映画専門家レビュー一覧
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いけいけ!バカオンナ 我が道を行け
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映画評論家
吉田広明
理想と現実のギャップと葛藤の末、高い理想を求めるよりも、居心地よい現実を選択するという物語は普遍的とも言えるが、ヒロインら自身のギャップ(オシャレ意識高いのに家でジャージ、カップ焼きそば等)を誇張するようなコメディ処理で結局紋切り型に堕ちている。現在時にアップデートされているのでそれほど違和感はないものの、バブル期の原作コミックの映画化だけに、高学歴高収入イケメンと結婚するのが女の幸せという、根本をなすヒロインの価値観もいかにも古臭くて鼻白む。
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君が世界のはじまり
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フリーライター
須永貴子
「おいしい家族」では監督の熱い想いが空回りしてしまっていたが、今回は他者が脚本化した自身の原作を監督したことで、伝えたいことの対象化に成功している。正直、たった一作でこんなにも成長できることに驚かされた。空気が動く一目惚れの瞬間、給水塔を見上げるショット、夜中のショッピングモールなど、青春映画で使い古された記号をギリギリのところでダサ可愛く仕上げていて好感。切ない矢印を向け合うアンサンブルを奏でていた、メインの若手俳優は全員満点。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
「世界」とか「奇跡」とかがつく題名には眉に唾をつけたくなるが、これは違う。失礼なのを承知で言うと、前作と同じ人が撮ったとは思えない。原作は監督ご本人。その小説はすばる文学賞を獲得した。もやもやした苛立ちになんとか折り合いをつけようとしている大阪の高校生たちの姿がどんどん眩しくなってくる。脚本に向井康介氏を迎えたことが大きいと思いたい。が、ブルーハーツをモチーフにした向井氏の「リンダ リンダ リンダ」からさらに一歩踏み出している。
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映画評論家
吉田広明
高校生が父親を殺すという事件が冒頭であり、そこから高校生の群像劇が語りだされ、それぞれが何らかの屈託を抱え、感情のすれ違いで関係がこじれたりしているので、この中の誰が、がサスペンスとなる。廃講堂やショッピングモールの駐車場の階段、工場のタンクなど印象的な空間で繰り広げられる感情の劇は、深夜に忍び込んだショッピングモールで爆発する。しかしそれぞれの屈託が、深刻ぶる割にその内実が曖昧で真摯に見えず、いい気なものだな、くらいにしか思えない。
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カラー・アウト・オブ・スペース 遭遇
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
ラヴクラフト原作。製作会社も監督も強い個人的な想いが充?されたプロジェクトであることが窺え、まずは完成を祝福したい。ここまで想いが強いともはや批評なぞ介在する余地はないのだが、敢えて私見を述べれば、どのシーンもこだわりが目立ち過ぎて、全体像や骨格が見えてこない。ホラー、サスペンス、SFでもいかなるジャンルにおいても、その形式を超えた背後にあるメッセージや同時代性などがあるはずだ。しかしそれらが皆無。その底なし沼感がラヴクラフト的なのか。
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フリーライター
藤木TDC
模倣と陳腐と悪趣味をたっぷり盛り込んだB級SFの模範作。「D.N.A.」の監督を3日でクビにされたリチャード・スタンリーを復活させた点でもジャンル映画好きは観る価値あり。宣伝文は「物体X」に例えているが、「未知との遭遇」「ポルターガイスト」そして「2001年宇宙の旅」などの邪悪な引用も目につく。それ以上にニコラス・ケイジの意味不明的なヒステリー演技が映画のムードを強く支配し、ラヴクラフト原作の映画っていつもこういう脱力要素があるなと苦笑。
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映画評論家
真魚八重子
制作陣が「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」に続き、自分たちのやりたいテイストと合致する作風の監督を見出してくる能力が高い。過度な色合いと音響で精神をさいなむ方向性は面白いけれども、パンチの効いたアイディアも実際に撮影してみると、意外に間延びしてしまい鈍重になる。ラヴクラフトは映画の作り手から支持は高いが、現代に見合っているのだろうか。前衛的な攻めた作りのわりに、テーマと結論がアップデートされていなくて、より古めかしさを感じた。
