れから始まるものでの検索結果

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条件「れから始まるもの」の作品 951件)

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  • レスリー・ハワード

    ダルウィッチ・カレッジ卒業後、銀行員となったが、17年舞台俳優を志し、“Peg O'My Heart”でデビュー。“The Green Hat”、“Her Cardboard Lover”などで成功、英米劇壇の人気スターとなる。30年ワーナーの“Outward Bound”で映画デビュー。気品溢れる英国紳士で、その繊細な演技は多くのファンを持ったが、「風と共に去りぬ」でウィルクス家の当主アシュリーを演じたその人である。38年“Pygmalion”をアンソニー・アスキスと共同監督し、多才な面を見せたが「風と共に去りぬ」の撮影を終わって帰英し数本の作品に出演後、第二次世界大戦に従軍、43年6月1日、飛行機でリスボンからロンドンに向けての帰途、敵機の攻撃を受けて戦死した。

  • レスリー・ハーター

  • レスリー・バンクス

  • レスリー・バークス=ハーディング

記事
「れから始まるもの」の検索結果 50件)

  •   DTM(デスクトップミュージック)を題材としたむつき潤の青春音楽コミック『バジーノイズ』が、川西拓実(JO1)と桜田ひよりのW主演で、ドラマ『silent』の風間太樹監督により映画化。2024年の初夏に全国公開される。     週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館刊)で2020年まで連載された原作は、デジタルネイティブ世代の音楽コミックとして話題を呼び、作家の燃え殻、アーティストの井口理(King Gnu)やSKY-HI、漫画家の浅野いにおらに称賛された。 川西拓実が演じるのは、マンションの管理人をしながらたったひとつの“すきなもの”である音楽をPCで作り、ひとりで奏でるだけのシンプルな生活を送る清澄(きよすみ)。桜田ひよりが扮するのは、清澄の部屋の上階に住み、漏れ聞こえる彼の音楽を密かに楽しんでいた潮(うしお)。 潮は失恋をきっかけに清澄と出会い、その音楽を広めると宣言して動画配信をスタート。閉ざされていた清澄の世界に、強烈なノイズが流れ込む──。 撮影は今夏に行われる。続報を待ちたい。   〈コメント〉 風間太樹監督 むつき潤さんが描く「音」の表現に魅了され、4年前「バジーノイズ」を手に取りました。シンプルな線で可視化された音楽が心地よく、ふわふわ漂って、確かに耳に届いたのです。主人公・清澄が作る音楽には、暮らしの原風景や日々の願いのようなものが込められています。誰かに届けるのではなく、あくまで自分のためのチルい音楽。その音楽が、知らず知らず、誰かの心の助けになっていて-その“誰か”である潮との出会いによって、清澄の他者との向き合いの物語がはじまっていきます。 清澄を演じる川西拓実君とは初めてご一緒します。ひとり、音楽作りに目を輝かせる彼は、きっと清澄の心の良き理解者になれるはず。潮を演じる桜田ひよりさんとは僕が懇願した再会です。破天荒な役どころを愛おしく演じてくれると思っています。楽しみにお待ち頂けたら幸いです 川西拓実(JO1) 初めまして。清澄役を演じさせていただきます、川西拓実です。 原作を読んだ時から清澄に自分に似ている部分があるなと感じていて、自分が出来るならやってみたいという想いがあったので、この作品に参加できることがとても光栄です。 誰しもが、生きてく上で恋愛と音楽には必ず触れるものだと思っているので、観てくださる方に少しでも良い影響を与えられるように全力で頑張ります。絶賛稽古中です。 桜田ひより 潮を演じます、桜田ひよりです。今回お話をいただいて原作を読んだ時、破天荒で周りを巻き込む自由な性格で、目が離せなくなるような潮に自然と惹かれていく自分がいました。風間監督が作り出す空気感が私自身とても居心地が良く、全力で役と向き合いながら演技ができるので、撮影がとても楽しみです。 