映画専門家レビュー一覧
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新生ロシア1991
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映画監督
宮崎大祐
セルゲイ・ロズニツァによる匿名のアーカイヴ映像をカットアップして歴史的な事象を再現するシリーズ。ペレストロイカや昭和天皇崩御など、現代にも劣らぬ激動の時代の中、1991年にロシアでクーデターが起きたという報道は当時それほどなされなかった印象がある。興味深いのは、およそ30年前に撮影されたこれらの白黒映像を見ていると、これがプーチンが国民を欺き、自由を制限し、ウクライナに侵攻をつづけている現在のロシアの行く末を予見した映像のように見えてくることだ。
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BADCITY
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脚本家、映画監督
井上淳一
作品評とは関係のないところに存在する映画がある。例えば千葉真一のカラテ映画のような。本作然り。小沢仁志60歳の肉弾戦。「ベイビーわるきゅーれ」のスピード感はそこにはない。でも肉体は確かに存在している。それって映画にとって重要なことでは。唯一の不満はもっと小沢に特化した映画でも良かったのではないかということ。小沢さんの気遣いが全方位に及び、それが逆に話の弱さを露呈させている。小沢さん、還暦おめでとうございます。今度は一人称映画をやりませんか。一緒に。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
「小沢仁志還暦記念作品」というノリがいい。市長候補も検事も刑事もみんな悪党とつるんでいるゴッサムシティみたいな都市で小沢が大暴れする。マフィアを殺した罪で服役中の元警部が秘密裏に仮釈放されたという設定で、特捜班を率いて市長候補の闇を暴く。そんな荒唐無稽な物語を生身のアクションで見せ切る。はぐれ者のアウトローをスタントなしで演じる小沢とVシネ俳優たちの不良性感度は健在で、勝ち目のなさそうな殴り込みも、悪党どもへの決め台詞も、さまになっている。
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映画評論家
服部香穂里
長い俳優人生の中で玉石混交の脚本を読み込んできた経験も活かされたであろう小沢仁志の還暦を記念し、“任?ものアベンジャーズ”さながらの超豪華キャストが集結。観る側も自ずと身体が動き、筋違いを起こしてしまいそうな渾身のアクションが惜しげもなく繰り出される中、「ベイビーわるきゅーれ」のアクション監督の作品だけに、紅一点の坂ノ上茜が、屈強な男どもにボコボコにされつつも這い上がる、新米刑事の躍進を力演。“最後の無茶”とは言わず、シリーズ化にも期待したい。
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ノースマン 導かれし復讐者
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映画評論家
上島春彦
原「ハムレット」+「コナン・ザ・グレート」=本作。ファンタジーというよりフェティッシュで呪術っぽい意匠を強調するのが独創的。そういう伝説(サガ)の伝統がずっと昔からあり、それを汲み上げて新たな物語にしつらえるわけだ。拉致される主人公の母親にはまた彼女なりの思惑もあって、妙に現代的な感覚なのが絶妙。もっともリチャード・フライシャーのファンから見るとアクションが弱い。主人公を殺せるときに殺さなかったのも、話としては分かるが演出が伴わず間が抜けている。
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映画執筆家
児玉美月
ロバート・エガースは「ライトハウス」について、ふたりの男が巨大なファルスに閉じ込められて男性的な衝突が生じてゆく“マスキュリニティ”の物語だと語っている。本作は復讐の名のもとに過剰なまでの男性性が暴発してゆく作品ともいえるが、決して無邪気に扱われているわけではないだろう。しかしこのスペクタクル大作を経て、エガースには「ウィッチ」や「ライトハウス」といった過去作のように、アートハウス系映画でその作家性と美学を追求していってほしい気持ちも拭えない。
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映画監督
宮崎大祐
正月休みでゆるんだ身体に血潮をめぐらせてくれる、これぞ映画という体験であった。自分が一体何を見ているのか、とにかくわからない。ハムレットを想起させる復讐譚ということはわかるのだが、安易な理解をこばむ出来事たちが淡々と積み上げられ、それが世界そのものに近づいていく。ビョーク演ずる魔女の切り返しなんて何? そして恐ろしいことにこれらのカオスはロバート・エガースの高度な演出によって隅々までコントロールされている。こんな監督がアメリカから出てきた驚き。