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剣の舞 我が心の旋律
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
ハチャトゥリアンの名曲〈剣の舞〉が生み出された10日間の物語。あまりにも実直な作品ゆえ敬遠されるやも知れないが、誇るべく自国の大芸術家の臆面ない描写に好感。近代国家の成立が世界中で起きた20世紀は、多くの小国や民族が吸収合併された。アルメニアもまた虐殺と故郷喪失の歴史を持つ。小学生時〈剣の舞〉がを初めて聴いたとき、サックスの違和感を今でも憶えている。単に洗練された脚本や演出を求めるのではなく、息を飲むジョージアの光や風景に感嘆せざるを得ない。
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フリーライター
藤木TDC
冒頭にアルメニアとロシアの文化省マークが出る国策めいた作品で、80年代デビューのベテラン監督によるスローで禁欲的な演出は懐かしきソ連映画の感触。日本ではあまり知られていない20世紀初頭のオスマントルコによるアルメニア人虐殺への言及は意義を感じるも、ハチャトゥリアンの人となりや作曲の動機と結びついていない。〈剣の舞〉は記譜の場面すらない尻切れトンボな結末。撮影中アルメニアで親ロシア派大統領が失脚、親米派大統領が誕生する政変があった影響なのか?
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映画評論家
真魚八重子
学校の授業で見せられる伝記映画のような硬さがあり、さらに大事な要件をほのめかしつつ核心は描かないアート風な演出によって、本筋がわかりにくく当惑させられた。ファシズムへの憎悪や、短時間で制作された名曲の逸話も断片を覗いているようで、俯瞰的な視線がない。カメラワークも平凡で、結局見終わって印象に残るのはいかにも悪役的なキャラのみ。こうしてみると、作家性に溢れた「恋人たちの曲 悲愴」を撮り上げたケン・ラッセルがいかに凄まじいかを改めて感じる。
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殺人狂騒曲 第9の生贄
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
『魔界探偵ゴーゴリ』シリーズがきっかけとなって、ロシア映画界でブームになっているというゴシックファンタジー。しかし、CGIのクオリティを云々する以前に、平場のシーンにおけるあまりにも人工的な照明、おざなりな劇伴(そもそも使用シーンが極端に少ない)、英国から呼ばれたデイジー・ヘッドの主役らしからぬ所在なさ、と映画としての筋の悪さが目立つ。きっと海外の人が『鋼の錬金術師』や『ジョジョの奇妙な冒険』の実写版を観たら、似たような気持ちになるのだろう。
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ライター
石村加奈
猟奇的連続殺人事件の捜査に当たる、ロストフ警部(エフゲニー・ツィガノフ)と相棒のガニン(ドミトリー・リセンコフ)の関係性が雑すぎて、肝心の謎解きに集中できない。簡単に銃をぶっ放すガニンのヤバさとは対照的に、危険な場所へ行く時でさえ、銃を携帯しようとしないロストフ警部。そんな警部がついに銃を構える時……そこから始まる仄明るい未来と、事件の真相を知った後の不穏な余韻、アンバランスなラストをどう受け止めれば良いのか。まさか悪魔に試されているのだろうか。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
19世紀末、美女ばかり狙った猟奇的な連続殺人事件、というと場所はロンドンと相場が決まっている(?)のだが、本作の舞台は、サンクトペテルブルク。その馬車が闊歩しゴシック、バロックなど多様な様式の建築物が混在した街並みは妖しさに満ち、事件の異常性も申し分なく、サイコ・サスペンスとしての期待が高まる。だが、どうにも展開に緊張感がない。「魔術」をサスペンスの骨子にすると、謎の仕掛けは作りやすいが醍醐味が失われかねない、ということを改めて実感。
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#ハンド全力
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映画評論家
川口敦子
