映画専門家レビュー一覧
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罪と女王
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
自然光と練られた構図による洗練されたルック。抑制が効いたセンスのいい劇伴。観客の倫理観を揺さぶる露悪的なストーリー。同郷のスサンネ・ビア(及びドグマ95フォロワー)の影響下というより、ミヒャエル・ハネケやリューベン・オストルンドの作品に通じる、ヨーロッパの裕福なインテリ層がいかにも好みそうなテーマと作風。主要キャラクターだけでなく端役の人物造形まで分厚く行き届いていて、監督としてだけでなく脚本家としても確かな力量がうかがえる。
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ライター
石村加奈
自分の力でのし上がってきた強さと、恵まれない少女時代を送ってきたことによる自己肯定力の弱さ、主人公の相反する資質を、T・デュアホルムが強さを前面に弱さ控えめの絶妙な匙加減で体現する。意のままに事を運んできた女王アンネが、夫の振る舞いに動揺するクライマックス・シーンでは、いつしか観る者が女王と共犯関係を結ばされ、映画を観ていたことに気づいて、震撼した。ラストの吹っ切れた(開き直った?)ようなアンネの眼差しをどう受けとめればよいのか未だに答えが出ない。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
日常に潜む性的な欲望に堕ち、深みにハマる中年の女。しかし、その甘美なファンタジーが日常を崩壊させるということに気づいた瞬間、女はすんなり「現実」に戻る。だが、相手は17歳の義理の息子。もう取り返しはつかない。衝動的な肉体関係から起こる悲劇は古今東西で繰り返されるが、それは善悪や倫理とは別の問題で、それが厄介だ。彼女にも、少年にも複雑な背景があり、それが彼らを結び付けてもいる。森は全てを知っている、という暗喩が冒頭と見事に繋がり、深い余韻を残す。
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アンティークの祝祭
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ライター
石村加奈
ベッドでまどろむ老女の、たるんだ二の腕や、かさついたかかとのヨリで、過去から現在への推移をはっきりと見せる冒頭から引き込まれて、時が経つのを忘れるほど物語に集中していた。なめらかな編集は、過去ではなく、過去の記憶にウェイトを置く作品世界にマッチしている。過剰な説明がなくても、走馬灯のように自身の人生を回顧する、主人公の心情が伝わってくる。象のからくり時計など思い出の品々もドラマチック。C・ドヌーヴは白髪姿だって素敵だ(花柄ワンピもお似合いで!)。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
数年前、どうせいつか死ぬからなぁ、と突然思い立って長年集めた趣味の収集品を処分した。なので、冒頭のドヌーヴ扮する老婦人が自分の死を悟り、アンティークのコレクションを二束三文で売りに出す行為は何となく理解できた。彼女の「最後の一日」が、記憶とも妄想とも取れる娘との“過去の断片”を軸に描かれるのだが、それぞれの視点からの解釈と紐解き方が絶妙。人は死に、想いは正確な形を残さないで消える。残った「物」だけは真実だが、それ自体も永遠ではない、という儚さ。
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デッド・ドント・ダイ
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
最近のジャームッシュ先生は吸血鬼やホラーに凝っているようだ。まるでゴールデン街で飲んでいる友人監督が撮ったような作品。しかしそうではない。ハリウッドの価値観や手法ではなく、あくまでも映画制作の楽しさ、批評性が伝わってくる。デッド(死者)とは役者や監督のことか。彼らは飼い慣らされず、自由に、有名人であるから無名で遊ぶ。役者という死者を永遠に延命させる重要な作品だ。そしてサミュエル・フラーの墓標もあり、いずれ這い出しゾンビとして徘徊するのだろう。
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フリーライター
藤木TDC
ジャームッシュも古希間近。初期作の直撃を受けた世代としては悲しい限りだが、年寄りが思いつきでジャンル映画に手を出すべきでない見本であり、A・ドライヴァーが出てなければDVDストレートで充分と思える不出来。ゾンビ物はアイデアと意欲のある若手監督にまかせるべきとつくづく思った。全く笑えない禁じ手を重ねる苦肉の終盤は老醜を見るようで切なく、象徴的なタイトルはもしや「俺はまだ死んでない」の意なのかと一瞬考えたが、監督もそこまで自虐趣味じゃなかろう。
