映画専門家レビュー一覧

  • 不完全世界

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      「僕の好きな女の子」がすべて想定の上に構築されているのに対して、この映画には想定が裏切られることをおそれない、むしろ待望しているかのような自由さがある。そうすると不思議なもので、シチュエーションや対話の成立/不成立がおのずと豊かな映画の時間を刻み始める。三部構成だが、古本恭一監督の一・三部と齋藤新監督の二部が互いに世界の不完全さ、それをめぐって右往左往する人間たちの群像劇として呼応し合う形になっており、ラストには奇妙な安堵感が残る。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      三部構成。なんと本作脚本の水津亜子演じる元アイドルの千波が活躍する二部に入り、活気が出た。千波は、突然死んだ夫の不倫相手で妊娠している女性の身がわり役に会って、声が出なくなる。夫の残したものは放棄し、筆談で挑む就活の末に、車で売るピタパン屋に強引に就職するのだが、やることすべてに明快さと意外性がある。一部と三部の古木監督がピタパン屋でもある。二部は齋藤監督だが、「手触り」にチームとしての気合いを感じた。三部の、自身に近い役の吉村実子、偉い。

  • れいこいるか

    • 映画評論家

      川口敦子

      「ろんぐ・ぐっどばい」も撮ってるいまおか監督だけに「悲しい時に笑うって手もある」としらりと語ったアルトマンの心を射ぬく新たな快作を放ってくれた。悲しみはよく晴れた日の白い光の底にこそ染みている。震災で子を失くした夫婦のその後。それぞれの歩み。ドラマがある所をこそあっさりと描くこと。その美しい自恃がボディブロウのように効いてくる。時の軽やかな重み。省略の雄弁。ウルトラセブンの破調。いずれも界隈の人の記憶と共に心に降り積もる。くり返し見たいと思わせる。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      ほぼ毎日更新されるいまおかしんじ監督のブログを何年も読みつづけている。近所のファミレスで、喫茶店で、なにを食べたか、なにを飲んだか、考えたかが簡潔に綴られているだけなのだが、だからこそそのことばの後景に無限の世界が広がっていく。海や居酒屋や水族館などひとつひとつの風景がただの風景として、つぶやきや会話や俳句などひとつひとつのことばがただのことばとして流れゆく、その後景に惨禍の記憶がじわじわとにじみ出す。いまおかしんじにしか撮れない映画。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      本作は、いまおか監督がずっとやりたいと思ってきたものだが、脚本家佐藤稔の個性と趣味がまさって出ている気もする。それで困らないのも、いまおか的カッコよさだ。神戸の震災以後とそれを飲み込む世の変化への、根本で譲ってない「受け」の姿勢。武田暁の演じるヒロイン伊智子がそれを体現する。普通のおばさんになりながら苦も楽も知る「一代女」の貫祿。河原秀俊の太助も泣き笑いのなかに低い位置から筋を通す。老若男女、飲む場所、街。去るものを追わない神戸、いとしい。

  • もったいないキッチン

      • フリーライター

        須永貴子

        「もったいない」をキーワードに、フードロスを解決するヒントを探る構成には、オリジナリティと多くの発見がある。監督&通訳コンビの取材旅行があまりにも段取り良くオーガナイズされていて、ドキュメンタリー映画というよりも、タレントが“エコをテーマに旅をする、日曜日の午後の旅番組”のよう。この「意識高い系」に響きそうな洗練が魅力なのかもしれないが、ある料理シーンで、スポンサー(クックパッド)を持ち上げるやりとりにゲンナリしたので★ひとつ減。もったいない。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        新しいライフスタイルの提唱である。エコは、食物、命、自然、そしてその地その地に住む人々へのリスペクトから成り立っていることがよくわかる。それにしても日本にこれほどまでに食文化の多様性があることに驚く。野草を天ぷらにするおばあちゃん、こおろぎラーメンを供する昆虫食青年、廃棄食材で炊き出しをする西成のおっちゃん、ネギ坊主から取った出汁でご飯を炊く福島の料理人等々。イマジネーションの結晶である。日本がいい意味で変わるのはこういう人たちによってであろう。

