映画専門家レビュー一覧
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ワイルド・ローズ
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映画評論家
きさらぎ尚
英国のグラスゴーでカントリー・シンガーを夢見る女性が米国ナッシュビルでデビューを果たすまでのサクセス・ストーリーと思いきや、まるで違う。嬉しいことに、話はそれほど平凡ではなかった。日常の決して甘くない現実をいっぱいに詰め込んで描く、在るべき場所を探すことが主題の、生活感あふれるミュージカル。主題にたどり着くまでが少々まわりくどいが、この間、ヒロインのJ・バックリーの魅力がそれをカバーする。そういえば「ジュディ 虹の彼方に」でも存在が光っていた。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
刑務所帰りの音楽好き不良シングルマザーが歌手になるまでのサクセスストーリーの軸として描かれるのは子供を持つ女性が夢を追うことの難しさで、結果、母親としての成長物語にもなっている本作は、彼女の荒くれぶりとは対照的な柔らかい光に包まれた画面設計とジェシー・バックリーの歌声の美しさが印象的な音楽映画の秀作ではあるのだが、予め用意されているかのような結末に向かって障害を乗り越えながら進む物語は一本道で、終盤の駆け足展開にもやや都合の良さを感じてしまう。
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オーバー・ザ・リミット 新体操の女王マムーンの軌跡
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
監督はポーランドのアンジェイ・ワイダ映画学校出身の22歳。少女コミックから出てきたような強烈ヘッドコーチに罵声を浴びせられるリタ。政治とプロパガンダの関係が濃密で、ロシアの選手たちは謎に包まれている。アスリートの強さは国家の強さ。昔ヴェネチア・ビエンナーレで米アーティストの作品が、国家の威信をかけてミッドウェー空母で搬入された。優れたアーティストの創出は国家の軍事力だと知らされた衝撃。燦爛ではなく人間の影や深みに惹かれる若い監督の着眼点に期待。
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フリーライター
藤木TDC
最終盤に彼氏との濃厚ラブラブカットが用いられ、そうした場面は日本製スポーツドキュメンタリー、こと五輪選手の場合には使用例があまりないので新鮮。だが、それ以外のほとんどのシーンは練習中にコーチにどやされ不機嫌な表情のマムーンを延々映しているだけで物足りない。ロシア側の撮影非公開が多かったのかもしれないものの、監督が構想した作品に完成しているのだろうか?スポーツ記録映画は人気の安定したジャンルでも、新しい切り口やスタイルの提示は案外難しい。
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映画評論家
真魚八重子
思いがけずキリキリと神経がやられる良質ドキュメンタリー。新体操の選手マムーンの軌跡というより、コーチと選手の間でモラハラ、パワハラの負の連鎖が続く実態を捉えてしまった作品だ。人間性を破壊する指導を許してまでも、オリンピックに価値はあるのかという問いかけに、マムーンが出した後味の悪い答えに愕然とさせられる。監督は最初からこのテーマを狙い、ロシア新体操の撮影をしようとしたのだろうか? 練習風景に写り込んだ加虐性に着眼してつないだのか、気になる。
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ランボー ラスト・ブラッド
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「エクスペンダブルズ」が軌道にのった今、わざわざこの錆びついたフランチャイズを引きずり出してきた意図は不明だが、中身は「ランボー」というより「96時間」。スタローンの映画人としての歩みが偉大であることは疑う余地がないが、ようやく安らぎを得た古き良きアメリカン・カントリー・ライフの対比として、トランプの時代にメキシコを欲と金にまみれた悪の巣窟として一方的に描くこの鈍感さこそが、ランボーイズムの継承ということか。唐突なゴア描写は新鮮味があった。
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ライター
石村加奈
