映画専門家レビュー一覧
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MEN 同じ顔の男たち
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映画執筆家
児玉美月
女性が受けうる差別や加害などを、露悪的なまでに暴き出すアレックス・ガーランドの新作は、宗教的な寓意とルックはダーレン・アロノフスキーの「マザー!」を彷彿とさせ、デイヴィッド・リンチの「ブルーベルベット」のように蠢く不気味さを孕み、ラース・フォン・トリアーの「アンチクライスト」からの引用をも厭わない。過去作である「エクス・マキナ」をフェミニズム映画として捉え、それを踏まえた上で観ているかどうかによってもかなり印象が変わりそうな劇薬的な映画である。
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映画監督
宮崎大祐
ヒロインが受ける男性的暴力の歴史に実在論やポスト・ヒューマン的世界認識が絡んでくる。それにしてもアレックス・ガーランドという映画作家はつかみづらい。才気走った演出力やカット割りの精度があるわけではなく、脚本家出身のわりには構成力があるわけでもない。ただし、毎作品必ず一箇所は忘れがたいシチュエーションと強烈なオーディオ・ヴィジュアル体験を用意している。たとえ一瞬であってもそのような体験をもたらすことが出来る映画作家はいま世界にどれほどいるだろう。
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1950 水門橋決戦
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米文学・文化研究
冨塚亮平
旧作かと疑うほどに直球の国威発揚映画となっており驚く。敵の米兵については一切それぞれの背景が描かれないだけではなく、司令官級の人物を除き、顔さえもほぼ映らないままに次々と殺されていく。一方で兵士の顔がはっきりと捉えられる中国側についても、続篇ゆえの省略の関係か家族や背景をめぐる演出は控え目で、仲間のために命を捨てる、捨て身の行為の美徳ばかりが強調される。金のかかった戦闘場面はさすがにある程度の迫力はあるものの、俯瞰とスローの乱用は看過し難い。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
前作を見ていればそれなりに解消されると思われるが、本作単体で見たときには、中心になる人物を把握するのも困難で、語りの視点も散漫になってしまっているように感じた。また主要人物や各隊の描き分けも視覚的なレベルから不十分だと思われる。そのため、一向に人物は個として立ってこず、最後までとある一群の兵士たちのままだが、にもかかわらず唐突に始まる人間ドラマには戸惑うしかなかった。また“英雄的”な特攻ばかりが挿入されるハイライトのオンパレードで、食傷気味に。
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文筆業
八幡橙
前後篇合わせて約5時間半。製作費270億円、エキストラ7万人、中国歴代1位の興収1130億円と、異様なまでにすべてが破格。無尽蔵に続く爆撃、止まない高らかな音楽、終始浮遊するカメラがそれらと共に延々映し出すのは、朝鮮戦争における中国軍の対米死闘、その一点。ツイ・ハーク単独演出の今作は、見せ場が終盤に集中し、より平板な印象に。第7中隊の自己犠牲精神への賛美は、現在の国際情勢に鑑みるだに複雑な思い。伍万里役イー・ヤンチェンシーの眼光が唯一、映画的美点。
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ハッピーニューイヤー
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米文学・文化研究
冨塚亮平
タイトルやあらすじから想像される内容そのままの、高級ホテルを舞台に幅広い世代の美男美女が繰り広げるこれ以上はあり得ないほどにベタでハッピーな物語は、意外性こそ全くないものの十分に楽しめる。なかでもホン・サンスの新たなミューズとなったイ・へヨンがコメディエンヌとして披露する快演は見もの。カップルの数を多少減らせば2時間に収まったのではという疑問は残るが、尺の問題さえ気にならなければ、年末年始の無難なデート映画としては自信を持って薦められる一本だ。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
クリスマス、そして大晦日のホテル舞台に、様々な人たちの恋の模様を映すクリスマス群像恋愛映画だが、特にホテルの男性CEOと女性契約社員のパートは、女性を権力勾配の下に位置させ、性格は純真無垢であり、少し抜けているけど、そこがチャーミング云々という、定番的な描き方を無批判に繰り返しているように感じてしまった。ほかのエピソードでもベタな関係性や展開ばかりが目立ち、また男性同士で人工呼吸をするプールのシーンを揶揄するような演出もかなり疑問が残る。
