映画専門家レビュー一覧

  • 歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3・11をたずねて

      • 日本経済新聞編集委員

        古賀重樹

        急死した佐々部清監督の親友だったという俳優・升毅が、監督ゆかりの人々を訪ねる。プロデューサーや俳優、地元の後援者やスナックのママ、肉親や家族。それぞれにあの世にいる監督への手紙を書いてもらい、岩手へ。そこには東日本大震災を機に設置されたポストがある……。残された人々のグリーフケアを追いながら、野村展代監督自身のグリーフケアでもあるドキュメンタリー。死者への手紙は書き手自身の喪失感を埋めるものであり、そういう意味でこれはプライベートフィルム。

      • 映画評論家

        服部香穂里

        映画も、ひとなり。そんな名作を遺した佐々部清監督急逝の波紋に、東日本大震災の被災者の方々の胸中を重ね、喪失と向き合うさまをカメラは捉える。佐々部映画を愛する面々の生き生きとした語りは、いないはずの監督を束の間、甦らせる。奥様いわく“同志”の升毅が、陸前高田市から監督想い出の店まで訪ねる旅の終わり、自ら記す端的なメッセージに、心震える。宛先無限の手紙を通し、故人を偲び続けることは、決して後ろ向きではない。佐々部作品にも通じる、温かな趣の好篇。

    • 主婦の学校

      • 映画監督/脚本家

        いまおかしんじ

        何度も睡魔に襲われかけたが、日常をここまで淡々と見せられると、かえって面白く思えた。78分と短いし、あっという間に見られる。静かで綺麗でうるさくない映画。もう少しトラブルを見せるとかなんとか盛り上げることも出来たはずだ。小細工はいらないって感じ。生徒たちは、実に楽しそうに家事を勉強している。この学校に入れば、いろんな家事を上手にこなすことができそうだ。掃除洗濯料理、どれを取ってもやり始めると楽しいっていうのを思い出した。めんどくさいけど。

      • 文筆家/女優

        睡蓮みどり

        主婦というか、家事の学校。家事はもちろん女性だけの仕事ではなく生きる術である。何よりこの作品に登場する人たちがみんな楽しそうなのがいい。こういうことを子どものときから学ぶ機会があったら素晴らしいことだけど、大人になってから学ぶからこそ見えるものが大きいとも思う。生き抜く力が本当に試されるのは大人だから。コロナ時代になり家にいる時間が増え、しみじみ快適な家の空間、健康的な食事がどれだけ幸福なことかと感じる。学ぶ喜びに満ちた大人のための映画。

      • 映画批評家、東京都立大助教

        須藤健太郎

        学校の理念と歴史を伝える校長の言葉に自分の経験を語る卒業生たち、そして現在の在校生が心境を口にする。3種類のインタビューを組み合わせたものをベースにしながら、そこに8ミリのアーカイブ映像と現在の活動の様子で飾りを添えていく。複数の糸を縒り合わせて丁寧に機を織るように、1本の映画が作られている。素直な映画、そう思う。グラニュー糖の大切さも訴えられていたが、ジャムとかタルトとかケーキとか、なんかお菓子ばっかり出てくるような気がした。気のせいか。

    • 劇場版 ルパンの娘

      • 映画・音楽ジャーナリスト

        宇野維正

        この手のテレビ屋映画にいちいち目くじらを立てるほど大人げなくはないつもりだが、行き当たりばったりな編集によるグダグダのテンポで旬でもない脇役たちの旬でもない小ネタが空回りしているのを延々と見続けていると、さすがに体調が悪くなってくる。看板を背負う深田恭子は、コメディエンヌとして弾けることなく主に狂言回し的な役割。一方、橋本環奈は福田雄一組だけでなく本作でもそのデフォルメ演技が重宝されているが、この路線のまま消費され続けて大丈夫なのだろうか?