方言での演技は少し不安もありますが、川西さんや風間監督、スタッフの方々とこのバジーノイズという作品を1から作り上げていきたいと思っています。 原作:むつき潤 絵で音を描いてみたら、本当に音が鳴ることになりました。 ひとえに読者のみなさまのおかげです。 原作をご存じの方も、映画がお好きな方も、音楽を愛する方も、 完成を楽しみにしていただけると幸いです。 僕もみなさんと同じように、風間太樹監督ならではの『バジーノイズ』を楽しみにしています。   Story 頭の中に流れる音を形にできれば、他に何も要らない──。 マンションの住み込み管理人を務め、「音楽を奏でること」だけを生きがいとする清澄。 人との関わりを必要とせずシンプルに暮らしていた彼に、上階に住む潮が挨拶してきた。 その日に失恋したという彼女は、毎日漏れ聞こえる清澄の音楽を楽しんでいたと打ち明ける。 やがて潮が何気ない演奏動画を投稿したことで、自分の音楽を誰かに聴かせようなどと思ってもみなかった清澄の世界が大きく変わっていく……。   「バジーノイズ」 原作:むつき潤「バジーノイズ」(小学館「ビッグスピリッツコミックス」刊) 出演:川西拓実(JO1)、桜田ひより 監督:風間太樹 製作:映画『バジーノイズ』製作委員会 制作プロダクション:AOI Pro. 製作幹事・配給:ギャガ ©むつき潤・小学館/「バジーノイズ」製作委員会 公式HP:https://gaga.ne.jp/buzzynoise_movie/ Twitter:@BuzzynoiseMovie Instagram:@buzzynoisemovie
  •   名匠パオロ・タヴィアーニが、ノーベル文学賞作家ピランデッロの遺灰をローマからシチリアへ運ぶトラブル続きの旅を描き、2022年ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞に輝いた「遺灰は語る」が、6月23日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかで全国順次公開。監督の日本独占インタビューが到着、公開初日のオンラインQ&Aが決定した。   [caption id="attachment_26071" align="aligncenter" width="850"] パオロ・タヴィアーニ監督[/caption]   ──本作のアイディアのきっかけを教えてください。 パオロ・タヴィアーニ監督 40年ほど前に『カオス・シチリア物語』を撮ったんですね。その時、実は「ピランデッロの灰」という物語を『カオス〜』の最後に加えるつもりでした。ところが、資金がなくなって、結局そのエピソードは撮れなかったんです。そのことがずっと心の中に残っていました。でも、なぜ今になってなのかは、よくわからないな。 ──ノーベル賞作家ピランデッロの遺灰を運ぶ物語ですが、この遺灰のエピソードはイタリアでは有名なのですか? 監督 ピランデッロは、私たちが抱える多くの問いに答えてくれる偉大な作家です。亡くなってから10年間遺灰がローマにあったことも、それから10年、15年くらい経ってようやく故郷のシチリアに墓(モニュメント)ができたのも事実で、何人もの作家がその遺灰についての物語を書いています。ただ、この映画はピランデッロという人物、その遺灰の旅からインスピレーションを得て作られた、完全なる創作なんです。良い映画監督というのは嘘つきなんですよ(笑)。遺灰の壺が列車で旅するというのも私の創作ですよ。 ──その列車のシーンで、素敵な愛のシーンがありました。戦後間もない、引き揚げの人たちをシチリアへ運ぶ列車なのに、ピアノを演奏したり、踊ったり、さらにはラブシーンまであって、なんて美しいんだろうと思いました。 監督 “愛のシーン”がありましたね。今、「素敵だった」と言ってくれましたが、実は「映画」だからこそ、さらに美しいんですよ。映画の撮影現場で起きたことによって、映画がもっと美しくなった。若い二人が愛を交わすシーン、あれは偶然の産物で、脚本に書かれていたわけじゃない。列車の中にレールを敷いて移動式のカメラを回して撮っていたら、あの二人が、本当に、愛を歌うような声やジェスチャーをしていたんです。