映画専門家レビュー一覧
-
未来を乗り換えた男
-
映画系文筆業
奈々村久生
難民の受け入れ問題に揺れる欧州の時勢を反映した架空の現代設定がやや難解。原作のホロコーストからの置き換えであることは、頭では理解できても、ドラマの背景として機能させるにはいささか力不足か。行方不明になった夫を探す謎めいた妻を演じたパウラ・ベーアは、クラシカルな美女を好演しているが、自らの思惑で男を振り回すファム・ファタールというよりは思わせぶりな印象ばかりが先行する。ミステリー作品としてのルックは十分見応えがあるものの、ラストは欲張りすぎたかも。
-
-
この道
-
評論家
上野昻志
なによりも歌が心に強く響く。「この道」の合唱もさることながら、安田、由紀姉妹の「からたちの花」も懐かしく、それで★ひとつ増えた。大森南朋の、女に弱いというか、おんな子どもに親近する白秋の姿、それを諫める羽田美智子の晶子が記憶に残る。ただ、白秋も山田耕筰も、戦時下には、軍部の要請に従うような詩や曲を作っているのを、ただ生活のためだったとするのは、どうか? むろん、それは企画の意図から外れることだが、菊子が国柱会にいたことも含め、調べたくなった。
-
映画評論家
上島春彦
童謡生誕百年記念企画。北原白秋と盟友の作曲家山田耕筰の交友をユーモラスに語る。その話者は戦後まで生きた山田である。一方、彼らが生きた時代の息苦しさというのも当然あり、そこにもっとこだわってくれたら星も増えたはずだ。二人の最後の語らいの場が映画美術的には極上だが、物語としては曖昧。白秋が戦時体制になじめなかったのは説得的力あり。しかし耕筰の立場はどうだったのか。ごまかされた気がする。むしろ戦時協力者であるしかなかった耕筰という視点もあったのでは。
-
映画評論家
吉田伊知郎
この時代の偉人伝映画で困るのは、主人公の実情は立派とばかりは言えないところで、白秋が隣家の人妻とデキて姦通罪で投獄されたり、山田耕筰と共に戦争へも積極的に協力している事実をどう描くかという点に興味が行くが、口当たり良く処理されているのを上手いと思いつつも、やはり食い足りない。潤沢な予算とも思えないが、京都の撮影所とロケを活用し、奥行きのある空間を作り出した時代の再現は一見の価値あり。女優陣が際立ち、妻の貫地谷、与謝野晶子の羽田美智子が出色。
-
-
喜望峰の風に乗せて
-
批評家、映像作家
金子遊
悪い意味ではなく、このプロットやこのシナリオでよくぞ映画化に踏み切れたものだと感心してしまう。主人公は現実から少しだけ遊離してはいるが、家族想いの良き父親であり、良き夫である。ヨットで無寄港の世界一周旅行に出ようと思いつくまでは……。大海原を前にしたときの人間存在の卑小さが克明に描かれる。実話を基にした作品なので、物語を大幅に変更することもできなかったか。偉業を成し遂げる人物たちのノンフィクションを見慣れた目には、あまりに苦いリアルな物語である。
-
映画評論家
きさらぎ尚
まず主人公のレース参加の無謀は疑いようもないが、準備不足で棄権したい旨を伝える素人の彼を焚きつけた記者やテレビ局も如何なものか。ともかく航海中のアクシデントやトラブルに対処できないのは当たり前。そのせいか、追い詰められていく様をそこそこに、家族や支援者や報道のエピソードにかなりの比重が。ヨットの中の主人公から目を離さず、大海原での孤独や技術的な試練の話を描き込んでいたら、もう少し深みのある海洋冒険映画になっていたと思う。脚本も準備不足だったか。
-
映画系文筆業
奈々村久生
のどかな邦題とは裏腹に過酷で孤独なヨットレースに挑むコリン・ファース。デプレシャン作品でお馴染みのエリック・ゴーティエの撮影と故ヨハン・ヨハンソンのスコアが素晴らしく、大洋の中でたった一人、己と向き合う男のドラマが端正ながらもスリリング。青い海と美しい太陽の下、ヨットという限られた空間を様々な角度から見つめる映像はマッチョではなくどこかエレガントで、荒れ狂う波や吹きすさぶ風といった物理的な闘いよりも、そこに生きる人間の内面を掘り下げていくのだ。
