映画専門家レビュー一覧

  • 15年後のラブソング

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      90年代初頭の数年間だけ活躍し、突如姿を消したオルタナロック・シンガーをE・ホークが演じる、というだけで堪らない。その男タッカー・クロウ(名前も良い)の過去は、当時の文化にどっぷりだった人間は体感を伴って想像できるだろう。15年間同棲するヒロインと彼氏(タッカーの熱狂的マニアである彼の痛さに苦笑)の終焉なき青春への焦燥感が突き刺さる。郷愁ではなく、現在、そしてこの先への希望を綴った普遍的な「大人になれない大人たち」の物語。

  • その手に触れるまで

    • 映画評論家

      小野寺系

      過激な宗教指導者に傾倒していく少年の姿に迫り、その一挙手一投足を映し出すことで、排外主義思想の奥底にある女性への醜い感情をえぐり出した意義ある作品であるとともに、人間の素晴らしさや可能性をも説得力と悲痛さをもって描いた傑作中の傑作。極端な人物を主人公にしながら、サスペンスやユーモア、カタルシスがうまく配置される黄金のバランス。そしてダルデンヌ監督の演出手法は、まさにこの一作のためにあったのだと思わせるほど内容にフィットしていて素晴らしい。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      ダルデンヌ兄弟の作品といえば、まずぎりぎりの状態にある主人公の姿。今回の13歳少年もぎりぎりということでは、これまでと変わらない。けれど今回は、ただでさえ未熟で複雑な年頃の少年の心に、イスラム過激派の思想に心酔するという複雑困難な負荷をかけて、現実の社会と対峙させている。この負荷を回収するのは何なのか。映画は明確に提示しない。肩透かしを食ったと言うのは大袈裟だが、主役のI・B・アディの繊細な演技が主題にフィットしていただけに、結末の曖昧さが残念。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      イスラム過激派の思想にとりつかれた一見気の弱そうなメガネ少年の孤独なジハードと、のちの更生過程をひたすらに追いかけるこの映画は、一度のめり込んだ者はそこから容易に逃れることが出来ないという洗脳の恐怖を生々しく叩きつけてくるも、ダルデンヌ兄弟の眼差しは冷酷なだけでは決してなく、いつものごとく執拗なまでに人物に寄り添ったカメラは、無垢な少女との出会いによって彼の心に芽生えた一筋の希望を捉えているように思う……そう思わないとあまりに残酷じゃあないか。

  • グッド・ボーイズ(2020)

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      劇中でもネタにされている『ストレンジャー・シングス』のシーズン1よりも1つ下、12歳男子3人による下ネタ全開のコメディ。ポルノ動画やドラッグへのアクセスのハードルが低い現代アメリカは『ちびっこギャング』の時代とはもちろん違うものの、ジェンダー描写に関しては笑いをスポイルすることなく細やかな配慮がされていて、そのあたりの綱渡りはさすがセス・ローゲンのプロデュース作。この種の作品で、同時代ポップカルチャーへのレファレンスが少ないのは欠点。

    • ライター

      石村加奈

      ちょっと冴えない小学6年男子3人組という設定から既にツボ。好きな女の子なら、くしゃみもかわいいとか、ひとつひとつのウブな反応がたまらない。咄嗟に思いついた最凶の呪いの言葉が「家族をゾンビにするぞ!」とは、キュートの極みである。そんな3人が、和気藹々とした日常から、どんなに仲良しでも、ずっと一緒にはいらないことを肌身で知り「人にはそれぞれの道がある」とオトナの階段を駆け上がっていく、大冒険的展開にもグッと来た。タイトルに偽りなしのGOODな映画だ。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      全篇過激な下ネタ満載だが、主人公3人はギリギリ純粋な12歳。それが下品になりすぎず、なおかつ笑いの相乗効果を生み出している。監督・脚本は「バッド・ティーチャー」で新しい視点のコメディを生み出したコンビ。舞台は現代だが、テイストは80年代の思春期友情もので、そのジャンルで育った彼らのアンサー的作品と言っても良い。小さな冒険の中で友情を確認し合い、成長し、それぞれの道へと歩み出す、というパターンを踏襲しながら最後まで笑いの手を抜かないのが最高。

