映画専門家レビュー一覧
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ラブ×ドック
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映画評論家
上島春彦
これは拾い物。どう転がるか読めそうで読めない展開がいい。ラストの橋も上々である。始まりが映画の現在でそこから過去二つ恋のしくじりをさかのぼる話法が上手いものの、モノローグの多用と妄想ギャグには感心しない。主人公は妄想をむしろ拒絶するタイプだから。吉田と大久保、アラフォー二人の女の友情とその破綻という物語を前面に押し出す手際が真摯で、ただそうなると前半が長すぎないかな。三人目の恋人野村のエピソードをもっと見たかった。広末の年齢ギャグは面白かったが。
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映画評論家
吉田伊知郎
2時間弱のラブコメという段階で、ルビッチ、ワイルダーと言わないまでも、凝った構成と演出がなければ持たないと思わせるが、設定は良いにしても軽快な演出とは程遠く、冗長。吉田羊が非常識で猪突猛進型のエキセントリックなキャラというわけでもないので、コメディエンヌとしては弾けず、男社会の歯車の中で虚勢を張るだけにしか見えない。奇想的演出が施されているが、映画の流れを堰き止めている。何人かの女優と女芸人を主人公にしたオムニバス形式にした方が良かったのでは。
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名もなき野良犬の輪舞(ロンド)
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批評家。音楽レーベルHEADZ主宰
佐々木敦
すごく面白い。内容はまあよくある系なのだが、映像も演技も非常にセンスがある。全体のテイストはどこか「アウトレイジ」風。主演の二人以外のキャラも立ちまくっている。しかしやはりこの映画の肝はソル・ギョングだ。「殺人者の記憶法」と本作を観るだけでも、どれだけ凄い役者かはわかる。一見しょぼくれたオジサンなのに内側から滲み出る狂気が圧倒的。ハードボイルドな女刑事のチョン・ヘジンも素晴らしい。北野風なのは緩急の付け方、緊張と脱力の自在な制御。これは買いです。
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映画系文筆業
奈々村久生
優等生イメージの強いイム・シワンが、虐げられる一方だった「弁護人」(13)での屈辱を晴らすかのように、ダークなキャラクターとアクションで大暴れ。 悪に対する力みのなさという点ではソル・ギョングよりも悪役に向いているかもしれない。近年の韓国映像界で流行りの時制を行き来する構成にはやはり振り回されるが、スタイリッシュなアクションシーンは華麗でありながらちゃんと「痛」かっただけに、監督がSNSでの失言からカンヌ出席断念を余儀なくされた事態は残念だった。
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TVプロデューサー
山口剛
ヤクザ映画やギャング映画はホモソーシャルの世界だと言われているが、この映画はその究極の典型だ。暗黒街で知り合った二匹の野良犬、犯罪組織の№2と潜入刑事。孤独な過去が二人を結ぶ絆だ。組織を取るか友情を取るかはまったく予断を許さない。ソル・ギョング、イム・シワンが適役を好演。上司の女刑事、組織の会長などの点景人物や獄中の描写も面白く、ノワール・ファンの心をつかむ設定、映像にあふれた快作。欧米の映画界からリメイクの申し込みが舞い込みそうな企画だ。
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ラプラスの魔女
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映画評論家
北川れい子
慇懃無礼。猫っ被り。オヤオヤ三池監督、いったいどうしちゃったの。作品のあまりのシラジラしさ、よそよそしさについ好奇心が生じ、東野圭吾の原作まで買って読んだりも。で、猫っ被りのワケを3割方、理解したのだが、いくら原作者が描く映画人が素っ頓狂で、その犯罪が異常でも、ここまで口を拭って演出するとは……。特殊な能力を持つ若い2人の過去や現在にしても映画を観ただけでは独り合点もいいところ。味も塩っ気もない事件とキャラクターだけの映画の空しさよ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