-
-
蜘蛛の巣を払う女
-
翻訳家
篠儀直子
アクション映画のダークヒロインにはどうだろうかと思えたクレア・フォイが、燃えたぎる情熱と冷静沈着さを体現して大健闘。さらに素晴らしいのが、この映画がストックホルム市街と森林地帯を駆けめぐり、地理的な広がりの感覚をもって躍動することだ。息つく暇なく事態が変転した先に、どの地点へたどり着くかはたぶん大方の予想どおりだけれど、そこで展開される対決場面の衝撃は、リスベットとミカエルの重い痛みをわたしたちにも感じさせ、ずしりと心に刻みこまずにはおかない。
-
映画監督
内藤誠
「ドラゴン・タトゥーの女」の監督デイヴィッド・フィンチャーが製作にまわり、フェデ・アルバレスが脚本監督して北欧の寒々しい舞台背景でシリーズの新しい面を鋭角的に演出している。ヒロインのリスベット役クレア・フォイは黒いシンプルな衣裳を身に、にこりともせず、シルヴィア・フークスがカミラという双子の妹役で赤いスーツを着て、凶々しく登場する。ふたりの家庭の事情が怖く、アクションも激しいので、天才ハッカーたるリスベットが依頼された大きな仕事がかすんでしまう。
-
ライター
平田裕介
ノオミ・ラパス、ルーニー・マーラの歴代リスベットに比べると、今回のクレア・フォイはあまりに健康優良女すぎる。アクション寄りの内容ではあるので、危機また危機を乗り越える姿に説得力は生まれているが、明らかにミス・キャストだろう。ただし、ITガジェット、天才的ハッカーとしてのスキル、そうは思えない身体能力をフル動員&連携させた活躍ぶりは痛快ではある。目視できぬ標的を補捉できる対物ライフルが出てくるクライマックスは、SFの域でさすがにないわという感じ。
-
-
クリード 炎の宿敵
-
翻訳家
篠儀直子
ライアン・クーグラーが監督じゃなくなったら前作の緻密な味わいがすっかり抜け落ちて、人物造形は大雑把、どうしてそういう行動をするのかわからないご都合主義や、さらには子どものときに誰もが妄想するたぐいの荒唐無稽な展開までも。困るのは、奇天烈な展開はあっても、この手の映画でこちらを乗せていくのに必要な、ケレンやハッタリの利いた「見せ方」がまるでないこと。けれどもクライマックスの決戦はやっぱり否応なしに盛り上がり、父と子のドラマもからんでちょっとほろり。
-
映画監督
内藤誠
「ロッキー4」から歳月は流れて物語は息子たちの世代に闘いの場を移す。シルヴェスター・スタローンがシブイ佇まいで登場してきたとたん、やはりジーンときてしまう。脚本にも参加しているだけあって、新たなヒーロー、クリード(マイケル・B・ジョーダン)の脇にまわっても要所をしめて、見せ場はたっぷりある。クリードが地獄の特訓を受けて頑健な肉体になっていくのが映像的で、みごと。宿敵、イワンの側も凶悪に描かれているので、家族愛の場面のインサートでほっと一息つけた。
-
ライター
平田裕介
基本的なプロットはアドニスにおける「ロッキー2」だが、突き詰めると「ロッキー」シリーズにおける「そして父になる」といったところ。二世代にわたる宿敵同士の対峙が軸とはいえ、ドラゴ、ロッキー、アドニスそれぞれのワケありだった父子の理解や赦罪を見つめた物語としてもしっかり機能しており、“脚本家”スタローンと新鋭S・ケイプル・Jrの手腕を堪能。ただし、ドラマに寄り過ぎた弊害なのか、トレーニング場面の高揚感や決戦の高揚感に少し物足りなさを感じてしまった。
-
-
世界一と言われた映画館
-
映画評論家
北川れい子
リアクションに困るドキュである。かつて山形県酒田にあったユニークな映画館についての追想と検証。映画が映画館でしか観られなかった時代の、文化・娯楽基地だった映画館。でもそれを言えば、映画が娯楽のトップだった時代には、サロン付きという酒田の映画館ほどリッパでなくても、誰にでも行きつけの映画館はあったはずで、いちいち言ったらキリがない。当時を知る証言者たちのことばが郷愁と感傷ばかりなのも何だかなー。映画と映画館の密なる関係を知らない人にはいいのかも。