「全力」で「頑張る」「運動部」とか、「被災地」とか、安易なイメージのお仕着せの嘘。全力も頑張るも青春も被災地も鵜呑みにされた何かからまず解き放とうという監督、脚本の発想は素敵だと思う。あるいは「応援される側」の本当に目を凝らそうという意図、ホントにいいことよりよさそうに見えることが大事なSNSの嘘へという眼の付け所、はたまた先生役の安達祐実まで子役出身俳優を揃えてみるというアイディアも。そんな構成要素を束ねて大きな力にし切れていないのが惜しい。
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編集者、ライター
佐野亨
水曜日はべつの用事に消えたため、木曜日の午前中にこの映画を観た。ハッシュタグ付きのタイトルからもわかるとおり、インスタグラムが物語を動かす重要なツールとなる。一方で、少年たちがつどう体育館倉庫や銭湯といった空間、その「三密」具合に、現在の状況との乖離を感じずにはいられなかった。この映画のようにSNSでのつながりが強化され、またいまのように配信での映画鑑賞が常態化すると、ひとびとの心の距離感はどう変わるのか。そんなことを思った。
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詩人、映画監督
福間健二
「被災地」熊本県とハンドボール協会からオファーがあっての企画で、こんな話。「頑張るフリ」からマコト、というふうに持っていこうとしているのだろうが、フリじゃないところでも演技の作った表情しか見えないのが厄介。「青春と並走してきた」という松居監督、自信がありすぎて計算違いか。「適当に逃げて、いい気になってる」と批判される役の加藤清史郎は、ずっと「ごめん」と謝っているような表情。ヤラセが暴かれた「炎上」のあとに並ぶ深刻顔のウソっぽさ。すっきりしない。
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ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶
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フリーライター
須永貴子
「ハクソー・リッジ」の前田高地以外にも、数多ある太平洋戦争中の沖縄に描かれた地獄絵図を捕捉していく。試みも、メッセージも、資料としても意義深く、見るべき作品であることに間違いはない。しかし、戦争体験者の証言が録音の問題か聞き取りづらい上、みなさん長尺なので根気が必要。貴重な体験談をより多くの人に伝えるための、編集やテロップでの工夫がほしかった。そのテロップの解像度が低く、「語り」は感情移入が過剰。トータルで、言葉周りの処理に改善の余地あり。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
沖縄戦の悲惨、残虐はアウシュヴィッツに匹敵すると思われる。島崎藤村が校閲した『戦陣訓』、その「生きて虜囚の辱めを受けず」のせいで、どれだけの人々が集団自決で死んでいったのだろう。軍部が通告した「一億玉砕」? 国民が全部玉砕したら、もう国ではない。倒錯しているとしか思えない。『戦陣訓』を声高に叫んでいた東條英機は、自決に失敗し、生きて辱めを受け、死刑を前に差し出されたワインを二杯飲んだという。人身御供にされた沖縄に改めて哀悼を!!
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映画評論家
吉田広明
これもまた国家「棄民」のあり様を描く。本土決戦への時間稼ぎ、捨て石に過ぎない沖縄。民間人男性をすべて徴兵、女子供には皇民化教育で「日本人」アイデンティティを内面化させる(それが集団自決ならぬ「強制死」を生む)。要するに沖縄は国民全員が戦争する「総力戦」の典型、日本本土のもしかしたらありえた姿であったわけだ。沖縄がそういう存在であったことは既知の範囲であり驚きは正直ないのと、感傷的な語りと音楽、記録映像をイメージとして使う手法に疑問はある。
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日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人
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フリーライター
須永貴子
フィリピンと日本、どちらの国籍もないままフィリピンにひっそりと暮らす人を探し出し、インタビューでそのルーツをたどるシーンから始まる本作。ミステリーのような要素で観客の興味を引き、残留邦人の問題を中国へと広げ、無策なまま問題の「消滅」を待つ日本政府への痛烈な批判に帰結する構成の妙。残留邦人の国籍回復に尽力する人々だけでなく、独自取材映像にこだわる制作陣の本気にも敬服する。そして、現在進行形で「棄民」を作り出す現政権下での生き方を考えさせられる。
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