史上最悪の残虐描写がいまだ鮮烈に記憶に残るが、12年ぶり!のシリーズ5作目となる本作(監督はA・グランバーグへバトンタッチ)。爺さんになっても、アンチヒーロー・ランボーの絶望は薄れることなく「一生悲しみは続く」のだ(否応なく巻き込まれるカルメンに、詰め寄るランボーの言葉の重さ!)。余念ない準備が見事に結実する、ラストの復讐戦では、ラスボス以外の人体破壊描写に一切のカタルシスがない分、スーパーソルジャー、ランボーの揺るぎなさを頼もしく感じた。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
スタローンは、アメリカとそこに生まれた個人、その栄光と凋落を体現し続けている稀なスターで、ロッキーは彼自身の生き様と重なり、ランボーは近代アメリカ史の負の象徴だ。前作のラストでランボーは裏切られ続けた故国に戻り、これ以上ないシリーズの終焉を迎えたのだが、過酷な運命は彼をまたも戦場へと駆り出す。一時代を築いたモノにしか許されない大いなる蛇足。だが、老いてなお泥臭い“らしさ”全開で、どう思われようが「やれるからやる」を貫く姿にやはりグッとくる。
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SKIN スキン
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映画評論家
小野寺系
暴力的な白人至上主義団体の内側の世界を垣間見せる作品として興味深い。タトゥーが描かれた皮膚を焼く身体的な痛みと、過去の自分の差別的な考えを捨て去っていく心情的な痛みの表現を同期させる編集によって、走狗として使われる青年の葛藤に真実味と共感を呼ぶ力が加えられたと感じさせる。実話が基になっているという事情もあるのだろうが、主人公を利用する親代わりの男女が類型的な悪役像にとどまり、主人公を同情的に描き過ぎている点には少し物足りなさを感じた。
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映画評論家
きさらぎ尚
人は生まれ変わることができると信じたいが、生まれ変わるのは相当むずかしい。ドラマはそのむずかしさが主題。変わろうとする主人公の改心のきっかけが、3人の娘を育てているシングルマザーのジュリーと知り合ったから。彼女もまた、主人公に惹かれる理由がはっきりしない。二人の恋愛関係でストーリーが進むが、要するに互いの動機づけが曖昧で、主題は明確なのに話は響いてこない。この本篇の出資を募るために作った21分の短篇「SKIN」が見応え抜群なので、平凡さが惜しい。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
未だはびこる黒人差別問題に差別者を主人公に据えて切り込むという試みは、差別心理をよりグロテスクに表出させるにとどまらず、改心したのちに組織から足を洗う過程に伴う苦難にもリアリティを与えているし、愛情によって暴力に打ち勝つという展開が綺麗ごとに堕ちていないのも素晴らしいのだが、彼の心情的な痛みに呼応するタトゥー除去手術描写を本線の間に何度も細切れに挟み込んでくる構成は、結末をあらかじめ提示してしまっているという意味において、僅か減点要因に感じた。
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ハニーランド 永遠の谷
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
神話のような映像。この風景と暮らしは数千年も変わっていないはずだ。目先の利益のための搾取は日常茶飯事で、それらは都市型経済や人間の消費のあり方がもたらした。自分たちが使う分だけ、半分は蜂に残して採取するという約束は、いつから崩れてしまったのか。人間の強欲を自然はどこまで許容してくれるのか。人言たちだけ好都合な「自然」に対し、我々は何ができるのか。人間の身勝手と対比される女性性の寛恕や寛容、力強さ、そして自己再生の奇跡。女性性こそが自然だ。
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フリーライター
藤木TDC
シンプルな構成でありつつ見たことのない映像が続く奇跡的な作品。北マケドニア辺境の荒涼とした風景の中、自然に対する人間の“寄生”を問い、「パラサイト 半地下の家族」と別角度から社会の矛盾やライフスタイルについて考えさせる。周到に造形されたような映像の美しさや寓話としてあまりに完成した展開からにわかにドキュメントとは信じがたいが、演出だとしても設計で容易に作りあげられる質ではない。北マケドニア映画は初めて見たが、レベルの高さに強い興味を持った。
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映画評論家
真魚八重子
