映画専門家レビュー一覧

  • バルーン 奇蹟の脱出飛行

    • 映画評論家

      小野寺系

      一家の亡命計画を当局がすでに感知していて、逃亡側と捜査側が、ある程度お互いの手の内を知りながら頭脳戦を繰り広げる。そのあたりが「四十七人の刺客」を想起させる、本作の脚本的な面白さだ。同時に冷戦下の東ドイツを題材とする時代ものでもあり、自宅の風景や、ベルリンのホテルの大掛かりな描写、くわえてバルーンの組み立てなど、当時を再現する美術が素晴らしい。一方で、演出自体にはそれほど際立った特徴はなく、見やすい映画といえるものの、強い印象は残らなかった。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      わずか40年前の実話であることにある種の感慨を覚える。ベルリンの壁が崩壊したのも、思えばこの話の10年後だものなぁ。一度目の失敗にくじけず、シュタージの監視をかいくぐりながら、二度目を決心したことが要点。それだけに、話の起点となる主人公ペーターとギュンターが西側への脱出を決意する背景にふれて欲しかった。確かに結末に至る間にハラハラさせるエピソードをいい具合に配置してスリリングな効果もあり面白く見られるが、話の起点がないので、根っこが脆弱の感もある。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      東西分断時代のドイツの実話ベースの物語でありながら歴史的背景などは必要最低限しか描写されていないため、社会派エレメントを期待すると肩透かしを食らうかもしれないが、気球を使って壁を超えるという脱出サスペンスとしては満点の出来で、脱出組VS秘密警察の攻防を家族愛で味付けした展開や、たまさか仕掛けられるミスリードなどは至りて古典的であるにもかかわらず、剛腕ストレートな演出力で最後までまったく飽きさせることなく観せきる、単純に無茶苦茶面白い映画だった。

  • グッド・ワイフ

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      「80年代のメキシコ富裕層の妻たち」という題材に興味がない人にとっては恐ろしいほど退屈な前半。しかし、不敵なほどゆったりとした一人称的語り口で作品が進行するにつれて、本作が一人の女性の精神が崩壊していく過程を描いたユニークな作品であることが判明する。まるで、「ブルージャスミン」からユーモアを根こそぎ抜いたような辛辣さ。有名テレビシリーズ及びその日本版で流通しているのと同じタイトルを、原題から離れて邦題としてつけた不親切さには疑問を覚える。

    • ライター

      石村加奈

      喝采の音で、女王の代替りを示唆するなどのユニークな音楽と、ヒロインの心模様を活写したようなリズミカルなカメラワークで、三人も子供を持つ大人でありながら、未だに姫様に甘んじていたいソフィアの内省的な変化が、好感をもって描かれる。D・ラドローのカメラは、ソフィアが夢想する“世界の恋人”フリオ(〈人生を忘れて〉の選曲も秀逸)の歌声のようにやさしい(母親と電話するシーン!)が、カメラを正面から見つめるソフィアの目はクールだ。特に二度目はこわいくらいだ!

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      82年のメキシコ経済危機を、大富豪の妻として贅沢三昧の「バラ色の人生」を謳歌していたソフィアの視点で描いているのだが、一寸先は闇を地でいくその凋落ぶりがとにかくエグい。貧困層の視点とはまた違うそのねっとりとした崩壊は、資本主義の醜悪な側面を浮き彫りにし、いま世界中の人間が直面しているリアルと重ねてしまう。終盤、富裕層仲間に呼ばれたパーティでの彼女の自意識と絶望の揺らぎを、時系列を少しずつズラしたカットバックで表現したシークエンスが秀逸。

  • マルモイ ことばあつめ

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      ストーリーの面白さや作品の意義はともかく、映画的には凡庸な仕上がりだった「タクシー運転手」の脚本家オム・ユナの監督デビュー作。135分も尺がありながら、主題を台詞で説明するダイジェスト的導入部から腰砕け。のっぺりとした照明による緊張感のない画面から、ダメ押しのように興を削ぐミスマッチで大仰な劇伴。演出上の創意も、国外公開される近年の韓国映画の前提条件となっている国際水準の技術も覚束ない本作。印象に残るのは、描かれた歴史的事実の重さだけだ。

