映画専門家レビュー一覧
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にがくてあまい
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映画評論家
モルモット吉田
漫画なら美女と美男ゲイの男子校教師が強制同居する話でも成立したのだろうが、生真面目に実写にしてはゲイの扱いも含めて違和感。野菜を前面に押した作りなので話は無理筋にならざるをえないが、美術と演出が丁寧なので観ていられる。この監督ならもっと跳ねた食=性の艶笑喜劇も可能だったのではと思えたほど。ただし、川口が終始眉間に皺を寄せているので食べるシーンがちっとも美味しそうに見えない。「温泉すっぽん芸者」ばりにオートバイに着物でまたがって走る姿には魅了。
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四月は君の嘘
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映画評論家
北川れい子
少年マンガ誌連載の青春ラブストーリーの映画化と聞いて、無骨でちょっとひねくれた恋物語を想像したのだが、アララ、限りなく少女マンガ寄りの女子上位劇で、おまけに定番の難病つき。しかも主人公女子は怖いものなしのヴァイオリニストで、相手役男子はうっ屈を抱えたピアニスト、この辺りの芸術まぶしも女子向きだし、自転車に2人乗りをして海沿いの道を疾走するシーンなど、くすぐったいほどキラキラ。でもそれなりに丁寧に演出されていて、キャラでは脇の石井杏奈がいい。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
「ちはやふる」では許せたものが何でこれでは許せないのか不思議。西武鉄道を日常で利用するのでかつてずっと流れていたアニメのスポットやこの印象的な題名だけ見ていて、何だろうと思っていたが、こういう物語こういうコンテンツだったのか。やっと知った。こんな自分のような感度の鈍い人間がこういうものを観ちゃいけないと思う。観る資格がない。理解もできない。最近は難病ものを観ると、んなこと知るか、早よ死ね、などと思う。いけないことだ。申し訳ない。
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映画評論家
松崎健夫
主人公たちが青春を謳歌する姿の遠方に江ノ島が見える。近くて遠いそのランドマークは、まるで“かをり”の存在のようである。見えているのに手が届かない、そんな感じなのだ。彼女はもともと近くにいたのに、“公生”はその存在に気付いていなかった。だから、いなくなって初めて気付かなかったことに気付くのである。江ノ島もまた、いつもそこにあるけれど、気が付くと遠く離れている。離れてしまったのは自分の方だったのかも知れない、と悟るのは、ずっと後になってからなのだ。
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だれかの木琴
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映画評論家
北川れい子
シュールで官能的、しかもどこかガランとした第一級の無自覚的サスペンスである。ラストに流れる井上陽水の歌が、ヒロインを含めた“現代人”のカオスの暗示になっているのもみごとで、観終った後の方がゾクゾクする。それにしても山田洋次監督に次ぐ大ベテランの東陽一監督の、クールな感覚的演出にはシビレてしまう。常盤貴子の感情を閉ざしたような演技も素晴しく、彼女につきまとわれる美容師・池松壮亮の突き放さない演技もザワザワと心を打つ。そして世はコトもなし。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
素晴らしい。世代的な感覚? みたいなものが至極しっくりきた。携帯やメールが生の半ばに現れた世代の、今の世間の人間の距離感って変じゃない? という感じが伝わる。ストーカーだって近年に発生したものだ。これらを、あるある感ではなく現代への批評としたい。モニカ・ヴィッティの如き常盤貴子と神経症のジャッキー・チェンのような勝村政信(夫婦メールの場面が良い)、好かれ電波発生機池松壮亮ほかキャスト皆が良い。興味深い内容。見応えがあった。
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映画評論家
松崎健夫
