映画専門家レビュー一覧

  • 嵐電

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      映画は歯車やローラーの回転が帯状のフィルムを送りつつ映像を捉えて撮影され、また映写用のフィルムを同様の機構を持つ映写機で映写するシステムであった。映画においてしばしば列車が魅力的な被写体となったのはそれが動くものである以上に車輪と線路という回転と帯状のもののシステムだからだ。その人智を超えた、いわば物の怪同士の響きあいを鈴木卓爾は市電と8ミリフィルムによって拾い出す。それに導かれ異次元に入る人物たちの美しい動揺とよろこび。つまりそれが映画だ。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      嵐電は帷子ノ辻駅で本線と北野線に分かれる。まるで人生の“わかれ路”のように異なる場所へ誘われることは、映画の中で度々仄めかされる「あったかも知れないもうひとつの人生」を想起させる。そもそも映画の歴史は「列車の到着」に始まり「大列車強盗」で筋立てが生まれたように、鉄道と親和性がある。日本映画の草創期、嵐電沿線に撮影所が集中したこと、また本作が「映画についての映画」であることはもはや偶然ではない。本来は映像に記録されることのない土地の念がここにある。

  • パリ、嘘つきな恋

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      セクハラだ、#MeTooだ、とかつてない逆風のなかで、中年男性が恋だの愛だのと口にだすことすら憚られる、このご時世。50歳を目前にして、若い女性の胸の谷間にときめきを感じ、車いす女性のヒロインと恋におちる嘘つき男に、共感を寄せて良いのかどうか。日本では許されなくても、愛について延々と語りあうことができるフランスなら可能か。野暮をいわず、遊び人の男が本当の恋に落ちるラブコメとして楽しもうとしたが、かつての無垢だった時代に戻れないことを悟るばかり……。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      恋した相手が車椅子で生活する女性なので、自分も障害者と嘘をついてしまうとは、ジョスランは実に不心得な男ではある。けれど脚本・監督・主演が人気コメディアンだけあって、嘘の見せ方に取り繕い方、ばらし方がうまくテンポも軽快。最後はユーモラスな感動に持っていくのはさすが。車椅子女性フロランスの、仕事に趣味に積極的で、車椅子でヒールの靴を履くなど、おしゃれもためらわない生き方が素敵。二人の周辺人物のキャラも面白く、見終わって幸せになる大人のラブ&コメディ。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      嘘つき男のジョスランを演じたフランクが本作の監督でもあると知って納得しかない。それぐらい、彼の見せ場には事欠かない。コントみたいな茶番を悪びれもしないようにやってのけるのはなかなかの強心臓ぶりだ。だがヒロインのキャラクターと演じたアレクサンドラ・ラミーの実力でこれが成立してしまう。彼女だけでなくこの映画では意外にも女性たちの心のひだがさらりと演出されている。それだけに、終盤は男気があるんだかないんだかわからないジョスランがやや迷走気味に見える。

  • 空母いぶき

    • 映画評論家

      北川れい子

      ここまで正面きって現代の海上自衛隊の任務と権限、その責任を描いた劇映画はないはず。20××年と時代はボカしているが、描き方次第では現政権寄りの映画になりかねない。幸いというか、当然というか、そういう居心地のワルさはなかったが、ただ半端ではない登場人物の、それぞれの持ち場、立場による言動をあれこれ盛り込み過ぎ、逆に緊張感が散漫に。脚本の絞り方が総花的で、演出も喋ってばかりが目立つ。でも一番ヒドいのは本田翼のお邪魔虫的キャラと演技。チェッ!!