      • 映画評論家

        北川れい子

        原作もドラマ版もまったく知らずに観て、ただキョトン! 俳優たちのナリフリをフィギュア風のおもちゃキャラにして、ビックリハウス的なアチャラカ空間でドタバタした泥棒一族の大騒動。慣れれば癖になるのだろうが、慣れた頃には新派悲劇もどきの一族秘話になり、ガクッ。唯一笑えたのは、いきなり意味なく現れて、ひとり上機嫌で歌い踊る大貫勇輔。「テルマエ・ロマエ」「翔んで埼玉」ではしっかり楽しんだ武内監督のエンタメ演出も、今回はただド派手に騒いでいるの図。

      • 映画文筆系フリーライター

        千浦僚

        いくら深田恭子さんに(勝手に、密かに)絶対の忠誠を誓う身としてもいささかキツイ。いや、お綺麗でしたが。いまここで展開する映像と音響と演出が薄い。最近も次号本欄用の某「劇場版」映画を観て、“ほら皆様ご存じの……”という弛緩した姿勢にまずは閉口した。そこを越えて伝わるものもあるが。本作は「翔んで埼玉」製作陣によるものだが、埼玉にあった階級闘争のような背骨、底光りする見応えがここにはなかった。父親を詰る長兄役の栗原類氏の芝居には訴求力があった。

    • かそけきサンカヨウ

      • 脚本家、映画監督

        井上淳一

        今泉力哉は役者を魅力的に撮るのが本当に上手い。だから誤魔化されてしまうが、脚本の弱さは毎回いかんともし難い。継母をお母さんと呼ぶまで1時間。その後55分の男友達は蛇足。二部構成にしないで交互にやらないと。皆、相手のことを思いやれる優しいお利口さんばかり。これじゃ生まれるドラマも生まれない。原作にはもっと悪意が隠されている。この薄っぺらな感じがウケているのか。人間が隠している本質を描かないと映画史には残れない。撮り過ぎて雑になってないかと老婆心ながら。

      • 日本経済新聞編集委員

        古賀重樹

        窪美澄と今泉力哉。欠落感を抱えた人々の繊細な心理劇という意味では相通じるのだろうが、この作品を見る限りはむしろ相性の悪さを感じた。新しい母と実の母の間で揺れる少女という繰り返し作られてきた物語に対する、窪なりのアプローチが確固としていて、今泉の持ち味であるどこに転ぶかわからない対話劇のスリルが削がれてしまっている。結果として、人物の陰の部分を打ち消し合い、予定調和的な少女の成長物語に収斂していく。個々の俳優は生き生きしているだけに残念。

      • 映画評論家

        服部香穂里

        陽と陸。互いに対照的で不可欠でもある存在の名をもつ“好き”同士の幼なじみが、恋と友情の間で揺れる姿を見つめる。うまく表現できなくても懸命に伝えようともがく男女の、もやっとした心情の機微を丹念に掬いあげる手腕は、オファーの途切れぬ今泉力哉監督の真骨頂。それぞれに複雑な家庭で、近しいゆえに壊れやすくもある関係性の中、言葉を大切に選びながら、ちびっ子も高校生も彼らの親も、少しずつ成長し合っていく。さりげなくも深い感慨に、今泉監督の円熟味が増した感も。

    • キャンディマン(2021)

      • 映画評論家

        上島春彦

        不勉強でオリジナル版を知らなかったが、そちらの主演ヴァージニア・マドセンはニュース画面に登場。シカゴは現代建築の聖地みたいな場所だが、ここではかつての現代建築と最先端の現代建築が同居する空間を現出させている。サミー・デイヴィスの歌で有名な「キャンディマン」。しかしこの映画のインテリ黒人たちはアート・アンサンブル・オブ・シカゴっぽいフリージャズを楽しんでいて、可笑しい。彼らが、しかし黒人リンチの記憶を地域に呼び起こしてしまう趣向が残酷だ。

      • 映画執筆家

        児玉美月

        洗練されたスタイリッシュな演出を基調に、突然爆音で脅かすようなオリジナル版の古典的な演出も取り込んでいるようであり、前作への敬意が垣間見える。個人の物語と集団の物語を往還しながら、抽象性と具体性が溶け合う巧妙な寓話。前作の記憶が前提とされているのも、「歴史を学べ」という教訓を持つ作品にあって必然か。黒人同士でないのは留保が必要だとしても、ゲイカップルの描写はこれまでのホラー映画におけるクィアなキャラクターへの意識的な目配せがあるのだろう。