    • ライター

      石村加奈

      日頃から言葉を疎かにしている自覚があるので「言葉は精神だ」という台詞が耳に痛かった。40歳を過ぎて読み書きを学んだ主人公が、街中の看板や小説を読み、世界を広げていくよろこびを名優ユ・ヘジンがあかるく体現する。言葉同様、礼儀も大切だ。怪我人を見たら、まず怪我の理由を尋ねる礼儀を弁えた主人公は、やがて同志の窮地を救う。主人公の幼い娘(可愛い!)は、本作を観ている私たちと同じ、今という時代を生きているのかもしれない。観る者を自分事にする、力のある映画。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      日本統治時代の韓国、実際にあった事件を市井の人々の目線で描き、全篇笑いあり、涙あり、アクションありで飽きさせない。と思ったら「タクシー運転手」脚本家の監督作だった。主人公はいい加減なお調子者だが、弾圧に対抗する人々と偶然知り合い、戦いに巻き込まれていく、という展開も近いが、この非識字者の男が「言葉」を守るために自らを犠牲にして立ち向かう姿にはやはり胸が熱くなってしまう。虚実皮膜のバランスが絶妙、クライマックスの舞台が映画館というのも上手い。

  • もち

    • フリーライター

      須永貴子

      ドキュメンタリーともモキュメンタリーともフィクションのドラマとも違う本作は、一関の自然、生活、文化に密接なドラマを、ここに暮らす人々が演技をして、形にしたという。その結果、登場人物の実在感と、生々しい感情が抽出されている。中心に立つ中3のユナが、祭りの練習で流す汗や、卒業式で見せる涙はリアルだとして、親友の兄に好意を示すときの頬を赤らめた表情は、どこまで演出によるものなのだろう? 小松監督は、いつかとんでもないものを撮りそうな気がする。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      ドキュメンタリーのような作りだが、最初からそうではないとわかる。かつて震災に見舞われた岩手県一関が舞台だが、これは震災を描いたものではない。そのずっとずっと前からあるこの地の「もち」文化をもとに、ここに暮らす人々のささやかだが切実なドラマを展開させている。妻を亡くしたお爺ちゃん、その孫の少女が通う学校は閉鎖される。彼女はひそかに恋をするが、その相手の青年は東京へ行ってしまう。誰もがドラマを抱えているが、あえて映画にするべきドラマだったかどうか。

    • 映画評論家

      吉田広明

      祖母も、自分の中学も、友達も、好きな先輩もいなくなってしまう中、伝統芸能の神楽を練習し、祖父の祖母供養の餅つきを手伝う経験を通し、忘れないためにはどうすれば、と考えてゆく。しかし中学生にとって大事なものがみな消えていくことは不条理であり、まずは混乱、動揺し、怒りすら覚えるというのが自然な反応ではないか。忘れないように、という発想は中3というより、大人(監督)のもので優等生的に見える。ドキュメンタリー的でリアル志向だけにその根本の不自然は難に見える。

  • タッチ・ミー・ノット ローラと秘密のカウンセリング

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      「なぜこの映画のことを聞かなかったの?」静謐すぎる画面の奥からストレートに問いかける。幾度も変奏される「言葉にし難い」という台詞。ヨーロッパ芸術史上の表象不可能とは全く異なる同じ問いが浮上する。人との親密性や触れ合い、生きることは傷を負うことだ。しかしそれを恐れては相互の理解も自身のトラウマの解決には向かわない。この刺青は個人的内容だと説明を遮断する男娼。皮膚はどこまでその人の所有物なのか。これはマイノリティだけではなく人類共通の物語だ。