試写観て、ほんとにこんな原作?と思いあわてて原作読んだ。ほんとにそういう原作だった。スジやキャラや台詞もだいたいそのまま。理工系作家東野圭吾らしい科学を延長した先の超科学的な理屈のミステリーという渋めの原作の面白さを映画が外してる気がした。映画的でかっこいいなと思ったのは広瀬すずが予測した光の反射を目潰しに使って脱走する場面。もっとああいうことや「マイノリティ・リポート」の予知能力を使う逃亡みたいなことを創出するなりすればよかったのにと思った。
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映画評論家
松崎健夫
本作では、ガラス窓、ガラス戸などガラス越しの映像が散見される。櫻井翔がガラスの向こう側やこちら側にいることで、対人関係のあり方を示唆してみせている。例えば、広瀬すずを匿う部屋が障子に囲まれているという対比は、それを際立たせている。“ラプラスの悪魔”は現状からの未来予測が可能であることを意味するが、この映画の中で向こう側が“見える”あるいは“見えない”こともまた、観客にとっての先行き予測が可能か否かを視覚的に表現してみせているようにも見えるのだ。
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アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル
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翻訳家
篠儀直子
怪物としか言いようのない実母が元凶なのは当然として、それ以上に階級差別と性差別に押しつぶされていくトーニャの悲劇には、同時代に活躍した伊藤みどりと彼女とを分けたものは何だったのかと考えざるをえないのだが、あのバカすぎる事件に至る経緯のまぬけぶりには、やはり笑ってしまうのだった。ドラマ部分と俳優が演じているインタビュー部分とが相互干渉するのが面白く、フィギュアスケートという競技のダイナミズムを映画はこのように表現できるのかという発見と感動もあり。
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映画監督
内藤誠
クーベルタン男爵の理想とは離れて、オリンピックをめぐるイヤな噂が耳に入る昨今だが、94年のナンシー・ケリガン襲撃事件の映画化である。キワモノというよりは、脚本の真実追求の姿勢がよく、製作を兼ねてトーニャ・ハーディングを演じるマーゴット・ロビーの体当たり演技もリッパ。娘のスケートの才能で貧しい生活から脱却しようとする母親アリソン・ジャネイのクールな顔が悪夢だ。襲撃犯とされる男性たちもリアルで、観客はつい、ナンシーよりもト―ニャに肩入れしてしまう。
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ライター
平田裕介
劇中で人物が事件を「バカしか出てこない物語」と評するが、まさにその通り。しかし、その背景には貧困や毒親があり、それらが延々と“負”を連鎖させ、肥大化させていくという悲しき常理しっかり浮き上がらせている。とはいえ決してメソメソとしたノリではなく「グッド・フェローズ」的テンションな語り口なので、下衆な視点でハーディングたちの右往左往を観てしまうのだが。彼女が実際に演目で使ったZZトップ『スリーピング・バッグ』をはじめ、流れる楽曲は最高。
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サバービコン 仮面を被った街
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翻訳家
篠儀直子
ケダモノだらけの世界のなかで、無力な子どもはどう生きのびるのか。ニッキーの家のなかで進行する事態と、街全体が直面する事態が連関することなく並べられ、クライマックスで両者が接続しても、いまいち効果が上がらない。演出は全体にもう少しブラックコメディ風味が欲しい。でも、大詰めの場面でのM・デイモンとN・ジュープ(ニッキー役の子役)は圧倒的な素晴らしさで、ラストシーンにも泣かされる。デスプラがB・ハーマンを明らかに模した曲をまじえて今回も完璧な仕事ぶり。
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映画監督
内藤誠
「アメリカ・ファースト」などと大統領が言っている国でハリウッド映画人が50年代黄金期の郊外生活をコケにするノワール・コメディを見せてくれた。ただ笑ってばかりもいられないのは黒人家族が居住することを完全に拒否したレヴィットタウンのドキュメントに基づいて喜劇が作られているからだ。ジョージ・クルーニーの演出のもと、マット・デイモンやジュリアン・ムーアが悪人を本気で演じていて、まともなのは子どもだけというのが怖い。夢の国だったアメリカがまた崩れていく。
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ライター
平田裕介
