映画専門家レビュー一覧
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フライト・キャプテン 高度1万メートル、奇跡の実話
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ライター
石村加奈
タイトルは「フライト・キャプテン」だが、リュー機長(チャン・ハンユー)だけでなく、客室乗務員のリーダー、ビ・ナン(ユアン・チュアン)をはじめ、それぞれが自分の仕事に誇りを持ち、墜落の危機に立ち向かっていく、美しいチームワークが描かれる。離陸前、緊急着陸後、さらには1年後の、日常のほのぼのとしたエピソード(チェン副操縦士の続報希望)をふんだんに盛り込むことで、奇跡を尊ぶというより、乗客の安全のために訓練を怠らぬ、プロとしての矜持に焦点を当てている。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
2年前に起きた実際の航空事故の映画化。クルー、乗客、管制官、航空オタクなど多数の登場人物にスポットを当てるのだが、多すぎて其々深掘りできず、伏線としてもほぼ機能していない。それでいて各シークエンスが異様に長く(無事着陸した後なぜか20分近くも機内の様子を延々と描く)、タイトルにもなっている機長の背景のドラマも浅い。実話を再構築する際のズレが、アンビバレントな構造に表れている。飛行映像の完成度は高く、特に積乱雲の中を突っ切るシーンは見応えあり。
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ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ
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フリーライター
須永貴子
30代の日本人監督の個人的な視点からムヒカ氏の人生を捉えたことで、幼少期の氏と日本人との意外な関係性や、氏が菊を育てる理由などが盛り込まれ、他の誰にも作れないドキュメンタリーになっている。圧巻は、来日したムヒカ氏の、大学での講演シーン。メモなどは一切持たない丸腰で、学生に投げかける生の言葉が突き刺さる。彼の人生とウィットに富んだ言葉が、生き抜くための最大の武器は知性と教養であることを証明する。この暗い時代に生きるすべての日本人にとって、灯台となる一本。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
先進国と言われる国の近頃の大統領や首相が揃いも揃って悪党面をしているのに引き換え、このホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノのなんという顔の良さ! 町の片隅で、無類な味のパンを作る名もなきパン職人の顔のよう。「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっととほしがることである」と言うムヒカの心は限りなく豊かだ。息子に「ホセ」とまで名付ける監督の、自分の人生と重ね合わせながら、ムヒカにのめり込んでいく様が、共感を呼ぶ。
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映画評論家
吉田広明
西欧以上に西欧化することでヒロシマまで突き進んだ日本は、しかし西欧とは別の価値観をもっていたはずで、そこに日本が非西欧的な在り様のモデルたりうる契機があるとムヒカ氏は言う。その理路は理解できるが、この映画がその理路をしっかり検討しているとは到底言えない。彼に心酔し、その名にちなんで息子を名付けた程度にしか変わっていない監督自身に、発展を是とする現在の価値観を捨て自分を変えよ、とするムヒカ氏の真意がどれだけ伝わっているのか大いに疑問だ。
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フェアウェル
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ライター
石村加奈
船が港を出る時のように、ゆっくりと描かれる、家族の別れのシーンが印象的だ。ヒロインたちを乗せたタクシーが動きだして、祖国に祖母だけが取り残されるさみしさを、適切な(愛情の)濃度でカメラが捉える。その後、見送る祖母の隣に祖母の妹が寄り添う、やさしいツーショットが、別れに伴う悲しみを誘い、観ているだけで胸がつまる。何でもない“さよなら”が、永遠の別れになる経験がよみがえってくるのだ。時折現れてはヒロインを驚かせるスズメは、家族の運気の象徴だろうか。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
