映画専門家レビュー一覧

  • MOTHER マザー(2020)

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      長澤まさみの顔ってどういう顔なのか、評者はいままでよくわからなかった。デビューから二十年。ついに見たという気がする。秋子。こんな母親。これは映画史に残る汚れ役だ。息子の奥平大兼、情夫の阿部サダヲ、そして他の出演者も、この秋子から、受けとるべきものを受けとって、見事に、この世界の絶望的な不可解さの一端を形成する。大森監督と共同脚本の港岳彦、二人の持ち味が合わさって存分に発揮された。本作が暴いたもの、私たちに突きつけているものに震えが止まらない。

  • アングスト/不安

    • 映画評論家

      小野寺系

      理由なく殺人を犯す悪魔の所業と思わせておいて、論理性が次第に明らかになる過程が圧巻。自分を異常者とは別だと信じる大多数の観客の思い込みを切り裂き、不安を感じさせる傑作だ。83年製作にもかかわらず、本作から多大な影響を受けただろうミヒャエル・ハネケやギャスパー・ノエの表現よりはるかに純粋かつ斬新で、公開当時あまり理解されず各国で上映禁止の憂き目に遭ったのも分かる。描写自体は過激だが、犯罪や偏見に肩入れした内容でなく、むしろ健全な部類に入る作品。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      3日間限定で仮出所した主人公が、その足で凶行におよぶ様子を描いたこのサイコ・ホラーを最後まで正視するのは、かなり不快な映像体験。実在の殺人鬼である主人公の異常性に加え、彼の表情や動きを張り付くように捉えた手持ちカメラが、異常さを際立たせる。セリフを最小限にして、多くを主人公の独白に委ねたことも大きい。一時期タンジェリン・ドリームのドラマーだったクラウス・シュルツェの音楽も不気味さを増幅させる。出来栄えはともかく、苦手な分野なのですみません。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      ステディカムにより強制的にブレを抑え込んだうえで乱暴に動き回る異様なカメラワークは、はた目には理解不能な無軌道ぶりでも自身は理知的な計画に基づいて行動していると思い込んでいる主人公に重なるもので、安定と不安が同居を果たす混沌の恐怖をかような形で表現し、なおかつ手法的なあざとさや露悪から逃れている清々しさは、ホンモノの狂気を生のまま捉えたこの映画の狂気もホンモノである証左で、世の中にはまだこんな傑作映画が埋もれているということもまた、恐怖である。

  • レイニーデイ・イン・ニューヨーク

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      こんなにもウディ・アレン的な映画があるのか。原点回帰。自分の映画をブラッシュアップしてみせた。「現実は夢を諦めた人たちの世界」という台詞が登場するが、この映画に出てくる世界は決して現実ではない。夢や恋に破れ、失業しても輝き続けている。まるで縫い合わされたような誰かの部屋の中のNY。NYは何も変わらず微動だにしない。デュラス映画の編集ドミニク・オヴレーのアレン論を思い出す。巨匠ヴィットリオ・ストラーロ撮影のなんと美しいことか。それだけで満足。

    • フリーライター

      藤木TDC

      小粋なラブコメだが異様でもあり、観賞中、脳裏にロールシャッハテストのどす黒いシミが広がる。若い娘たちの誘惑と酒や博打にまみれた甘美な都会の一夜は84歳の瘋癲老人がチラシ裏に綴った妄想とも、確信犯的に示す現代人の倫理の踏み絵ともとれる。監督は意地悪く絵本を開き「君たちも正直こういうの好きだろ」と悪魔の囁き。黒人もアジア系も失業者もいないロマンチックでノーブルなニューヨークに重なる影は性的シンボルか排除された人々の嘔吐か。観客の認識が試される。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      ファニングの役柄が軽薄で、若さと美貌を積極的に活用し世渡りしていく、恐ろしいほど内面を描かれない少女になっていてアレンの女性観かなと。昔の作品と比べ複雑さを失った女キャラが、些末にこだわらない老人力を物語る。作品自体はいままで通りのアレンのテイストに貫かれていて、クリエイターたちの雑然とした集いのシーンなど大人の魅力に溢れる。ただ、現在慎ましく暮らしていても、若い女が好きというアレンのメッセージは昔から気持ち悪かったし、本作でも変わらない。

