映画専門家レビュー一覧
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ジョーンの秘密
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
ディケンス『二都物語』からの引用で、1940年代の英国は様々な対極性が共存していたと語る。この物語は引き裂かれた対極性の物語だ。青年たちの根底にあるのは、「人類の平和」か「国家への愛」か。この二大倫理の選択により分断を引き起こす。しかし最終的には「家族への愛」という小さくも尊い結論に至る。主人公を二人の女優が好演。特にデンチの不安定な老女の演技が若いクックソンを際立たせる。また撮影が素晴らしく画面に品格を与える。エンタメとしても十分堪能。
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フリーライター
藤木TDC
J・デンチが力演する老女の青春時代をS・クックソンが可愛く演じる。戦時の秘密プロジェクトに一般女子がスパイとして関わる展開は実話ベースとはいえやたら接吻しまくったり少女マンガ的ロマンスを強調しすぎで現実離れな印象。英国の原爆開発計画「チューブ・アロイズ」の全体像も説明不足で、事前にNHKのドキュメント等で予習すると理解の助けになる。「007」ファンは老いて退職したMが二重スパイで逮捕され、若き日を回想するスピンオフと脳内変換すれば楽しめる。
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映画評論家
真魚八重子
「実話に基づいた小説の映像化」で脚色があったのか、主人公を巡る人間関係が劇的な枝葉末節とともに綴られる。だが現代と過去の往来で駆け足の内容となっており、言葉が足りない部分や、辻褄が合っているのか不鮮明な箇所がある。女性の恋愛劇の面は大きく、上司との不倫関係がこじれると、彼が唐突に尊敬に値しない挙動を取るように見えるなど、感情のフィルターがかかって演出されている。本作の主人公の申し開きは、近年の暴力に満ちた世界状況からするとかなり古めかしい。
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ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
米国白人による文化侵略を象徴してきた世界的レストランチェーン、ハードロックカフェは、2006年にフロリダ州のセミノール族に買収されて以来、彼らの持つカジノ利権と結びついて世界各国で巨大なカジノ&ホテル事業を展開している。そのハードロックカフェが本作の製作母体。ポピュラー音楽史における先住民族出身の音楽家の貢献というのは見過ごされてきたテーマであり、内容も充実した好作だが、ここには「自らの歴史を語るには、まず資本を押さえること」という背景もある。
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ライター
石村加奈
リンク・レイを中心に、彼の登場以前、チャーリー・バトンの時代から、ジミ・ヘンドリックスにレッドボーン、タブーへと現在に至る、多種多様なミュージック・シーンに通底するインディアン・ビートの壮大な物語。劇中に流れる約50曲もの音楽では、ミルドレッド・ベイリーの〈ホールド・オン〉をはじめ女性シンガーの曲が心に残った。「芸術という“秘薬”を使うのよ」と不敵なフォークのヒロイン、バフィ・セイント=マリーが歌う〈Bury My Heart at Wounded Knee〉に痺れる。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
10代の時、リンク・レイの〈ランブル〉を初めて聴いたのだが、カッコ良すぎて笑ってしまった記憶がある。今でもエッジの利いた映画や舞台で時々使われているが、そのルーツは全く知らなかった。本作はレイからジミヘン、タブーまで、そのインディアンの血を引く者たちが変えた音楽史の側面を、彼らの祖先が受けた迫害の歴史、文化の成り立ちを紐解きながら描く。劇中ある人物が「大地から受け継いだオーガニックなビート」と語るが、まさにそれを全篇様々な形で体感できる。
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大海原のソングライン
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
被写体の力とそれをカメラで捉える側の力が拮抗して、ドキュメンタリーは初めてスクリーンで観るに値するわけだが、本作は後者の力が及んでいない典型的な作品だ。そこで鳴らされている音楽への驚き、パフォーマーの肉体や表情への没入を阻害する、煩雑な編集や安易なスプリット画面。各部族が伝統を忠実に受け継いできた音楽と、それを現代的な解釈で発展させた音楽を並列で紹介していて、その文脈や歴史の流れは示されないので、アカデミックな興味も満たされない。
