映画専門家レビュー一覧
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FALL フォール
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米文学・文化研究
冨塚亮平
ワンシチュエーションでここまで押すならもう少し短くするべきだったとは思うものの、随所に工夫の跡がうかがえる意欲作であることは間違いない。ドローン、スマホ、自撮り棒といった現代的なガジェットを有効に活用しながらも、同時にきわめて限定された空間を舞台に、上昇と落下というシンプル極まりないアクションだけで何ができるかという古典的ともいえる問いをストイックに追求している。文字通り手に汗を握るスリルを味わえる、私のような高所が苦手な人間には恐すぎる一本。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
遠景ショットでは緊張感が弱くなる点は惜しいが、落下のスリルだけで映画を撮り切ろうとする姿勢は好感が持てる。超高層鉄塔の頂上という限られた水平方向のスペースと、どこまでも落ちていける垂直方向の空間の妙も単純でありながら面白い。ただし、誰が見てもツッコみたくなるあり得ない行為を描きつつ、それに対して映画自らがつまらないオチをつけてしまうのはもったいない気もした。臨場感を売りにする本作にあって、あり得なさと真実味のバランスは極めて重要なはずだから。
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文筆業
八幡橙
大海原に取り残される「オープン・ウォーター」やスキー場のリフトで極寒と闘う「フローズン」など局所的パニック映画の系譜を継いだ高所恐怖ムービー。従来の要素にユーチューバーの無謀さや、身を助けも滅ぼしもするSNSの功罪、最新機器としてのドローンなど現代的あれこれを盛り込み、細かな伏線を逐一回収する脚本は見事。ヒヤヒヤさせる演出も巧みで、比喩でなく手に汗握った。ただ、開きっぱなしの胸元以上に、彼女たちの複雑な関係や心情にこそ深く迫ってほしかった気も。
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あつい胸さわぎ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
あらすじに目を通したときの先入観を、心地よく裏切ってくれる良作だ。シリアスな題材やモチーフを扱いながらも、例えば、主人公が橋を渡っている最中、?におしっこをかけられた幼馴染の初恋相手と戯れ合うといった、なんでもないシーンが忘れ難い輝きを放っている。近年、継続的に役の大小を問わず(もっと言うなら企画の筋の良し悪しを問わず)映画に出まくってきた前田敦子が、すっかり作品の質を下支えする名バイプレイヤーに成長していることにも改めて感心させられた。
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映画評論家
北川れい子
本作のまつむら監督自身の脚本、編集による前作「恋とさよならとハワイ」を観たとき、今泉力哉監督系の恋愛専科の監督という印象を持ったりしたのだが、なかなかどうして注目したい監督、そして愛すべき本作である。基になっている舞台劇のことは全く知らないが、周辺の大学生の娘とその母親をはじめ、どのキャラクターにも生活感があり、演出、演技も軽妙。若年性乳がんという大ごともドカンとした扱いはしていない。キャスティングもドンピシャで、ロケ地も効果的。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
原作は知るひとぞ知る戯曲だそうだが、確かにすごく話が面白い。見ごたえある女性映画だった。難病もの、余命ものに対する批評のようにも感じる。死は回避できるかわりに青春や女であることを切り捨てなくてはならないかもという岐路。ヒロイン吉田美月喜は、どうしていいかわかんないんだよ!という役柄の思いをそのままに見せていた。その脇を固める役者陣の解像度と存在感がすごい。常盤貴子の関西弁の声音、大人の女らしさが見事な前田敦子、不器用さで押してくる三浦誠己。
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レジェンド&バタフライ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
芦澤明子のカメラによるリッチな画力も借りて、ここぞという場面ではさすがのインテンシティを発揮している大友啓史演出だが、偽史ものギリギリの創作歴史劇映画で2時間48分はいくらなんでも長い。コメディとシリアスの両方を貪欲に獲りにいくというのは「るろうに剣心」の成功体験からくる方向性なのかもしれないが、信長の人生をふまえるなら中盤以降はシリアスが前景化していくのは容易に予想がつくわけで、最初からそっちに振り切った方がよかったのではないか?