      • 映画評論家

        吉田広明

        一年の消費量と同じ量の食品廃棄物を出す日本、その中で、もったいない精神で新たな道を探っている人々を描く。それぞれ個性的で、その意識改革には賛同するのだが、問題なのはコミュニティ像の転換なのではないかと思えてくる。近代資本主義の分業化が進み、中間業者の介在で肥大化したコミュニティを、より密接な中小規模コミュニティに再編してゆくこと。個々人の個性を捉えたことは美点なのだが、個人に還元しすぎで、本来持ちえたより広い射程を捉え損ねているようにも思う。

    • 追い風

      • フリーライター

        須永貴子

        映画とは監督のものであるのに、主人公を演じたDEGの素材力に頼りすぎている。この大きな負荷は、彼にはやや酷。自分の殻を破って涙を流すシーンや、新曲をフルでパフォーマンスする披露宴のシーンは、劇中で友人の映画監督(本作の監督が演じている)が言う「今しか撮れないもの」がたしかに映っていた。その生々しさを素材とした上で、もう少し調理したものを見たかった。現状は、長篇映画の一部分を切り取った、プロトタイプやラフスケッチで終わっている。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        西葛西の駅前の楠の木には椋鳥の大群が巣喰っている。最近、西葛西を訪れる機会がちょくちょくあって、夕闇の中、椋鳥が一斉に飛び立つ光景は何か不吉なものを感じさせる。インド人が日本一多く住むとタクシーの運ちゃんから聞いた。が、西葛西のラッパー・DEGはそれとは何の関係もなさそうだ。DEGと彼らの仲間たち。どこにでもいる若者たち。彼らの中では通じる熱情やスピリットが我々には少しも伝わって来ない。お好きにどうぞ、という気にさせられてしまう。

      • 映画評論家

        吉田広明

        自信のなさ、自分の空虚さが露わになるのが怖くて、人に迎合して愛想笑いすることが習い性になっているラッパーが、自分の弱さをさらけ出す覚悟を決め一歩前進する。空気を読むことに長けた現代的若者の寓話。スタジオで練習中自分の情けなさに言葉が詰まり、泣き出し、しかし無口なギタリストがふと奏でだした音に、みっともなくても歌い始める場面が本作の白眉。ラストの舞台、曲をその人に向けて歌う相手が来なかったのをどう受け止めるのか、そのサスペンスは解消してほしかった。

    • ディック・ロングはなぜ死んだのか?

      • 映画評論家

        小野寺系

        人の死という、きわめてシリアスな事柄を扱いながら、不謹慎なユーモアを次々に繰り出す謎の怪作だが、「スイス・アーミー・マン」の監督が撮ったと知れば納得できる。本作はとくに、余韻を持たせる文学的で重厚な演出によって、くだらなさのなかに奇妙な精神性が生まれているように感じられ油断がならない。マーティン・マクドナー監督の「スリー・ビルボード」も、じつはこの手法で撮られた実質的なコメディであり、本作の存在自体が、その種明かしになっているといえよう。

      • 映画評論家

        きさらぎ尚

        ミステリーなのかコメディなのか。ディック・ロングの死の真相が明かされる前と後では、映画がまったく違って見える。ともかく女性警官のセリフ「人間とは底知れないもの」に、激しく同感。が、後で考えてみれば劇中にはさりげなくヒントが映し込まれていて、この“してやられた”感が気持ち良い。さてミステリーかコメディかとなると、常軌を逸した死因が周囲に知られれば、ディックの家族、そして悪友二人にとって、地方都市に特有の好奇の目は悲劇に違いあるまい。喜劇に潜む悲劇。