それがすごく素晴らしいと思って、あのシーンを付け加えたんですよ。映画の現場から偶然生まれたシーンです。 ──映像が本当に美しくて、艶やかに輝いているようでした。モノクロからカラーに変わる瞬間もとても感動的ですね。 監督 白黒のシーンは撮影監督によるところが多いんです。自分が監督だから言うのではなく、白黒の中でも素晴らしい効果、色彩を作り出してくれたと思っています。“過去”にまつわるから白黒、ということだけではなく、映像自体が艶やかで力がありましたね。今後もまた白黒作品を撮りたいと思えるくらいでしたね。 映画は白黒で始まって、遺灰がシチリアに戻って来た瞬間に色がつく。あの海は、ピランデッロが「アフリカの海」と呼んだ海なんですよ。海に光が差す、あの濃い青がスクリーンに現れる。あのシーンは、ピランデッロがくれた贈り物かもしれませんね。 ──映画の最後にはピランデッロの短編がつくユニークな構成ですね。こちらは一転して鮮やかなカラーでした。 監督 色彩が爆発的にカラフルになりますよね。まるで色の奔流のような。その“色”というのが私たちが目にしている、“現実”なんです。私自身は、この映画は2つの全く違う作品が並べられているものだとは思ってはいなくて、同じフレームの中の第一章、第二章、と考えています。この短編「釘」はピランデッロが死の20日前に書いた小説で、だからこそ遺灰の旅と、この物語との間に強い結びつきが生まれるわけです。 ──本作は、初めてお一人で発表した作品ですね。 監督 (兄の)ヴィットリオは、やはり常に私の映画の中にいるんですよ。初めて一人で映画を撮影しましたが、私はシーンを撮り終えるたびに、「カット!いいね」と言って、ヴィットリオの確認を得るために振り返っていたそうですよ。兄はもうそこにはいないのにね。 ──ニコラ・ピオヴァーニさんの音楽も素晴らしいです。 監督 彼との仕事は、ヴィットリオと仕事をするのと同じような感覚なんですよ。私たちの映画にずっと寄り添ってくれた音楽家ですからね。『サン★ロレンツォの夜』から、途切れることなく関係が続いています。彼は偉大な音楽家だが、それはアカデミー賞を獲ったからではなく、それ以上の存在なんです。(*ピオヴァーニはロベルト・ベニーニ監督の『ライフ・イズ・ビューティフル』でアカデミー作曲賞を受賞している) ──この映画にはロッセリーニ監督の『戦火のかなた』はじめ様々な映画の引用によって、戦後のイタリアが描かれますが、日本の若い映画ファンに、これは絶対見るべき、と思うイタリア映画の名作を3本あげていただくことはできますか? 監督 ロッセリーニ『無防備都市』、デ・シーカ『自転車泥棒』、ヴィスコンティ『山猫』です。 私たちが映画監督になりたいと思ったきっかけは、ロッセリーニ監督の『戦火のかなた』を見たことでした。ただ、残念ながら、ロッセリーニ監督とは生前そんなにお会いする機会はありませんでした。けれど、私たちがカンヌのパルムドールを受賞した時、授与をしてくれたのはロッセリーニ監督だったんですよ!(*『父/パードレ・パドローネ』で1977年カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞している) ──今後、映画にしたい題材やアイデアはまだたくさんおありなのでしょうか? 監督 新作をいま準備中なんですが、それについては内緒です(笑)。なんとか撮影までこぎつけるといいなと思っていますよ。   パオロ・タヴィアーニ監督 オンラインQ&A 日時:6月23日(金)18:30の回上映後 会場:新宿武蔵野館 座席のオンライン予約は劇場HPで6/15(木)昼12:00より ※やむを得ない事情で、時間や登壇者が変更される場合あり     © Umberto Montiroli 配給:ムヴィオラ ▶︎ 名匠パオロ・タヴィアーニが描くローマ〜シチリア波乱万丈な旅「遺灰は語る」 ▶︎ ノーベル賞作家の遺灰を運ぶ旅の行方は? パオロ・タヴィアーニ「遺灰は語る」予告編公開
