映画専門家レビュー一覧
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四月の永い夢
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映画評論家
吉田伊知郎
3年前に死んだ恋人からの手紙、国立、桜、文学趣味と、岩井俊二的なアイテムが並ぶので警戒しそうになるが、むしろ行定勲の初期作に近い。狭いアパートの生活、街を吹き抜ける風、屋上で眺める花火など心地良さがあふれている。だが、個々の描写の帰結を求めると曖昧でスケッチ以上のものは感じず。横移動の歩行場面に挿入歌を重ねて大きく鳴り響かせる演出も大山鳴動して鼠一匹的。オリジナルにこだわるより原作ものや詩を基にした映画化などの方が才を発揮する監督ではないか。
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孤狼の血
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映画評論家
北川れい子
時に太々しく、時に卑しくズル賢く、しかも瞬時に愛嬌と暴力を使い分ける刑事・役所広司の凄さ、素晴らしさ。役所に絡む俳優たちが煽られるようにしてテンションの高い演技をしているのも緊張感を加速させる。当然、映像も殺気と重量感があり、平成版「仁義なき戦い」、役所広司と白石監督のコンビ以外には考えられないパワーがある。とはいえ冗漫なシーンもいくつかあるのだが、暴力場面にブレーキをかけない白石演出の凄さはやっぱり格別で、悲壮、かつ痛快、シビレるほど面白い。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
いい映画だ! 東映実録路線の血肉に、「NYPD15分署」やさらにそのルーツであるO・ウェルズ「黒い罠」のような善悪混沌警察映画の骨格も窺え、充実。惚れぼれする。驚くべきは原作者柚月裕子氏がわりと近年に「仁義なき戦い」を観てインスパイアされてこの原作を書いたことでこれは中上健次に関して手をこまねいた男たちをジョージ朝倉が思いがけないルートで抜きさった漫画「溺れるナイフ」にも似る。だが本作製作者男性陣はその遅れを挽回した。男女とも、全人類必見の快作。
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映画評論家
松崎健夫
映画冒頭、ベテラン刑事・役所広司から度胸試しを強いられる新人刑事・松坂桃李。彼はコーヒーを片手に、牛乳を飲みながらパチンコ台に鎮座する暴力団構成員・勝矢にわざとぶつかってゆく。その刹那、コーヒーと牛乳でびしょ濡れになった勝矢は激怒するが、混ざり合ったものが“コーヒー牛乳”になるというユーモア。しかし重要なのは、「牛乳」=「白」と「コーヒー」=「黒」を混ぜることで「灰色」となる点。奇しくもそれは、本作の描く“灰色の正義”の伏線となっているのである。
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私はあなたのニグロではない
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ライター
石村加奈
『ユダヤ人問題によせて』等で「類的存在」を目指し、リンカーンとも交流のあったマルクスの映画(右頁)を撮ったペック監督作品と理解して観れば、監督の本作のモチベーションがより明快になる。「駅馬車」から「エレファント」まで複数の映画から場面引用する荒技を、そして誰も見たことのない自由な映画を編み出した監督の「英雄」級のガッツに感服する。映画に限らず、様々な素材のパッチワークは刺激が強いが、サミュエル・L・ジャクソンのナレーションが心を落ち着かせてくれる。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
中米ハイチのベテラン監督R・ペックがJ・ボールドウィンの生前の出演素材やテクストを中心に、公民権運動から現在に至る米国黒人史を90分で語りきる。その手つきの鮮やかさはDJによるサンプラーのそれであり、作品のあり方自体がムーヴメントの歩みを現代的に体現する。メジャーからは「ブラックパンサー」が誕生する一方、中米のベテラン監督はボールドウィンの知性溢れる言動に照明を当てる。トランプ政権下、黒人映画が再びいっきにダイナミックな躍動を見せ始めた。
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脚本家
北里宇一郎
「マルクス――」と同じ監督の作品。革命とか人種差別を題材にするのはハイチ出身ゆえか。60年代の公民権運動の経緯がJ・ボールドウィンの発言を軸にして綴られていく。その言葉は重く、感動的。ただ、その発言はじっくり文章で読みたいとも思う。記録映像の選択とか編集に工夫が凝らされているのは分かる。時代の流れも具体的に理解できる。が、既知のことをなぞっている印象もして。この映画、やや教科書的味気なさを感じる。今そこにある黒人迫害の現状こそ描いてほしく。