  • アンチグラビティ

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      「インセプション」のような公開時だけでは解釈しきれない様々な寓意が込められた作品ならば、トリビュートしたくなる気持ちはわかる。しかし、10年近くも経って、そこに新たな視点を提示するのではなく、細部の剽窃に終わるのなら、それはやはり怠惰な作品と言うしかない。若い頃のメル・ギブソンから色気を抜いたような主演俳優も魅力薄。いきなりクライマックスから始まって、1時間以上そのまま押し通し、ようやく背景説明に入るストーリーテリングはなかなか面白い。

    • ライター

      石村加奈

      昏睡状態に陥った人間が送り込まれる“昏睡の世界”の世界観が面白い。主人公の男が目覚めた時、かすかに感じる違和感を、脳を刺激するような、不快な音が的確に表現する。黒い怪物=死に神(リーパー)の正体も斬新だが、重力や時間の表現については一考の余地があるかと。作中、主人公が何故その世界へたどり着いたのかという経緯は明かされるが、思わせぶりな物語は遅々としたまま、一向に展開しない。そういう意味でも「知れば知るほど、問題が生じる」という台詞が印象に残った。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      昏睡状態の人間の脳内世界が舞台、という何でもアリ設定の度が過ぎて全篇ほぼ緊張感がない。夢は記憶と潜在意識の産物という前提で物語は進むのだが、「インセプション」をはじめ、「マトリックス」「X-MEN」「ターミネーター4」などこちらが観てきた多くの映画の〈記憶〉が次々と否応なく呼び起こされる。それが作品のコンセプトに合わせ、意識してちりばめていたのであればもっと楽しめたかもしれない。世界観のアイディア自体は悪くないが、あまりにも既視感に溢れていた。

  • チア・アップ!

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      リタイアメントコミュニティで暮らすお婆さんたちが、チアリーディングチームを組んで大会に挑む。これがヨーロッパのハートウォーミングコメディならば「はいはい、またこういうやつね」なのだが、何しろそのお婆さんたちはダイアン・キートンやパム・グリアやジャッキー・ウィーヴァーなのだ。アメリカ映画の特権は、そんな作品の外部に広がる記憶やコンテクストの豊かさだ。冒頭のキャロル・キングからクライマックスのシャーリー・エリスまで、選曲もいちいち気が利いている。

    • ライター

      石村加奈

      ダイアン・キートン、ジャッキー・ウィーヴァー、パム・グリアらが、平均年齢72歳のチアリーディング・チームを結成、コンテスト出場を目指す! これだけでも、元気の湧く映画だ。思うように体が動かない分、人生経験に裏打ちされた知恵を駆使して、老若男女から拍手喝采を受けるパフォーマンスを披露するに至る、見事な人生讃歌。自分の人生を受け容れて、自分を応援する彼女たちのチアは、すがすがしい。パム扮するオリーブの、相変わらずセクシーな役どころにも、ときめく。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      老女たちがチアリーディング・チームを結成、奮闘する。ベタな設定と展開だが、主人公である独り身の老女をダイアン・キートンが演じるだけで「孤独な高齢者」ではなく「都会で好きに生きてきた女性と捉えられ、物語に活気と品性が生まれる(冒頭、NYの自宅前で自分の“遺品”セールを行う彼女の姿はアニー・ホールのその後を想像させる)。キートンは年を重ねても彼女自身のライフスタイルが役にさらりと反映され魅力を放つ稀な女優という事を再認識。