冬の寒空の下、ひとりワインを嗜む常盤貴子。彼女の姿は優雅だけど、どこかおかしい。それは“静かに狂っている”感じなのだ。そのことと同様に、常磐貴子の演じた小夜子には“悪意”がなく、だからこそ純粋なる“悪”にも見える。本作は同じ場面を〈視点の違い〉によって反復することで、見方によって見え方が違うことを提示している。よって、確かに“狂っている”のに“静かに狂っている”ようにしか見えないのだ。それゆえ、いっけん万事解決にも見える終幕へ戦慄するのである。
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チリの闘い 第1部 ブルジョワジーの叛乱
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映像演出、映画評論
荻野洋一
1970年、アジェンデが大統領選で勝利して人民連合政権が誕生してから、73年の軍部クーデタで政権が倒壊する状況を記録した4時間超の大作。配給側は「史上最高のドキュメンタリー映画」と大きく煽っているが、確かにこれを見なければ、これまで何のために映画を見てきたのか。本作の公開は今年の映画界の一大クライマックスを形成するだろう。本作は現実を直視すること、絶望の極限からこそ可能性が始まることを雄弁に物語る。現代日本に必要な覚醒を促すカンフル剤だ。
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脚本家
北里宇一郎
チリ軍事独裁政権下の人々の戦いと受難は幾つかの劇映画で観てきた。これはそれ以前のアジェンデ社会主義政権時代を記録。右派の策略、攻撃を受けながら、政権を守り抜く第一部から、軍事クーデターによって遂に政権が崩壊する第二部まで、キャメラが両陣営の人々をとらえ、多角的に状況を描いているのに唸る。第三部はプロパガンダ風だが資料的価値が。いま、これが見られるということだけでも貴重な一作。冷戦時代の出来事だが、現在の日本の政治状況と繋がる要素がいっぱいあって。
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映画ライター
中西愛子
1970年、選挙によって世界初の社会主義政権が誕生したチリ。若き監督グスマンは、この頃仲間たちと街中の政治活動を撮り始めていく。1部、2部は、政権崩壊に至る73年の状況をダイナミックに追い、3部はこの政権の数年間に民衆がどう奮闘していたかをつぶさに映し出す。独特な時代性、国民性があるにしても、人類史上、本当にこんな一幕が起こり得たのかと驚嘆する。リアルタイムで撮られた政治映画なのに、なぜかイデオロギーの匂いがしない。熱く純粋で最後は泣けるほどだ。
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スーサイド・スクワッド
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
DCとマーベルの区別も碌についてないので正直観るのが不安だったが、まったく問題ありませんでした。キャラは登場するごとにいちいちプロフが説明されるし、これまでのあらすじ的な前提もそつなく教えてくれる。よくわからないところも多少は残るが、ほとんど気にならない。後半、気合い入りまくりの視覚効果と怒濤のアクションで押しまくるが、最終的な落とし所として、まあ口実のようなものだとはいえ、家族と男女の純愛讃歌みたいになってしまうのはどうなんだろう。仕方ないのか。
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映画系文筆業
奈々村久生
ヒロインのハーレイ・クインを演じたマーゴット・ロビーがとにかくキュート。といっても守ってあげたいお姫さまキャラではなく、ブロンドベースのカラフルなツインテールが似合う、モテを度外視した最高にクレイジーなポップアイコンだ。正直ここで何かを深く語るようなタイプの映画ではないがそれでまったく問題ない。個人的に期待していたカーラ・デルヴィーニュは運動量の少ないキャラクターに配置されていたため、劇中であまりその動的な活躍を見られなかったのが残念。
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TVプロデューサー
山口剛
デイヴィッド・エアーの「トレーニング・デイ」(脚本)や「エンド・オブ・ウォッチ」など大ファンなので期待したが、およそリアリティのない極悪どもを描き分けるのは彼の才を以てしても難しいのか、個性、魅力に欠ける。紅一点ハーレイ・クインも、浮き上がり気味で惹句にある「悪カワイ」さは感じられない。一同の立ち向かう「世界の危機」なるものが判然としないし、彼らの心の拠り所が家族愛というのもいささか陳腐。大作を撮る力量は判ったから、リアルで渋い次回作を期待!