      • 映画監督、脚本家

        城定秀夫

        なんの予備知識もなく観はじめ、開始早々からそこはかとなく透ける安普請感に、コイツはなかなかの低予算映画っぽいぞ、と仲間意識が芽生え俄然応援モードになったのだが、そもそもの作劇がどう考えてもまともではないうえ、終始邪気のない天然の香りを漂わせている得体の知れない面白さで、観終わってタイトルの意味に失笑しながら一体この変態監督は誰かと調べてみれば、あの世紀の大珍作「スイス・アーミー・マン」のダニエル・シャイナート監督だったので、大いに納得した次第。

    • ハニーボーイ

      • 映画評論家

        小野寺系

        ハリウッドでも奇行で有名なシャイア・ラブーフの自伝的な脚本だという。清々しいほどにクズな父親の存在と、息子への虐待行為が赤裸々に描かれ、それがラブーフの精神状態に影響を及ぼしたという流れに。その意味では、これは彼のリハビリの一環だととらえることができるし、同時に一種の暴露本のような役割を持つ作品でもある。それ故にまだ心の整理がついてない部分も見られ、家父長制の暗部を扱った分析的な傑作アニメシリーズ『FはFamilyのF』と比べると幼さが際立つ。

      • 映画評論家

        きさらぎ尚

        人気子役として家計を支えた主人公は、歪んだ愛情しか示せなかった父親を、「父がくれた価値あるものは痛みだけ」とカウンセラーにぶつける。この父親役こそ脚本家S・ラブーフ。つまり治療中にセラピーの一環で書いた実体験が映画化され、自身のトラウマの原因になっている父親を演じているわけで、当人の感情はいかばかりか。ともかく物語のために考え抜かれたものとは異質の、刺しこむような痛みに襲われるのは、このせいだったのだ。ラブーフがトラウマから解放されたのならいいが。

      • 映画監督、脚本家

        城定秀夫

        撮影、照明の仕事は完璧だし、ダメ父ちゃんと子供の芝居もいいし、これはきっと素晴らしい映画なんだろうな、と思いながら観たのだが、過去と現在を交互に見せる脚本は整理はされているものの、シーケンス個別には推進力が付加されていないため、行ったり来たりするばかりで前に進んでいかないのがどうにも退屈で、肝心の内容自体も自分にはあまり刺さってこないがゆえ、90分そこそこの尺が長く感じた……とはいえ、恐らく多くの人にはイイ映画だと思うので、星はあてになさらず。

    • 鬼手

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        さすがの韓国。まるで日本の少年コミックから出てきたような超人的主人公、その世界観とテンポ。物語の「目的」と「動機」の関係がちょっと安直な気もするが、お子様エンタメとしては十分すぎで申し分ない。撮影や音楽、演出、サウンドデザインはエンタメ系クリストファー・ノーランを目指しているのか(笑)。囲碁の知的思考からバイオレンスアクションまで主人公を超越的に成長させる修行の数々。これを見て少年たちは部活にやる気を出すのだろうか。まあ楽しいから良いのか。

      • フリーライター

        藤木TDC

        孤児が異能の師に学び成長する定番路線のダーク版。囲碁のルールや戦術の知識は必要なく、日本の麻雀Vシネマをグレードアップさせたような荒唐無稽な劇画調でサンダル履きで気楽に観るには最適。スチームパンクな殺人碁盤や往年の成人映画館を思い出させる汚い便所での格闘シーンなどオッサン向け趣向に驚喜し、見事な悪役顔を揃えた俳優陣にウットリしてるとアッという間に映画は終わる。B級娯楽作が好きな読者のために★ひとつオマケ。2本立て公開ならさらに嬉しかったが。

      • 映画評論家

        真魚八重子

        「神の一手」のスピンオフで、本作も変わらず『魁!!男塾』のような過剰で突拍子のない内容だ。囲碁の天才たちとやくざ社会のルールが当然のように同化している設定と、とち狂った物語に負けない俳優たちの強い個性を持った顔。その真摯な演技。囲碁で横のつながりを持つ裏社会の、戦いのすべてが碁盤で行われるのは几帳面でミニマムだが、まるで凝視したら絢爛豪華な世界が広がって見える覗きからくりのよう。韓国映画らしい珍奇さとはいえ、哀愁や思慕なども印象に残る。

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