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夢の裏側
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米文学・文化研究
冨塚亮平
素材が提供されなかったため本篇との関わりについては言及できないが、通常メイキングであれば削ってしまうようなスタッフとの軋轢や議論、さらには撮影終了後の当局からの検閲との闘いといった要素が生々しく記録されており、中国の映画制作の現状に関する資料としても非常に興味深い。国内での上映を諦めるか体制に迎合するかの二択しか許されないように見える中国映画界にあって、タフな交渉を厭わず作家性を押し出した作品を国内で公開し続けようとする試みの貴重さが伝わる。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
ロウ・イエ監督の映画作りを通して見えてくる、中国での映画作りの困難さや表現の自由に対する検閲との闘いの記録。しかしその過酷さをきちんと捉えられているかは少々疑問。なにより検閲について、ロウ・イエ監督自身「最も手ごわい仕事」と評しているにもかかわらず、本作は検閲との闘いを数シーン描いただけで終わりする。検閲との闘いは文面のやりとりばかりで画にならないから省略されたのか。もしそうだとすればその態度はロウ・イエ監督の映画からとても遠いものだろう。
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文筆業
八幡橙
闘う映画人、ロウ・イエが自作を世に送るまでの長い長い道のりを、共同脚本家でもある妻が程よい距離から見つめる。洗村でのロケの難航、小道具の手違い、俳優の負傷、弁当足りなくなっちゃった問題など、トラブルの大波小波が打ち寄せる様は、時におかしく、時に痛切。さらに、その先に待ち受ける厳しすぎる検閲の壁――。ロウ・イエの頑ななまでの熱と執着、究極的な愛と使命がなければ、これまでの作品は存在しなかった。喜怒哀楽が色濃く渦巻く映画作りは、まさに人生の縮図だ。
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シャドウプレイ 完全版
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
高層ビルの隙間に取り残されたドヤ街みたいな場所から話は始まる。乱闘、叫び声、押し寄せる人の群れ。夜になってもその暴動は収まらない。ドキュメンタリータッチの荒々しい映像は、本当にそこに暴動が起こっているかのようだ。薄暗い部屋、若い刑事と人妻の濃厚な絡み合い。ふたりの息遣いがエロい。旦那のDVも凄まじい。タバコの火を押し付けたりとか、痛々しくて見ていられない。描写がとにかく冴えわたっていて、迫力がある。最初から最後までワクワクしっぱなしだ。
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文筆家/俳優
睡蓮みどり
映画祭で以前見たときも心惹かれたが、改めて良作である。「完全版」という形で公開できたことがまずは嬉しい。怪しげな三角関係から始まる愛憎サスペンスはどこに行くのか。今はもう取り壊されてないであろう「村」の暴動からはじまり、駆け抜けるように時代を生きる男女。「物語」に綺麗に集約してしまえないほどの情報量と熱量が画面から押し寄せる。アクションシーンも多く、まさに一緒に駆けていくかのような体感をこの映画はもたらす。とても無傷ではいさせてくれない。
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映画批評家、都立大助教
須藤健太郎
経済発展の矛盾を体現する?村の景観に着想を得たとはいえ、監督がこの土地から立ち上げるのは痴情のもつれに収斂する陳腐な通俗劇でしかない。ジャンプカットの多用に加え、異なる時制を小刻みに入れ替えながら進むモザイク的なナラティヴはそうした通俗性に与えられた意匠だろう。トラックの荷台をガラス張りにして、走るショールームと化した車。本作の山場は、ヤンとジャンの対決によって、この虚飾と展示の象徴が破壊されるくだりに設定されている。衒いのなさこそ娯楽の条件。
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キラーカブトガニ
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映画評論家
上島春彦
