映画専門家レビュー一覧
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JK☆ROCK
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
親がかりの金持ちを、映画のキャラクターとして良い奴だと素直にうけとめるのに抵抗がある。これって世代的なものか。いまのヤングは平然と、ステキ! あんな外車乗り回してる大学生のケツ舐めたい! ってなるのか。まあ本作はそこからもう半歩ほど踏み込んで、そういう恵まれた奴の頑張りとかそいつでも挫折や屈託があるとかやってたけれど。ヒロインの、ドラムの娘が良い。前回の本欄の対象映画「Bの戦場」にも関係あるが、要するに日本映画は“いい女”というものの定義が狭い。
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映画評論家
松崎健夫
オープニングの演奏とエンディングの演奏を同じ楽曲でブックエンドにすることで、近似した映像でありながらも主人公の心の変化・成長を感じさせている。また、演奏の練習場面を長めのカットで撮影することによって、役者たちが実際に生み出すグルーヴと、劇中の登場人物たちが物語上で生み出すグルーヴとをシンクロさせている。若手とバイプレイヤーたちとの役作りの差が目立つのは痛恨だが、音楽映画として楽曲の質が高い点、音響効果によって音の方向性を表現している点を評価。
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沈没家族 劇場版
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映画評論家
北川れい子
監督本人が特異な環境に育った自分を素材にして、そこで出会った人々の現在を描きつつ、家族のありようを問う……。聞けばもとは大学の卒業制作だったとか。確かにチラシで募集した見ず知らずの保育人に育てられたという体験は記録ものだろうが、どうも表面的で突っ込み不足、いいとこ撮りのプライベート・フィルムの印象も。もし全く別の人がこの素材を撮っていたら、もっとリアルで生臭いドキュメンタリーになったと思うが、当事者の加納監督、当時を単純に懐かしむだけ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
私はこの監督が回顧、検証する彼の母親と共同保育の関係者と同世代なのでその“冒険”(思考や思想上の実験というより、やむにやまれぬ、不可逆なトライであったろうからむしろこう呼びたい)が為されたことに感動する。その結果である彼、監督加納土がこうあることでそれが世に知らされていくことも面白い。登場人物が頻繁に、怖い、と口にしていたことが印象深い。育児、成長の様子、再会……ひとと関わることは怖いものなのだ。だからこそ本作は勇気についての記録でもある。
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映画評論家
松崎健夫
“沈没家族”の当人が大人になり、人生を俯瞰しながら再検証した本作。自身の幼少期のアーカイブ映像がテレビや映画の中にあること自体が特殊であるため、飛び道具的な題材でもある。同時にこのことは、スマホ等の動画撮影機能によって多くの映像素材が保存されていることの意味も再確認させる。つまりは、未来のドキュメンタリー作品のあり方をも垣間見せるからだ。そして「家族の正しいあり方って何だ?」と問いかけながら、「普通って何だ?」という価値観を本作は問うている。
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12か月の未来図
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批評家、映像作家
金子遊
パリの名門高校の教師が、バンリュー(郊外)の中学校に通うアフリカ系、中東系、アジア系などの多様な学生たちと向き合う姿を描く。低所得者層の移民はフランス社会において隅に追いやられ、反マクロンの黄色いベスト運動で怒りを表現しているが、そのような家庭から通う子供たちだ。俳優のドゥニ・ポダリデスによる、厳しくも愛情の深い教師の演技が見事。彼が生徒たちと関係を築く様子を、監督はシネスコサイズの手持ちカメラを使い、切り返しショットで映像的に表現している。
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映画評論家
きさらぎ尚
