映画専門家レビュー一覧
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ミセス・ノイズィ
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映画評論家
吉田広明
騒音おばさんが実は真っ当な人だったら、という発想が面白い。ただ、いささか直線的。「被害者」の視点とおばさんの視点で同じ出来事が語られ、台詞も違っていて観客を惑わせるが、その不確定性は持続せず、おばさん視点が正しいというのが結構早い段階で明らかになってしまう。どちらが正しいのかを逆転させる展開の面白さよりは、どちらが真実なのか分からないという曖昧さのサスペンス、どちらも理があるように見えるという人間社会の複雑さを選ぶ選択もありえたかと思う。
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バクラウ 地図から消された村
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
とにかく痛快だ。暴力を見たいとする抑えがたい欲望は、作品内の加害者や被害者、そして復讐者を通して我々に届けられる。我々鑑賞者の窃視欲動的な覗き見嗜好は、エロティシズムとも通底しているはずだ。物語上、暴力を正当化するには、まずは陰惨な抑圧・暴力があり、それに対する反動報復として描かれる。それでこそ理に適った正しい暴力となる。シューティングゲーム、地図、国家、共同体、法、そして映画も、ひとつの現実の写しであり、遊びである。人間の遊びが満載。
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フリーライター
藤木TDC
映画の中間点でテイストがガラッと変わり驚くが、終盤で前半・後半の統合に完璧に成功していて「やられた」となる。前半はブラジル・ペルナンブコ州山間部集落のノンビリした日常を淡々と描写、独特の葬列シーンはドキュメントを見るよう。ただ、芸術映画的でもありエンタメ好きには退屈かも。ところがそれは大いなる伏線で、後半はジャンル映画調に派手に展開しつつ深刻な格差・環境問題を訴える。珍しいテーマではないものの構成が周到。UFOの使い方が斬新で興味深かった。
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映画評論家
真魚八重子
現代の「風変わりな映画」ジャンルで流行しているテーマを、70年代の類似した映画と引き合わせて、ハイブリッドを生み出す手腕のある監督だ。そして決してB級に堕すことなく、核心には触れず周縁を回り続けるような茫洋とした語り口でアート映画を装う。ただ、もし「ウィッカーマン」に村人目線があったとしても、オチで驚かすストーリーのためお茶を濁していたら、結局いまそれをやるのは無為なのではないか?現実味として無理がある結末と、語りこぼした匂わせ要素があざとい。
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完全なる飼育 etude
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映画評論家
北川れい子
女性演出家と若手男優が、密室化した劇場のセットが組まれた舞台の上で、現実と虚構(芝居の世界)を反転、反復させていく――。コンパクトなりに重量感がある設定で、俳優たちもツバが飛ぶような大熱演。シビアな演出も、ライティングが効果的なカメラも、抜かりがない。説明ゼリフが多いのが気になるが、ま、ギリギリ、セーフ。が残念なのは、孤独を口実にしたメロドラマもかくやのエンディング。「飼育」シリーズの定番といえばそれまでだが、折角の野心作もこの着地では徒労感が。
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編集者、ライター
佐野亨
松田美智子のノンフィクションから出発したこのシリーズ、いまでは特定の密室空間における男と女というシチュエーションを応用し、それぞれの作り手の性的観念を披歴する実験場と化しているが、その意味で今回は密室の設定に捻りが効いていて、長期シリーズならではの重層的なたくらみがうかがえる。実相寺昭雄の偉大なる失敗作「悪徳の栄え」を思わせる舞台装置のなかで、月船さららの身体性が存分にはじけているが、なによりそれを陰翳豊かにとらえた撮影・池田直矢の功績が大。
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詩人、映画監督
福間健二