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フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
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ライター
石村加奈
題名、ディズニーワールド近くという舞台設定、35ミリで撮影された、少し浮世離れしたカラフルな世界の隅々までベイカー監督のアイデアが行き届いている。川本三郎先生の言葉を借りれば「個ども」であろう6歳の娘は、大人の泣く時がわかるし、友だちとジャムつきパンを頬張る木を気に入っている理由にも含蓄あり。「個ども」に甘えて、母親の造形が貧相だ。あまりに幼稚な母の覚悟を娘の描写から想像させるなど、監督のセンスでカバーするにも限界がある。副題の「魔法」は蛇足かと。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ディズニーワールド客を当てこんで開発されたモーテル地区が、いまや低所得者の木賃宿に変貌したのは実際のことらしい。前作「タンジェリン」と同様、監督のベイカーは多くを語らない。モーテル住まいの子どもたちの些かタチの悪いイタズラの数々を、慈愛と共に眺めるのみ。『どん底』のコストゥイリョフ、「がめつい奴」の三益愛子といった木賃宿の歴代主人たちに比べて本作のモーテル管理人W・デフォーは、顔は厳ついが情の分かる実にいい男だ。彼自身も幸せではないのだろう。
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脚本家
北里宇一郎
ディズニーワールドの近くに住んでいながら、そこに行ったことのない子どもたちの話。舞台は安モーテル。そこに住む母娘と周辺の人々をドキュメント・スタイルで綴って。貧しくとも、子どもたちは活き活きと遊びまくる。そのイタズラの数々が昔懐かしの「ちびっこギャング」を思い出す。管理人のW・デフォーが全体の要の役割で、少しとりとめのない映画の流れをぴしゃりと締める好演。なかなかの佳篇だと思うけど、結末の子どもたちの言動に、どうも大人が考えた不自然さを感じて。
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ラジオ・コバニ
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ライター
石村加奈
今もなお深刻な被害を受けている子供の眼差しで、シリア内戦を見つめたドキュメンタリー。20歳のディロヴァンが「この街のジャーナリストとしてラジオ局をやっている、あなたにとっての戦争とは?」と逆質問されるシーンに、ヒロインの素直さが表れている。ナレーションで未来の我が子に語りかける「戦争に勝者などいません。どちらも敗者です」という言葉こそ、彼女の本音だろう。しかし若さには、壊された生活を取り戻し、新しい家族を作り、その先の平和を信じる力強さがあるのだ。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
シリアのクルド人街に響く「おはよう」のラジオ音声が、どれだけ街の人の朝を救ってきたことか。ニュースばかりでなく、詩人や女性兵士といった多彩なインタビューの人選も一つ一つ興味深い。IS(イスラム国)への抵抗という社会的意義はもちろんだが、とりわけ印象的なのは、ラジオ局を運営する女子学生たちの良きアマチュアリズムである。彼女たちの毎日の放送は、地域への愛と連帯であり、批評でもある。文化や価値観の多様性の確保でもあり、未来の希望と設計でもある。
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脚本家
北里宇一郎
ISの占領下で生きる。戦闘は日常だ。そんな状況下でも、人はただ怯える日々を送っているわけではない。自分が生きるため、人々に何かを訴え、時には愉しませようと若い女性が立ちあがる。その手段はラジオ。兵器ではない。そこが胸を打つ。おびただしい死に囲まれながらも、彼女は希望を語り続ける。こういうドキュメントを観ると良いも悪いもない。ただ見つめるだけだ。監督が彼女に託した「未来のわが子へ」のメッセージ。そう、映画もまた現実を刺激しながら生きるのだろう。
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ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた
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翻訳家
篠儀直子