家族が余命宣告された時、それを本人に伝えるか? から始まる非常にパーソナルな監督の実話。中国では「その恐怖で死が早まる」ので伝えないのが通例らしい。NY育ちのヒロインは、祖母の余命を知り、中国へ向かう。その「嘘」の間に、西洋と東洋の文化の違いも垣間見える。主演のオークワフィナの面構えが良い。強さと弱さの同居。NYに生きるアジア人の等身大のリアル。嘘によって巻き起こるズレを描くようなコメディではない。家族の歴史と関係性を丁寧に紡ぐ普遍的な物語。
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イサドラの子どもたち
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映画評論家
小野寺系
在りし日のイサドラ・ダンカンに思いを馳せる4人の女性の姿を、3つのパートでドキュメンタリー風に追っていくという構成。そのかなりの部分が、思索に耽ったり資料に触れている地味な描写ばかりだ。しかしそこには、ものごとを真摯に考え抜くこと自体に神聖さが宿るという、作り手の熱い信念が通底している。逍遥しながら情報を咀嚼していく豊かな時間は、表現にとって必要不可欠で、それがなければ形骸的な事務作業に堕してしまうということをうったえているように感じられる。
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映画評論家
きさらぎ尚
チュニックを着て裸足で踊るダンスの祖、イサドラ・ダンカンが遺した創作ダンス『母』をモチーフにしたこの作品は、祈りに似ている。イサドラの自伝から、『母』の創作のきっかけを紐解き、4人の女性がそれぞれに痛みを表現する様は、世界に散らばっている痛みを吸い寄せて胸に抱き、苦しみを緩和するために静かに祈る母の姿。感情を肉体表現に乗せる努力を捉えたドキュメンタリー風であり、内部に含み持つ感情を呼び覚ます母親たちの物語とも見え、アイディアと周到な構成○。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
イサドラ・ダンカンのダンスを継承しようとする者、あるいはその魂に触れ救われる者たちを多角的視点から覗き、通常の作劇ならクライマックスに置かれるであろうダンスシーンをフレームから外すにとどまらず、レッスンシーンですら決定的な具体を描かない手法によって、舞踏、ひいては芸術が持つ形而上的な何かが人から人へ伝播し、各々の精神に浄化作用をもたらしてゆくさまをこの上なくシンプルかつ美しく表現している、映画に娯楽を求める輩など切り捨て御免の気高きアート映画。
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映像研には手を出すな!
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映画評論家
北川れい子
この1月にNHKで放送された湯浅政明監督のアニメ版シリーズは、あまりにケタタマシくて2回観て脱落したが、この実写版はたっぷり楽しんだ。映像研の女子3人が口にするイメージやスケッチが、そのまま、アニメや具体的な映像で再現されていくその小気味良さ。ロボット研究部の面々とのやりとりなど、英勉監督の快作「前田建設ファンタジー営業部」を思い出したり。そして部員1人という音響部の存在。“映画の映画”として楽しめるのもゴキゲンで、大声、早口の女子3人に拍手!!
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編集者、ライター
佐野亨
大林宣彦は自らの映画の世界に俳優の身体を押し込めることを「映画という制度」と表現したが、この映画には制度すらなく、アニメキャラを半端に模倣しただけの身体が自堕落に投げ出されているだけである。そのなかでは「初恋」でみごとな身体性を発揮した小西桜子までもが単に「役割」をこなすことしか許されない。画面のどこかに絶えず変顔をしたキャラがいるようなチャカチャカ演出のあとにいきなり泣いてくださいとばかりの感傷演出。あまりの次元の低さに呆れかえった。
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詩人、映画監督
福間健二
またしても荒唐無稽の学園物で、老け顔の高校生が並ぶ。こういうのでしか、もっともらしくものを言ったり個性を発揮したりするキャラクターの集団を作りだせないという、根の深い「症候」はそれとして、原作、テレビアニメ、本作へとつながれた創意からのノリを英監督は活かしている。性的なものを抑えた真ん中の三人の演技は、言われたことを上手にやっているだけという歯痒さだが、みんなの力を結集して達するゴールのアニメ映像の凡庸さも含めて、そんなに責められない気がした。
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蒲田前奏曲
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フリーライター