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      02年の「宣戦布告」の興奮(北朝鮮フォビア)ふたたび!と思いきやなんだかもっと抑制された映画。自衛隊員の気を遣った戦闘ぶりがほんとに凄い。原作漫画未読。これから読む。日本領海内に侵攻したのが東亜連邦なる国(数年前に建国された設定)だといい、後半にそこのパイロットが捕虜になり、その人物がアジア人でなくコーカソイドぽいとかすごく気をつかってると思ったけど、もうこれならいままで作られてきた自衛隊の価値顕揚映画のように敵は怪獣とかでいいのでは……。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      この映画は、観客にとって「面白い」か「面白くない」かではなく、「同意できる」か「同意できない」か、という評価に依るだろう。よって、どちらも間違っていないし、どちらも正しくない。劇中「斯様な状況下、あなたならどう判断するか?」と、何度も問われ続けているからだ。例えば、侵攻してくる相手の顔が見えないこと、あるいは、被弾の瞬間にカットが変わることなどに対しての異論もあるだろう。つまりは、軍事的描写に重きを置いていない。至要たるは〈議論〉することなのだ。

  • 貞子

    • 映画評論家

      北川れい子

      悪意とワルふざけの自撮り映像が蔓延するこの時代に相応しい“貞子”の登場である。とは言え、「映画?賭ケグルイ」ほか、女子高生役が多い池田エライザが白衣の心理カウンセラー役で現れたときは、あまりに若すぎて“貞子”が若手女優の露払いに利用されているようでガクッとしたりも。むろん、恐怖映画はヒロインで持つという鉄則(!?)でのキャスティングなのだが、彼女を狂言回しにしての恐怖の演出は、さすが中田監督、巧妙で、子宮めいた海辺の洞窟も不気味。そして井戸!!

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      むちゃくちゃ筋の通ったものを観た充実感。それは映画「リング」シリーズが本来ほとんどメロドラマ的な女系の悲しみと苦痛の継承の物語であり、この二十年のうちにプリクエィルしハリウッド映画になり3Dになり新興ライバルとヴァーサスしたりするなかで、こちらはそれを楽しんできたけれど、若干ブレたところをオリジネーター監督がドン!と原点に戻した感じ。強い。脚本杉原憲明。あと、佐藤仁美さんの出演にはエリシャ・クックJrが「ハメット」に出たくらいの感慨があった。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      これまで製作された続篇やリメイク、スピンオフ群の幾つかは、観客が既に貞子の仕業だと判っているにも拘らず、そのことに気付かない登場人物たちの右往左往が物語を停滞させていた。その点で本作は、貞子の仕業だと判っているにも拘らず物語の先行きが判らない、という面白さがある。約20年間にわたる〈サーガ〉としての物語構築、過去20年間における映像メディアの変遷、そして中田秀夫監督の刻印を確認できる演出。姫嶋ひめかの〈まなざし〉は、その刻印を刻印たらしめている。

  • ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス

      • ライター

        石村加奈

        贅沢な205分の幕開けは、意表をついて、玄関ホールでのカジュアルなトーク企画から。「利己的な遺伝子」で知られるイギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンス博士の「詩」という言葉が、作中じわじわと効いてくる。まさにワイズマンらしい映像詩!人が学び、集う館内での、実に知的かつ多種多様なシーン(行政に関する会議も含め)が「未来に図書館は必要ない」と言う乱暴な意見を一蹴する。中でも歴史ある黒人文化研究図書館は、図書館を活性化させる存在として印象的だ。

      • 映像演出、映画評論

        荻野洋一

        ワイズマンが飽かずに試行してきたのは、ぶっきらぼうに編集されたロケーションがもはや映画でなくなる地点にまで達し、社会とか生活とか、より意義深いとされる実相へと登りつめたかに見せかけながら、じつはすべてが映画そのものにほかならないという壮大な霊的実験への参加呼びかけなのである。私たち観客は幽霊となって、人物のスピーチに耳を欹てつつ時にやり過ごし、時に彼らの肩越しに壁や窓外の光に思いを寄せる。この物憂げな快楽を知ったら、もうあとには引けない。

      • 脚本家

        北里宇一郎

        相変わらずのワイズマン。堂々の205分。あわてず騒がずじっくりと、ニューヨーク市中の図書館と人間を撮りまくる。こちらもノンビリ眺めたものの、ちょっぴり退屈の虫が。前作「ジャクソン・ハイツ」には面白い人々が登場。何より街そのものの息遣いが感じられた。今回、出演の人たちは知的で学術的で。むろん描いてる内容には納得も共感もできるのだが、どうも胸の奥まで響かないもどかしさが。ちと常識の枠内に収まった気がして。にしても、もう少し観客の生理にもご配慮を。

