映画専門家レビュー一覧
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今宵、212号室で
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映画評論家
真魚八重子
宣伝に「ファンタスティック」という惹句があるが、空想的というよりむしろ場当たり的というか、脈絡なく様々な年齢の登場人物たちを引き合わせただけに見える。時間軸が揺れるのは構わないが、理不尽で辻褄の合わない話で済むならなんとでも出来るだろう。ただ、特定の若い年齢の男性にだけ惹かれる中年女性の設定は興味が湧いた。若い女性ばかり選ぶ中年男性がいるように、こういう女もいる。特定の世代の愛人が並ぶ絵面は、同性でも呆れると同時にある種の誇張された現実を見た。
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水曜日が消えた
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映画評論家
川口敦子
SF映画を現実に生きるような非日常的日常の毎日を送る(2020年5月の)今、一週間を日替わりの僕として生きる青年に起きる異変という設定も妙にすんなり受容され、そんな驚きのなさが企画の貧しさのせいなのか、世界の今のせいなのかと、軽く煩悶したものの、ひっかかりのないままに見終えてしまった。7人という割にはふたりの僕しかいなかったかもと小姑的文句を呑み込みつつ、7人格を筋と絡めて演じ分ける中村倫也を見たかったとフォローにならないフォローも呑み込んだ。
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編集者、ライター
佐野亨
この映画を観たのは火曜日の昼過ぎ。フリーの自営業者とはいえ、周囲の活動がピタリと息を止めたかのような時間感覚のなかで観るこの作品は、なかなかにヴィヴィッドに感じられた。七人の人格を中村倫也が演じる、というふれこみだが、その設定をこれみよがしなフックにせず、周囲との関係の摩擦をめぐるドラマとして描き出しているのが面白い。ただ、CM的な口当たりのよさに終始した画作りにいまひとつのめり込めず。これは一昨日に「精神0」を観たことが大きいだろう。
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詩人、映画監督
福間健二
見終わって奇妙な夢を見たという感じ。吉野監督、オリジナル脚本とVFXも。観客がついていけるギリギリを狙ったとしたら買いたいが、全体の希薄さも狙いだったか。ラスト、深刻顔をはっきり始末してないのはどうか。曜日ごとに変化する多重人格で一番地味な火曜日をベースにした選択は賢明だとして、中村倫也の、他の曜日の演技がわざとらしいのもしかたないとしても、女性たちが表面的にしか存在しない。医師もその助手も、かな。そう考えるとすべてが記号的。それも狙いか。
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いつくしみふかき
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フリーライター
須永貴子
犯罪者の子が背負う苦悩、罪人への赦し、人は改心できるのかといったテーマは真摯で重い。だが、母親も含む善人顔をした村人たちの陰湿さ、父親が悪事を働くときの水を得た魚のような高揚感、容赦のない暴力描写、神父が父子を向き合わせようと画策するシーンのおかしみなどがアンバランスに共存したことで、奇跡的に軽やかで抜けのいい後味を残す。宗教画を意識したと思わせる明暗差の強い照明に着目すると、作り手がどの人物に真の悪を投影しているかがわかる。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
「親があっても子は育つ」と、太宰治はよくぞ言ってくれたものだ。親の罪は子供の罪よりずっと根が深いし、今に始まったことでもない。ユートピアだったと勘違いされている江戸時代には親は子供を商家や女郎屋に当たり前のように売り飛ばしていた。で、この映画は半ば実話らしい。親というのはいつの時代もろくでもない。進一君は何も悪くないのに、悪父のせいで不遇をかこちまくるが、それでも父を思って生きている様が涙なしでは見られない。いいね!