須永貴子
4人の監督による連作長篇をトータルで評価するのは難しいが、映画業界への愚痴をぐだぐだと垂れ流す最終章が、全体をぶち壊していることは間違いない。主人公が売れない女優の蒲田マチ子で、舞台が蒲田という最低限の設定くらいは守ってほしかった。夢を追うマチ子が女友達と休日を過ごして人生に惑う「第2番」(マチ子の友人を演じる伊藤沙莉の切れの良い咆哮をのらりくらりと煙に巻く山本剛史との言い争いはちょっと別格)と、me too 映画の「第3番」は評価したい。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
何の予備知識もなく見ていたので、どうにもつなぎが歪な作品だろうと首をひねっていたら、最後の一篇でやっとこれがオムニバスだとわかった。オムニバスは難しい。成功した例もあまりない。見る側としては、ある一つの観点から見たいのに、篇ごとにバラバラだと気持ちが分散してしまう。だから、話はまちまちでも各篇に一貫して通じるテーマなりモチーフなりがないとうまくいかないのだ。女性の生き方アラベスクというのか、それぞれに興味深い女性たちが出てくるだけに惜しい。
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映画評論家
吉田広明
オムニバスにありがちだが、各監督の個性がバラバラ。それでも何か突出したものがあれば看過されるのだが、結果的には残念なものに。一人の女優の個性を描きたいのか、蒲田という土地の個性を描きたいのか。コンセプトに関して予め監督間でコンセンサスを得ておくべきだった。監督の個性を尊重といえば聞こえはいいが、丸投げで勝手気儘にやらせた印象。特に第四話に関して問題ありと見る人もいるかもしれないが、第四話だけの問題ではない、製作者の無策が全体を不明瞭にしている。
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ウルフズ・コール
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映画評論家
小野寺系
世界で五指に入る軍事力を持つフランスの原潜映画なので、設定にはそれなりのリアリティはあるものの、人類の危機という大スケールのイメージと、スタッフの表現力との間に、かなりの落差を感じる。核兵器の存在によって国防の概念が揺るがされることへの追及も弱く、この題材を個人の視点で描くことの限界を意識させてしまう。映像はもちろん、脚本のレベルを含め、25年前にアメリカで発表された「クリムゾン・タイド」の完成度の高さに、あらためて思いを馳せることになった。
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映画評論家
きさらぎ尚
冷戦時代に娯楽大作の一分野にあった潜水艦映画とは、中身が随分異なる。閉塞空間での緊迫したドラマの点は共通しているが、主人公が超人的な聴覚をもつソナー要員というのが斬新。彼を含め、2人の艦長と大将役の4人の豪華俳優の共演は、まるで演技のカルテットのような人間ドラマ。人類滅亡の危機を前にして、大統領の命令を忠実に実行するか覆すか。この展開に主人公のロマンスは不要な気がするが、フランス製の潜水艦映画は、予想以上に見応えのあるヒューマン&サスペンスだ。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
リアル軍事映画かと思いきや、潜水艦の上に立つ艦長がロケットランチャーで装甲ヘリを大爆破させたり、あっという間に核戦争の危機にまで話が広がっていたりする大雑把な展開に、コイツは細かいこと気にせずに楽しむ潜水艦娯楽映画だと早々に察したのだが、主人公が黄金の耳で艦の種類や位置を割り出す音響識別の天才という設定を生かした繊細な描写も存外に多く、この静と動、リアリティとトンデモのコントラストが編み出す緊迫感が最後まで息切れせずに持続して、滅法面白かった。
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女王トミュリス 史上最強の戦士
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
大掛かりな騎馬隊の合戦シーンでは思わず『ゲーム・オブ・スローンズ』を想起するほどの、モダンで細部まで行き届いたカザフスタン映画界の技術的なレベルの高さにまず驚かされた。史実を基にした作品ということもあるのだろう、ストーリーそのものは悲劇→復讐→悲劇→復讐の単調な繰り返し、キャラクターもフラットで、ヒネリや意外性はほとんどない。しかし、むしろその鷹揚さが、脚本や構成が異常に洗練されすぎた現在のアメリカのテレビシリーズを見慣れた目には新鮮に映る。
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