う映画がある。冒頭、裏ポーカー屋での喧嘩の省略。宙を飛ぶトランプ。床に倒れている客たち。これでイヤになった。しかし探偵への依頼は失踪したクルド人女探し。依頼者は比人の両親を強制送還された過去のある女。VシネマのNGかと思っていたので、襟を正す。そんなテーマを描くのに、ウソ描写では興醒め。なぜ追いかけられて、わざわざ人のいない方に逃げる? 脚本の志は高いのに。脚本家の最大の防御は監督の選択。そのミスが痛い。日本が大嫌いが虚しく響く。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
北村有起哉はいい俳優だ。人間の強みと弱み、嘘と本音、虚勢と真情を同時に表現できる稀有な人だと思う。この作品で演じている、ヤクザとも顔なじみの一匹狼の探偵というのは、実にはまり役。夜の歓楽街にヌーボーと立っているだけで絵になるし、それだけで見る価値はある。ただ映画全体としてはどこか物足りない。とうにプログラムピクチャーの時代ではないのに、無理にプログラムピクチャーを撮ろうとしている感じ。それがありありだと、単なるノスタルジーしか残らない。
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映画評論家
服部香穂里
土地開発が急速に進む街にしがみつき、滅びゆく各々の運命に抗う、しがない探偵とヤクザと中国系マフィア。生き残りをかけて悪あがきする彼らが、同類相哀れむがごとく奇妙な友情や同志愛のようなもので結ばれる主軸のドラマは、新鮮味には欠けるが、丸腰でのアクションにもチームの本気度がみなぎる。視野を現代社会にも広げ、移民問題やヘイトクライムまで貪欲に盛り込む意欲は買うも、失踪したクルド人の描写などは設定レベルに留まり、台詞も説明的で、消化不良の感は否めず。
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チーム・ジンバブエのソムリエたち
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映画評論家
上島春彦
今年はワインの当たり年か。立て続けに関連映画が続くね。その中で今回のはブラインド・テイスティング選手権(銘柄や生産年を味と香りだけで当てる競技)にスポットを当てる。王道と言えば言える。ただし主人公は故国ジンバブエから南アフリカに逃れた難民で構成された四人組。ここが異色。オーストラリアと並び、近年南アフリカは優秀なワイン生産国としてのしてきたものの、ジンバブエにはワイン文化はないそうだ。四人それぞれの立ち位置が面白くチーム感覚の醸成具合も良し。
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映画執筆家
児玉美月
ワインのドキュメンタリー映画を私がこの枠で取り上げるのは3作目だが、これまでの2作品だけを見ても、やはり映し出される人の多くが中年男性かつ白人で、経済的にも豊かな階層であった。この映画には、はっきりとワインの世界は多様性が乏しいと批判する局面もあり、ワインをめぐる文化が孕むそうした特権的なイメージを打ちこわす。そして、決してワインのみに焦点を当てるのではなく、チームのひとりひとりの抱える現実的に存在するカネや生活の問題まで俎上に乗せる。
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映画監督
宮崎大祐
またもワイン製造のドキュメンタリーかと思いきや、未知の景色に満ち溢れた至上の映画体験であった。ワインという西洋の伝統文化を非西洋の国から来たソムリエたちがジャックするという、ともすると危ういオリエンタリズムはシステムを内側から突き破るための第一歩として必要で、何より、世界中の人々の数だけ人生があり、それらはいずれも等しく尊く絶対的に肯定されるべきだという当たり前のことを当たり前に描いている映画が今日日どれくらいあるだろう。本作はそんな一本である。
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Never Goin’ Back ネバー・ゴーイン・バック
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米文学・文化研究
冨塚亮平
貧困、親の不在、ドラッグの蔓延といった、一見殺伐とした物語と結びつきそうな設定を用いつつも、攻撃性や差別とはまるで結びつかない陽性のユーモアのみで作品を成立させている点が現代的。憎めない人間味に溢れたバカたちが披露するドラッグ絡みの小ネタや振り切った下ネタには大いに笑ったが、あからさまに誰も傷つけない笑いとシスターフッドを押し出す姿勢には、流行の要素を押さえようとする小狡さも感じてしまい、個人的に抱いてきたA24への不信感が改めて強まりもした。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
バカンスどころか、トイレすらまともに行くことができない、二人の女の子のどうしようもない青春。しかし、劇中のセリフにもあるように、そんなどん詰まりの世の中にあって、彼女たちの「底抜けに明るい性格こそが唯一の救いだ」。という店長の彼女たちにかける言葉さえ、ハイになってろくに聞いていないところがまた良い。ファーストショットから悪童っぷりを遺憾なく発揮し、最後まで底抜けにダーティーであり続ける彼女たちはビーチリゾートに差し込む夕日よりも眩しい。
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文筆業
八幡橙
女優でもある監督の暗黒時代を笑い飛ばす意図で作られたそうで、なるほど微塵も暗くも辛くも深刻でもなく、徹頭徹尾バカバカしい青春コメディに仕上がっている。主演二人の愛らしいバディぶりも、しょっぱいながら壮大な先の読めない夏の冒険も、観ている分には痛快で単純に面白い。ただ、ドラッグ、ゲロ、脱糞、犯罪スレスレの悪さなど、連発される不浄ネタを不快から快へと転じさせ奏功させるには、やはりどん詰まった現実をもう少ししっかり見せて欲しい……と思うのは、野暮!?
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トゥモロー・モーニング
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
男が部屋から出てきて車に乗り込もうとする。建物を見上げていきなり歌い始める。なんだこれ? ノリがいまいち?めない。応えるように女も歌で返す。男も女もめちゃくちゃ歌がうまい。二人の歌を聴いているとだんだん乗ってくる。これはこれで能天気に楽しい。離婚前夜のギクシャクしたキツイ会話。結婚前夜はあんなに楽しそうだったのに。10年でこの違い。ずっと耐えている息子が可哀想だった。男と女の好きとか嫌いとかホントどうでもいい。二人とも勝手すぎるよ。
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文筆家/俳優
睡蓮みどり
格段仲がいいわけでもない知人たちとノリでカラオケに行ってしまい、一方的に延々と歌を聞かされる。歌はうまいのだが、いかんせん音楽の趣味が合わない。お酒を頼んだところで酔うどころかどんどん醒めてくる。この時間は一体何なのだろう……。そんな気分になる映画だった。映像もどことなくカラオケ背景のように思えてくる。2006年に初演のミュージカルとのことだが、目新しさのない恋愛観・家族模様からは、すでに古臭ささえ感じさせ“普遍的な愛の物語”とは言い難い。
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