映画専門家レビュー一覧

  • サウラ家の人々

      • 映画評論家

        きさらぎ尚

        写真を撮り、絵を描き、4人の女性との間にもうけた7人の子どもたちと語らうC・サウラ。過去のことを話すのは好まないと言いながら、その7人と率直に、父子関係から彼らの母親たちとのこと、過去の様々な記憶までを話している。結果的には、質問に答えて語るよりも、多くが明らかになったのではないだろうか。監督F・ビスカレットの当初の方法とは違うという皮肉を含め、かなり面白い。書斎の設え、絵を描く手の力強い動き。書斎から生中継をしているようなライブ感がある。

      • 映画監督、脚本家

        城定秀夫

        スペインの巨匠カルロス・サウラの監督作品を「カラスの飼育」しか観ていない自分でも、4人の妻との間に7人の子供を持つと聞けばその私生活には好奇心が向くし、彼の子供たちにインタビュアーを任せるというコンセプトも興味深いのだが、本作の監督が要所で言い訳じみたナレーションを入れている通り、「被写体のサウラが性格的に自分を語りたがらない」という致命的な難点を映画が乗り越えられていないため、印象に残るのはドキュメンタリーらしからぬ映像効果や空間設計ばかり。

    • 脳天パラダイス

      • 映画評論家

        北川れい子

        ヤケッパチの美学。デタラメの祝祭性。パターンの背負い投げ。究極の千客万来――。そう、こういう映画が観たかった。こういう映画に飢えていた。何より素晴らしいのは、山本監督が、舞台となる豪邸を、大袈裟に言えば地球規模(!!)で開放していること。ここには分断も境界も差別も偏見もなく、人類みな仲間、歌って踊れば気持ちは一つ。いくつかのエピソードに現実を取り込んではいるが、あくまでも踏み台で、あとはイッちゃえ、ヤッちゃえの楽天性、こちらももうノリノリ。

      • 編集者、ライター

        佐野亨

        この種のハチャメチャお祭り映画は、たとえば近年では福田雄一や英勉の監督作品がまさにそうした路線を志向しているとおぼしいが、山本政志の場合は、閉じた楽屋落ち的くすぐりやTVバラエティ的な仕掛けに頼らず、どこまでも映画というメディアそれじたいの祝祭性に立脚している点がすがすがしい。一見するとアンモラルな要素も、すべてを均等に異化し、笑い飛ばす「アニマル・ハウス」的な徹底ぶりによって厭味のない多様性讃歌に昇華されている。ダンス含め小川未祐がうまい。

      • 詩人、映画監督

        福間健二

        共同脚本の金子鈴幸の力も大きいと思うが、山本ワールドの集大成と言える量感たっぷりの迫力がうれしい。パーティーで出し入れ自由にした広い豪邸に異色の人物と空間を次々に呼び込むという着想。ヒロインあかねを演じる小川未祐が歌って踊れるように、ショー的展開を見込んだキャスティング。そのショーはいくつもの境界をとびこえる。どの人物の心理もヤケクソ感と承認要求が似ているのは惜しいが、上品さとは無縁のこういうノリでしか突破できない壁がこの国にはあるのだ。

    • フード・ラック!食運

      • 映画評論家

        北川れい子

        焼肉映画を観に行くよりも、焼肉を食べに行きたい!! おっと、それを言っちゃっちゃあ、ダメか。ともあれ、劇中に登場する数々の焼肉に関しては文句なし、美味そう。そういう意味では空腹時には向かない映画である。それにしても、セリフがあるのにあれこれ画面に字幕を入れる演出が実にうっとうしい。焼肉に関するプロ的なウンチク。主人公となるフリーターが出会う店主たちのこだわりや技は、業界ネタとしてワルくないが、音楽が浪花節の合いの手のようなのもズッコケる。