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ライター
石村加奈
16の島国の伝統音楽が数珠繋ぎになって太平洋を渡る、さながら音楽の船旅だ。マダガスカルのヴァリハ奏者ラジュリーが、コブ牛に捧げた「オンビー」(傍の鳥まで踊っているように見える場の力!)に聞き惚れていたら「哺乳類の60パーセントは家畜」というテロップが。後半顕著になっていくこの構成は、歌が心地よい分、ショックも大きい。雄大な船旅に環境問題を取り込んだことで、いまこの映画を作る意義は強まったが、コンセプトが曖昧になり音楽本来の魅力が損なわれた感は否めない。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
考古学では、文字が残っていない文明を研究する際、その地に伝わる音楽や踊りを分析し、ルーツを探る。約5千年前に台湾先住民を原郷とし太平洋、インド洋に広がった 「南島語族」の“航海の記録”を本作はまさに音楽そのもので表現している。詳細な説明はなく、ただ世界16カ所、それぞれの地で生きるその末裔たちが伝承されてきた音楽を演奏し歌い、一つの壮大なアンサンブルとなる様を描くのだが、これが圧倒的なグルーヴを生み出し全篇気持ちが良い。音響環境が良い劇場で観るべき。
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8日で死んだ怪獣の12日の物語 劇場版
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フリーライター
須永貴子
この状況で映画を撮る目的、そのための工夫、メッセージ性、演者の力量、監督の作家性などを兼ね備えた、ウィズコロナ時代のお手本のような作品。斎藤工が演じる俳優のサトウタクミと各人の、パブリックイメージを利用したトークが非常にリアル。特にのんとのやりとりは、初共演とは思えないほど自然かつ、ストーリーにおいてスリリングなアクセントになっている。カプセル怪獣の育成日記が、SFホラー映画「ライフ」のように展開することを期待した自分は多分不謹慎なのだろう。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
岩井俊二さんもこんな肩の凝らないものを撮るんだな、と楽しくなった。全篇ほぼリモートで撮られたこということで、その限界を感じさせると同時にそれまでとは違った面白がり方ができる。脚本は岩井氏だが、斎藤工やのん等役者陣はほとんどアドリブで喋っている感じがする。コロナ禍での新しいライフスタイルを提案する長い長いプロモーションムービーといった趣きである。ズームでの対話の合間合間に差し挟まれる仮面をかぶった女性たちの踊りや怪獣の飛翔をやたら美しく感じた。
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映画評論家
吉田広明
カプセル怪獣を通販で買ったYoutuberが、日毎の変形に一喜一憂するのと、同じく通販で宇宙人を買ったその女友達が宇宙人に感化されて、ダメな人類を救うため宇宙留学に行くと言い出す六末を、配信動画やZOOMの映像を通して描くフェイク・ドキュメンタリー。コロナ下の日常のような非日常を微妙なくすぐりで捉え、希望のメッセージで終わる。詰まらなくもないが薬にもなるまい。全篇モノクロ、怪獣=女性が躍る意味不明なイメージ映像等、いかにもスカした岩井スタイル。
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最も普通の恋愛
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映画評論家
小野寺系
社内恋愛を描いた作品とはいえ、長篇映画の尺のなかで、主人公たちや登場人物のほとんどが恋愛や結婚、浮気に絡んだことしか頭にないように見える世界観は異様。恋愛の先にしか自己実現はないと言っているかのようだ。また、飲み会のシーンの多さは驚異的。ノミニケーションに高い価値を置いている観客ならば、毎晩浴びるように酒を飲んで管を巻く主人公たちに感情移入できるかもしれない。前進を続ける韓国映画にも、まだまだ保守的なロマンスの需要があると意識できる一作だ。
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映画評論家
きさらぎ尚