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映画評論家
吉田広明
親の「悪魔の血」が息子にも、で、息子が村から追放されるという設定がスゴい。何時代だ。といってフォークナーか中上かという神話的親子関係を構築するでもなく、教会が出ても宗教的赦しを描くわけでもない(そもそも旧教の罪や赦しの概念を考えているようでは全くない)。ヤクザの暴力描写、コメディ的場面、息子の成長物語、様々な要素がバラバラで生煮え。一本の映画として見た時にどう見えるのか、計算ができていない。まだ長篇映画を演出できる熟度にないということだ。
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デンジャー・クロース 極限着弾
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
最近では珍しいタイプの戦争映画。ベトナム戦争で米軍に加担した豪州。東西冷戦の代理戦争は泥沼化。敵の顔が見える至近距離の攻防は、ときには敵とのドラマを生んだはずだが、それは一切描かれず、少人数で激戦を勝ち抜いた果敢な豪州を賞賛する内容。よくある複雑な現代社会の曖昧な正義ではなく、非難されるベトナム戦争で隠されてしまう英霊と帰還兵を称える右翼的思想。これが豪州の消えゆく、もしくは再生するアイデンティティのひとつか。このような映画の存在は重要。
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フリーライター
藤木TDC
あまり知られてないオーストラリアのベトナム戦争参戦を描く。彩プロ配給の戦争映画は去年の「アンノウン・ソルジャー」もそうだったが、接近銃撃戦で歩兵が次々と死んでゆく陰々滅々な内容が多い印象。だが私はそんなヒロイズムなき戦場描写に燃える。そもそも豪軍は同盟義務による援軍なので戦勝メリットが小さく、目的意識の低さを示す序盤とラストの汚れたシートにくるまれ転がる死体の対比が参戦の虚しさを強烈に物語る。エンドロール末尾に出る戦死者の年齢には胸が痛んだ。
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映画評論家
真魚八重子
寡聞にしてベトナム戦争におけるロンタンの戦いを知らなかったので、若いオーストラリア軍兵士に容赦なく襲いかかる砲弾に胸が痛む。ただ、演出にもっと工夫がないと二番煎じの映画に見えてしまう。すでに過去にもベトナム戦争を扱った様々な映画で、極限状態の兵士たちの異様な精神状態は繰り返し観てきているし、ホラーばりに人が死ぬ描写も体感してしまっている。何か頭抜けたものがないと、ベトナム戦争を描いた大量の映画群の中では、印象に残らず埋もれてしまう気が。
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エジソンズ・ゲーム
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ライター
石村加奈
恐らく監督が撮りたかったのはメンローパークの魔法使い・エジソンVS.電気の魔術師・テスラ、マッドサイエンティストの術比べではなく、ウェスティングハウスを含む、当時の英雄たちの心の交流だったのだろう(という意味では邦題の勝利だ)。「電気椅子」まで含む熾烈な電流戦争から一転、シカゴ万博・中国館での天下太平なやりとりから「キネトスコープ」で発明家エジソンの健在ぶりを見せつけるに至るまでのロマンチックなエンディングをB・カンバーバッチがチャーミングに請負う。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
時代背景である19世紀末の日常の質感を再現するため、全篇やや暗めの照明、陰影の表現を凝りに凝って「光=電気の利権をめぐる戦い」を“彩って”いる。当時の「画」を見事に作り上げているが、超ロングから超ロー、特殊なレンズを複数使用し、手持ちから早いティルトなど多様な手法でショットを目まぐるしく繋ぐバランス。それが心地良い。光を通した写真が動く「映画」の可能性、それを追求する喜びに満ち溢れていると思っていたら、映画誕生の物語でもあった。
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ドクター・ドリトル(2020)
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ライター
石村加奈
スタビンズ少年(H・コレットがチャーミング)が、オウムのポリーに誘われて秘密の入り口を抜けた先に、バーンと広がる庭園の美しさにすっかり心奪われた。蝶々が舞い、光が燦々と降り注ぐドリトル邸も、モンテベルデ島にそびえるラソーリ城も魅力的だ。ドリトル先生と動物たちのやりとりも、それぞれの個性を尊重し合っていて感じがいい。説教臭いところはまるでないが、映画の終わりには、他者を救うことが自分を救う最良の道だと腑に落ちる。R・ダウニーJr.作品にハズレなし。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