      • 映画監督

        宮崎大祐

        鏡を覗きこんでその名を唱えると魔物があらわれるという世界のどこにでも存在する都市伝説をシカゴに実在するアフリカ系住民向けの集合住宅を舞台にして語り直すことでその地に眠る黒人奴隷の悲劇と現在のアフリカン・アメリカンの社会的地位の変化を接続させようという発想は実に面白い。このツカミだけでも2021年に見る価値がある。ただし、恐怖演出の肝となるカットが撮れていないため、なんとなく怖い雰囲気がつづく社会学の論文を読んでいるような気分になるのも事実だ。

    • 最後の決闘裁判

      • 映画評論家

        上島春彦

        様々な証言の並立からなるレイプ裁判映画。とは言いつつも証言それぞれの「異なり」を強調していないのでじれったい部分がある。マルグリットが何故ホントのことを夫に告げてしまったのか、すらよく分からない。とは言え決闘に至る経緯、問題の決闘場面の念入りさは画面の密度も含めて凄い。馬上槍試合がこういう風に決着する映画は初めて見た。ブ男で無学ですぐキレるマット・デイモンというのも斬新。脚本も自分で書いている(共同)。CG感がほとんどないのに驚く。

      • 映画執筆家

        児玉美月

        唯一の掌握者である女のもとから離れ、「真実」は男たちの闘いの勝敗に委ねられるが、さらにそれは形骸化し、やがて人々の快楽のためのスペクタクルな道具に過ぎなくなってしまう。時代劇として設定されているからこそ、「真実」など最早どうでもよくなってしまったこの現代社会において、それが現代の問題としてより鮮明に浮かび上がっている。性暴力の被害者女性のパートに移り変わるや、物語の地盤が不安定に揺れ動いたように感じたが、性差のある複数人による脚本と知って納得。

      • 映画監督

        宮崎大祐

        「羅生門」に少しだけ戦闘シーンが加わっているといえば、おおよそどのような映画かは想像がつくだろう。メイン・キャラクターたちの造形はうまくいっているとは言い難く、章を重ねるごとに浮き彫りにされるのは、それぞれの複雑性ではなく野蛮さだけだ。それでもこの映画からひと時も目を離せないのは、豪奢な衣裳と美術、ヘア・メイクはもちろん、光と影、火と水、煙と風でたえまなく満たされ、偏執的に作り込まれた「画」が映画芸術の絶頂付近にまで達しているからである。

    • ジャズ・ロフト

      • 映画評論家

        上島春彦

        ユージン・スミスが宅録マニアだったとは意外。セロニアス・モンクのジャズをオーケストラ化したホール・オーヴァトンの意義は製作者コロンビーがらみで語られることが多いが、彼らのリハーサル音源の存在は貴重きわまる。実況アルバムよりも面白いほどだ。モンクは黒人だが、本作はむしろ当時の白人たちのジャズの方向性を読むのに最適。またズート・シムズの演奏、デイヴィッド・アムラム、カーラ・ブレイといった一流ジャズメンの若き日の回想をたっぷり堪能できる稀有な作品だ。

      • 映画執筆家

        児玉美月

        「MINAMATA」でジョニー・デップが演じたユージン・スミスは、正義感が強く粗暴な側面もあるが人間味に溢れた人物として描かれていたように見えたが、このドキュメンタリー映画において垣間見えるユージンの顔は、偏執的で孤高ないかにも芸術家風情の男そのものだった。コラージュされていく白黒写真の数々と大量の録音音声で綴られていく画面の埃っぽさも妙味で、ユージンとミュージシャンたちの逸話の乱れ打ちはジャズ的なセッションの様相も帯びており、引き込まれる。

      • 映画監督

        宮崎大祐

        決して不快ではない、NHKのドキュメンタリーのような見やすさ、通俗性を心から楽しめるかどうか。少なくともわたしはこのドキュメンタリーを通じて、どうにも興味が持てなかったユージン・スミスという写真家にわずかばかりの興味を抱くようになった。とはいえそろそろユージン・スミスに関してはお腹がいっぱいかなというタイミングで唐突に現れるセロニアス・モンクの逸話がまるで豪華なデザートのようで、このセッションの様子だけをいつまでも見ていたいとも思った。

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