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グッバイ、サマー
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
こういう作品って一種のファンタジーだと思うんですよ。つまりリアリズムではないということ。ここに描かれた少年たちは、現在にも過去にも、どこにも存在はしていない。ただ監督ミシェル・ゴンドリーの脳内世界にだけ棲んでいる。そしてそれが一概に悪いわけではもちろんない。そりゃフィクションだもの、ということではなくて、たとえ一見そう思えたとしても、実のところは現実の淀みや歪みを濾過された「理想の未熟さ」なのだ。それさえ認めてしまえば、とても良く出来ている。
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映画系文筆業
奈々村久生
いい歳をして大人になりきれない男女の生態描写が得意ながら、よくも悪くもそこに漂うロマン色が強いミシェル・ゴンドリー。だが登場人物の精神年齢はそのままに、肉体をリアル思春期に引き下げると、これがぴったり。彼らのナイーブさや面倒くささを素直に受け入れて楽しめる。手づくりの創作自動車や動くログハウスの構想にはアナログ魂にあふれたゴンドリーらしさが炸裂。落ち武者のような出来損ないの金髪サムライカットを自らバリカンで剃り上げる少年がかっこいい。
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TVプロデューサー
山口剛
ロマンティックで芸術家肌の「チビ」と兄貴分のメカおたくの転校生「ガソリン」。世間を軽蔑しながらも世間に同調できない不安、セックスへの不安と憧れ、家族や学校の疎ましさ――二人ともトリュフォーの描いたアントワーヌ少年の末裔と言って良い。生き生きした会話が楽しい。もう一つの主役は「動く隠れ家」だ。家族や学校のしがらみを逃れ好きな所へ行けるアジール。こんな車を夢見なかった少年はいないだろう。黒こげになって谷底へ落ちる車は、幼年期との決別のようだ。
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ジャニス:リトル・ガール・ブルー
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翻訳家
篠儀直子
ジャニスが母親に送った手紙の多さと、文面の親密さと率直さに驚かされる(読み上げるキャット・パワーの声がまたいい)。彼女は異端児ではあったけれど、決して不真面目だったことはなく、いつでも「パパとママの娘」だったに違いないのだ。だからこの映画で最も胸がつぶれそうになる瞬間は、幾度かの別れと悲劇的な死以上に、過去を上書きしようとするかのごとく参加した同窓会の?末であり、彼女の成功がほかならぬ両親を不幸にしていたとわかる瞬間だ。最後の恋人の存在も印象的。
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映画監督
内藤誠
60年代ヒッピー文化の時代を生きたジャニス・ジョプリン27歳の生涯を家族、友人、手紙まで含め、綿密に追っている。『サマータイム』のレコーディング風景は彼女の音楽の真髄に触れる場面だ。ジャニスはひたすら成り上がりたいと必死。新しいものを求めてバンドも次々に解散する。ライブが大好きで、その時の活力に満ちた顔と、舞台を降りて一人になった時の表情の落差には驚く。あげくは酒とクスリ漬けの日々となり、最後にオノ・ヨーコと登場するレノンもそれについて語った。
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ライター
平田裕介
死後数十年、評伝本も無数の故人をめぐるドキュメントの場合、目新しい話が出てくるのは稀。それでも彼女の切ない人生は何度辿ってもウルッとなるし、それに裏打ちされた歌声と曲の詞にはグッとくる。この恒久性は、彼女の存在が神話と化したことの証だが、それでもベタで新味のない構成には少し落胆。本作にも登場したジャニスの元恋人たち=穴兄弟が一同に介して思い出話をする別のドキュメント『恋人たちの座談会』(未見)があるのだが、その視点は面白いと思うし、猛烈に観たい。
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キング・オブ・エジプト
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翻訳家
篠儀直子
神々と人間がとても近かった時代(ギリシア神話みたいな世界を想像していただければ)の古代エジプトが舞台。時々アクションが鈍重に見えるのが気になるし、変身後の神々が、いっそ日本の特撮映画の怪獣並みに巨大化してくれたらさらによかったかもと思うけど、ホラの吹き方がたいへん豪快でよろしい。「マレフィセント」のぽんこつ王子がここではいい感じに軽い泥棒を演じ、神の王子とのバディ感が楽しい。トートやハトホルとチームになってからのくだりはもっと長く見たかったかも。
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