  • 癒しのこころみ 自分を好きになる方法

    • 映画評論家

      川口敦子

      中島、橋本、さらには藤原さえもがしっくりともう若くはない女の、だからこその奥行をそっと覗かせ光っている。前作「影踏み」の中村、尾野もそうだった。「山桜」の田中のきりりと固い蕾の若さの向こうにも艶やかに年増の色を予感させた監督篠原の強味を改めて確認する。その監督が今どき稀な職人芸の慎みの奥で追ってきた挫折者同士の再生の物語が脚本の協力も得てじわりと浮上する。手と手がふれて淡い想いが立ちのぼる一瞬。別れの前の疾走。紋切型を蹴散らす素敵が見えた。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      今回評した他の作品がとくにその面で難ありだったこともあるが、篠原哲雄らしい俳優の動かし方の巧さ、タイプキャストにそれ以上の含みをもたせようとする演出のたくらみにだいぶ救われた。藤原紀香演じるカリスマセラピストの言い知れぬ胡散臭さなど捻れた面白みがある。ただ、それがなければ到底観ていられないくらい紋切り型、予定調和が連発されるシナリオ、もう少しなんとかならなかったのか。安直にラブストーリーのカタルシスに落とし込まない心意気は買いたいのだが……。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      宣伝映画だ。ドキュメンタリーで本物のセラピストの「施術」を見せたらいいと思うが、これは半端に金をかけた劇映画。篠原監督や撮影の長田勇市の考えてきた「映画」がどう作動するかという興味で見た。「癒し」や「リラクゼーション」が、言葉としては無力でも実はこういうことだとハッとさせるような発見があるかどうか。ない。ここでの映画人のプロ性は、わかりやすく、浅く、という方向に働くだけ。「では右肩からほぐしていきますね」とか健気に言う松井愛莉に同情した。

  • のぼる小寺さん

    • フリーライター

      須永貴子

      ボルダリングで真っ直ぐ上だけを見つめる小寺さんに、進路希望用紙が白紙だった4人が熱い視線を注ぎ、4人がそれぞれに変化する関係が、アイドル(推し)とファンのそれに重なった。頑張っている推しに影響されて、自分も何かを頑張ることで成長し、同じ推しを持つファン同士が繋がり、世界が広がる尊い関係。アイドル性だけでなく、アスリート的な身体能力と哲学者のような探究心を併せ持つ小寺さん像に到達できたのは、元モー娘。の工藤遥の資質があればこそ。漫画の幸福な実写化。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      この映画を「爽やか」と形容すると、失礼な気がする。観終わって襟元を正したくなった。コロナ禍のなかで観たからそんな気がしたのか、小寺さんや近藤君の流す汗粒が、真珠のような気品のある渋い光沢を放っているのではないかと思った。小寺さんはボルダリングのウォールをひたすら登る。わざとらしい気負いは何もなく、凜としていて美しい。近藤君は彼女に恋をし、影響されて卓球にのめり込む。人が等身大であることの心地よい充足感がここにある。

    • 映画評論家

      吉田広明

      無我夢中でボルダリングに励む女子、自分の好きなことに真っすぐな彼女に惹かれて、周囲が次第に感化されてゆく。自分が何をしたらいいか分からない、他人の目が気になって好きなことを好きと言えない等、周囲の生徒たち(そのキャラも多様で飽きない)の思春期の不定形な心理をうまく掬い上げている。主人公男子が頑張り始めると、それまで一緒にダラダラ過ごしていた仲間がちょっと距離置いたりする辺りの微細な葛藤も面白いが、あまり展開されていないのが少し残念だ。

  • イップ・マン 完結

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      ドニー・イェンはひたすら強い。「アイスマン」では宇宙最強になったので、もう驚きはしない。今回は弟子ブルース・リーも登場。1964年のアメリカだが白人至上主義が蔓延。いや、現実は更に酷い状況かもしれない。男性・父性・敵対・名誉といった主題が反復され、母親的な人物が一人も登場しないだけに、闘争が強調されているようだ。イップ・マンがライバルの中華総会長の娘に「イップおじさん」とウルウル瞳で悩みを相談され、照れまくるシーンがなんとも微笑ましい。

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