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文筆業
八幡橙
「猟奇的な彼女」から、既に20年以上経っていることに、改めて驚く。クァク・ジェヨンが幅広い人々の悲喜こもごもを華やかに、軽やかに描くグランドホテル形式の初春映画。歌手のマネージャーに扮するイ・グァンスのエピソードには、「猟奇?」のチャ・テヒョン名場面を自らパロディ化する遊び心も。笑いパートを一身に請け負う自殺志願者役のカン・ハヌルが見せる恋模様も印象的。ゆるさ全開ながら、それでこそお祭り映画。暗いご時世、「狸御殿」シリーズを味わう気分で、お気楽に。
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ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実
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映画評論家
上島春彦
“彼”がどうやってジョン・レノンになったか、という記録映画で必見。出自の社会的な背景が深い。ただし行方をくらました父親とか、少年時代を一緒に過ごせなかった母親とか、伝記的には重要だが話題はそれだけのことになってしまう。音楽的には、プレスリーは当然としてハンク・ウィリアムズの影響が濃厚というのに納得する。ギターじゃなくバンジョーから入ったというのも面白い。そしてそこは母親経由だというのがなるほど、と。やっぱり音楽の件をもっと掘り下げたかったな。
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映画執筆家
児玉美月
ジョンがビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインに一張羅のスーツを着せられるまでの個人史を周辺人物へのインタビューや資料を通して描いたもの。そのなかでも特に彼の幼少期の人格形成に関わる事柄とポールとの出会いに焦点が当てられている。邦題には「真実」という言葉が使われているが、この映画は一般的に流布しているジョンの人物像を転覆するものではない。露悪的な暴露こそないとはいえ、悲劇的な出来事を彼の人格に結びつける物語にもそろそろ飽きてきた。
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映画監督
宮崎大祐
ロンドン以外のイギリスの街について筆者はほとんど想像したことがなかった。リヴァプールといえばビートルズとアンフィールドの街だというくらいで、アイルランドやアメリカ、アフリカ、中国などのさまざまな文化が流入し、混淆する港町だということはつゆ知らなかった。ポールがビートルズのポップさを担っていたとするならば、ジョンが担っていたバンドの混淆性や外部への意志というのはこの街の歴史が育んだものなのかと思うとなんとも興味深く、近々訪れてみたくなった。
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光の指す方へ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
タイトルもそのまま、映写のフィルムチェンジを人生の転機に見立てた、もはや暗喩を取り繕うとさえしていない「映画についての映画」。産業としての映画の終焉を察知してか、世界中の巨匠名匠がこぞって「映画についての映画」を作っている現在、その試みはあまりにも無防備で素朴にも思えるが、本作はその無防備さと素朴さも味方につけて清々しい着地点へと誘う。限定されたロケーション、役者による演技のバラつきなど、商業映画として気になるところは多々あるが。
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映画評論家
北川れい子
ややこしい言い方になるが、後ろ向きなりに前向きな映画ではある。いまや滅多に見かけないフィルム映写機に魅せられた浪人生のささやかな気持ちの張り。といって浪人生の未来が明るいわけではないのだが、等身大の話として実感はある。が彼の姉がオープンしたという設定のミニシアターの活気のなさは、観ているだけで気が滅入るほどで、撮影は実在する青梅の木造映画館、せめてもう少し賑わいを見せてほしかった。これでは早晩、店仕舞いになっちゃいそうで、そっちの方が気になる。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
ああ、これは個人的には、フィルム上映の映写技師経験者としては、ちょっと冷静ではいられない、思い入れてしまうところがある映画ですね。映画のフィルム上映ということが特殊なことになり消えていこうとする今、記録としての意味もあると思う。この主人公ぐらいの年齢で私も映写を習い覚えたし、その後機会があってすごい量の面白い映写をやった。でもそのせいであんまり人生論に重ねたり、象徴的には捉えなかった。この映画が不意に私に投げてきたのは大きな肯定でした。
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I AM JAM ピザの惑星危機一髪!