  • ホドロフスキーのサイコマジック

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        2013年に「リアリティのダンス」が公開されたとき、日本でホドロフスキー作品上映に24年のブランクがあった。「これを見るために20年間生きてきた」と思った。芸術家は作品を発表していないときも不可視の作品制作をしている。芸術家の人生とは巨大な芋虫のようなもので、様々な条件で作品が世に出るとき、その芋虫の断面が可視化される。そして血流が過去作品へ通う。ホドロフスキーほどこの定義が当てはまる人物はいない。サイコマジックはその不可視の時期に完成。必見。

      • フリーライター

        藤木TDC

        終盤、大人数を本気にさせててビックリなホド爺のオレ流演劇セラピー。10件の治療を記録し、経血で自画像を描くとかキンタマ握って男性性回復とか、パフォーマンスとして面白い(かつ下品な)部分もあるが、純粋に疑似科学だし効果の現れた場面の抜粋だし、入場料払って映画館で見よと薦めるほどでは。DVD特典かサブスク配信なら少しは有意義に感じるかも。とくに自宅で全裸になって観賞したら効きそう。まぁホドロフスキーなら何やっても許されるってことなのだろう。

      • 映画評論家

        真魚八重子

        ホドロフスキーの一貫した世界観の中で、オムニバス的に撮られた簡易なドキュメンタリー。そこには過去の作品を彷彿とさせるアートな悪趣味さ、大仰さ、ドラマティックさが溢れる。サイコマジックを担うのは、昔からホドロフスキー作品に連綿と出演してきた名の知れない人々が持っていたであろう、思いがけない形で自分をさらけ出したいという変身願望だ。ホドロフスキーという名が持つ護符的要素が活用された、被験者と導き手が共犯であるショック療法。ただ、ちょっと乱発気味。

    • 凪の海

      • フリーライター

        須永貴子

        ロケ地の特徴を最大限に生かした人物の動かし方に、この土地で撮る意味を感じた。兄の葬式のために数年ぶりに帰省した主人公を起点にした、説明しすぎないやりとりから、登場人物の過去と現在が次第に浮かび上がる構成も、彼らへの興味を牽引する。ところが、中盤で明らかになる主人公が抱える問題のナイーヴさと、「女性=海」というイメージを背負わせた強引な幕引きに?然。ヒロインをミステリアスに仕立てたいのだろうが、それ以前に、主人公が彼女を好きな理由が謎。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        三方を山に囲まれた、朝陽が差さない海沿いの町。そういう舞台と聞いただけで、もう何かの人間ドラマを予感させる。優秀な兄が死に、葬式のために故郷に帰ってくるダメな弟。兄の死後も淡々と漁師を続ける父親、兄から精神的に逃れられない元兄嫁、両親を火事で亡くした幼馴染の少女は足が悪く、その兄に呪縛されながら生きている。みな死に囚われている。兄は自殺だった。そして弟と愛を交わした少女も……。理由は定かにはしないが、ありありとそれが心に浮かぶのだ。優れた映画だ。

      • 映画評論家

        吉田広明

        監督はPVを撮ってきた人というが、撮影、照明、録音などの技術においても、主人公の兄の死の謎を核として、徐々に人間関係や過去を明るみに出してゆく脚本の構成においても、さすがに映像で食ってきただけのことはあるクオリティ。ただし、主人公の兄の死の原因もあまり明確ではないし、そんなものはどうでもよくなるほど主人公の現在のドラマが濃いわけでもないので、何かいわくありげな人物たちを雰囲気で処理しているかに見えなくもない。脚本をもう少し掘り下げて欲しかった。