月船さららのヒロインは、芸術について根本的に錯覚しているとしか思えない劇作家。市川知宏と金野美穂の演じる男女二人だけが出る、江戸時代が舞台の、その作・演出の劇のリハーサルが主な内容。劇の中身に現実の人物の葛藤が絡む。濃い目に凝った画づくり。加藤監督、こういう趣味なのか。それとも、いまへの強烈な主張があるのか。どっちだとしても、表現についてヒロイン同様のカンちがいがあると思う。鳥肌立ちながら、部分の質感に労力と真剣さを感じるだけにつらい気がした。
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記憶の技法
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映画評論家
北川れい子
ときどき記憶にない記憶が浮かんで気を失ってしまう17歳の女子高生。親や学校はほったらかし? パスポート申請をきっかけに自分が養子であることを知る。親はどうしてその事実を事前に伝えないの? 17歳もどうしてそのいきさつを信頼している両親に素直に聞こうとしないの?そのくせこの17歳、行動力だけは人一倍、同級男子を強引に巻き込んで自分の出生の謎探し。原作漫画も、その作者についても全く知らないが、冒頭からご都合主義と思わせぶりの連続で、その真相もあざとい。
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編集者、ライター
佐野亨
池田千尋の映画は、物語を描くための背景としてまちを捉えるのではなく、まちのたたずまいそのものが物語を語り始めるところに特徴がある。新宿副都心を臨む屋上風景、博多へ向かうバスの車窓からの眺め、玄界灘を背にした北九州の天景。これらの風景が物語の節目に「韻」として挟みこまれることで、記憶のなかのおぞましい光景とかけがえのない現在の時間とが、ゆるやかに、感動的に切り結ばれていく。脚本・髙橋泉の系譜で見ても一貫したモティーフが読み取れて興味深い。
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詩人、映画監督
福間健二
髙橋泉脚本で池田監督。期待したのだが、こういうことでしたと最後まで持っていくのが精一杯という感じで終わった。いま、映画は回想の扱いがむずかしい。記憶の回復、こうなるのだろうか。もともとかなり無理な話。ヒロインの石井杏奈は表情がその無理に負けている。それに対して、高校生に見えない栗原吾郎はリアリティーのなさをこえて引きつけるものがある。池田監督、またしても性関係のない若い男女を一室においた。こうであっていいという持論があるなら聞きたい気がする。
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君の誕生日
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映画評論家
小野寺系
まだ6年ほどしか経っていない、セウォル号沈没事件を題材とした、被害者遺族や、遺族の悲しみに寄り添う人々へ向けたドラマ。責任の追及や事故原因などには触れず、日常生活がまともに送れないほどの遺族の感情を描くほか、被害に遭った少年を悼む会のなかで、関係者が泣きながら慰め合うシーンで映画は最高潮を迎える。端的にいえば集団的セラピーのような性質の作品で、これも劇映画の一つの形であることは認めるものの、もう少し別の表現はなかったのかとも感じてしまう。
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映画評論家
きさらぎ尚
悲しみの深さ、悲しみとの向き合い方は人それぞれ。家族の中でも、それは相手との関係性によって一様ではない。大型旅客船セウォル号の沈没事故で息子を亡くし、それが引き金になって離婚の危機に直面している主人公夫婦と娘の一家三人。大事故の遺族というくくりにせず、喪失感を父・母・妹の、個人のあり様に落とし込んだ物語にしているのがポイント。その上で隣人、息子の友だちや救出された者、被害者の家族や支援者、補償の問題をバランスよく取り込み過不足のないドラマに。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
「オアシス」のソル・ギョング、「シークレット・サンシャイン」のチョン・ドヨン、と名優二人が素晴らしい仕事をしており、セウォル号事件というセンセーショナルなネタを扱いながらも韓国映画お得意のあざとい社会派には寄せず、被害者家族の喪失感を静謐な筆致で紡いでゆく抑えのきいた演出が見事なだけに、誕生会シーンの大仰さは個人的にどうにも受け入れ難く、これではいつまでも彼らの時間は止まったままではないかと思ってしまうのは国民性や宗教観の相違ゆえかもしれない。
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ヒトラーに盗られたうさぎ
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