長期間にわたって対象と接したドキュメンタリーだけが持つ物語性。これがじつは劇映画だと言われても信じてしまいそうなドラマティックさに驚嘆する。養蜂の物理的な痛みが隣人家族を襲う場面の、なす術のない状況に大自然のリアルさを見た。夜の野焼きの光も、単なるドキュメントでは捉え得ない稀有な撮影の賜物。主人公の女性の嘆きや繰言は、人は強さではなく置かれた状況に従わざるを得ない無慈悲さを表し、簡単に主人公への褒め言葉を許さない、人間の世界の怖さがある。
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悪の偶像
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
相変わらず完成度が高い韓国映画。いま日本映画界でこのような文学的作品は製作可能だろうか。人間性の深い洞察や出来事に対して起きる矛盾した想いの煩悶や容認。この内容で日本のプロデューサーはGOサインを出せるのか。人はそれぞれ信じているものが異なる。いや、何かを信じている「自分自身」が信じきれるかどうかだ。政治家であれば、政治を信じるのではなく、政治を信じている「自分自身」が信じきれるか。この作品の題材は、映画製作という大きな欲望にも通じる。
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フリーライター
藤木TDC
選挙を控えた政治家が家族の起こした交通事故と殺人を偽装する松本清張テイストの前半は日本映画的な緩慢ペースでやや眠い。中間を越えた頃から一気に韓国ノワールな演出に転換、猟奇的キャラの登場、暗示とツイストをぶちまけた急展開で緊張が高まり、広げた風呂敷をどう収束するか期待させる。が、観念的要素を残したまま物語は閉じ、ミステリとしては残念な結末。冒頭の尾篭なモノローグの含意は私が男のせいか見終えて何となく理解できたが、主張が作劇に反映しきれていない。
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映画評論家
真魚八重子
韓国発のノワールな雰囲気はやはりゾクゾクする魅力があるし、ハン・ソッシュとソル・ギョングの演技対決も文句ない出来栄え。轢き逃げ事件の被害者、加害者の父親各々の事情を描くため144分の長尺も仕方ないかと思いつつ、それでももったいなさがある。ある重要な人物の出し惜しみ方は意図的ではあろうけれども、暗黒の精神を持ったキャラだけにもっと描き込みが必要だったのではないか。主人公たちの屈折した心理を匂わせるだけの演出も、狙いはわかるが微妙に曖昧過ぎる。
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はちどり(2018)
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映画評論家
小野寺系
長篇デビュー作でここまで撮れてしまうとは……! 家庭の複雑な権力構造から生み出される暴力性を描きながら、それでも寄り添わなければならない現実を巧みに描いている。女子中学生の何気ない日常にばらまかれた幸福や苦痛が、子どもの視点からリアリティを持って描写できる能力にも目を見張るが、おそらくは主人公と同じく監督自身の分身であるところの大人の視点を存在させることで、立体的かつ説得力のある世界が出来上がっていて、エドワード・ヤンを想起させられる。
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映画評論家
きさらぎ尚
セリフが少なく、終始重い空気に覆われているが、中2女子に寄り添い、脇道に逸れない展開が潔い。韓国の1994年がどんな年であったかはさておき、地域の中の、学校の中の、そして家庭の中の、ヒロインの個としての自意識の目覚めが胸に響く。女子校生に特有の憧れや友人の裏切り。また、家族同士が目を合わせない、あるいはケガを負うほどの派手なケンカをしても翌日には並んでテレビを見ている両親の不思議さ。思春期の心に映るこれらに同情せず美化もせず。ドラマに芯がある。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
女性監督にしか撮れないであろう柔らかな雰囲気の中で少女の美しさと儚さ、愛情の残酷さを描くにとどまらず、韓国が抱える社会問題も嫌味なく絡める絶妙なバランス感覚には天賦の才を感じさせるし、スクリーンには極上映画の香りが常に漂っているのだが、空気感重視の日常スケッチや程よく抑制された芝居などには、現在のシネフィル様が好むであろう領域に収まりきっているある種の無難さも感じ、若いならもう少し闘ってもいいのではないか、なぞオッサン臭いことも言いたくなった。
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