    • 三大怪獣グルメ

      • フリーライター

        須永貴子

        この映画は「バカ映画」(※作品資料より拝借)を作ることがゴールになってしまっている。だから脚本を煮詰めず、空虚な台詞が飛び交い、おいしいとされる料理がそうは見えず、特撮のグリーンバックが目に浮かぶ。拙さの言い訳として「バカ映画」というフレーズが便利使いされているようにしか見えない。「いい大人なのにバカ映画を作っちゃう俺たち、粋だろ~」というプレイの鑑賞に、時間とお金を費やす余裕のある人向け。巨大なシーフード怪獣のデザインは味わいあり。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        これがなぜ映画になったのか不思議と言うしかない。この手のシャレがわからないのは野暮というものなのかもしれないが、僕にはシャレになり切っていないと思えて仕方がない。おふざけ映画は大好きだが、ふざけ方も中途半端だし、笑わせようとしている工夫が、工夫と言えるものになってないと思う。ギャグはデジャブ感満載で、忘年会で上司のオヤジギャグを延々聞かされているような感じ? 往年のテレビコメディ『クレクレタコラ』が妙に懐かしく、改めて好ましく思ってしまった。

      • 映画評論家

        吉田広明

        タコ、イカ、カニが開発中の薬品によって巨大化、食ってみたら旨かったので怪獣グルメが流行るという、怪獣ものとグルメ番組を合体させた映画。「三大グルメ」の怪獣が、「三大怪獣」のグルメに、言葉遊びレベルの発想だ。デジタル化の弊害だろうが特撮、というか合成の質は限りなく低いし、有名人カメオ出演のグルメ番組演出も凡庸、登場人物の三角関係も端的に図式的、事後のドキュメンタリー番組で説明してしまう説話もどうなのか。安直な発想に見合って演出の全てが安直である。

    • お名前はアドルフ?

      • 映画・音楽ジャーナリスト

        宇野維正

        ヒトラーやナチスが絡んでると日本公開が実現しやすい近年のヨーロッパ映画の配給環境に思うところは多いのだが、中身は子どもの名付け問題を入り口に、アンジャッシュのコント的なすれ違いを経て、長年秘めてきた親戚や夫への本音を爆発させる気軽なコメディ。こんな他愛のない話が、フランスの舞台劇から始まって、フランス、ドイツ(本作)、イタリアと各国で映画化されているのには少々戸惑う。舞台の映画化作品としては手堅い作りだが、それ以上でも以下でもなく。

      • ライター

        石村加奈

        三世代で食卓を囲めば、ニュースの感想ひとつ言葉にするにも批判精神と自制心の狭間で緊張感を強いられる生活ゆえ、親しい大人が集って、本音をぶっちゃけ合う設定には違和感を抱いたが、同世代ならではの丁々発止の会話劇は痛快。普段は押し止められていた不穏な衝動の堰が切れてしまった晩餐の席でいちばんの愚か者はトーマスだが、ジャッキー溺死の真相などシュテファンの怖さよ! ドイツで150万人が抱腹絶倒した作品本来の面白さを無邪気に楽しめる日が再び来ることを願う。

      • 映像ディレクター/映画監督

        佐々木誠

        弟が生まれてくる息子の名前をアドルフにすると言い出したことから始まる一夜の会話の攻防戦。日本の名前だとなんだろ? 智津夫かな、などと考えているうちに、観ているこちらも巻き込まれ、この一家の一員になったような錯覚を覚え、インテリたちの化けの皮が?がし?がされる様は爽快感と同時に自己嫌悪にも陥る。意外な展開が次から次へと起こって爆笑、最後にはちゃんとオチもついた大団円を迎え、あぁ家族ってこうだよな、と顧みてしまう会話劇のお手本のような作品だった。

    • 凱里ブルース

      • 映画評論家

        小野寺系

        夢を見ているような、湿気に包まれた亜熱帯の凱里市をとらえた長回しや、「ラ・シオタ駅への列車の到着」を想起させる、度肝を抜く角度からの列車撮影、驚愕せずにおれないラストシーンなど、映画を遊び場にするように次々に突飛な発想が沸き出るのには感嘆する他ない。切実なテーマさえ見つかれば、すぐにでも巨匠の器だ。ホウ・シャオシェンの「憂鬱な楽園」のイメージ引用も見られるように、90年代アート映画の断片がビー・ガンの基にあることも確認できた。

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