彷徨い故郷を喪失するユダヤ人の歴史は古い。神話の世界から脈々と繋がる不可思議で神秘的な運命は、非ユダヤ人にとっては永遠に理解できない謎のまま放置される。しかし、その謎を宙吊りにし、中身を論じず解けない彼方に押しやるのではなく、この作品はユダヤ人を等身大の普通の良くできた可愛らしい子どもとして描いた。映画史に貢献するような描写や脚本解釈はなく、アンナ役の女優の視覚的な可愛らしさ、楽天的で優秀な美形家族は最大公約数の観衆に受け入れられるはずだ。
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フリーライター
藤木TDC
中年男が孤独の癒しに見る映画ではない。しかし児童文学を原作にしつつ子供に媚びず、大人の観賞に耐える上質の演技・撮影・美術で悪くはない。戦前に早くもベルリンから逃避したユダヤ人家族の経験は「アンネの日記」「ソハの地下水道」、まして「異端の鳥」の苦難と較べようもないが、悲痛度が強すぎず原作者の絵本ファンも受け入れられるだろう。一点、映画のように失業中の夫に優しさを貫く妻が現実にいるか疑問。主力を女性客に想定しているのか、妻の描写に甘さを感じた。
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映画評論家
真魚八重子
実話ゆえだが、ナチスや迫害されたユダヤ人をテーマにした中では、珍しくのびのびと豊潤な少女期を捉えた作品になっている。主人公はもちろん、両親それぞれの人柄、周囲の人々のキャラクターも戦争にまつわる映画の範疇を飛び越えて、非常に厚く個性的だ。常にナチスの手が伸びる危機感は感じさせながらも、戦争を直視するのではなく、少女の生活を中心にして横滑りしていくような柔軟さがあって不思議な喜びを感じる。回帰するのではなく、変化と順応の連続の物語も爽やかだ。
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アーニャは、きっと来る
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
すっかり売れっ子のノア・シュナップ、「エイブのキッチンストーリー」に続く主演作。パリ在住、まだ30代の英国人監督ベン・クックソンは、30年前のマイケル・モーバーゴのヤングアダルト小説を何の工夫もなく映像化することに終始していて、ここから「2020年の映画」ならではの意義を汲み取ることは難しい。ピレネー山脈の雄大な風景と、トーマス・クレッチマンら脇を固める名優たちの安定した仕事は、年配の観客には一定の満足感をもたらすのかもしれないが。
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ライター
石村加奈
物語の舞台となったピレネー地方で撮影を行った成果が、主人公ジョーの表情に表れている。マイケル・モーパーゴの原作より1歳年上の設定は、原作の邪気のなさを程よく抑えて、少年の成長をリアルに見せる。ベンジャミンと出会った時に自ら名乗る分別や、ナチス伍長から荷物を取り返せない躊躇いなど、ささやかな大人っぽさが、伍長との別れのシーンで「知らないの? それとも考えたくない?」と詰め寄るジョーの気持ちに説得力をもたらす。山頂で伍長が引用する『山の詩』も印象的。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
いつの時代、どんなコミュニティの中でも差別は生まれるが、それを守ろうとする動きも同時に生まれる。本作は南仏の村を舞台にナチスのユダヤ人狩りから子供たちを救う少年ジョーの物語だが、演じるノア・シュナップが良い。あどけない美少年っぷりもさることながら、繊細な感情表現が巧みで、常に揺れ動くジョーの心理を体現している。ユダヤ人の逃亡者、ナチスの将校、そして実の父、3人の「大人の男」との関係性、その変化が対等な人間同士の本来の姿を再認識させ、希望に繋がる。
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サウラ家の人々
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映画評論家
小野寺系
女性との数々の遍歴があるスペインの著名な芸術家といえばパブロ・ピカソを思い出すが、カルロス・サウラの奔放さはそれを超え、4人の妻を迎え7人の子をもうけたという事実を本作で知る。その子どもたちと対話することで明かされていく監督本人のパーソナリティには情報的な価値があるものの、対する子どもたちの遠慮がちな態度が次第に気になってくる。実際にはそれぞれの家庭の軋轢やわだかまりは、より深刻だろうし、そこを厳しく弾劾する内容の方が面白かったのでは。
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