題材から想像されるような直球の作りの映画ではない。普通だったら省いてしまうような平凡な細部をこだわってじわじわ描き、アメリカ映画ではあまり目にしない強靱なクロースアップが連打され、言葉では説明しきれない複雑な感情がスクリーン上に広がっていく。さらに、主人公と親族一同、ツレの男たちの、洗練とはほど遠い雰囲気の表現が絶妙。インテリとエスタブリッシュメントの都市ではない、別の一面のボストンが見られる。フォーカスの使い分けを含め、何を映すかの選択も巧み。
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映画監督
内藤誠
テロ事件を素材にした映画が次々に公開されているが、ジェイク・ギレンホールがプロデュースも務めただけに、爆弾テロで両足を失った男ジェフ・ボーマンを渾身の演技で見せる。労働者の一家は結束が固く、それゆえに、ボーマンの恋人エリン(タチアナ・マスラニー)と彼の母親パティ(ミランダ・リチャードソン)の間が感情的にすれ違うところが出てくるけれども、両者の関係が実にリアル。最後はヒューマニズムで締める企画にしろ、人間のイヤな面も描き切った点はよしとしたい。
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ライター
平田裕介
テロで両脚を失った被害者なのに英雄として担がれたら、誰だってどうにかなる。ここまでだと“さもありなん”としか思えぬ内容だが、家族、親戚、友人といった周囲が驚異的に無知蒙昧で軽薄短小なのがミソ。身近な者こそ彼の苦しみに気付いて理解すべきなのだが、激烈バカゆえに想像力皆無なのでそれができない。この絶望を徹底的に描き、恋人の賢明さや優しさ、バカの壁を乗り越える主人公の強さが浮き立つ仕掛け。英雄とは何かというより、環境の重要さについて考えさせられた。
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ミッドナイト・サン タイヨウのうた
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翻訳家
篠儀直子
病気をいつ彼に告白するかというスリルも、彼が水泳に対して抱えている葛藤も描かれていないので、前半は、優等生ふたりが理想のデートをするさまをえんえんと見せられている感じに。でも彼女の病気がついに彼の知るところとなってからは持ち直し、父親を心配するシーンはなかなかよく、洋上のシーンのあとの見せ方も上手。面影だけでなく声までどこか父親を思わせるパトリックと主演女優、そしてとりわけ彼女の親友役の女優は魅力も個性もあって、三人とも次回作を期待したくなる。
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映画監督
内藤誠
日本映画「タイヨウのうた」が原典とタイトルされる。しかし流れる歌も含めて、アメリカの伝統的なホームドラマを見ている気分だった。日光に当たれない色素性乾皮症を病むヒロイン、ベラ・ソーンと恋人のパトリック・シュワルツェネッガーが、一瞬の輝きの青春をさりげなく演じ、ベラの父親、友人たちもクールな自然体の演技でいい感じである。ベラを真剣に見守る女医スレーカ・マシューが印象的だっただけに「予算がなくて、治療の研究はもう続けられない」と言ったのにはガックリ。
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ライター
平田裕介
難病ものが刺さる年齢でもないし、10年以上前の日本映画がオリジナル。同作を観てはいるが、これまた響いたという記憶もない。しかし、アメリカを舞台にされるとロマンティックが止まらなくなるから不思議だ。親友がバイトするアイス屋、ピザが飛び交うホームパーティ、ゴツいピックアップトラックといったUSAしている画が、この手の作品の居心地の悪さを打ち消してくれる。だが、ヒロインの症状が進んでそれらの画が映らなくなると、やっぱり陳腐な話だなと思ってしまうのだった。
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ラブ×ドック
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評論家
上野昻志
恋愛の成否を遺伝子で診断するラブドックという設定はともかく、パティシエという仕事を持ちながら、地に足のつかぬ恋愛に走っては失敗を重ねる吉田羊演じる飛鳥と、大久保佳代子扮する独りで子育てする親友・千種という組み合わせが物語を支えている。自己中の恋愛に走って千種を裏切った際の千種の言葉は、親友なるものの危うさを見せてリアル。と、話は悪くないが、フラットな空間構成のなかでのアップの繰り返しは、映画というよりは、スマホで見る動画に近い印象を受ける。
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