    • 雪子さんの足音

      • 評論家

        上野昻志

        優しい笑みを浮かべて食事に誘う吉行和子演じる雪子さんがコワい。下宿人の薫(寛一郎)が、度重なる誘いに、小説の執筆を理由に断ると、では出前にしましょうと、食事を届けにくる。おまけに、なにかというとポチ袋をくれる。その笑顔の裏に何があるかは謎だ。それに較べると、赤縁眼鏡の小野田さん(菜葉菜)のほうは、あえて自虐的に振舞うだけわかりやすい。結局、薫は、二人の女の過剰なおもてなしから逃れ出ていくが、あのまま、あそこに居続けたらどうなったか、と思う。

      • 映画評論家

        上島春彦

        見終わるとじわっとくるタイトルで、老嬢の下宿人への固執をユーモラスに、時には不気味に描き出色の出来。吉行と寛一郎のコンビ、絶好調。老嬢の代理人のように振る舞うもう一人の下宿人、菜葉菜も優良。ただし惜しいのは、他の人物の挿話が豊富でかえって総体が散漫になったことだ。老嬢が自分の過去を相手に応じて作り替えているという細部も不要な気がする。むしろ実在の画家を巡る論文と、寛一郎が作家志望という部分に更にこだわってくれても良かった。好素材が何かバラバラ。

      • 映画評論家

        吉田伊知郎

        異物感を覚えることが多かった浜野佐知映画に今回は不思議なほど入り込めたのは、テーマ先行ではなく吉行和子を魅力的に輝かせる企画として生まれたせいか。虚構性を幾重にもまとう吉行の存在を目にすれば、何が起きても受け入れようと思ってしまう。繰り返し描かれる食の描写など、近年の映画から抜け落ちた細部に映画が宿っていることを実感させる。このところ先代、先々代のツッパリぶりを継承しつつある寛一郎が吉行を相手に怯むことなく向き合って映画を躍動させている。

    • アメリカン・アニマルズ

      • ライター

        石村加奈

        タイトルがまずクールだ。レイト監督は、大学図書館で大胆不敵な強盗事件を起こした四人の大学生を、“アニマルズ”と表現する。スペシャルな人生を熱望し、恐怖の一線を易々と越えてしまった彼らが自滅を辿る中、自分以上に家族の人生を台無しにしたことと(メンバーの一人、チャズの「殺す」という言葉が印象的)、司書を傷つけたことを後悔する姿は新鮮だ。物語と並行して事件を起こした本人たちが登場し、夫々の真実を語る構成も面白く、ちぎり絵のフラミンゴのように味がある。

      • 映像演出、映画評論

        荻野洋一

        ありきたりな人生を払拭したい学生グループが自分探しの延長で強盗に。しかし犯罪ごっこもまたありきたりな物語しか生まず、「特別な人間はいない」とグループのリーダーは自嘲するほかはないのだが、刑期を終えた実際のモデルたちがカメラの前で実録的回想をくり返すことで、映画はかえって調子を崩している。「聖なる鹿殺し」のあの凄い顔を持つ男の子はじめ秀逸なキャスティングに成功し、珍妙な味わいを出せているのだから、愚直に青春犯罪喜劇を追求すべきだったのでは?

      • 脚本家

        北里宇一郎

        大学生四人組が美術館の貴重な画集を強奪。そのどシロートぶりにハラハラどきどき。計画と実行のあまりのズレ加減に、見てるこちらは手に汗、というより失笑苦笑の連続。そのおかし味を映画は狙って。加えて劇中にモデルとなった実際の犯人たちも登場。あの時はこうだったとコメントする。この虚々実々のスタイルに、作り手の野心を感じ。だけど高見から登場人物たちを見降ろしすぎの気も。だから連中がどうなろうとカンケーねえやとなって。ま、そんな無責任な面白さはあるけれど。

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