  • 映画との出合いで「次世代」の人たちが豊かな思いを広げてくれますように、「映画の力」は時には果てしないはず。そんな願いを込めて、「次世代」を担う人たちに見てほしい映画を推薦するのが「次世代への映画推薦委員会」だ。そして、「映画が育む、ココロとコトバ。」をスローガンに、全国の小学生・中学生の皆さんから、映画を見て思ったことを文章にして応募してもらう「映画感想文コンクール」は今年で10年目。「次世代映画推薦委員会」と「映画感想文コンクール」、それぞれの活動に携わる二人に、映画が持つ素敵な可能性への熱い思いを語ってもらった。 映画の魅力、映画館の迫力 三浦 僕が初めて映画館に行った記憶は小学生のときですが、親に聞くと「学校に上がる前に連れていったよ」って。そのとき、僕は覚えてないんですけど、母親が言うには「その映画を見て怒り狂っていた」と。 吉永 (笑)怒り狂った? 何の映画に? 三浦 覚えてないんですが、『人魚姫』の話らしいんです。「王子様がひどいヤツだ!」と怒っていたそうで(笑)。正義感の強い子だったつもりもないんですけど。 吉永 へえ〜。『人魚姫』がかわいいと思った子もいただろうに(笑)、映画から受け取るものが人によって違うという証拠ですね。私が小さい頃は「子どものために」なんてことはまったくなく、父は自分が見たい東映チャンバラ映画に、母は自分が好きな洋画に私を連れて行ってました。字幕も半分くらいしか読めないし、妙なところですごく怖くなったりしてね。 三浦 へえ、よく覚えてらっしゃいますね。 吉永 「赤い風船」(56)というフランス映画は、かわいい映画なんだろうけど、私は怖かった記憶が鮮明。しばらくは風船を見ると逃げ出していたくらい。「禁じられた遊び」(52)も怖かったなあ。自分と歳の変わらない子どもなのにお父さんとお母さんが殺されちゃう。戦争ですからね。ああいう映画を見て、私はもう本当に確固たる反戦主義者になった気がしますから(笑)。 三浦 なるほど。 吉永 今の時代は、子どもに恐怖を与えるのはよくない、安心して見られるものを、という傾向でお父さんお母さんは選ぶのかな。だけど子どもにはちょっと難しいかも、という映画でも、子どもなりに何かを感じているのだと思います。 三浦 映像の美しさとかとか、おかしさとか。映画で育ってほしいという思いはありますよね。 吉永 子どもって案外たくましかったりもするし、日常では出合えないことを見て驚いたり、心がときめいたりしますよね。今は家でもDVDや配信で見られるから、それをきっかけに映画に親しめる良さもある。どこで見るかよりもまず「見る」っていうことが大事。でもやっぱり映画館の迫力は楽しんでほしいですね。今の時代だからこそ、やはりきちっと映画館で映画を見るということは意識したい。 三浦 映画館はちょっと違う特別な空間ですよね。集中しなきゃいけない。一時停止も早送りもできませんし(笑)。 吉永 家では自由に早送りも巻き戻しも勝手にできるし、今は大画面テレビなら結構迫力もある。だけど「私の勝手」っていうのは「私の世界」の中にしか収まらないこと。映画館で「勝手」にならない時間の流れの中に身を置くことで、いろんな考えが広がったりもするんじゃないかな。それは「私の世界」から「あっちの世界」に繋がること。それを感じてもらうのが映画鑑賞だと思います。 三浦 映画の時間が流れるから、作品によってはずっと海の景色を眺めているだけとか、セリフのない時間が流れていくだけ、とか。 吉永 だけどそれもまた作品の中の重要な一部だから、飛ばさないでほしいよね。若いときには難しい映画だろうと何だろうと見たらいいと思いますよ、体力あるし(笑)。あ、でも今の子ってあまり耐えられないのかな? 三浦 人によってはそういうこともあるかもしれません。でもがまんして退屈なところも向き合って、それで大きな感動を得ることだってある。すごくいい体験にもなりうるので、ぜひ味わってほしいです。 吉永 活字だけの本とはまた違う受け止め方になるしね。映画は目の前に映像として提供されるから。 三浦 そうですね。僕も子どもの頃は本をあんまり読んでなかったんで(笑)。もちろん読書はしたほうがいいし、自分の子どもにも読ませますけど、やっぱり同じお話でも本だと何日もかかっちゃうのが映画は2時間程度で見られる。なので、そっちから入るのというのは一つのいい方法なのかもしれません。 