98年版は、ほとんど動物と話せる獣医師という主人公のキャラ設定のみ原作通りで、エディ・マーフィの芸達者ぶりを披露するためだけにそれを使われた感があった。本作は、登場人物、時代設定などはほぼそのままで始まる。ダウニーJr.のドリトル像はファニーで、動物たちのキャラも笑えるし、原作の要素とオリジナルの物語の相性も悪くない。だが、ダイジェストのように次から次へと移動していく展開は、スピード感があるとも言えるが、物語の魅力、冒険のスリルを半減させていた。
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なぜ君は総理大臣になれないのか
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映画評論家
川口敦子
想田和弘監督作「選挙」が“観察”の距離を、被写体――市議補欠選に駆り出された同級生と分かち合い、コメディを抽出してみせたこと。撮る者も撮られる者も選挙という茶番にどこか他人事なスタンスで臨み、それが笑いの素となっていた。対照的に、ここにいる政治家と17年にわたり彼を取材してきた撮り手とが分かち合うのはしゃにむに愚直にことにあたる姿勢。与野党入り乱れてのどたばたを突き放せないひとりの哀感が映画に照り返る。面白みにはやや欠けても誠実、人も映画も。
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編集者、ライター
佐野亨
小川淳也議員、きわめて理知的、論理的なひとだが、彼のことばと行動を追いかけたこの映画は、しかし理知と論理が義理と情緒に掠めとられていく日本の政治的土壌の貧しさそのものを浮き彫りにする。あきらめない小川議員の姿とは裏腹に、日本の政治へのあきらめの感情ばかりがつのってしまう。だが、一方でシニカルに陥ることは田﨑史郎のような食わせ者のジャーナリストにまんまと付け入る隙を与えることにもなるだろう。負けること、苦しむことの先になにかがあると信じたい。
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詩人、映画監督
福間健二
政治家を追う。それも二〇一七年の民進党解体で希望の党に行ったひとり。「前原さんほど右ではなく、枝野さんほど左ではない」の立ち位置で、社会をよくしたいという情熱と誠実さが売り。しかも大島監督、映画らしさを避けるような画と音の作り方だ。共感線どう引くかと困惑しながら見たのだが、退屈はしなかった。小川淳也議員は、家賃五万以下のところに住み、レンジで温めただけの油揚げが好き。彼を理解する父と母、妻と二人の娘がいる。幸福な家族の物語でもあった。
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傍観者あるいは偶然のテロリスト
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映画評論家
川口敦子
20年前、フリージャーナリストとして訪れて以来、3年間に20回近く訪問したパレスチナ、その地を舞台にした「劇映画のロケハンもかねたセルフドキュメント」とプレスに書く監督後藤、彼が主演した「東京?争戦後秘話」を見終えたフィルムセンター大ホール、今は亡きS氏のあのちょっと首を前に突き出した笑顔に遭遇したなあと追憶モードに囚われ、そういえばと唐突に脈絡もなく『追想にあらず』も読み始めた、そんな札付きの傍観者の目にも記憶と記録と現在、「壁と青空」は沁みた。
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編集者、ライター
佐野亨
大仰でなく、日本のドキュメンタリー史に残る重要作ではなかろうか。事実を立脚点としながら、この映画は虚と実の境界を止揚し、映画が世界を切り取ること、あるいは世界をつくりだすことの限界と可能性を、すべての作り手と観客に問いかける。その意味でこの映画は、土本典昭が「不知火海」で乗り越えてみせたキャメラと対象の関係性、その先に屹立している。「偶然のテロリスト」というシナリオ題に「傍観者あるいは」と付け加えられたことの意味は、とてつもなく重い。
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詩人、映画監督
福間健二
粗いスタンダードで過去、きれいなヴィスタで現在。後藤監督は、パレスチナを二〇〇〇年から三年間取材した。現在は二〇一九年五月。構想する劇映画のロケハンを兼ねて旅をした。パレスチナにいまもこだわる。その姿、人との接し方、言葉に、変わらない魅力がある。なぜ自爆テロか。一方、なぜイスラエルはこうなのか。踏み込みはともかくとしても、だ。しかし、過去からここまでの時間のたどり方、どうだろう。アブ・アサド作品などをどう見たのかくらいは出してほしかった。
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