映画専門家レビュー一覧

  • トゥモロー・モーニング

    • 映画批評家、都立大助教

      須藤健太郎

      字幕では「独裁者」と訳して処理していたが、相手を非難するときに「ホー・チ・ミンのように振る舞う」と口にしていて驚いた。恵まれている人たちの悩みにこんなに延々付き合わせる映画もいまどき珍しいが、これが時代錯誤のブルジョワ賛歌の反共映画だとしても、ホー・チ・ミン? まさかポル・ポトと間違えてるとかじゃないよね? 単にいけ好かない人たちがいけ好かないことを言ったりしたりしてるだけのお話に見えるんだけど、ミュージカルなので耳に残ってしまう。ラララ♪

  • 少年たちの時代革命

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      低予算やゲリラ撮影ゆえの制限によって、画面のレベルで見ると弱い部分があるのは否めないし、やや甘口な脚本も賛否が分かれるところだろう。だが同時にそうした甘さは、ある意味で芸術としての完成度をある程度犠牲にしても、民主化デモを捉えたドキュメンタリーでは表現できない直球のメッセージを、あえて今劇映画で打ち出さねばならないという製作陣の切迫感や使命感と表裏一体のものでもあるはずだ。ベタさの裏に透けて見える覚悟に泣かされる一本。学生はぜひ観てほしい。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      香港の民主化デモを捉えた優れたドキュメンタリーが作られるなか、フィクションを通して果敢に現代の香港を映し撮ろうとする試みはとても心強い。デモそのものを描くのではなく、現状に絶望し自殺を試みる若い女性と、彼女を救おうと、町中を駆け回る若者たちの、そのエネルギッシュな様はドキュメンタリータッチな映像と相まって実に魅力的。しかし、泣く芝居や回想シーン、女性を発見する際の演出に特に顕著だが、物語的な場面になると途端に嘘くさくなってしまうように感じた。

    • 文筆業

      八幡橙

      「メイド・イン・ホンコン」(97)を含む返還三部作のフルーツ・チャンに師事したというレックス・レンと共同監督ラム・サム。彼らが描くのは、時代革命のさなか若者の自殺を阻止すべく奔走した民間捜索隊の奮闘と葛藤の日々だ。返還後20年以上経て若者たちが背負う底なしの絶望と、それでも手を取り合い繋ぐ一縷の希望。軽んじられる個の自由や身近な者との価値観の相違など、時代が抱える普遍のテーマがずっしりと響く。「メイド・イン?」の頃とは異なる香港の熱に胸が詰まった。

  • ラーゲリより愛を込めて

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      シベリア抑留の映画化に心トキメいた。すぐに、抑留の描写は瀬々さんがやってさえこの程度なのかと絶望した。雪に覆われているのに寒さは感じず、食べ物不足は描かれても飢えは伝わってこない。なんちゃって描写の連続。日本映画の限界か。なら、日本映画は本当にクソ。韓国映画から周回遅れどころじゃない。走っているトラックが違う。それは他人事ではないのだけれど。結局、泣かすのは犬と死。遺書のくだり、長過ぎるって。作品の失敗は後に続くこの手の企画を殺す。せめて入れ。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      弱者への共感――。メジャーの大作やメロドラマであれ、自身が企画した野心作であれ、瀬々敬久の映画に一貫するのはそれだと思う。そんな瀬々の資質が明確に表れた作品。苛酷な抑留生活に加え、敗戦後にもかかわらず旧日本軍の階級の序列が温存されたソ連収容所での不条理を実に生々しく描いている。みなが長いものに巻かれ、道義に目を背ける。一人を生贄にして、大勢で攻撃する。極限状況がいかに人間を追い詰め、弱き者が犠牲になるか。それはまさに今日的なテーマだ。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      俳優陣の真摯な熱演が光る良作とは思いつつ、主人公との関わりのみで機能している風にも見える登場人物像への物足りなさに加え、呆気にとられるほどの元野良の忠犬ぶりや、四者四様の戦友の巧妙に伏線を回収する役回りに、少々あざとさを覚える。結婚式に始まり結婚式に終わる構成も、悲痛なストーリーにポジティブな彩りを与えてはいるが、家庭や家族を築くことこそが愛の前提であるがごとき古めかしい価値観が随所に見え隠れし、作品の間口を狭めてしまったように感じられた。