吉永 読書には読書感想文を書くというのがありますよね。書かされるという意識だったかもしれないけど、何となく感じていたことを言語化することで自分の発見があったりもする。映画だって感想文を書くことで映画の深みに気づくこともあるんじゃないかな。 三浦 そうですね。 吉永 本で読んだものが映画化された時は、比べてみるのも面白い発見があります。本ではこういうふうに解釈したけど映画ではこんなふうに表現されていた、なんてことがあれば、もしかしたら「監督とあなたの解釈の違いだなんだね」みたいな気づきがあるかもしれない。 三浦 そういうのも面白いですね。 映画で突かれた「矛盾」「激励」 吉永 私が大学生の頃は、安いからもっぱら名画座通い、京王名画座とか人生坐、文芸坐地下オールナイト5本とかね。「気狂いピエロ」(65)を見たときは「何だろうこの映画、わけわかんないな」と思いつつ、友人たちが「よかったよな」なんて言うから、エッこいつらはわかってるんだ、悔しいから私も「ほんと、よかったね」とか合わせたりして(笑)。長年経ってからその頃の友だちと話をすると、「あれ、わけわかんなかったよな」「何よ、すごく良かったって言ってたじゃない」(笑)。みんな見栄張ってましたねえ。 三浦 それも刺激になるのがいいですよ。口に出して話すからわかることですね。 吉永 わからなかったけどなぜか忘れられなかったな、とかね。「合評」と呼べるほどの立派なものじゃなくても、感想を言い合うことで、ものを考える力になる。自分はこの一面しか見てなかったけど、多面的にセリフの良さ・面白さとか映像の良さ・音楽の良さも気づかされてもう一度見たくなる……とか。 三浦 映画は総合芸術といわれるだけあって、どの角度から見てもいろんな感覚に刺さっていくのはあると思います。 吉永 子どもの頃、「映画の会」という上映会で見たあと、作文を書かされたり、ホームルームで話し合ったりしましたよ、そういえば。初めて学校で映画館に連れていってもらって見たのは「にあんちゃん」(59)でした。「ボタ山がこわかった」とか「あの子がつらそうだった」とかみんなで話して。 三浦 まず喋り合うことから、という。 吉永 うん、自分が何となくいいなと思ってる、その「何となく」って、「何がいいと思ったんだろう?」ともう一歩考える。 三浦 その気づきが必要なんですね。 吉永 三浦さんは、学生の頃はどういう映画がお好きだったんですか? 何度も見た映画といえば? 三浦 僕は「ロッキー」(76)ですね。最初は小学生のときに「2」か「3」をビデオかテレビで見て、それから第1作を見たのかな。人生に迷って落ちぶれて、もう一度自分なりの方法で立ち直っていく。「やり直せるんだ」と感じたんだろうなあ。僕だってやっぱり何かを成し遂げたい、でも田舎にいるとどうせできないんだろうなっていう負け犬根性が、子どもの頃は田舎で育ったせいもあって、結構強かったから。 吉永 都会との距離感がやっぱりあったんだ。 三浦 でも「ロッキー」を見て励まされました。吉永さんが励まされた映画というと? 吉永 励まされる、というか開き直れた、ふっきれたというのなら、石坂洋次郎原作の映画ですね。「若い人」(62)とか。私が育った昭和20年代30年代って、まだ親は頭が古いし、とにかく男優先の時代なわけ。学校でも何かと男子が先、それに対して誰も疑問を持たない。女は引っ込んでろとか、女に教育はいらないとか、そんな時代です。 三浦 今だったらありえませんが。 吉永 男はできても女はできない、やらせてもらえないこと、やってはいけないことが山のようにあるんだなっていう状況を、何となく受け入れさせられて疑問にも思わなかった、そんな社会。それが、「若い人」のヒロインの江波恵子に「えーっ」て思わされた。何だ、いいんじゃんこのぐらい言ったって、とか、こういうことは可能なんだな、って気持ちが弾けましたね。ちょっとした開き直り、自分の世界が、そして世の中に対する「自分と男の子との位置取り」みたいなものが、完全に変わっていった気がします。 「個性的な文章」を書くには? 三浦 映画感想文コンクールは、映画を見る必然性をつけられたらと思って始めました。なぜ主人公がああしたのかな、とか、どうしてあんなことを言ったのかな、とか。 