郊外の住宅街に越してきた黒人一家に対する差別が横行するなか、隣の白人一家とその周囲の白人は殺し合い。トランプ政権以降うんぬんを問わず、アメリカが抱える闇を「ファーゴ」チックな犯罪サスペンスで炙り出してみたのだろう。しかし、黒人一家をめぐる騒動に主人公たちはほとんど関わらないで物語が進むので、そちらの問題にはなんだか引き込まれず。まぁ、差別に我関せずを決め込んだ白人たちも揶揄していると思えばいいのだろうが。あまりにも美しすぎて逆に不気味な住宅街は◎。
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ホース・ソルジャーズ
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翻訳家
篠儀直子
どんな戦意高揚映画を見せられるのかとおののいていたけれど、クリアすべき課題を次々提示していく構造で書かれた脚本がなかなか上手で、最後まで引っぱられる。そのうえ文化衝突のテーマがあり、山岳地帯の地形の面白さがあり、馬に乗ってのガンアクションがあり、特殊部隊員の心意気がある。こんな深刻な背景を持つ実話でなければ、もっと明朗なタッチで「荒野の七人」みたいにしたいところ。クリヘムもいいがN・ネガーバンが結構魅力的。役者M・シャノンの凄さを個人的に実感。
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映画監督
内藤誠
戦闘による死傷者が多かったアメリカによるアフガニスタン侵攻は、同時多発テロの犯人を捕まえるために始まったわけだから、映画もグリーン・ベレーの大尉を熱演するクリス・ヘムズワースが、平穏に暮らしていた家庭で、9・11の映像を見てしまうことから始まる。ブラッカイマー製作の戦争映画のパターンだが、男たちは志願しても、妻たちが反対するのは、さすが。当時、空爆の映像ばかり見せられたけれども、馬に騎乗した兵士たちが爆撃を誘導していたとは驚き、勉強になった。
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ライター
平田裕介
9・11の弔い合戦というだけでなく、グリーンベレーが西部劇の騎兵隊よろしく馬を駆って戦う。アメリカ人ならば燃える題材と設定だろうが、あのテロの背景には中東に対する同国の振る舞いもあったことを考えるとこちらは弱火状態。また、白兵戦や狙撃もあるにはあるが敵地に空爆を誘導するのが戦いのメインとなっており、舞台も荒涼とした山岳地帯を転々とするのでなんだか最後までアガらず。実話ベースとはいえ、そこは「13時間-」のようにメリハリある見せ場を用意してくれないと。
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ルイ14世の死
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ライター
石村加奈
ルイ14世の死を「陳腐」と語るセラ監督。たしかに太陽王のイメージを見事に裏切る。ほぼ寝室のベッドで横になっている王だが、帽子をとって笑顔で客に挨拶し、ビスケットを齧ってみせては医者たちを安心させ、昏睡状態でも家臣に偽医者の処分を打診されればすぐに指示を出すなど、死の間際に至るまで重々しく王を演じねばならぬ様子は滑稽ですらある。圧倒的なジャンピエールの存在感と映像美が「朕は国家なり」の言葉が物語る絶対王政末期の脆さを白日の下に晒しているようだ。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
金色のトウシューズで華麗にリュリのバレエを舞ったのは「王は踊る」(00)のルイ14世だった。演じたのは20代のブノワ・マジメルだが、いま死の床に伏せる同王を演じるのはなんとJP・レオ。阿諛追従を競うばかりの臣下や貴婦人集団、怪しげな特効薬を振る舞う藪医者が病床の周囲を跋扈し、いまわの際にあってなお王権示威のサービスを強いられるのは王の方ではないか。誰もが気づかぬふりの茶番の共有を、新鋭セラ監督が半径3メートルのスケールでネチッこく持続させる。
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脚本家
北里宇一郎
病床日記。キャメラは大半、暗い寝室から一歩も動かない。その主人公がルイ14世というところ。王もまた人なりと見せて、実はその周辺の人々の観察映画の趣きもあり。誰ひとりとして王を人間として扱わぬ、その皮肉のカラさが舌を刺す。王の孤独。結局、その生涯を通して、誰からも愛されなかった、その寂しさがじわり匂い、こちらはゾッとする。映画の流れは単調、しだいに退屈も覚える。だけど闇の中で舌なめずりしながら見つめてるような、この監督の息づかいを肌に感じて――。
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