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映画評論家
真魚八重子
自然とシュールなユーモアに向かうタイプの人が、ベタな笑いに挑んだときのお里が知れる感がすごい。ゾンビが繰り返す言葉のセンスなど居たたまれない気分になる。意外なのはロメロに対する敬意のなさで、シネフィルなら遵守せずにいられない、元来のゾンビ殺害ルールを無視しているのに驚く。常連俳優たちを観るジャームッシュ演芸大会的な愉しさはあるが、吸血鬼なら新たなドラマを作れるのに、ゾンビになるととっ散らかるとは、撮ってみなければわからないものだなと思う。
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ハリエット
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ライター
石村加奈
虐待で頭を負傷して以来、神の声が聞こえるようになったハリエット。その声に導かれて、数々の危険を回避し、多くの奴隷を解放した彼女は、ただ「ラッキー」だったのではない。肌身で知る奴隷制への恐怖が、闘争の原動力となったはずだが、後遺症に苦しむ姿と、神の声に集中する神聖な姿を混同した構成には些か困惑。神懸かりではなく、相手の弱さを一喝する目力や意志のある歌声、物語に呑み込まれない、C・エリヴォの存在感を生かした方が、英雄の映画としては、説得力があったのでは?
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
冒頭、黒人奴隷のミンティは、弁護士に依頼し自分と家族たちの権利の証明を手に入れ、奴隷主に自由を訴える。その行動から、夫や父親は「自由黒人」で別の雇い主の家に住んでいる、など主と奴隷の複雑で計算された主従関係が見えてくる。彼女は逃亡し奴隷解放運動家となるのだが、その強靭な意志、常に「死か自由か」の2択を念頭に置いた行動が全篇を貫く。実際に虐待が原因でナルコレプシーだった彼女のそれを、予知夢が未来を導くという設定にしたのが秀逸。
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ポップスター
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ライター
石村加奈
冒頭の「詩的な名前に導かれた人生」というW・デフォーの囁きが鑑賞中、ずっと耳にこびりついていた。「詩的」とは言い得て妙で、歌姫セレステの人生は、数奇な出来事に搦めとられ、あてどなく漂流する心もとなさを抱えたまま、ラストのステージへと集約される。N・ポートマン渾身のパフォーマンスは、まさに〈Sweat and Tears〉。圧巻だが精一杯の汗と涙には、切実さや面白さを感じられず、むしろ客席のJ・ロウよろしく白けてしまったのは、直前の二人のシーンも尾を引いたかと。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
終始不穏な空気が漂う不安定な展開、リアルで壮大、完璧に作り込んだライブシーンの熱狂に反した複雑なカタルシス。しかしそれらが本作の魅力だ。これは監督のコーベットが見てきた風景を再構築しているのは間違いない。ミレニアム前夜、高校内で起こった銃撃事件、911、SNS、そしてショービジネス。17年間の時代の変化を一人のポップスターの誕生と再生に重ねて描いているが、これはメディアが操作する情報に翻弄されてきたエンタメ業界に生きる者の体感、その記録だ。
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島にて
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映画評論家
川口敦子
G・ブラック「女っ気なし」と2本立てで見たいと思った。寂れた海辺の町と人々への懐かしさを芯とした眼差し。単なる好奇の目とも無邪気という名の無責任(な距離)に満ちた視線とも無縁のやさしさがじわじわと全篇を包んでいく。たったひとりの中学生、その未来への思い。海をみて暮らす老人たち、昔日への思い。帰って来るなと言われたのに帰って来たと笑う者。時間をかけて見えてくるもの――近づきすぎず遠すぎない撮り手の奇を衒わない自恃と覚悟がそれを支えている。
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編集者、ライター
佐野亨