ドキュメンタリーのリアルさとドラマの面白さを併せ持つ。フォトジャーナリスト出身だという監督の資質のなせる技だと思うが、主人公の教師、生徒、学校側の三者の関係を立場の上下ではなく、人として交わらせているところが決め手である。分けても、エリート校から教育困難校に赴任してそれまでのやり方が通用せず打ちのめされ、その後に自分の方法を見出す主人公のキャラクターの立て方が素晴らしく、俳優もうまい。貧困と教育の問題は日本も同じ。面白くてためになる優れものだ。
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映画系文筆業
奈々村久生
名門校の教師が荒れたクラスに革命を起こす……といっても人は一夜では変わらないし、同僚のやっかみだってある。その生々しさが、しかし適度な距離感で迫ってくる。ドキュメンタリーよりもドキュメンタリーのように。それは二年かけて実際の中学校で出会った子供たちに自身を演じさせたという作り方の成せる技だ。教師役のドゥニ・ポダリデスも素晴らしい。生徒が登校する、それだけの地味なシーンが、小さくて大きな瞬間になる。終わり方までフランスらしいエスプリが効いていて見事。
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アラフォーの挑戦 アメリカへ
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評論家
上野昻志
最初に思ったのは、これは、誰に向けて作られたドキュメンタリーなのか、ということだった。やはり、アラフォーと自覚した女性たちに向けて作られたもの、と受け取れば納得するのだが、その瞬間、ジジイの自分には関係ないと感じてしまう。ただ、松下恵の行動には、心動かされないものの、彼女が出会ったアメリカ人の暮らしぶりや考えは、まさに多様で面白い。彼らの基本にあるのは、他人の目や思惑に左右されない自立であろうが、それが、日本人の彼女には欠けているのではないか。
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映画評論家
上島春彦
美人女優がアメリカに短期の語学留学をし、現地で映画人を含む様々な人々にインタビュー。それをカメラが記録する。話の中身もためになるし、主人公も健気で良い。感情が露わになるのに見苦しくないのだ。しかし多分これが傑作になるには、自分でカメラを回すセルフ・ドキュメンタリーの手法でいく必要があった。そうじゃないと結局、周りの人のお膳立てで動いている雰囲気にしかならない。そういうわけで星は伸びず。監督が主人公の義父ということもあり、優しい視線にほっとする。
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映画評論家
吉田伊知郎
今のアメリカが魅力的な国に思えないのはともかく、エイジハラスメントという視点は興味深いものの、週末の昼間にやっているような女優が出てくる海外レポート番組と大差ない構成。松下恵が芝居っ気たっぷりに動くが、〈劇的な撮影方法をとっている〉と断っているぐらいなので文句を言う方が野暮なのだろう。しかし、インタビュー時の表情やリアクションも演技に見えるのはマイナスではないか。彼女の女優としての実像に虚実混在の設定を加えてくれたらまだ面白くなっただろうが。
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希望の灯り
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ライター
石村加奈
ワルツのようなカメラのリズムにうっとりする。閉店後のスーパーマーケットで行き交うフォークリフト、ブルーノの家で、クリスティアンとブルーノ夫々の横顔から、ひとつのフレームに二人が収まり、ギュッと親密になる瞬間。音楽もドラマチックだ。特にゲーセンで流れる『Trouble Comes Knocking』とコーヒールームで佇むクリスティアンに寄り添う『Grinnin’In Your Face』が素晴らしい。映画に登場する人たちの気配が近しく、観終わった時、心に温もりが灯る。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
子ども時代に「ゾンビ」(78)を初めて見た際、「スーパーマーケットというのは案外と映画的空間たりえるのだな」と感心したことを覚えている。そして今、旧東独の郊外にポツンと建つ深夜のひと気なきスーパーで「美しく青きドナウ」を誰かが流し、その優雅なワルツに拍子を合わせるようにフォークリフトが滑走するのを眺めながら、「ゾンビ」初見時の発見が甦った。そればかりではない。本作のフォークリフトは腕を一杯に伸ばし、垂直運動にも耐えてみせる。この活劇性に乾杯!