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脚本家、映画監督
井上淳一
いろんな映画があっていいと思う。活弁付き新作無声映画があったっていい。でも、どうして無声映画なのか、どうして活弁なのかが伝わってこなかった。そもそもなぜ無声映画と活弁が好きなのかも。このスタイルを選択するということは、今の映画のありように何らかの息苦しさを感じているからのはず。なのに、その批評は微塵も感じられない。寓話というのも何か語るべきもののメタファーのはず。それも全く読み取ることが出来ない。84分が長い。スタイルの前に映像と物語の強度をまず。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
チャップリンもキートンも自作自演、つまり監督であり脚本家であり主演であったわけだから、コメディエンヌをめざすという辻凪子が監督・脚本・主演で無声映画を作ったとして何の不思議があろうか。映画が身体表現であることを身をもって示し、そこに作家性を刻みこむことに何の不都合があろうか。「映画がなかったら僕は何なんだろう」というつぶやきが耳に残るのは、チャップリンやキートン作品同様にこの作品も個人の創作意欲と映画が幸福に出合っているからに違いない。
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映画評論家
服部香穂里
マーケティングだのコンプライアンスだのを重視し、誰でもそれなりに体裁の整った映像作品を撮れる時世に、敢えて手づくり感満載の奇天烈な題材を初長篇に選ぶあたり、驚嘆ではある。“スペシャルサンクス”に名を連ねる錚々たる顔ぶれに教えを乞い、「月世界旅行」など数々の無声映画を研究した上で、新しい何かを志す気迫は存分に伝わるが、オマージュやパロディの領域に達しているかといえば疑問が残り、何よりも、映画や笑いの素晴らしさに結実していない仕上がりが切ない。
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ミスター・ランズベルギス
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
手持ちのビデオ画面。砲撃の音。煙。叫び声。何よりそこに集まる人々の顔、顔、顔。名もなき市民の顔がしっかり映されている。撃たれても踏み潰されても抵抗することなくただそこに居座り続ける彼らの顔がずっと頭に残っている。刻々と変わる状況にドキドキハラハラが止まらない。図らずもめっちゃエンタメしている。ランズベルギスが超かっこいい。カメラ目線の彼に惚れる。政治家ってこんな格好良かったんだと気付かされる。4時間ぐらいあるけどまだまだもっと見たかった。
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文筆家/俳優
唾蓮みどり
ランズベルギスの頭の中には、ずっと鮮明に残っているのだろう。圧倒的に聡明さを感じさせる優雅な語りと、歴史を裏付ける膨大な映像の数々によって、リトアニア独立における信念が浮き彫りになってくる。とにかく驚きの連続だ。非暴力を求め、国民の代弁者としてのランズベルギスと対照的なゴルバチョフの像。まさに現在への批評とも受け取れる必見の一作。政治家とは国民の代表に過ぎない、が、それを体現することは難しい。国が国として存在するとは何か、考えさせられる。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
前作「バビ・ヤール」(21)ではアーカイヴ映像のスペクタクル化が図られた。今作ではアーカイヴに「記録」という地位が与えられ、30年前を語るランズベルギスの「記憶」と対をなす。記録と記憶の平行モンタージュというわけだ。しかし、単に過去に迫るのではない。製作開始は20年3月。ソ連の暴力に屈せず独立を勝ち取るリトアニアの歴史を前に、多くの観客がロシアによる侵略に抵抗し続けるウクライナの現在を想起することだろう。この接続を是とするか非とするか。
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