吉永 なぜあんなに怒ったのかな、とかね。映画を見たとき、本を読んだとき、日記でももちろんいいんだけど書き留めてみる、ということに、すごく意味があると思うんです。後で読み返して、今は違う感じ方をしていることに気づくかもしれない。気持ちの中に「何かモヤモヤしたもの」ってあるから。 三浦 確かに。「何なんだろう? この感情」と。 吉永 「モヤモヤしたもの」を素通りするか立ち止まるか。ただ何となく考えてるだけだとなかなか整理できない、ぐちゃぐちゃになったまま「何となく嫌だった」とか「何となく楽しかった」で終わっちゃう。その「何となく」感じていることを掴むには、言語化していくことは大事だと思う。言葉に置き換えられたときに、ああこういう感情だったんだ、となると思うから。それは例えば5歳は5歳の言葉、10歳は10歳、20歳になれば20歳の言葉で表現できるでしょう。いろんな経験を積んで、ものを見たり聞いたり読んだりする行為でいろいろなことが蓄積されていくわけだけど、蓄積するために「言葉にする」のはかなり有効な手段だと思いますね。 三浦 確認、認識していくこと、映画感想文コンクールが、そのきっかけになれば嬉しいですね。どんどん見てどんどん書いてほしいものです。 吉永 私、作文コンクールの審査をすることもけっこうあるんですが、読んでいていつも思うことがあるんです。「すごく感動しました」って書いてある、じゃあ「何にどう感動したの?」と。「このシーンがすごく良かったです」で終わっちゃってるのを読むと、「どこが良かったの? どう良かったの? あなたはどうしていいって思ったの? そこを書いてよ!」ってもどかしくなっちゃう。そこを言葉にして届けてほしい。 三浦 「そこが知りたいんだ!」と。 吉永 それが書ければ、どれも個性的になりますよ。個々で感じ方が違うんだから。文字量の制限なんかもあるけど、突っ込みが弱いと抽象的な言葉だけで個性がなくなるよね。自分の内側に突っ込むしかないじゃないですか、個性って。 三浦 感動したシーンを細かく説明する、と? 吉永 いや、「細かく」じゃなくて、「なぜそう思ったのか?」ってことを書いてほしい。ほら、三浦さんが「人魚姫」の映画を見て怒った、じゃあ「何をそんなに怒ったの?」って。 三浦 なるほど(笑)。 吉永 その映画のどのシーンで、どの言葉で、どの表情に怒りがブチキレたの? っていうことなのよ。それを見たときは何となく、わからないままに過ぎ去ってしまう。でも感想文を書くとなったら、思い返すでしょう。 三浦 確かに。 吉永 ブチキレたんだよな、じゃあどうして、どこのシーンで、なぜそれでキレるんだろうって。三浦さんは「人魚姫」の何に怒ったんですか? 三浦 王子様が自分勝手だったから。自分本位だったからということでしょうね。 吉永 へえ、なるほどね(笑)。 三浦 僕の母親がきっと日常的にアタマにきてたんじゃないかな。まあそれで見せたわけじゃないと思いますけど(笑)。何かの気持ちがわいたのかな。 吉永 それだけ大きな感情の動きがあったかもしれない。後で考えるとね。子どもの頭じゃわからないし。でも作文を書けるぐらいの年齢になってくると、文章や言葉で表現する能力が出てくるから、それを何年か経って考えるのもいいんじゃない? 三浦 なるほど(笑)。自分が子の親になったとき考えてみる、とかね。 吉永 「自分ならどうしただろう」と自分の内面に向かうことをする。書くとか話すときに、そういうことが必要。「何となく」だとどうとでも書けるじゃないですか。派手なシーン、印象的なシーンがいいなと思うのはみんなそうでしょ。でも、そこで「なぜいいなと思ったか」は、人それぞれ違うはずなのよ。 三浦 そこが知りたい、と。確かに。テクニックじゃないですからね、個性って。 吉永 だから文章が少々つたなくても、「てにをは」が違ったり「句読点がないなあ」っていう文章もあるけど、でもそんなことも越えるくらいの面白い文章って、あるんですよ、ほんとに。きちっと書かれて「あ、これは指導されて書いたんだな」っていう見事な作文でも感動しなかったりするわけ。反対に、文章は全然ハチャメチャなんだけど、この子、ほんとに楽しかったんだろうなってみずみずしく伝わってくるのもある。