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映画評論家
北川れい子
話題作とはこのことよ。みんなで鑑賞すれば、イベントに参加したような気分で盛り上がること間違いなし。実際、戦闘場面もエキストラの数もロケ地も精一杯頑張っていて、南蛮文化へのアプローチもそつがない。けれども派手な作りに気を入れ過ぎたせいか、肝心の木村拓哉の信長も綾瀬はるかの濃姫もカラクリ人形並みで、年代ごとに変化する二人の関係も描写不足。そしてあの大掛かりな幻想シーン。大胆さは買うが、愛ゆえの逃避行とは、どうした信長! 話題の尽きない話題作です。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
うつけ者は偽装で、実は野性的な智者の英雄信長。それが男子が好み憧れる信長だろうが本作の面白さは彼がほんとにバカだった設定。そして斎藤道三の娘濃姫が文武両道の女豪傑で彼を使嗾したと。綾瀬はるかが素晴らしい。木村氏はいつもどおりながらそれはあえてのいつもどおりで、そのことで今の世に遅れてない新たな信長像が立ち上がったかも。アクション場面少なく、全体として歴史大胆脚色ラブ(コメ要素もある)ストーリー時代劇。だがこれは爽快さがない難しい映画だぞう。
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イニシェリン島の精霊
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映画評論家
上島春彦
ヴェネチア国際映画祭脚本賞受賞の逸品である。読者の皆さまにはぜひ見ていただきたいが私はこういう映画は「痛くて」ダメ。という意味はご覧にならなきゃ分かるまい。それにしても指一本でも痛いのに、あれはやり過ぎでしょ。誰にとっても得はない。それが自分でなく相手を傷つけるための行為というのが本当に解せない。海の向こうで戦火が上がり、舞台は20世紀20年代のアイルランドの孤島。ということになると何らかの寓意がそこにはあるのだろう。寡黙にして孤高の映画。
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映画執筆家
児玉美月
マーティン・マクドナーの過去作である「スリー・ビルボード」でも炎上が何度も起こるが、本作でもやはり炎上が重要な意味を担う。映像に意匠を凝らすというよりは、アイルランドの風景の美しさを実直に撮っている印象を受ける本作では、画面の面白さよりも画面で起きていることの可笑しさに懸けられている。劇中でも言明されていたように内戦が勃発していた1923年という時代設定にあって、友人関係に突如訪れる分断と諍いはその比喩なのだろうが、恋愛関係の比喩のようでもある。
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映画監督
宮崎大祐
今回もマーティン・マクドナーの照準は世界のどこかでいつのまにかはじまり、歴史の中で延々と繰り返されてきた由来不明で理不尽な暴力との対峙にある。情報処理愛好家たちの大好物である物語もリアリズムも関係性も置き去りにして主題だけがむき出しにされた本作は、ともするとカフカ的な何かだの不条理劇だのとまとめられかねないが、厳密に構築されたサウンド・デザインが本作を特異な映画として屹立させている。しかしコリン・ファレルは世界一アイルランドの岸壁が似合うね。
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アンニョン、僕のユーレイ様
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米文学・文化研究
冨塚亮平
とても新作には見えないアニメの絵柄には明らかに改善の余地があるように思われるが、日本以上に加熱している韓国での受験戦争というキャッチーな要素をまぶしつつ、ホラーとラブコメを思わぬ形で結びつける設定は抜群に面白い。貞子や口裂け女にギャグの小ネタとしてオマージュが捧げられている点も、近年のJホラーにもみられるコミカルな演出として目をひくし、枠組が荒唐無稽な分だけ、内容はむしろベタすぎるほどにベタに振る判断も、個人的にはうまくいっているように感じた。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