  • 天上の花

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      昨今なら「有害な男らしさ」という安易な言葉で回収されてしまいそうな詩人=芸術家である主人公の愚かさを、主人公をことさら自罰的に描くのではなく、その妻にもことさら寄り添うことなく、腰を据えてじっくりと慎重に浮き上がらせていく。「貧すれば鈍する」のは男も女も同じという意味では、現代的なテーマも内包していると言えるのか。個人的にはこの種の悲痛さを映画に求める嗜好はないのだが、東出昌大が替えの効かない優れた役者であることを再認識した。

    • 映画評論家

      北川れい子

      詩人・三好達治が執着し渇望した慶子(萩原朔太郎の妹)のキャラクターが小気味いい。演じる入山法子のいかにも血の気が薄そうな華奢な容貌が役にピッタリなのだ。そんな慶子に振り回される男のエゴと無様さを描いたナマ臭系のメロドラマで、朔太郎をはじめ、当時の文壇のお歴々がチラチラ登場するのも興味深い。戦時下という時代背景も。ただ大人の男と女の関係は、文壇人であろうがなかろうが、所詮お好きにどうぞとしか言いようがない。「あちらにいる鬼」よりは素直に観たが。

    • 映画文筆系フリーライター。退役映写技師

      千浦僚

      私が映画の良し悪しを測る基準のひとつは人間の本性に迫っているか、それを表しているかだが、本作はそれがある。わざわざこう書くのは本作への不買運動めいた意見表明を目にして、それに強い違和感があるため。それが東出昌大氏のプライベートへの批判と融合するのもいやな感じがある。私は浮気、暴力沙汰、シャブ、やくざとゴルフなどをする役者こそ人間について何かを見せてくれるのではと期待する。自分のなかの三好達治に対する戒めとなる、観甲斐のある良い映画。

  • 光復

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      深川栄洋を観るのは長篇デビュー作の「狼少女」以来だと気づいた。それほど、僕にとってはどうでもいい映画を撮る「撮り屋」さんだった。しかし、こんな切れ味のいいナイフを懐に隠していたなんて。不幸を凝縮したような地方都市に住む中年女性。こんな人、たくさんいるはずと思わされるリアルさ。そこに自己責任など入り込む余地はない。世間の無関心と悪意。その着地点が出家じゃイヤだなと観ていると、思わぬオチが。久しぶりに「あ」と声を上げてしまった。培った技術。映画を観た。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      深川栄洋の原点回帰というより、「櫻の園」の宮澤美保の久々の主演作として記憶に刻まれそうだ。地方に住む認知症の母親の介護のために婚期もキャリアも逃した40代の女性。その一筋の光であった不倫の代償としての転落物語。殺人容疑をかけられ、秘密を暴かれ、暴行され、車にはねられ、失明する。石を投げられ、貶められ、いじめにあい、家を失う。まるで現代の「西鶴一代女」だが、社会の陰湿さという点ではもっと救いがない。行き着く先は「空」の思想ということか。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      人生の道半ばで両親の介護に明け暮れるも、いつしかその献身のみが、皮肉にも唯一の生きる意味となっていた40代独身女性。見て見ぬふりしたい生々しい現実を突きつける導入部なんて序の口とばかりに、彼女に付きまとい続ける果てなき悲運。“善意”の危うさを一刀両断し、怒涛の負の連鎖に身を委ねることでしか、真の平穏の境地には達し得ないとさえ思えてくる逆説的幸福論が、鬱屈した時代ゆえに救いとなり得るかもしれない、監督と女優夫婦二人三脚の系譜に新たに加わる渾身作。