それはやっぱり文章のテクニックを超えた、自分の内面の面白さとか自分の感動した部分っていうのを、言葉でちゃんと表現できているんだと思う。うまく表現しようということじゃなくていいと思いますよ。 三浦 上手下手は気にせず、とにかく見てほしいし、書くことにチャレンジしてほしいですね。 吉永 子どもなら、素直に書けばいいと思うの。たとえストーリーに感動しなくたって「このシーンに感動した!」でも「みんながこのシーンがいいと言ってたけどぼくは嫌いだ」でもいいと思う。 三浦 ほんとにね。 吉永 大人はいろいろ忖度しないといけないこともあるだろうけど、子どもなんだからもっと思い切り書きなよ、って思います。何の脈絡もなくても、そのシーンがなぜ良いと思ったんだろう、って自分に問いかけてみれば、例えばそれが小さいときの思い出に繋がっていたかもしれない。そういう楽しみ方でも、その映画はその子にとって大きなものになるよね。 三浦 ただ待っていてもいけないってことですね。 吉永 最近、コスパだタイパだと何でも省略してしまうけど、一枚描くのに一日考える、なんていう時間も大事なんじゃないかと思います。せっかく映画を観たり本を読んだりしたら、書き留めることによって、大人になっていくにつれていろんなものを持つことになるんじゃないのかな。気持ちを言葉に置き換える、その作業をすることで、ものの見方や読解力や感受性が育つ。他の人の発言を聞いて、「自分は全然そこには気がつかなかった」ということもあるんじゃないですか。それらがさまざまなことの気づきになるから。みんなで話し合ったり作文にしたりする時間こそが、若い世代には大事なんじゃないかなって思います。歳を重ねれば忙しくなって、そんな時間がなくなったとしても、自分の中にそういうマルチのチャンネルが育っているかもしれない。それをとても期待してます。 三浦 大事ですね。 吉永 そういえばずっと昔、子どもを連れて「ドラえもん」を見てたらわんわん泣き出しちゃった、「みんな笑ってるのに、何で泣いてるの?」って。忙しかったからついつい聞かずに連れて帰っちゃったけど、何がそんな悲しかったか、ちゃんと聞いてあげればよかったかなって今頃反省している大人の自分がいます(笑) 三浦 今、理由を聞いてみたらどうですか? 吉永 さすがにもう覚えてないでしょ! でも今度聞いてみようかな(笑)。 文・構成=高橋千秋 制作=キネマ旬報社   吉永みち子 ノンフィクション作家・一般社団法人映画倫理機構 映画倫理委員会副委員長。日本初の女性競馬新聞記者。『気がつけば騎手の女房』で第16回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。政府税制調査会、郵政行政審議会、外務省を変える会などの委員を歴任。                 —「次世代への映画推薦委員会」とは― 映倫*は、映画館で上映される映画の区分を指定する業務の他に、「次世代」を担う人たちに見てほしい映画を推薦しています。(ここでいう「次世代」とは、新しい未来を生み出す者、主に未成年と若者のことです) *映倫(一般財団法人映画倫理機構) 表現の自由を護り、青少年の健全な育成を目的として映画界が自主的に設立した第三者機関。 <あらゆる世代に映画を楽しんでいただくために、映倫では4つの区分を設けています> G : General Audience (すべての観客)の略号 PG:Parental Guidance(親の指導・助言)の略号 R : Restricted (観覧制限)の略号   「映画感想文コンクール2024」公式ホームページはこちら 映画は、親子や兄弟、お友達などと同じ映画を同時に鑑賞しすることができます。 映画館から出てくる親子連れが「面白かったね」「泣いちゃったね」などと話している光景はよく見られます。それだけに当たり前の風景ですが、実はとても素敵なコミュニケーションなのではないかと思います。「どのシーンで泣いたのか」「何に感動して泣いたのか」「どこが面白かったのか」「印象に残った台詞は何か」など、感想を言い合う要素はたくさんあります。親子であれば、「あのシーンはこういう意味があるんだよ」「ああいうことができる主人公は勇気があるよね」という解説的なコミュニケーションもできるでしょう。体験を共有した誰かとコミュニケーションしながら感想をまとめていく。これが、映画を素材に感想文を書くことの第一の意義だと考えています。  