近頃巻き起こったドキュメンタリー映画についての議論では作り手と対象者の距離をどうとらえるかが重要な課題となっていたが、同時に僕は作り手の加害者性が自明のものとして認識されている状況にひどく違和感をおぼえる。その違和感に対する一つの回答が、たとえば島田隆一の「春を告げる町」であり、この作品ではなかろうか。息苦しい自己言及に埋没せず、目をこらし、耳をすませることで見えるもの、聞こえるものは無数にあるはずだ。月曜の夜、僕は一人の部屋でそう自問した。
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詩人、映画監督
福間健二
大宮監督からも多くを学んできた。その構成の自在さが本作は文句なしにすばらしい。人口二百人を切るという飛島。小さな宇宙を舞台に、ひとりに向かうときにその人を取り囲むものをしっかりとつかんで共生感をたちのぼらせる。現実的でかつ詩的でもある。すてきな人、味のある人、生気のある人が、おいしいものを食べている。家の中でも外でも食べる。これこそが一ミリも譲ってはならない人間世界だと拍手したくなった。過去を軽んじることなく、現在がたっぷり。未来も見えてくる。
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許された子どもたち
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フリーライター
須永貴子
ワークショップを経てキャスティングされた少年少女はみな、中学生特有の凶暴さと残酷さを体現した演技をしていて、作品が放つ生々しさに大貢献している。同級生を殺した少年が、証拠不十分で不処分になったときに見せる、隠しきれない目の輝きと口元の0・1ミリの緩みを、いったいどうやって引き出したのだろうか。挑発的でダイナミックな語り口が緊張感を保ち、扱われる問題が何一つ解決せずに終わることで、観客にバトンを渡す。作り手の使命感が伝わる骨太な力作。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
元受刑者の話だと、自分の罪を反省している受刑者など皆無。したとしても、捕まるようなヘマをしたとかの反省がほとんどらしい。この映画でもやはり仲間を殺した少年は最後まで反省しないし、親は息子を都合よく無実だと信じ続けている。その愚かさ、猛々しさをこそ見せたかったのか。なぜこの少年は仲間を殺したのか。殺した上に証拠隠滅もしている少年はなぜこんなに凶悪になったのか。親や生活環境のせいとも思えない。だから少年をどう理解していいのかわからない。
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映画評論家
吉田広明
いじめの延長で同級生を殺してしまった少年(たち)が少年審判で無罪になってしまう。彼を許してしまう制度自体を問う社会映画ではない。かつていじめられっ子だった主犯少年を擁護するあまり彼を罪に向き合わせない母、事件を餌食にするネット民や正義を振りかざして糾弾署名集めまで始める優等生生徒といった周囲に揺れ動く主犯少年の葛藤がメイン。それでも彼が自身の罪と向き合うまで見たかったし、後半のいじめられっ子少女はその契機となるはずだったのではと、惜しく思う。
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ブラッドショット
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映画評論家
小野寺系
私自身、「リディック」の演技でヴィン・ディーゼルの魅力に興奮させられたクチだが、彼の最大の魅力は、“遊?”精神の表現にあると思う。今回のような実存的な迷いと復讐心を燃やす内省的な役柄の彼には、あまり輝きを感じなかった。とはいえ、義体による身体機能拡張のギミックや、エレベーターシャフトでの重力を利用したソリッドな戦闘描写は、ビデオゲーム出身で視覚効果に携わってきた監督の力量が発揮され、娯楽アクション映画としての見どころは最低限押さえている。
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映画評論家
きさらぎ尚
タイトルに恐ろしげな想像をかき立てられる。が、いざ始まってみるとマッチョな主人公とその周辺人物のキャラクター設定は、美女がいて悪役がいるといったステレオタイプ。ストーリーにも目新しいアイディアはなく予想どおりに展開し、終わる。ただテクノロジーを駆使したヴァーチャルな映像世界を楽しむにはいいかも。その分、アクション映画に特有の俳優の肉体が発する熱は極めて低いので、ゲームの画面を見ているよう。想像するに“オンライン飲み会”とはこんな感じだろうか。
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