  • 散歩時間 その日を待ちながら

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      舞台となった2020年11月を想う。コロナにも結構慣れて、閉塞感もわりと薄かったような。それ故か、どこか薄ぼんやりした群像劇。重いことも軽く言う、または言わない。そういう若者たちでドラマを作るのは難しいと言えば難しい。しかし、せっかくコロナ禍のリアルを描くなら、ちゃんと取材して生きた人物を描けなかったか。なんか頭の中で書いた台詞ばかりで。いや、頭で書くんですけどね。役者はみないいのに。そしてまたAFF。散歩とか言ってないで、ちゃんと苦しんで作ろうよ。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      コロナ禍によるステイホームの状況の中で生きる人々の群像劇。ホームパーティーを開いたり、フードデリバリーで働いたり、学校行事がなくなったり、帰省できなくなったり。ありがちな設定の中で、それぞれにもどかしさを感じている人々が、流星雨の夜に空を見上げる。コロナ禍を描いた映画が濫作される一方で、生々しかった蟄居の感覚は次第に薄れてゆき、あとに残るのは人物一人ひとりが抱える心の重さしかない。この作品が凡庸なテレビドラマのように軽いのはなぜだろう。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      当たり前のように享受していたことが、いかにかけがえのないものであったかを痛感させられているコロナ禍を背景に、劇的というほどではないが、いつか振り返った際に、何となく記憶に残り続けているに違いない一日を追う、ささやかに見えて意外に壮大な群像劇。新婚早々ピンチを迎える夫婦から、恒例行事の中止で想い出をつくりそびれた中3生まで、ままならない日常を強いられる各世代の男女が、舌足らずも率直な対話を重ねて前を見据える姿に、心がふわりと軽くなる好篇。

  • 夜、鳥たちが啼く

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      ついに城定秀夫が佐藤泰志の世界までモノにして、と書こうとして、待てよ、これは城定がピンクでずっと描いてきたことと地続きではないかと思い直す。傷ついた人たちの再生は王道だが、微妙な匙加減を間違うととんでもなく陳腐なものになるのは数多の映画が証明済み。脚本も上手い城定が高田亮に脚色を託した意味と意義。山田裕貴と松本まりかがこんなにいいなんて。森優理斗は天才。これも脚本と演出の力なのだろう。「恋のいばら」も面白かったし、城定快進撃はいつまで続くのか。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      離れのプレハブに寝起きする男と、母屋に幼い息子を連れて転がり込んできた女。売れない小説家と職場の先輩の別れた妻との微妙な関係が、微妙な空間の中で発展する。佐藤泰志の世界は、たとえ函館が出てこなくとも、そうした特殊な空間が生み出すドラマなのだと納得。そういう意味で佐藤原作映画の中で最も作為を感じさせないシンプルな作品。脚本の高田亮はそこらを深く理解しているし、城定秀夫はうってつけの演出家に違いない。バツイチ同士の男女の渇きと怖れが生々しい。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      興味をそそる座組から想像されるものとは幾分違う爽やかな味わいに、意表を突かれる。子どもが“お荷物”から“かすがい”に進化する、だるまさんが転んだに興じる名場面もあるが、発情期の鳥のごとく求め合うふたりの芯のようなものが曖昧で、恋人に見限られた後も散見する私小説作家の粗暴で粘着質な一面も、ひとり寝が不得意なシングルマザーの弱点も放置したまま、なし崩し的に現状維持をよしとされても、“婚前家庭内別居”の相手が代わっただけで、彼らの今後を憂慮してしまう。

  • MEN 同じ顔の男たち

    • 映画評論家

      上島春彦

      ここ数年、気になっていた浮き彫り彫刻が教会場面でドンと出現し、驚く。プレスで“シーラ・ナ・ギグ”という名称を初めて知った。なぜ気になっていたかというと、これは古事記に出てくるアメノウズメノミコトの陰部露出(そのおかげで世界に陽光が再来する)に通ずるイメージだから。洋の東西問わずエロ本屋さんの女神みたいな存在はいるのだ。しかしこの映画では和合を祝うのでなく、禍々しい単性生殖の極限として解釈され、クライマックスに現れる。ここだけでも必見の価値あり。

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