冒頭、エログロのつるべうち場面にめげるも、中身は正統的な青春SF特撮映画で狂喜する。少年主人公が健気。発想源が「エイリアン」と「アバター」というのは一瞬で分かるが、監督はロバート・A・ハインラインの明らかな信奉者。名作『人形使い』とか『宇宙の戦士』への敬意が感じられて評価が上がる。女の子にもてないラドゥ君の扱いは少し疑問だが、ラストで華を持たせているので大目に見たい。プロムパーティ、血みどろの惨劇というホラー青春映画の定番にも手間をかけている。
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映画執筆家
児玉美月
浜辺で性行為に耽溺する軽薄そうな男女のカップルが早々に犠牲者になってしまうオープニングをはじめとして、B級映画のクリシェの数々が詰め込まれている。終盤にかけて突如怪獣映画の様相を呈していくのにも驚きがあって飽きさせない。「グレムリン」など80年代あたりのこの手のジャンルの古典的名作へのオマージュ的な作品でもある本作は、「15歳の自分がビデオ屋さんで見つけて楽しくなれる映画」というベロルツハイマーの製作意図に鑑みれば十分な成果をあげているだろう。
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映画監督
宮崎大祐
あざといタイトルからして、物事をあまりまじめに考えず、こんなものさえ楽しめる自分を楽しむ系のいわゆるトラッシュ・フィルムだろうと思って鑑賞したが、演出も美術も予想外に頑張っていた。カーハウスがあり、プロムがあり、というアメリカの郊外に広がるホワイト・トラッシュの日常を描いた現代映画として悪くない。車椅子生活の主人公少年と彼を支えるポジティブな女友達、掛け合いがなかなか決まっているバディ警官など、魅力的な人物さえ写っていれば映像は映画になるのだ。
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パーフェクト・ドライバー 成功確率100%の女
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映画評論家
上島春彦
市街を実際に使用したカーチェイスがさすが韓国。日本ではこうはいかない。欠点はどこを切ってもどこかで見たような物語ということで、ぐっと点が落ちる。主人公ドライバーが脱北者というのが中盤から活用され、ここはグッド。悪役の正体も、意外じゃなきゃいけないのだがそうでもない。結構ある線で、脚本家の計算違いだ。最大の問題はやはり計算違いか、演出の調子がバラバラで今一つ乗れないこと。ユーモラスに行くか、あくまでダークに迫るか、どっちかにしてほしかった。
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映画執筆家
児玉美月
女性アクション映画好きとしても最高峰と称していいほどすべてがハイレベルな一本。カーアクション自体も十分に魅せるが、そんな主軸であるダイナミックなアクションと同時に、少年がお漏らししたズボンをそっとカバンで隠すショットや、少年が母なのではと言う女性のタバコを持つ手の微かな揺れ動きを捉えたショットなど、細部までこまやかに作り込まれた繊細さを持つ映画でもある。終盤、主演のパク・ソダムの悲しみから怒りへの感情の変化を一瞬の表情で伝える芝居も素晴らしい。
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映画監督
宮崎大祐
同じく孤高の凄腕ドライバーが主人公であった「ドライヴ」や「TAXI」シリーズなどの影響を感じつつ、後半にかけての主人公と少年の擬似母子的関係性はカサヴェテスの「グロリア」を思い出した。カーアクションはハリウッド・クオリティに遠からずでなかなか見応えがあり、何よりも韓国の街には坂がある。サンフランシスコやローマを例に挙げるまでもなく、高低差のある街を舞台にしたカーアクションはいつだってスリリングで、われわれに映画的満足を保証してくれるのだ。
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エンドロールのつづき
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米文学・文化研究
冨塚亮平
言ってしまえばインド版「ニュー・シネマ・パラダイス」なわけだが、子供たちがフィルム上映の魔法に目覚めていく展開が胸を打つ一方、監督のボリウッド映画への愛着はさほど伝わってこない作りになっており困惑。線路を走る見慣れない小型の四輪車など様々な乗り物の運動を捉えたショット群は、リュミエール兄弟など初期映画への目配せなのだろうが、今ひとつ決まっておらず、タラにまで言及しておいてシャマランを無視するラストも不可解。ただ、料理描写はいずれも至高。
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