      • 編集者、ライター

        佐野亨

        料理を扱った映画のむつかしさは、なによりも画面のなかの料理がことごとく美味しそうに見えないという根本的な問題に起因する(たとえば料理そのものをふんだんに画面に登場させた伊丹十三の「タンポポ」と、実際には料理以外の要素が映画を動かしていく森﨑東の「美味しんぼ」を比較してみるがいい)。とすれば、いやというほど肉を画面に映し出してみせたこの映画の出来は推して知るべしで、テロップの多用含めTVの安っぽいグルメ番組以上のものがなにひとつない。

      • 詩人、映画監督

        福間健二

        おいしいものを大事に味わって食べているとよいことがおこり、その連鎖で人生が充実していく。「食運」ってそういうことであってほしいが、「食通」の寺門監督、食をめぐる幸福のほんの一部しかわかっていないような作り方だ。子ども時代に料理人だった母の作る焼肉を食べてそれで味のわかる力と知識をもった主人公だが、悔恨からか、基本が浮かない顔。声もよく出ていない。母に対して悪いことをした。その母は重い病気だ。早く謝りに行け、だろう。最後に出される意見もかなり平凡。

    • 滑走路

      • フリーライター

        須永貴子

        歌集の映画化だが、歌人も短歌も出てこない。歌人が歌に込めた希望と願いが、映画オリジナルのストーリーから放たれている。見事な換骨奪胎である。また、登場人物の名前の一部を黒塗りにするギミックにより、中学時代とおよそ22年後の現在時制からなる、人物相関図に対するこちらの推測を気持ちよく裏切ることに成功している。“夫が妻から言われたくない言葉ランキング”があるならば、間違いなく上位に食い込むあるセリフも鋭く、優等生映画からはみ出さんとする気概を感じるが。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        こういう映画を観るとなぜかほっとする。身内ファースト自己満ガラパゴス映画ばかりが横行するのにうんざりしていただけに、爽やかな風に身体を撫でられた気がした。テーマは普遍的で重い。が、見つめ続けなければいけないテーマである。いじめっ子トランプは小学生の心のまま大統領になった。いじめられっ子が死ぬほど苦しんでいるのをよそに、奴らは小躍りするように人を踏みつけて出世していく。ストーリーラインは鉄板だが、着実にその道を踏みしめている。ああ、良かった。

      • 映画評論家

        吉田広明

        三人主人公がいて、それぞれに時間が違っている、というのが結構後になるまで分からないという作劇は面白いが、浅香の時間と水川の時間の差があまり生きていない気はする。いじめに耐え、学校に生き続けることを選んだ少年がなぜ十数年後に自殺せねばならなかったのか(原作の歌人がそうらしいが)、昔いじめられてそのトラウマというのでは踏み込み不足、本来それを踏まえて浅香と水川がどう変わったのかまで描くべきで、それがないため何となく前向きな終わりも納得いかない。

    • 泣く子はいねぇが

      • フリーライター

        須永貴子

        なかなか大人になれない男性の葛藤を描く映画が数多ある中で、本作が他との差別化に成功しているのは、なまはげに始まりなまはげに終わったことだろう。地元の男の縦社会では、伝統芸能も父権主義も継承し、周りと同じ仮面を被って、思考停止して流されるのが一番楽な生き方だ。一度のミスでそこからこぼれ落ち、都会で揉まれ、地元に戻った主人公は、最後に自分の意思でなまはげの仮面を着ける。「泣く子」とはおそらく主人公のこと。仮面の下の泣き顔が想像できた。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        「監督・脚本・編集……」。今はこれがトレンドになんだろうか。映画はいつから集団芸術から個人技になったのか。長篇デビューを意識していたのかいないのか、スタイルの確立に苦心している様が見えるようだ。脇の人物が面白いセリフを言う。映像も悪くない。が、肝心なことがよく描かれていない気がした。男と女の履歴がまったく見えないから、二人を思う手掛かりがない。結末はああしかならないだろう。なら、道草をしないでそこに至る太い道をまっすぐ突き進むべきではなかったか。