  •   くるりのオリジナルメンバーによるアルバム制作に密着したドキュメンタリー「くるりのえいが」が、10月13日(金)より全国の劇場で3週間限定公開。配信も同時スタートする。     〈くるり〉は立命館大学の音楽サークル〈ロック・コミューン〉に所属していた岸田繁、佐藤征史、森信行が1996年に結成。このたび制作されたのはバンドにとって14枚目のオリジナルアルバムで、脱退していた森を加えたオリジナルメンバー3人が2022年に着手した。伊豆スタジオで、0から1を生み出す作業が重ねられる──。 なぜ今3人での制作を選択したのか、どのように曲が生まれるのか? なおアルバムは映画公開に先立って10月4日(水)にリリース。併せて期待したい。   「くるりのえいが」 出演:くるり、岸田繁、佐藤征史、森信行 音楽:くるり オリジナルスコア:岸田繁 監督:佐渡岳利 プロデューサー:飯田雅裕 配給:KADOKAWA 企画:朝日新聞 宣伝:ミラクルヴォイス オフィシャルサイト: qurulinoeiga.jp 公式Twitter:@qurulinoeiga ©2023「くるりのえいが」Film Partners
  •   2014年7月にウクライナのドネツク州で起きたマレーシア航空17便撃墜事故を背景に、同地で懸命に生きる一人の女性を描き、第95回アカデミー賞最優秀国際長編映画賞ウクライナ代表に選出、第38回サンダンス映画祭ワールドシネマ部門監督賞や第72回ベルリン国際映画祭パノラマ部門エキュメニカル賞など41冠に輝いた「世界が引き裂かれる時」が、6月17日(土)よりシアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。冒頭シーン映像と著名人コメントが到着した。     出産間近のイルカと夫のトリクが暮らす家に、轟音とともに大きな穴が空いてしまう冒頭の一幕を、ロングテイクで捉える。この後、修繕に取り掛かろうとする夫婦をよそに、親ロシア派と反ロシア派の対立がエスカレートし……。   〈コメント〉(敬称略/順不同) 加藤登紀子(歌手) 言葉が見つからない。ただもう凄い映画です。 農家の夫婦の普通の暮らしの真っ只中に戦争が飛び込んでくる。 その普通さと異常さが見事に描かれている。2014年にウクライナの東部、ドンバスで本当に起こったこと。 それから9年、今がどんなことになっているのか、ただもう胸が痛いです! 片渕須直(アニメーション映画監督) どんな結末ならばこの物語の人々にとっての救いとなるのだろうと考えながら見続けて、自分たちの非力さを痛く感じた。 映画を見終えてもまだ本当の結末を知ることはできない。描かれるのは、2014年ウクライナ東部ドンバスなのだから。 今もなお矛盾のただ中にある。 児玉浩宜(写真家) 平穏な暮らしに、にじり寄る狂気に満ちた現実。 広大な土地をとらえた詩的映像のなかで、人々の心に静かに巣食う虚しさと主人公・イルカの情動が見るものの心に突き刺さる。 これらの物語の続きが、いまある『世界』なのだと痛感する。 上田洋子(「ゲンロン」代表) ウクライナの田舎の、だだっ広い風景。空と大地のコントラストがとても美しい。 人間の愚かさが調和を乱し、風景は不安定になる。 世界を乱すのは決まって人間だ。寓話的なタッチが、しみじみと恐ろしい映画である。 速水螺旋人(漫画家) 普段の生活は多様な彩りでできあがっている。 それをたったふたつに分けてしまうのが戦争だ。敵と味方、生と死。 乱暴にも土足で、断りもなく。そのとき僕は彩りを守ることができるだろうか。 崩れた部屋を掃除し、レンガを積み直すように。       配給:アンプラグド ▶︎ ウクライナの家に空いた〈穴〉から、未来の惨禍が見える──「世界が引き裂かれる時」

今日は映画何の日?

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