-
映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
本作を観、岡田芳郎氏による文献を読んで、不在の主人公、グリーン・ハウス支配人の佐藤久一氏についてその感覚がわかった気がした。彼が実現したサービスはそれ自体が彼の表現であり快感。これには到底及ばないが映画館支配人を三年やった私にはそう思えた。尽くしていると傍目に映る仕事は彼そのものなのでストレス皆無で、ひとが楽しむ姿に勝るリターンはない(ところで大杉漣氏もそういう人だったと思う)。郷愁ではなく映画館や地方文化の未来へのヒントがあるように思えた。
-
映画評論家
松崎健夫
映画を観たという過去の思い出を語る時、多くの映画ファンは「どこどこの映画館で観た」と、劇場の名前を枕にしながら述懐する。つまり、映画と映画を観た場所、ふたつでひとつの思い出になるのだと悟らせる。本作でも映画の思い出は“グリーン・ハウス”という映画館の思い出と共に語られている。人間の記憶は複合的に形成される。映画館での鑑賞は自宅での鑑賞とは異なり、劇場への道程、劇場環境や同行した人間関係などが作品の思い出と寄り添いながら、記憶を形成するのである。
-
-
マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!
-
ライター
石村加奈
プレゼンター兼プロデューサーのマイケル・ケインいわく60年代のロンドンは「未来が若者によって作られた、人生最良の時だった」。未来への扉は「スウィンギング・ロンドン」たちの薬物使用であっさり閉ざされるが「若さとは年齢じゃない。心のあり方」と、いまなお未来志向のケインらしい(ミニスカートに難色を示す中年とは大違い!)ポップなドキュメンタリーに仕上がっている。キンクスからプレスリー、ストーンズ、ビートルズ、ザ・フーへと音楽が奏でるドラマも聴き応えあり。
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
60年代ロンドン・カルチャーが惜しげもなく噴出する。ザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ツイッギー、マリー・クワント……。音楽、写真、ファッションが取っ替え引っ替え出てきて果てしなく画面は活気づくが、マイケル・ケイン中心に語られるイギリス映画だけ足を引っぱっている。「国際諜報局」(65)も「アルフィー」(66)も悪い映画ではないが、それらではレノン=マッカートニーの楽曲群やミニスカートの衝撃的なカワイさには太刀打ちできないのだ。
-
脚本家
北里宇一郎
60年代の英国はカッコよかった。M・ケインを案内役にロック、ファッションと当時の流行を辿っていく。それが階級社会の厚い壁を破る若者たちのレジスタンスだったことも分かって。キンクス、アニマルズなんて懐かしい歌曲もふんだん。ツイッギー、M・フェイスフルらのコメントも嬉しい。その流れは薬物の蔓延によって止まった――という見方はちとウーンだけど。全体、動くグラビア集の物足りなさも。映画のことももう少しふれてほしかった。007が登場しないのは体制側だからか。
-
-
迫り来る嵐
-
批評家、映像作家
金子遊
1995年に上海、北京、中国東北部などを旅したときは、都会も田舎も未舗装の道路ばかりで、至るところが建設中という印象だった。本作では、古い国営工場のあるひなびた田舎町で連続殺人事件が起きる。主人公が刑事に憧れている工場の警備員というのも良い。沿岸部の経済発展のあおりを受け、内陸部の国営工場は次々に閉鎖され、工員が大量にリストラされていった現代史も背景にある。執拗に犯人を追う男と、美容室を開いてそれを支える女のノワール展開に胸が締めつけられる。
-