      • 映画評論家

        吉田広明

        映画には語られる表の物語と、明示的に語られないが時折表に浮上して干渉する裏の物語がある。裏をどれだけ考え込んでいるかが映画を深くし、その浮上の動きが映画を動かしてゆく。主人公にとってなまはげとは、その面を彫ったという父の存在とは何だったかという、主人公の人生を支え、それに意味を与えるはずの重要な要素が考えこまれていないため、取って付けたような設定にしか見えず、物語は表面的に推移してゆくとしても、映画が映画として動く瞬間が全く見られない。

    • THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女

      • 映画評論家

        小野寺系

        香港と中国、富裕層と貧困層など、分断された世界を越境する者の自意識や生活の問題を、華奢な少女と都市の暴力性とを対比させながら描く。その意味で相米慎二監督作や、現在の中国と日本のバブル期との相似を想起させられる。現代的な小道具の使い方や、時折挿入される音楽のフレーズも効果的で、これが長篇初監督だとは思えないバイ・シュエの手腕は、今後重宝されるだろう。一方、劇映画として映える見せ方が追求されたことで、少女の困難をリアルな問題として捉えづらい部分も。

      • 映画監督、脚本家

        城定秀夫

        ごく普通の女子高生がスマホの密輸という中国特有の犯罪に手を染めてしまうという物語を思春期の気持ちの揺らぎに寄り添うことで説得力をもって成立させており、描写力の高い端正な演出に唐突に差し込まれるアヴァンギャルドなカットやサウンドデザインにも新人離れした才を窺わせる有望な監督であることに異論はないが、同じことの繰り返しに見えてしまう犯罪劇には脚本の脆弱さを感じてしまうし、適材適所が過ぎるキャラクター造形も今ひとつ凡で、あと少し艶とコクが欲しいとも。

    • ホモ・サピエンスの涙

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        33章の人類のエピソードは喪失や欠落、失望の物語だけではなく、たまには喜びや希望もある。人の感情は喜怒哀楽で分割できるものではなく、それらは総て同時に起きる。しかもそれらは割合が異なり、刻々と変化していくのだ。そしてただの4個の感情には到底収まらない。歯痛や精神的な悩みは、他人には痛くも痒くもない。しかし、これらの人類の感情の見本陳列ケースは、見る者の経験やその日の状況によって響き共鳴する。これは不在の神によって織り上げられた現代の聖書だ。

      • フリーライター

        藤木TDC

        北欧の奇才の久々になる意欲的新作を「つまらない」と腐すのは勇気がいるが、正直、何度か寝落ちしてしまった。美しい構図で絶望する人間の様態を点描した一枚絵の展覧会。オチのない『ゲバゲバ90分』(古すぎ?)というか、他人の悲しみが生む傍観者(観客)の微細な喜びを小話の連続から検証する感情実験、といえば紹介にはなるか。観賞後しばらくして何かがジワジワくるのは確かだが、それだけでは……。何年か後には気が変わって評価するかもしれないが、今は薦めない。

      • 映画評論家

        真魚八重子

        いつもながらのアンダーソン節。美術も演出も前作からの続きのようで基本的に変わりない。ただこれまではもっと突飛な設定や、静謐とはいえ登場人物に動きやうねりもあった気がするので、本作は一連の作品の中だるみか。ただでさえ静止画のような映画なので、演出が落ち着いてしまうとダイナミズムに欠けて吸引力が減少する。もちろん元々の世界観が秀逸で、美術も空間造りもずば抜けているから見応えはある作品なのだが、アンダーソンに対するハードルが上がっていたかも。

    • 家なき子 希望の歌声

      • 映画・音楽ジャーナリスト

        宇野維正

        「家なき子」のような児童文学の古典が繰り返し映像化されることには意味があるのだろうし、リュック・ベッソン組の撮影監督ロマン・ラクルーバによるコントラストの強いクリアな映像は、作品世界を壊すことなく若い世代にとっても馴染みやすい現代風のルックを与えることに成功している。しかし、原作の「優れたダイジェスト」以上のものだとは思えず、自分のような観客のための作品ではないということを差し引いても、映画としてどこを評価したらいいのかわからない。

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