画面から酒気が漂い出るくらいしょっちゅうお酒を飲んでいる彼らの、どこが“最も普通の恋愛”なの? 見終わってまずこう思ったが、考えてみれば、主人公が失恋直後の、傷も痛みも癒えていない男女で、二人が出会い恋に発展する物語なのだから、一筋縄ではいくまい。彼らにはこれが最も普通なのだろうと納得。特段ドラマチックなエピソードで展開するわけではないが、コン・ヒョジン演じる恋の幻想などすっぱり捨てた女がときおり発揮するしおらしさ等、細部の描写には好感がもてる。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
甘さ控えめ、程よい苦みの大人のラブストーリーで、SNS社会における恋愛というテーマが妙に強調されているがゆえに逆説的に男女の恋愛の普遍性が表出した不思議な感触もあり、ここに今泉力哉的なエグみが加味されればかなり面白くなるのかもしれないが、それはそれで失う魅力もあるのだろうから、このくらいの塩梅がジャンル映画としては丁度いいのかもしれない……が、本音を言ってしまえばこんな美男美女の恋愛を心から応援できるほど自分は人間が出来ていない……のが悲しい。
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カサノバ 最期の恋
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
ほとんど同じ話でアラン・ドロン制作・主演「カサノヴァ最後の恋」という劇的な作品があった。原作はA・シュニッツラー。本作はカサノヴァ自身の回想録が原作となる。ダルデンヌ兄弟の共同製作とあって、リアルで劇的な演出ではない。アルベルト・セラ「ルイ14世の死」のように、歴史上の人物の神話性をR]ぎ取り、凡庸な物語へと引き戻す姿勢。従来の誰もが虜になる美男子のカサノヴァ像とは掛け離れ、ヴァンサン・ランドンが一般人の等身大の新しいカサノヴァを提示して見せた。
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フリーライター
藤木TDC
#MeToo時代にカサノヴァとは挑発的。しかし男性客の膨らむ下心をよそに主人公はストイック、若い細身のツンデレ娘に翻弄され、バードキスに達しては突き放されウジウジ悩む弱気なカサノバだ。そもそも30代のカサノヴァ(「最期~」とはひどい)を還暦のV・ランドンが演じるのは無理があり、しかも開巻から1時間経っても情事はほとんど発展しないので官能を期待するとガッカリする。あえて#MeToo時代のカサノバを描いたシニカルな喜劇とも解釈できるが私には笑えなかった。
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映画評論家
真魚八重子
現在の世界的な状況や時代性において、映画でただ「老いらくの恋」や「恋の駆け引き」だけを堂々とテーマにするのは開き直りに近い。しかしこの作品ではそれも味というか、呆れつつも一周回って意外に楽しめた。新しい要素や斬新な視点に挑戦するのではなく、品位をもって説明しすぎず、ゆるゆると情景を収めている空気にフランス映画の名残が見えた。ブノワ・ジャコーにこれまでいまいち特性を感じてこなかったし、本作も緩い印象なのだが、刺激の淡い食間の一服としてアリ。
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いけいけ!バカオンナ 我が道を行け
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フリーライター
須永貴子
この映画の敗因は、バブル時代を舞台にした作者の自伝的ストーリーを、現代にうまく置き換えられなかったことにある。映画の設定は二〇一〇年から二〇一七年。アップデートされているのはSNSなどのコミュニケーションツールだけで、描かれる価値観は前時代的で表層的。主人公の大学時代のファッションや(特に)ヘアメイクが原作の造形に引きずられており、違和感が凄まじい。演者に大げさな表情や発声をさせて、瞬きに効果音を付けるなどの演出もアップデートが必要だ。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
かつて『白鳥麗子でございます!』等で一世風靡した鈴木由美子が原作。二十年以上前のバブル期の漫画を現代に設定し直している。そう言えば、映画はあの頃の空気感が匂っている。バカオンナと題されているが、女性たちはバカではない。派手目で押し出しは強いが、むしろ真面目。大酒飲んで泥酔し、気付かぬうちに処女を失くしたりするが、その男と地道に愛を育み、女同士の友情もきっちりキープ。バカと見えるが、バランスよく賢く生きている。嫌味がなく、気持ちがいい。
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