    • フリーライター

      藤木TDC

      ローラ・ベンソンとトーマス・レマルキス、二俳優がそれぞれトランスセクシャル、筋萎縮症患者らからアイデンティティや性の自閉についてカウセリングを受けるセミドキュメント。思わせぶりな間をはさみ哲学的な問答、生々しい性行為、SMパーティ描写などを重ねたアート志向演出だが、本質は「ホドロフスキーのサイコマジック」と同じ「下半身の悩み相談」。ユーモアを排し必要以上に高等遊民趣味を装った映像のせいで説教くさく、観客は性欲の解放より抑圧を感じる可能性も。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      生々しい性器の映像、またはトランスジェンダーや障がい者の裸を捉えることで、何かを成し遂げた気分になっているのは浅薄。肌の触れ合いという原初的な希求は重要だけれど、全裸の中年女性がダンスをするラストは、頑張った学生映画のようで恥ずかしい。所々ハッとするショットもありつつ、基本的には摸索を始めたばかりの女性映画という印象。観念的なセリフも実は当たり前のことを言っているにすぎない空虚さで、奇抜を狙う平凡さは心に引っかからない。

  • クソみたいな映画

    • 映画評論家

      川口敦子

      明日の自分に嫌われたくないからと愚直に正しく在ろうとする青年、彼をめぐる人々と出来事以上に映画そのものにイライラが募る。山積みの不快さといえば「フォーリング・ダウン」なんて映画もあった、復讐のヒロインといえば「黒衣の花嫁」よかったなあと逃避モードに浸り込む。明日の自分よりまずは今、ここにいる観客を愉しませる物語りの術、技を練って欲しい。無駄に複雑な構造と演技がうんざりの元凶だ。タイトルを皮肉でなく体現してしまった一作――なんて笑えない。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      拷問のような最初の20分を経て、明かされる入れ子構造。上田慎一郎の「カメラを止めるな!」、あるいは松本人志の「R100」を意識したのだろうか。しかし映画を利用した復讐、というモティーフを描くにあたって、いちいちその映画表現をもちいることの必然性が用意されていないため、これならべつに舞台劇でもコントでもいい、ということになってしまう。ましてエンドロールはスマホの画面であり、これが映画だというならずいぶんなめられたものだと言わざるをえない。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      宅急便の配達員が、雇用者とその妻、配達先の客などの悪意に翻弄され、それが直接の原因ではないが、疲労の果てに事故で死ぬ。恋人であるヒロインがそのイヤな人物たちに復讐するために映画を使う。なんという手の込み方か。石田明の脚本。演劇的手法の「嘘」が複層化しているが、芝監督は映画的真実で対抗していない。無理でもやりきったという構造を最後には感じさせる。としても、このタイトルはダメ。ヒロインに彼女が劇中で作る映画をそう呼ばせるのも含めて、ひどいセンス。

  • MOTHER マザー(2020)

    • 映画評論家

      川口敦子

      生温いフィールグッド映画が蔓延する中で、内臓に血の塊を叩き込むような後味の悪さを敢然とその映画の徴としてみせる監督大森の存在は無視し難く際立っている。「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「ぼっちゃん」「タロウのバカ」、そしてこの新作もやわな同情や感情移入を退けて人と世界の不可解さをきりきりとみつめ尽そうとする(「日日是好日」の異色さはだからこそ改めて吟味したい)。背中と顔、引きと寄り、対置の話術。握りしめた少年の拳をアップにしない矜持に見惚れた。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      共感も憐憫も拒絶したうえで、善意と悪意の境界に観る者を立たせる大森監督と共同脚本・港岳彦の肝の据わり方。長澤まさみも阿部サダヲも、残忍さの裏にある弱さを所作ひとつで表現しみごとだが、圧巻は夏帆。彼女の可憐さ、実直さがむしろ少年を追いつめていく。長澤まさみの手を取り、やさしく語りかける夏帆を見つめかえすときの長澤の目の曇り。残酷な現実を描くに際して、ただ現実を突きつけるでもなく、人間存在のよるべなさに対する静かな洞察が息づく。傑作。

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