見習い幽霊と霊感だけは強い青年との間でなされる、超常現象を題材としたラブコメディだが、徐々に惹かれ合う二人やライバルの妨害など、新鮮味のないベタな展開ばかりで、ラブコメ映画としてはありきたりな通常現象という印象。ただ、ベタな展開だからつまらないかと言えばそうではなく、むしろお決まりの展開をそれはそれで楽しめるのがラブコメ映画の大きな魅力だろう。そういう意味では本作も十分に楽しめるかもしれない。ただ他にもたくさん傑作ラブコメはある気はするけれど。
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文筆業
八幡橙
過去に制作された修了作品が今、日本で特集上映されるとはさすが、俊英を輩出してきた韓国映画アカデミー。序盤こそ脱力度100%の作画とパンマル(ため口)も若々しい台詞の応酬にやや面食らったが、その素朴さが観る者をいつしかぐいぐい惹きつけてゆく不思議なチャーム溢るる快作。スター幽霊の貞子アリ、オーディションを審査するJYP&ヤン社長アリのパロディを筆頭に、細かいところでくすぐり倒すセンスが憎い。キャラと会話で魅せる脚本の盤石さに、原石の輝きを見た。
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ピンク・クラウド
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米文学・文化研究
冨塚亮平
その点について作品自体に罪はないのだが、ロックダウン生活をめぐる予見的な細部の大半が、コロナ禍後に見るとかえって陳腐で安直な演出のようにも見えてしまった。また、撮影やリズムの単調さはあえて選ばれた戦略であったとしても、ほぼ全篇が室内で展開する作品にあっては、あまり機能しているとは思えず。ただ、息子の雲への向き合い方は未来予測として非常に考えさせられるし、カップルそれぞれのリモート浮気を描いた場面は、ユーモアとペーソスの配分が絶妙で大いに笑った。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
何年間も外に一歩も出られないという極限状態を描く映画ならば、私は思いもよらない、見たこともない世界を見たい。しかし本作は、このような状況ならば、彼らのような感情や関係性になるのだろうと思わせることばかりだ。それは人間描写が丁寧で、登場人物たちに共感できると言えるかもしれないが、私にはあまりにも常識的に映った。あるいはもっともっと絶望的に退屈な映画にするという手もあったかもしれないが、それにしては良心的に面白く仕上がってしまっている。
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文筆業
八幡橙
監督がブニュエルの「皆殺しの天使」を意識したと語るように、あくまであり得ない状況下に突如置かれた人々の心のざわめきを綴る不条理劇……だったはずが、皮肉にも現実が映画に追いつき、そして追い抜いた。結果、ピンクの雲に込めたフェミニズム的な比喩も、浮き彫りになる男女の価値観の相違も、そもそもロックダウンが人に及ぼす心理的影響も、本来の仕上がり以上に曖昧でピントを大きく外した印象に。後に残る監督の若さと狙いを昇華し切れぬもやもやは、また別の話だが。
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新生ロシア1991
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映画評論家
上島春彦
まず書いておくがプーチン治世“極悪”ロシアのルーツがここにある、という映画ではない。背景はもうちょっと複雑、ただし若き日のプーチンの姿は見られる。ソ連崩壊前後の混乱の一時期を8人のプロキャメラマンが街路に繰り出し記録したもの。価値は極めて高く必見作であるが、解説を読んでから鑑賞しないと意味が分からないというのは困るよ。この監督の映画を一本で判断するのは辛い。ご免なさい。日本には大内田圭弥「地下広場」という傑作“街路”ドキュメンタリーがある。
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映画執筆家
児玉美月
映画でくどくどしく何度も挿入される「白鳥の湖」は、8月クーデターの最中テレビ局がニュースを報じる代わりにこのバレエを繰り返し流し続けていたことに由来するという。ドキュメンタリーは民主化に傾く市民たちが共産党保守によるクーデタに抵抗する様を物語る。ベンチと木箱のバリケード、カメラを訝しむ人々、雨のレニングラード、拳を突き上げる大衆、空に靡く新たな国旗。これらの精彩を湛える生々しいまでの現実に、そこに確かに存在した歴史に、目を見張らずにはいられない。
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