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脚本家
北里宇一郎
大型スーパーの倉庫、そこで働く男女のほとんどが旧東独体制の出身。東西の壁がなくなっても、幸福になったわけではないという実情。そこに現在の資本主義社会への告発を含んでおり。だけど映画は労働を描き、その躍動感をワルツで息づかせる。先輩と新人、父と息子みたいな師弟関係に温かな血も通わせて。登場人物の誰もが、ああ、こんな人いるいいるの親近感にあふれる。いくらでも冷たく厳しく描ける労働現場。それを人間を見る目の優しさで満たしたこの脚本演出。切なくいとおしい。
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Be With You いま、会いにゆきます
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批評家、映像作家
金子遊
美しいソン・イェジンが主演を務め、しかも女子大生を演じるファンにはたまらない場面が多くあるのだが、十数年前に竹内結子の主演で日本版のオリジナルを観ていたので、段々とソン・イェジンが竹内結子にしか見えなくなり、そこに同じ物語を二度観なくてはならない苦痛も加わったが、高校時代の彼女が『ノルウェイの森』を読んでいる挿話があって、冷えきった日韓関係を映画や文学が文化面で結びつけることもあるのかもと思ったら、日本公開に意義はあるのだと妙に納得できた。
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映画評論家
きさらぎ尚
この映画のオリジナルはご存知、竹内結子と中村獅童の主演の同名作品。日韓相互でリメイクが数多の昨今だが、その背景にはテーマの普遍性が一要因にあるのかも。夫と息子に思いを残して逝った妻が戻って来るラブ&ファンタジーは国を超えて共感できる。迎える者にはただ側にいてくれるだけでいいという究極の愛である。父子家庭の混乱ぶりと、思いが通い合う三人の日々は微笑ましさとロマンスに彩られている。こちらの世界に戻ったあちらの世界の女性を演じるソン・イェジンが◯。
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映画系文筆業
奈々村久生
日本版の公開から10年以上経ってのリメイク。記憶喪失、生まれ変わり、もしくは蘇りの要素は韓国映画の得意分野だからむしろ遅すぎたぐらいか。さらにコメディ要素をがっつり入れてきているのも韓国的で、リメイクとしては成功かもしれないが、逆にジャンルとフォーマットの安定感が強すぎて作品独自の個性には欠けるきらいも。その中で、日本版には登場しない役どころで出演しているコン・ヒョジンはサプライズ。この人が演じるとたいていステレオタイプの女性像にはならないからだ。
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バイス
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翻訳家
篠儀直子
チェイニー夫妻の演技にはシリアスさがあるが、それ以外の有名人たちはそっくりさんショーレベルに戯画化された可笑しさ。途中にラストシーン(?)があったり急にシェイクスピアになったりの、人を喰った映画にこの演技モードはふさわしい。でも、おふざけよりも怒りの気持ちのほうが作り手のなかで勝っているから、最終的には、軽やかさを志向しながらもそうなれずにいる、みたいな映画に。とはいえこの怒りは当然だと思う。エンドロールが始まってもすぐには席を立たないのが吉。
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映画監督
内藤誠
副大統領にスポットを当てた政治劇ということだけでも興味深いが、ジョージ・W・ブッシュのような大統領が相手だと、クリスチャン・ベールの迫力のある演技もあって、イラク戦争を始めた黒幕はやはりチェイニーに違いないと思える。ロブ・ライナーの「記者たち」と同時代を描く作品でハリウッドの政治的関心を表現。だがイェール大学を素行不良で放校された男がリン夫人の支えがあったとはいえ、どうしてアメリカを動かす人物になれたか。ワイドショー的手法では、判然としない。
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ライター
平田裕介
新保守主義を支えたディック・チェイニーの思想や信条がどのように生まれていったのかには触れていない。だが、なにかと夫をけしかける妻の背景は短いがバシッと理解できるよう描かれている。憶測でもいいから彼なりの大義や価値観について踏み込まないと、この手の政治家はただの悪玉にしか見えなくなってしまう(まぁ、けっして善人ではないだろうが)。というわけで伝記としては半端だが、アメリカがイヤ~な感じになっていく過程を追った実録ものとしては問題なく観られる。
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